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夫が統合失調症、息子のために別れるべきか

2014-11-18 10:57:14 | ダイバーシティ
(以下、東洋経済ONLINEから転載)
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夫が統合失調症、息子のために別れるべきか
夫の病気が与える悪影響が心配
ミセス・パンプキン :グローバルマザー 2014年11月18日

【読者からの相談】

別居中の夫とその実家との付き合い方に悩んでいます。私は日本に留学し、就職、結婚をした在日外国人です。留学中に日本人の夫と知り合い、2年間付き合って結婚しました。
結婚後、何かにつけてけんかが絶えず、理不尽にけんかを売られることが多かったのですが、すぐに子どもの賢治(仮名)を授かったこともあり、我慢してきました。しかし、賢治が3歳を迎えた時、限界を感じ別居しました。
しかし、私は日本でほかに親戚はなく、子どもに寂しい思いをさせたくなかったので、引き続き夫の実家とは付き合いを続けました。賢治が4歳の時、別居中の夫とのけんかの最中に、実は夫が統合失調症であることを聞かされました。18歳の時に発症したそうです。これでいつもけんかになる原因がわかりました。
賢治はもう10歳になりました。夫の病気が与える子どもへの悪影響を懸念しつつも、父親(夫)、祖父母からの子どもへの愛情の狭間で、悩みながら付き合いを続けています。夫とその実家との付き合いを絶った方が賢治の為になるのでしょうか?
高木(仮名)

【パンプキンからのコメント】

他人の痛みに関心のない人に、魅力はない

この問題は、高木様が賢治くんに、どのような価値観や人生観を持つ息子に導くべきかという問いでもあると思います。

私の友人に、「他人の痛みや社会的弱者に関心のない人には、自分は関心がもてない」と公言する人がいます。同じ人がこのようにも表現しています、「半径100メートルのことにしか関心のない人とは、話もしたくない」。

初対面や久しぶりに再会する人で、自分とその家族の話題にしか関心のない人がたまにおられます。他人さまのことをとやかく言えた立場ではないのですが、そのような人たちは人間的な魅力に欠けていることで、共通しているように感じます。時間泥棒に遭ったようなガッカリした後味しか残らないのです。

このことを裏返せば、たくさん学び視野が広い人は社会的な関心事も多く、他者の痛みや悲しみに共感できたり社会的弱者に心を寄せることができたりする人が多いという実感です。そしてそれを人前で自然に発言できる人たちは、その人自身が魅力に富んでいます。どうしてでしょうか?

この世には、いろいろな形の差別があります。中には日本特有の差別も存在します。たとえば出自による差別。少し勉強すれば意味のない差別であることがわかることです。ほかにもヘイトスピーチなどで取りざたされる民族差別では、歴史的な背景への無理解やデマがネットで急速に蔓延していますが、根底には「弱者を必要とする人間の弱さ」、「真実より耳に優しいことを信じる人間の弱さ」及び「自己正当化への飽くなき欲求」と「偏った情報源の受け売り」があり、まったくのナンセンスです。

最初は同調圧力に屈するだけでも、しだいに差別を率先することで精神優位を味わい、承認欲求を満たすための「ヘイト・スパイラル」に陥っている人が多いのは残念です。誰でも外国に行けば少数外国人になることを忘れず、少数者の立場に思いを馳せたいものです。

障害者差別に関しては、多くの人は遅かれ早かれ、老衰や病気で障害を持って生きる運命にありますし、貧富の差による差別では、貧富と人格の良し悪しが関係ないことは説明するまでもありません。

特定の病に対する差別では、たとえば水俣病患者は、その原因を特定する技術もない時代では奇病と恐れられ、胎内感染で生まれてくる子もいたので、家族中で差別を受けました。その風評被害は、水俣在住と言うのがはばかれるほど、今も続いているのだそうです。

どれもこれも、差別は偏見を植え付ける為政者や、その政治的意図からくる嘘を見抜けない無知な人の恐れから生まれ、無関心な人に助長されてきました。この人たちが持つ言葉は少なく、再び会おうという気が起こらない人たちばかりです。

私自身も社会的弱者として生きてきた

このように申し上げますと決まって、私がきれい事を話しているとか理想論だと反論してくださる人がいますが、何を隠そう私も、戦後の日本で韓国人の女性として生まれるなど、「社会的弱者としての資格」を3つも4つも持ってこの国で生まれ、生きてきました。

