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多文化共生とは永続的なココロの営み

できなくなることは増えても自分は残っている

2013-05-29 10:14:02 | ダイバーシティ
(以下、apitalから転載)
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《154》 できなくなることは増えても自分は残っている
認知症のケア
笠間睦 (かさま・あつし)
2013年5月28日

 精神科医の小澤勲さん(故人)が生前に書かれた著書『認知症とは何か』のなかには、認知症を患っても感情領域の障害は認知障害と並行して同じように低下するわけではないことについての記述があります。

 「認知症を病むと、認知の障害は進行し、深まっていく。ところが、幸か不幸か、感情領域の障害は、認知障害と並行して同じように低下するわけではない。もし、世間の大方が誤解しているように、『ぼければ、何も分からなくなるから本人は楽なものだ。周囲は困り果てるのだが…』という考えが正しいようなら、つまり知的能力の低下と並行して感情障害も深まり、感情が枯渇していくのならば、彼らはそんなに追いつめられないですむのかも知れない。しかし、実際はまったく違う。

 認知症を病む人たちの多くは徐々に『できないこと』が増えていくのだが、一方でそのことを漠然とではあれ感じとる能力は保持されている。自分が人に迷惑をかけていることも、自分が周囲からどのようにみられ扱われているかということも、彼らはとても敏感に感じとっている。そして、不安に陥り、怯えている。」(小澤 勲:認知症とは何か 岩波新書出版, 東京, 2005, pp94-95)
 朝日新聞社の新連載「認知症とわたしたち」第1部「気づきのとき・1─元の私は残っている」(2013.1.3)においても、初期のアルツハイマー病を患っている戸田恵さん(80歳)が本人としての思いを以下のように語っていましたね。

 何年も親しくしてきた友人に認知症を打ち明けたときのこと。「そうなったら、人間はおしまいじゃあ」と突き放された。別の知人に「話すことはできるけど、計算ができない」と言うと、「ウソじゃ!」と言われた。理解されない苦しさは、言葉で表現できないほどだった。

 だが顧みれば自分も同じだった。認知症の父を理解できなかった。石垣に靴下を詰め込んだり、他人の自転車を勝手にとってきてしまったり―。「人格が崩壊する病気」と思っていた。

 でも「それは間違いだった」。はっきりとわかったのは、認知症になってからだ。いまの自分を戸田さんはこう表現する。「できなくなった部分は黒で、できる部分は白。認知症になると白と黒が混ざった灰色の別人格になると思っていたけど、そうじゃない。できなくなることはあっても、『戸田恵』という白い元の私はしっかり残っているんです」

 認知症に対する偏見と誤解が随分と減ってきているとはいえ、実名を出して認知症であることを公表している方は、まだまだ少ないのが現状ではないでしょうか。その一人である佐野光孝さんは、日本老年看護学会第17回学術集会の一般公開フォーラムにおいて、次のように語っています。

 「私、認知症ですけど、皆さんにちょっと言いたいことがひとつあります。認知症ということを正しく理解してほしいんですね。認知症、いろいろと偏見と誤解があります。認知症の方でも、普通の人なんですよね。たまたま病気になっただけですので。そういうことを正しく理解してほしいと、そこをお願いします。」(永田久美子:認知症の人とともにつくるまちづくり. 老年看護学 Vol.17 20-27 2013)
(つづく)

笠間睦 (かさま・あつし)
 1958年、三重県生まれ。藤田保健衛生大学医学部卒。振り出しは、脳神経外科医師。地元に戻って総合内科医を目指すも、脳ドックとの関わっているうちに、認知症診療にどっぷりとはまり込んだ。名泉の誉れ高い榊原温泉の一角にある榊原白鳳病院(三重県津市)に勤務。診療情報部長を務める。
 認知症検診、病院初の外来カルテ開示、医療費の明細書解説パンフレット作成――こうした「全国初の業績」を3つ持つという。趣味はテニス。お酒も大好き。
 お笑い芸人の「突っ込み役」に挑戦したいといい、医療をテーマにしたお笑いで医療情報の公開を進められれば……と夢を膨らませる。もちろん、日々の診療でも、分かりやすく医療情報を提供していくことに取り組んでいる。

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