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多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

必要とされる人になるための3つのポイント

2014-09-04 09:49:44 | ダイバーシティ
(以下、日系WOMANOnlineから転載)
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必要とされる人になるための3つのポイント
2014年9月4日
日経ウーマンオンライン5周年企画「第1回“魅”ならい塾」潜入リポート


 「日経ウーマンオンライン」はオープン5周年を記念し、8月末より年末にかけて魅力的な人にならう「“魅”ならい塾」と題した働き女子を応援する読者限定の講演会シリーズを開催中。そこで早速、第1回の「“魅”ならい塾」会場に潜入してきました。
 8月26日に開催された弟1回の“魅講師”は、ダイバシティコンサルタントの藤井佐和子さん。ダイバシティとは、多様性を活用する組織体のこと。そして藤井さんは、色々な人がそれぞれの強みを出し、生き生きと働いて成果を出せるような職場環境作りをアドバイスする専門家です。
 今回藤井さんは、「“あなたにずっといて欲しい”と言われるために必要な3つのこと」をテーマに講演。応募総数265人の中から選ばれた読者60人が集まる中、会場となった品川プリンスホテルNタワーの「ビジネスラウンジ」は女性たちの熱気に包まれました!



会場の入り口には、黒板に可愛いイラスト付きの案内が! どんな講演会になるのだろうというワクワク感を盛り上げてくれます。


ここが会場となった品川プリンスホテルNタワーの「ビジネスラウンジ」。「発想の転換ができる場所」を意識して作ったというこのビジネスラウンジ。革張りのソファーが並ぶなど、日常から離れた発想ができそうな雰囲気に、さらに気分が高まります!
 かつては、結婚や出産というライフイベントをきっかけとして家庭に入る女性が多かったもの。でも、近年は、「定年まで働く」という意識が女性の間で定着してきているそうです。そうした中で、「“あなたにずっといて欲しい”と言われるために必要な3つのこと」について、ダイバシティコンサルタントの藤井佐和子さんが講演しました。


講師のダイバシティコンサルタント、藤井佐和子さん。
キャリエーラ代表取締役、ダイバシティコンサルタント。人材ビジネス大手インテリジェンス創業時、人材派遣、人材紹介部門の立ち上げに関わる。女性に特化した人材紹介チームを自ら立ち上げ、多くの女性のキャリアを支援。現在は、女性に向けたキャリアカウンセリングを行い、女性だからこその悩みを解決。これまでに延べ1万3000人以上の支援実績を持つ。また、年間200件以上のダイバシティに関する講演、企業職研修などを実施。大学でもキャリア教育、就職指導を行う。近著に『「あなたには、ずっといてほしい」と会社に言われるために、いますぐはじめる45のこと』(ディスカバー・トゥエンティワン)。

 3つのポイントを説明する前に藤井さんは、活躍し続けている人の行動パターンを解説してくれました。ポイントは2つ!

 1つは、「積み上げていく」こと、です。

 例えば、同じ仕事でも、ただ漫然と続けるのではなく、効率化を図ったり精度を高めていったりする、ということです。「積み上げていく先に、『自分の経験や知識をもとに周りに貢献する立場』という意味で、管理職という選択肢を考えてみるのもいいでしょう」と藤井さんはアドバイスしてくれました。

 もう1つのポイントは、「新しい実績を積むこと」。活躍し続けている人は、適宜、新しいことを行動に移し、それを自分の経験値とするのがうまいのだそうです。

 「忙しくて、とても新しいことなんて始められない」なんていう人もいるでしょう。

 「そうした時は、目の前の仕事が、ずっとやり続けなければいけないことかを考えてみてください。例えば、自分がやらなくてもいいことは人に預けるなど、どこかで勇気を持って『やめる』ことが大切」と藤井さん。そうして、時間に余裕ができた分、新しいことに取り組んでほしいという言葉に、聞いている筆者も「なるほど~~」と思わず何度もうなずいちゃいました。


熱心に聞き入る参加者の皆さん。
 そして、いよいよ講演のメインテーマ、「“あなたにずっといて欲しい”と言われるために必要な3つのこと」。藤井さんが挙げたポイントは次の3つでした!

