(以下、中央日報から転載)
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和食グローバル化に貢献「韓食もグローバル化可能だ」(2)
--どのようにすれば韓国料理を世界的な料理にできるか。
「何回も韓国を訪問して多様な食堂に行った。ある飲食店では数十ものおかずを出していた。他の所ではニューヨークにある韓国料理店のようにふんだんなカルビみたいなものを出していた。個人的意見で食べ物は量が重要だ。韓国料理は量があまりにも多いかとても少ない。日本料理にはおまかせ料理というのがある。コック長のお勧めであるわけだ。この料理はデザートを合わせて6~7コースになっている。前菜で始めてデザートまで食べればちょうど適当な分量だ。お客さんたちは量が多ければその料理を高く評価しない。韓国料理もそうしなければならない。カルビ料理を出しても前菜からメインコース、デザートまで適切に量を調節しなければならない。カルビを2~3点程度だけおく韓国式コース料理を開発しなければならないというのが私の意見だ。そうすればもっと多くの外国人が韓国料理を試食しようと思うだろう。私が経営する「ノブ」には1、2人のお客さんが来てもコース料理を楽しむことができる。しかし今の韓国式カルビ料理を出す方式では1人で行って楽しみにくい」
--辛い味が韓国料理グローバル化の障害物にならないか。
「私は辛い食べ物が好きだが、たくさん食べれば汗を流す。体質によってそんなケースが少なくない。化粧をした女性が辛いものを食べて汗を流せば問題にもなる。しかしこれはウエーターがステーキ注文を受ける時、焼き方を問うように「どれだけ辛くするか」と尋ねて解決できる。ウエーターの存在理由はまさにお客さんと調理師の間のコミュニケーションのためだ。経験上、どの韓国料理店に行っても「どれだけ辛くしましょうか」と聞かれたことがなかった。顧客サービスがもっと細密になる必要がある」
--韓国料理のグローバル化は可能か。
「100%可能だ。韓国は日本と中国のように歴史と文化がある国だ。歴史が深ければ日本の伝統的な懐石料理のように特有の料理があるものと決まっている。これを世界の人たちが楽しむようになる。しかし料理は一種の流行という事実を忘れてはいけない。料理の伝統的な要素を無視してはいけないが、同時に私は世界の人たちが楽しめるように多様な要素を入れて1つの流行にすることが重要だ」
--どのように韓食を流行させることができるか。
「誰かが韓食を試食してこれを伝播させなければならない。そのためには料理雑誌などを通じてプロモーションをすることも良い。全世界の幾多の国にある韓国大使館も重要な役割ができる。若いスターシェフが出ることも重要だ」
◆松久信幸=世界で有名な日本の調理師に数えられる。彼には「寿司グローバル化の主役」というニックネームが付いている。1994年ニューヨークマンハッタンにレストラン「ノブ」を開業した後、寿司と刺身が米国主流社会のトレンドとして定着したからだ。現在19都市に25店を構え「フュージョン和食」の代名詞で知られている。
87年、米国ロサンゼルスビバリーヒルズに「松久」という小さなレストランを開き、米国市場に入城した。和食に南米風を加味した料理で人気を呼び、ロバート・デニーロを含む有名人たちが常連になった。デニーロは松久にニューヨーク「ノブ」を開くよう勧めた。デニーロはこのレストランの共同投資者だ。
彼は24歳でペルー・リマで和食堂を開き成功した。その後、アルゼンチンを経て米国アンカレッジに渡りレストランを開業したが、50日後に火事で焼けた。無一文になった彼は、日本と米国カリフォルニアの和食堂調理師として就職し、自分のレストランを開いた。
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和食グローバル化に貢献「韓食もグローバル化可能だ」(2)
--どのようにすれば韓国料理を世界的な料理にできるか。
「何回も韓国を訪問して多様な食堂に行った。ある飲食店では数十ものおかずを出していた。他の所ではニューヨークにある韓国料理店のようにふんだんなカルビみたいなものを出していた。個人的意見で食べ物は量が重要だ。韓国料理は量があまりにも多いかとても少ない。日本料理にはおまかせ料理というのがある。コック長のお勧めであるわけだ。この料理はデザートを合わせて6~7コースになっている。前菜で始めてデザートまで食べればちょうど適当な分量だ。お客さんたちは量が多ければその料理を高く評価しない。韓国料理もそうしなければならない。カルビ料理を出しても前菜からメインコース、デザートまで適切に量を調節しなければならない。カルビを2~3点程度だけおく韓国式コース料理を開発しなければならないというのが私の意見だ。そうすればもっと多くの外国人が韓国料理を試食しようと思うだろう。私が経営する「ノブ」には1、2人のお客さんが来てもコース料理を楽しむことができる。しかし今の韓国式カルビ料理を出す方式では1人で行って楽しみにくい」
--辛い味が韓国料理グローバル化の障害物にならないか。
「私は辛い食べ物が好きだが、たくさん食べれば汗を流す。体質によってそんなケースが少なくない。化粧をした女性が辛いものを食べて汗を流せば問題にもなる。しかしこれはウエーターがステーキ注文を受ける時、焼き方を問うように「どれだけ辛くするか」と尋ねて解決できる。ウエーターの存在理由はまさにお客さんと調理師の間のコミュニケーションのためだ。経験上、どの韓国料理店に行っても「どれだけ辛くしましょうか」と聞かれたことがなかった。顧客サービスがもっと細密になる必要がある」
--韓国料理のグローバル化は可能か。
「100%可能だ。韓国は日本と中国のように歴史と文化がある国だ。歴史が深ければ日本の伝統的な懐石料理のように特有の料理があるものと決まっている。これを世界の人たちが楽しむようになる。しかし料理は一種の流行という事実を忘れてはいけない。料理の伝統的な要素を無視してはいけないが、同時に私は世界の人たちが楽しめるように多様な要素を入れて1つの流行にすることが重要だ」
--どのように韓食を流行させることができるか。
「誰かが韓食を試食してこれを伝播させなければならない。そのためには料理雑誌などを通じてプロモーションをすることも良い。全世界の幾多の国にある韓国大使館も重要な役割ができる。若いスターシェフが出ることも重要だ」
◆松久信幸=世界で有名な日本の調理師に数えられる。彼には「寿司グローバル化の主役」というニックネームが付いている。1994年ニューヨークマンハッタンにレストラン「ノブ」を開業した後、寿司と刺身が米国主流社会のトレンドとして定着したからだ。現在19都市に25店を構え「フュージョン和食」の代名詞で知られている。
87年、米国ロサンゼルスビバリーヒルズに「松久」という小さなレストランを開き、米国市場に入城した。和食に南米風を加味した料理で人気を呼び、ロバート・デニーロを含む有名人たちが常連になった。デニーロは松久にニューヨーク「ノブ」を開くよう勧めた。デニーロはこのレストランの共同投資者だ。
彼は24歳でペルー・リマで和食堂を開き成功した。その後、アルゼンチンを経て米国アンカレッジに渡りレストランを開業したが、50日後に火事で焼けた。無一文になった彼は、日本と米国カリフォルニアの和食堂調理師として就職し、自分のレストランを開いた。