そんな経験から申し上げるのですが、差別は無知から生まれ、無関心者もそれを助長する側に立つということです。私の場合は「弱者としての資格」はないが多くを学んだ友人や、彼らから紹介された本などの導きで、弱者の資格は返上できなくとも、それに負けない生き方を選択することができました。

自分が置かれている立場を隠したり逃げたりする生き方は、本当の自分自身を否定することになり、そこで結ばれる人間関係も、偽りの上で築かれていることになります。

そして悲しいというか滑稽なことに、そのように生きること自体が、自身がいちばん憎んでいる差別構造の差別する側に、無意識にでも加担することになってしまうのです。中でも悲惨な事例では、差別する側に回ることで、“弱者である自分”との決別を図ろうとする生き方も見受けられます。

時に排外的で過激な言動で保守政治家と関係を築いていた故・やしきたかじんさんの父親が在日韓国人で、たかじんさん本人に自身のルーツに葛藤があったと、その死後、メディアに書かれました。たかじんさんの排外的な言動は、「差別される側」から「する側」に自身を転換させるための対応だったのではと思います。

薬害エイズで最初に実名を公表した川田龍平さんは、その時まだ10代でした。のちに衆議院議員になられた母親の考え方が大きく影響したと想像されますが、実名公表第1号として大きくニュースになったこと自体が、当時のこの病気に対する偏見や差別を物語っていると思います。

多くの、差別を受けている病気を抱えている人たちが、結婚などに差し障ると言う理由でその病を隠していますが、その人たちの生き方を、この社会では誰も批判する資格はありません。

しかし川田さんがその病を実名で公表する人でなかったら、彼自身が今、衆議院議員として活躍していますが、これだけの大きな仕事に関われる人生を歩めたかどうか。また、それだけの期待を人々から寄せられる存在になり得たかどうか。薬害肝炎訴訟の福田衣里子さん然りです。

原因不明や風評被害も差別を助長する

結核が日本人の死因の1位で、不治の病と恐れられたのは半世紀以上前の話です。それよりも前に特効薬が日本で使用され、不治の病ではなくなったのに続いたハンセン病患者に対する差別や偏見の歴史は、筆舌に尽くせないものがあります。

これらの病気が国の恥とされた時代では、完治しても家族に迷惑がかかるという理由で家に帰らず、故郷の近くまで行って、無言電話で母親の声だけを聞いて療養所へ戻る人のエピソードを読んだときは(神谷美恵子『生きがいについて』)、その底しれない差別の実態を知り、絶句しました。

どれだけの人がこの病気の偏見と差別と圧迫の中で、果てて逝ったことでしょう(神谷さんはこの病気の弱者の資格のない人でしたが、この病気の人に寄り添って治療や研究に生涯を捧げることに、自身の生きがいを見つけた人です)。

高木様、遠回しな申し上げ方になりましたが、多くの不治の病が不治でなくなった今日に、いまだ克服されず偏見が残っている病気のひとつに、統合失調症があると思います。完全に克服はされていませんが、内容とレベルによっては、通常の社会活動が十分に送れる良薬が開発されていて、その恩恵を受けている人が多いと聞いています。

多くの不治の病が不治でなくなったように、この病気も1日も早くその日が来ることを私は願い、信じてもいます。その日が来れば、この病気に対する偏見も随分払拭されるでしょうが、私たちはその日を待つまでもなく、この病気で苦しむ人とその家族と、その苦痛や困難を共有できる心は失いたくないものです。

賢治くんが父親の病を知らずに育ち、無意識にでも弱者の立場に無理解な人間に育ち生きていく姿を想像してください。弱者でない人が多くを学ぶことで弱者を理解し寄り添い、差別に憤り闘っている時に、弱者やその家族が無知であり続けたり逃げて生きるのは、悲劇を通り越しています。

今の段階で絶縁しないほうがいい

夫君は病状の良い時は、親子の交流を断ち切るのを貴女が悩むほどの、父親としての愛情を賢治くんに示される方なのですね。ご夫君に合う薬の開発が、1日も早いことを祈るばかりです。

私は夫君の症状の具合がどの程度のものかわからないので、最終判断はもちろん高木様の方がご自身にあった判断をされることでしょう。今後の病の進展か回復状況を鑑みながら、別居を続けるか離婚するかは貴女が選択するとして、祖父母も含めて今、絶縁までされるのが子どものためかと悩むのはいかがなものでしょう。

賢治くんを、他者の痛みが理解できたり他人のために泣ける心優しい青年に育てたいのでしたら、まず父親の痛みや悲しみに目を背ける人であってはなりません。私がきれい事を言っているだけだと受け止められませんよう、切に願っています。

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