1.チームの中で、今、自分が期待されていること、予測されること、相手の期待の変化を見る

2.自分の感情を客観的に理解し、調整し、いつも機嫌のいい人でいる

3.自分だけでなく、周囲にとっても正しい、と思われることをきちんと主張し、周りを巻き込むる
 ちょっと難しそうにも聞こえますが、いずれも、意識さえすれば、誰もが明日から取り組める事柄ばかり。ハッとする視点の転換で、ワーキングライフが大きく変わりそうです。

 せっかくなので、それぞれについて順番に、少しだけご紹介しちゃいましょう。

1.チームの中で、今、自分が期待されていること、予測されること、
相手の期待の変化を見る
~全体のフォーメーションを把握する~

 女性は「何を期待されているか分からない」「先のことまで分からない」という悩みを持ちやすいそうですが、「そうした時は、上司に自分が何を期待されているかを確認することです」と藤井さん。

 気を付けたいのは、職場では年代によって求められる仕事内容が変わってくること。例えば、40代~60代は、経験を周囲のために役立てる時期。この役割をまっとうするために、20代から30代、30代から40代というその下の階段がとても大事になってくるのだそうです。

2.自分の感情を客観的に理解し、調整し、いつも機嫌のいい人でいる
~怒りを感じたら6秒待つ!~

 人は誰でも、モチベーションのアップダウンがあります。特に感受性が強い女性は、自分の感情に振り回われてしまいがち。しかし、「この感情をコントロールできれば、周囲に『あの人と働きたい』と思ってもらえます」と藤井さんは言います。

 「例えば、怒りを感じるような時には6秒待ってください」と藤井さん。怒っている時は、感情にまかせ後で悔やむようなことを言ってしまいがちだからです。

 ただし、ただ怒りが収まっただけでは、その感情がいつまでもシコリとなって心に残ってしまいます。そこで、次に重要になるのが「感情をうまく使う」こと。例えば、頭にきた、悔しいという感情をバネにして成果につなげるなど、きちんと感情を使って、負の感情を成功体験に転換すると、それが“いい思い出”として自分の中に残り、その後の展開にも使えるようになるのだそうです。

3.自分だけでなく、周囲にとっても正しい、と思われることをきちんと主張し、
周りを巻き込む
~相手のことを理解し、社内人脈を広げる~

 女性の場合、資格を取りたいなど、「スペシャリスト性を身に付けたい」という思いがどうしても強くなりがちですが、「チームプレイ・社内人脈」も大切にしてほしいと藤井さんは言います。特に女性は、子育てや介護などのライフイベントで仕事環境が“失速”することがあるので、意識的に色々な人に関わり、「味方」を増やしておくことが大事なのだそうです。

 「自分のピンチを救ってくれた、失点を許してくれた、という人には、いつかお返しをしたいと思うのと同じで、相手を助けてあげられればいずれどこかのタイミングで自分にも“お返し”が返ってきます」と藤井さん。それが、自分の味方を増やすこと、ひいては仕事でいい結果を出し続けることにもつながるそうです。


メモを取る方の姿も多くみられました。

講演の途中で、参加者が2~3人1組になって話し合う場も設けられました。みなさん初対面同士なのに、すぐに打ち解けて和やかに話し合う様子に編集部メンバーもびっくり。
 藤井さんの1時間に講演に続いて、藤井さんと「日経ウーマンオンライン」常陸佐矢佳編集長によるトークセッションも行われました。


トークセッションで参加者からの質問に答える藤井さん(左)と、「日経ウーマンオンライン」の常陸編集長(右)。
 その中で、藤井さんは、
「感情的な上司にどうしても心がシャットダウンする」
「上司から『いらない』と思われているのではないか」
「希望しない部署への異動に対する不安があるがどうしたらいいか」
など、参加者から寄せられたいくつかの質問に回答。

 それぞれについて、
「6秒時間をおいてから、相手と接してみる」
「周りにとって役立つかどうかを考えた上、自分で課題を見付け上司に提案してみる」
「仕事には異動が付きものと考えて、その変化を楽しむ。そして、楽しむためには自分にとって何がやりがいなのかを把握しておく」
といったアドバイスをしてくれました。

 そして、いよいよ交流会へ!!

