■戦後日本の通訳者の流れのひとつに原水禁関係者がいる。これについてはあまり証言や資料がなかったが、初期原水爆禁止運動聞き取りプロジェクト編集(2012)『初期原水爆禁止運動聞き取りプロジェクト記録集成』(ピープルズ・プラン研究所)というのがあるのを知った(現在はCD-ROMで入手可能)。この中に原水禁世界大会を担った「通訳団」について詳しい証言がある。日本戦後通訳史の貴重な資料だ。500ページ以上あるがほんの少しだけ紹介しておく。
■まず通訳団はほとんどが大学生だったこと。東京外国語大学と津田塾大学の学生が中心だったようだ。ボランティアではなくアルバイトであり、会場案内のような補助的な仕事ではなく、各国代表の演説の通訳だった。募集後、合格者は早稲田大学に借りた教室で2-3週間の特訓を受ける。
■「通訳を募集すると、優秀なのがたくさん寄ってきましたよ。落とすのに苦労しましたからね。また、既に活躍していた人たちも参加してきましたね。佐藤敬子さんは、土井たか子の通訳をやって、もう亡くなりましたけれど、すばらしい女性でした。それから、秋葉忠利広島市長もそうですよ。第4回大会のときでしたかね。TV キャスターの山川千秋もいたな。浅野輔や有馬真喜子もそう。サイマルインターナショナルを起こした小松達也もいました。」
■「○藤原 通訳講座の時に通訳のツボというか、やるときにはこことここが大事というこう何か秘訣のようなものっていうのは、どう伝えられたんでしょうか。
○森 何を勉強したんでしょう。暑かったことしか覚えてない。
○滝沢 そういうコツというのは特に教わっていないですね。2人の先生が交代で英字新聞とか、英文雑誌のある部分や社説とか読むわけですよね。それで要旨を把握できるかどうかというので、読んだ後、どんな内容だったか言えっということで、それで自分が聞き取れたことを言うと、よしよしって、だんだん当たっていくというふうですよね。
○森 それから、あれは今から思えば逐次通訳の一番基礎を教えられたと思うんですけれど、いったん休んだらそこまでに聞いたことを正確にちゃんと日本語にして。正確に簡潔に言いなさいって言われましたよね。
○滝沢 ゆめゆめ、原水爆賛成ってだけは言うなってね。
○森 そうそう。‥‥賛成ってだけは言うなってことで。
○滝沢 後はもうね、そんなに細かい指導はなかったように思います。」
■「福井治弘は、あのときの日英の通訳のナンバーワンでしたね。一番優秀なのは福井と浅野輔、光延。光延はちょっと後ですけどね。とにかく一流だ、能力があった。それから小松ね、サイマルの。」