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NGOダイバーシティとやま(9) 多様な人生ブログに

2012-05-22 19:45:26 | ダイバーシティ
(以下、北陸中日新聞から転載)
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NGOダイバーシティとやま(9) 多様な人生ブログに

2012年5月22日


ブログ「『ダイバーシティとやま』な日々」http://blog.canpan.info/diversityt/

 NGOダイバーシティとやまでは、ブログ「『ダイバーシティとやま』な日々」を運営。多様な人にスポットを当て、その人のこれまでの活動や生き方についてインタビューしたものを掲載している。
 インタビューは「今日の人」と題し、県内を中心に多種多様な分野の人を取り上げてきました。
 昨年十一月からこれまでに取り上げた方は三十八人。富山で大人の学び場を提供しているLiTa Clubの平木柳太郎さん、朝活ネットワーク富山の永吉隼人さん、はちどりBANK@とやまの向早苗さんなど、実に多様な方々がインタビューに応じてくださいました。
 普段何げなく接している目の前の人が、どうして今の仕事や活動をするようになったのか。普段どんなことを考えているのか。
 身近にいても実は深くは知らなかったことが、その人の半生を知ることで見えてくることがあります。それが、その人の生き方と結びついて、深い感動を覚えるのです。
 例えば、ブログで記事にさせていただいた日本のダイバーシティ、多文化共生の第一人者、田村太郎さん。田村さんは、若い時、ベルリンの壁が崩れ東西ドイツが統一して初めてのお正月をドイツで迎えたり、アルジェリアからサハラ砂漠を通ってニジェールに渡ったり、アパルトヘイト(人種隔離)の過渡期の南アフリカをヒッチハイクして歩いたりしていました。
 ヒッチハイクでは、ベンツの白人にもトラックの黒人にも、家に泊まっていけと誘われます。白人の家はプール付きの豪邸。黒人の家は千人が住むところにたった二つ水道の蛇口があるだけの所。やがて田村さんはケープタウンから船でブラジルへと渡ります。
 ブラジルに行くと、そこでは黒人と白人が一緒に働いていました。南アフリカでの黒人の鬱屈(うっくつ)した思いが晴れるような現場をいきなり目にしたわけです。
 まったく違った価値観。きっと日本から直接ブラジルに渡っていたら、こんなにも衝撃を受けることはなかった。南アフリカからブラジルへ渡ったことが彼が多文化共生に目覚める一番大きなきっかけになったのです。
 こんなふうにブログを通して、多様な人々の人生の一端に触れ、そして人々をつないでいくこと。これもダイバーシティとやまの大切な役割だと考えています。
 (NGOダイバーシティとやま代表・宮田妙子)