 トークセッションの後には、ホテルならではの華やかな彩りの料理とドリンクが参加者に振る舞われる中、交流会が開催され、会場は一瞬のうちに熱気に包まれました。


画像のクリックで拡大表示
交流会で振る舞われた料理。思わず気分が盛り上がる華やかさ。


参加者のみなさんが自然にグループになって話に花が咲きました。
 会場となったビジネスラウンジは、昨年レストランを改装してリニューアルオープンしたもので、普段は宿泊者や同ラウンジの会員などにのみ開放されている場所です。

 講演会の会場といえば無味乾燥な部屋を想像しがちがですが、大きな革張りソファーやカフェ風のテーブルセットが並び、ゆったりとしたエグゼな雰囲気!

 そうした中で参加者は生き生きとした表情でお互いの情報を交換。まさに、「相手と分かり合いたい」という女性の能力が存分に発揮された会でした。


最後はみんなで記念写真を撮影! 藤井さん(前列左から2番目)、常陸編集長(同3番目)も写っています。藤井さん、参加者のみなさん、いい会をありがとうございました!
文=大塚千春、写真=木村輝

マネジメントは「北風」型か「太陽」型か?

2014-09-04 09:47:14 | ダイバーシティ
(以下、東洋経済オンラインから転載)
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マネジメントは「北風」型か「太陽」型か?

東京海上日動火災の佐藤重実部長に聞く(後編)
三宅 孝之 :ドリームインキュベータ執行役員 2014年09月03日


「マネジメントは「北風」型か「太陽」型か? 東京海上日動火災の佐藤重実部長に聞く(後編)

 女性部長というと、どのようなイメージを持つだろうか? 仕事はできるけどキツい人、という印象を持たれがちだが、東京海上日動火災保険の佐藤重実さんは、先入観を覆すような明るく気さくな方だ。社内でも、部下は楽しくイキイキと仕事をしている。そのマネジメントスタイルは、北風と太陽でいえば、明らかに太陽型だ。一般的には、北風型のほうが少なくとも短期的には成果が上がると言われるし、太陽型で成功は難しいとも言われる。それにもかかわらず、なぜ佐藤さんは、太陽型マネジメントを行うのか。太陽型マネジメントのコツとは何か。


障害者雇用の新会社を設立

三宅:佐藤さんは「超ビジネス保険」(以下、「超ビジ」)という大型商品の開発を経て、2007年に人事企画部に異動になり、ここでも「東京海上ビジネスサポート」という新会社を立ち上げています。こんな大きな仕事は、なかなか立て続けに任されないですよね。佐藤さんだからこそ、任せたくなるのでしょうね。

佐藤:たまたまそういう時期に巡り合わせただけですよ。

三宅:謙遜が多いのも、佐藤さんらしい特徴ですね(笑)。

佐藤:今、振り返ると、本当にいい体験をさせていただきました。「東京海上ビジネスサポート」は特例子会社といって、障害者雇用を推進する会社です。それまでも当社は障害者雇用に積極的に取り組んでいて、法定雇用率も満たしていました。でも、知的障害者の方や発達障害者の方に対する企業の環境づくりはまだ不十分でした。そこで、もっと障害者の方を広く雇用する仕組みはないかと、検討していたのです。

その後、いろんな特例子会社を見学しました。そうしたら、知的・発達障害者の方は、特定分野に秀でている方が多いことにびっくりしました。パソコンがすごく得意な方とか、これを任せたら右に出る者はいない、というほどのスピードで作業ができるようなすご腕の方がいる。そういう方たちが能力を発揮する場を用意できれば、その方もイキイキ働けるし、会社としてのダイバーシティも推進できるということで、特例子会社を設立することにしました。

でもそこに至るまでは、侃々諤々の議論もありました。「特例子会社など作らず、同じ職場に机を並べて働いてこそ、真のダイバーシティと言えるんじゃないか」など、さまざまな意見が出ました。いろんな人の価値観があることを、すごく感じましたね。

三宅:佐藤さんは、バラバラの価値観をまとめなければいけなかったわけですね。

佐藤:そこはけっこう難しかったですね。人によっては最後まで折り合えないところもありました。

三宅:徹底的に議論する方向に持っていったのですか?

佐藤:そうですね。しっかり議論して、こちらの考えも説明して、コンセンサスを得ようとしたけれど、やっぱり違う意見を持ってる人の考えを変えるのは難しかったです。なので、組織としての機関決定を積み上げていくことになりましたね。

三宅:佐藤さんのキャリアはバラエティに富んでいて、その都度、新しいことを開拓してきているのが特徴ですね。最近も、再生医療保険という新しい分野の保険商品の開発を手掛けました。

佐藤:そうですね、巡り合わせがあるのかもしれませんね。

三宅:会社のほうで、佐藤さんを呼んでいるのかもしれないです。「新しいことが始まるぞ、こんなときは佐藤だ」みたいな(笑)。

北風ではなく太陽型のマネジメント


三宅:ところで月並みな質問ですが、御社の女性管理職は現在167人と、全社員の5%程度だと聞きました。女性管理職として難しさを感じているところはありますか。

佐藤:最初はただ女性管理職というだけで、「この人はすごい人なんじゃないか」とか、「キツい性格なんじゃないか」とか、先入観を持たれたこともあったと思います。でも自分と全然違う像を作られていると仕事がしにくいので、「そうじゃないよ」という部分を自然に出していくようにしていました。

三宅:それは、どんなふうにやるのですか?

佐藤:自分をさらけ出すことだが大切だと思っています。人間って、「この人、何を考えているかわからない」という相手には、本音を出さないでしょう。だからこうやってガハガハ笑いながら一緒に仕事して、話していれば、そのうち「この人はそんなに警戒しなくてもいい人だ」と思ってくれるだろうと。

三宅:その作戦に、僕もやられたわけです。お会いするまでは、さぞや厳しい人なんだろうと思っていた。でも名刺を渡されたときニコニコッとされて、一瞬「ん?」と思ったけれど、「これは作り笑いに違いない。実はキツい人だろう……」とまだ警戒を解かずにいた。ところが話してみるとあまりにも気さくだし、しかもこちらにすごく配慮した話し方をされる。つまり頭がいいのに、「こうでしょ!」と決めつけるのではなくて、「こうじゃないかな~と思ったりするんですけど」みたいにおっしゃる。こういう人はなかなかいないと思います。

佐藤:そうでしょうか(笑)。

三宅:マネジメントのスタイルでは、佐藤さんは典型的にイソップ童話の「北風と太陽」で言うところの太陽のほうですよね。北風と太陽のどちらがいいかは、僕が大学時代から悩み続けている個人的なテーマでもあります。

項羽と劉邦という2人の武将の話が、「史記」に出てくるでしょう? 項羽は典型的な北風マネジメントの人で、めちゃくちゃ強いし、戦いのときは先頭に立って領土を広げていく。でも部下にきつくあたるし、言うことを聞かない部下の首を斬ったりするので、そのうち部下が離れていく。逆に劉邦は、戦に弱くてやたらと敗戦を繰り返すのに、人のことを信頼しその人の能力を引き出すのがとてもうまい。それでいつのまにか劉邦の下に人が集まってくる。それを繰り返してついには項羽が劉邦の大軍に囲まれて四面楚歌になって負けてしまうという話です。

つまり、項羽のほうが個人としての能力はわかりやすくてカッコいいけど、劉邦は周囲の人に、「しょうがないな、劉邦のためなら」と思わせる魅力がある。項羽と劉邦ではいったいどちらがいいのか、ずっと考えているのです。

三宅:太陽マネジメントが理想ですが、太陽型を実践するとたいてい組織がまとまらず崩壊してしまうし、北風型のほうが短期的な効果は出やすいと言われています。個人としての能力も高くて優秀な佐藤さんを劉邦にたとえるのは失礼ですが(笑)、太陽型マネジメントで成功している希有な例だと思います。

そこで質問なのですが、佐藤さんは、あえて太陽型でやっていらっしゃるのか。それとも自然に太陽なのか。そして太陽なのに組織を崩壊させず、成果を出せているのはなぜなのかについて、お話し願えませんか?

佐藤:あえて意識はしていないですね。自然にだと思います。たぶん私自身、太陽型の上司の下で働くほうが力を発揮できると思っているからではないでしょうか。それにうちの社員は優秀なので、太陽マネジメントをしたからといって、みんなだらけて何もしない、組織が崩壊するなんてことはありませんよ(笑)。

北風は強制的にやらせるから進み具合が早いかもしれませんけど、部下の社員の満足度は低いと思うのです。働く社員の満足度を高めたり、仕事のやりがいを感じるには、自らの発意や主体性を持つことが大切なんじゃないかと。


それに、北風マネジメントは、対立軸を作ってしまうと思うのです。人って対立する相手には防衛本能が働くでしょう。火の粉が降りかかってこないようにすることにエネルギーを注ぎ始める。「余計なことをしたら怒られるかもしれない」「言われたことだけやっておけばいいや」と。それよりは部下と同じ方向を向いて、相手の見ている景色を想像しながら、「こういうふうに進もうよ」と言える関係のほうが、いろんなアイデアが生まれやすいと思いますね。

三宅:僕もできるだけ太陽マネジメントでいこうと思うのですけど、時にそうじゃない自分がいて、「うりゃーっ」と力づくで押さえ込んでしまいたくなる。その衝動に耐えるにはどうしたらいいのでしょう。

佐藤:「うりゃーっ」とですか(笑)。でも別に耐えなくていいんじゃないですか。つねに太陽である必要はないので。私だってダメなときはダメってちゃんと言いますよ。

私の場合は、太陽型のほうが最終的に仕事が早く進むような気がするんですよ。部下が北風型の上司を恐れて、何も言えずに問題を抱え込んでしまうよりは、何でも話してもらって、一緒に正しい方向に進んで行くほうがうまくいくような気がします。だから無理も我慢もしていません。それにしかめっ面をしている人には、誰も寄ってきませんから。

三宅:だからいつも笑顔なんですね。しかも佐藤さんがすごいのは、一回方向性を打ち出すと、それがブレないことだと部下の方にお伺いしました。毎回違うことを言う上司とか、言うとおりにしているのに「なぜこんなことをしているんだ」としかる上司とか、みんな多かれ少なかれ、ブレがあるものですが、佐藤さんにはそれがないとのこと。そうすると余計なストレスがないから、「もっと工夫してみようかな」「あんなことも提案してみようかな」と考えるようになるとも、部下の方々はおっしゃっていました。

相手が心を開いて話せるようにする

三宅:われわれがビジネスプロデューサーと呼ぶ、企業の中にいながらイノベーションを起こすような人は、たいてい佐藤さんのようなタイプだなと感じています。おそらく部下本人も気づいていないような、ちょっとしたアイデアの芽を大きく育ててあげるみたいなことを、かなりしているのではないですか。

佐藤:言われてみれば、「それいいね」とか「あ、それいいじゃん。やってみようよ」なんて言うことはけっこうあるかもしれません。

三宅:自分自身が子どもの頃、先生に褒められてうれしかったとか、そういう原体験をしたのでしょうか?

佐藤:自分が褒められた経験の話ではありませんが、印象的なことで記憶に残っていることが2つあります。ひとつ目は小学生のとき。人の話はよく聞かなきゃいけないと痛感させられた事件があります。小学校低学年くらいまでの私はでしゃばりで、人の話にすぐ口を出すほうだったんですよ。ある日、担任の先生が、誰かほかの人と話しているときに、私が横から口を出したんですね。そうしたら先生が私に向かって、「土瓶!」って言ったんですよ。

三宅:えっ、ドビン?

佐藤:そう、土瓶。土瓶って横から口が出てるじゃないですか。そう言われて、私子供心にすごく傷ついたんです。でも「ああ、自分本位で話していると、それをイヤだと思う人もいるんだな」と気がついたんですよね。

2つ目は中学のとき。当時は公立学校が荒れていた時代で、私が通っていた中学校にもいわゆるツッパリとか不良と呼ばれる生徒がいたんですね。

それでそういう子たちを見ていると、先生にはすごく反抗的なのに、スクールカウンセラーの先生にはまったく別の顔を見せるのです。カウンセラーの先生は、50歳くらいのすごく包容力のある男性でした。不良の子たちは普段は先生から「静かにしろ!」と、それこそ北風マネジメントをされて、「うるせえ」なんて反発している。ところがカウンセラーの先生の前では、本当に素直になって心を開いているんですよね。カウンセラーの先生も生徒たちからいろいろな話を引き出している。その姿が今でもすごく印象に残っていますね。

三宅:なるほど、なんだか腑に落ちました。その頃から全体をよく見ていたのですね。では最後に、より若い人に向けたアドバイスをいただけますか。

佐藤:自分を少しストレッチする仕事にチャレンジするといいと思います。「これなら無理せずできる」という範囲内で仕事を終えていると、それ以上のものは生まれないので。

私の場合、前回お話した「超ビジ」の開発はすごく難しくて、プレッシャーのかかる仕事でした。東京海上と日動火災の合併前の共同開発商品ということで、何があっても期限を延ばすことはできない。それなのに遅々として進まなくて、もう会社のエレベーターホールで叫び出しそうな気持ちになったこともあります。でもそれが完成して、保険商品として発売され、お客様に受け入れてもらえるようになったことは、ものすごい達成感でしたし、「私、こんなことできたんだ」という自信になりました。

三宅:笑顔の裏にそんなご苦労があったとは。僕も頑張って自分をストレッチして、太陽マネジメントに挑戦したいと思います。

(構成:仲宇佐ゆり、撮影:吉野純治)

自殺ツーリスト、スイスに大挙 5年で600人

2014-08-25 10:30:59 | ダイバーシティ
(以下、朝日新聞から転載)
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自殺ツーリスト、スイスに大挙 5年で600人
ジュネーブ=松尾一郎2014年8月23日23時16分

 末期のがん患者らの自殺を手助けするサービスを受けるためにスイスを訪れる外国人「自殺ツーリスト」が、2008年からの5年間で600人を超えたことがわかった。チューリヒ大などの研究グループが専門誌「医療倫理ジャーナル」(電子版)に発表した。

 スイスでは、終末期の病人に対する医療従事者の自殺幇助(ほうじょ)が認められている。

 研究グループは、チューリヒの法医学研究所に残された外国人の検視記録を調査。自殺ツーリストを受け入れる支援組織との関係も考慮すると、08~12年に欧州を中心に計31カ国の611人が、スイスを訪れて死亡したと認定した。主な内訳はドイツ人268人、英国人126人、フランス人66人、イタリア人44人、米国人21人、オーストリア人14人で、日本人はいなかった。自殺方法は、鎮静作用のある麻酔薬のペントバルビタール・ナトリウムの投与がほとんどを占めた。

「うつ状態=うつ病」ではない! 「うつ」について正しく知ろう

2014-08-25 10:30:30 | ダイバーシティ
(以下、アメーバニュースから転載)
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「うつ状態=うつ病」ではない! 「うつ」について正しく知ろう

2014年08月20日 13時29分
提供:マイナビニュース

「うつ状態=うつ病」ではない! 「うつ」について正しく知ろう

「このところずっと気分が沈みがちで、やる気が出ない…。もしかしてうつなのかな? 」。ストレス社会を生きる現代人なら、一度はそう感じたことがある人も少なくないかもしれない。

「うつ」はもはや、市民権を得たと言っていいほどメジャーな言葉になったが、その一方で正しく理解している人はそこまで多くない。そこで、桐和会グループの精神科専門医である波多野良二先生に「うつ」について解説してもらった。

○うつ病かどうかを疑う基準は「不調の継続時間」

たとえば「仕事がきつい」「職場の人間関係に悩んでいる」「就職先が見つからない」「睡眠不足が続いている」といったストレスが続けば、誰だって気分も沈み、心身に不調をきたすだろう。

ずっとやる気が出ず(意欲低下)、落ちこんだ気分が続き(憂うつ気分)、慢性的にイライラしてしまったら、誰しもうつを疑いたくなるはずだ。波多野先生は、心身の不調が続く時間がうつかどうかを見分けるポイントになると指摘する。

「医療機関を受診すべきかの判断基準として、その不調の『持続時間』があります。一般的に、2週間程度で終わる一時的な不調であれば特に問題はないでしょう。たとえば、身近な人を病気などで失ってしまった場合、多くの人はその直後は深く落ちこんでも、2カ月もたてば日常に戻っていきます。そして半年、1年と歳月がたつほど悲しみは薄れていくものです。2年もたつ頃には、当初の心情をほとんど忘れてしまう。『忘れる』というのは、ある意味では、人が生きていく上での重要な能力なんですね」。

ただ、中には悲しみの淵から抜け出せない人もいる。波多野先生は続ける。

「1年たっても(身近な人を亡くした)当初の悲しみの中に一人でとどまっているといったケースは、うつ病の可能性があります。不調がさらにエスカレートして、『目が覚めても何も手につかない』『食事も食べられない』『眠れない』『生きていたくない』といった深刻な『うつ状態』が続く場合は、精神科や心療内科といった医療機関を受診すべきですね」。

○「うつ状態」=「うつ病」ではない

「うつ状態」に陥ると、大抵の人は真っ先にうつ病を疑うが、うつ状態=うつ病ではない。長期間に及ぶうつ状態をきたす疾患というのは、うつ病以外にも適応障害、パーソナリティ障害、発達障害、統合失調症などがあるという。

「適応障害は、軽度のうつ状態で『心の風邪』とも言われます。過度のストレスによるもので、薬の力を借りずともストレスの原因が改善されたり、時間がたったりすることで自然に治っていくケースも多いです。統合失調症は、外に出て騒ぐなどの行動がある『陽性症状』と、ひきこもりがちになる『陰性症状』があります。うつ病でも自分の行為や内面的な心の動きに罪悪感をもち、自分自身を責める『罪業妄想』などの妄想を伴うことがあります。統合失調症では、他人のちょとした言動や行動に特別な意味づけをし、勝手に自分に関連付ける『関係妄想』など、タイプの異なる妄想がみられます」。

患者それぞれの症状によって、治療法や指導法も異なる。精神科や心療内科を受診するのは、心理面でのハードルが高いかもしれないが、気分の変調が長く続くときは一人で悩むことなくまずは受診するように努めてみよう。


○記事監修: 波多野良二(はたの りょうじ)

千葉大学医学部卒業、精神保健指定医・精神科専門医に。東京の城東地区に基盤を置く桐和会グループで、日夜多くの患者さんの診療にあたっている。

<アルコール依存>女性急増 悩み抱え孤立、酒量増え

2014-08-21 14:10:45 | ダイバーシティ
(以下、毎日新聞から転載)
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<アルコール依存>女性急増 悩み抱え孤立、酒量増え
毎日新聞2014年8月21日(木)01:12

 全国で推計100万人を突破したアルコール依存症患者。中でも女性患者の急増は深刻だ。背景には、女性の社会進出や、子育てや介護に追われて支援を受けにくい家庭環境に加え、女性の消費拡大を狙う飲食店やメーカーの競争があるとされる。専門家は「飲酒の問題を個人の責任にせず、社会全体で支えることが必要だ」と訴える。【清水健二】

 依存症の女性を対象にした関東地方の自立訓練施設で生活支援員として働く女性(51)は、かつて自身も飲酒の問題を抱えていた。23歳で長男を産むと、育児不安などで昼間から酒に手が伸びるように。間もなく夫と始めた自営業も忙しく、酒量が増えた。夜になると家事の前に「ガソリンを入れるように」焼酎を一気飲みした。手が震えて家事を満足にできなくなり、3人目を出産後、夫から離婚を告げられた。

 「孤独感から酒に走り、周囲に迷惑をかけては孤立を深めた」と、当時の悪循環を振り返る。17年前、地域で当事者が経験を語り合う自助グループ「AA(アルコホーリクス・アノニマス)」(窓口03・3590・5377)に参加、ようやく自分を見つめ直すことができ、飲酒への欲求も消えた。

 飲酒の相談に来る女性たちは、アルコールやうつ病、摂食障害など、複数の問題が絡み合うケースが多くなっている。女性が依存症になると、性被害やDV(家庭内暴力)などに巻き込まれる危険性も高まるが、対応できる窓口は不足気味だ。

 依存症に気付かなかったり、認めたがらなかったりする女性も多い。東京都の元高校教諭(70)は、同僚と未明まで深酒しても「時代の先端にいる自立した女性」と自身をイメージし、対人関係に支障が出ても問題を直視しなかった。47歳で心身の不調が限界に来て退職したが、原因ははっきりせず、アルコール依存を自覚したのは15年後だったという。

 飲酒する男性の割合は1980年代に9割に達した後、最近は約8割で推移しており、女性が新たな消費拡大のターゲットになっている。家庭内の飲酒が表面化しにくい側面もある。一方、6月には依存症の治療や防止に国の責務を明記した「アルコール健康障害対策基本法」が施行された。NPO法人「アルコール薬物問題全国市民協会」の今成知美代表は「体格が小さい女性は男性よりアルコールの分解が遅く、依存症になりやすい。医療や行政は、女性特有の問題にも配慮した治療や相談体制を作るべきだ」と指摘する。

企業では生産性アップ!?マネジメント力も身につく!? 幼少期から学ぶべき「受け容れる力」の重要性

2014-08-20 09:11:48 | ダイバーシティ
(以下、DIAMONDonlineから転載)
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企業では生産性アップ!?マネジメント力も身につく!?
幼少期から学ぶべき「受け容れる力」の重要性

急速に進むグローバル化を始めとしたビジネス環境の変化を前に、多くのビジネスパーソンが悩み、戸惑っている。その一方で、幼少期から多様な国籍と価値観の中で生活することが「当たり前」という環境で教育をしているのがインターナショナルスクールだ。前回記事では、インターナショナルスクールの教育で身につく力を「届ける力」と「受け容れる力」の2つに区分し、実際の教育現場レポートを通じて「届ける力」について解説した。今回は前回に続いて、実際の企業現場や海外教育経験者の声を元に、インターナショナルスクールで身につける「受け容れる力」が具体的にどのようなビジネススキルにつながるのか解説する。

生き残るための必須スキル「受け容れる力」

 前回記事では、急速に多様化する社会で活躍できる「グローバルプレーヤー」に求められる2つのコミュニケーションスキルとして、「受け容れる力」と「届ける力」があると述べた。今回取り上げる「受け容れる力」は、企業やチームにとって「届ける力」以上に重要な意味を持っている。

 株式会社ディスコが2013年9月に実施した「外国人社員の採用に関する企業調査」によると、2013年に留学生を採用した企業は調査対象全体の35.2%だったのに対して、2014年の採用見込みは全体で48.4%とほぼ半数に達し、特に従業員規模1000人以上の大手企業では69.0%と、採用に対する積極性が一層高まっていることが伺える。

 なお、同調査によると留学生採用の目的としてトップだったのは「優秀な人材を確保するため」、次に「海外の取引先に関する業務を行うため」となったが、「日本人社員への影響も含めた社員活性化のため」が4割強、「ダイバーシティ強化のため」も2割強と、社内の環境変化を進めていこうとする企業の意識も強く見られる。

 このように人材の常識が変わろうとする環境下では、ますます多様性に対する「受け容れる力」が必要とされるのは間違いないだろう。次に、実際の企業現場の事例を元に、「受け容れる力」がもたらす組織の変化を見ていこう。

セクシュアリティの違いをオープンにして
生産性が15%向上!?


日本IBMダイバーシティ・人事広報部長の梅田恵氏
 紹介するのは日本IBM株式会社。同社は多様性を推進する取り組みが進んでいるとされる外資系企業の中でも、特に世間をリードしている企業として名前を挙げられることが多い。現在日本法人のトップはドイツ国籍、人事のトップはアメリカ国籍で、採用担当者はスロバキアから転任してきているなど、上層部の国籍から多様性に富んでいるだけではなく、現場の社員も全体の1.8%が日本で採用された外国籍人材であるという。

 だが昔から現在のような状況だったわけではなく、「元々は社内のほとんどが日本人で、多様性を示す指標において世界のIBM社の中で日本が最下位だった」と同社ダイバーシティ・人事広報部長の梅田恵氏は語る。

 梅田氏によると、同社に転機が訪れたのは90年代のこと。当時のルイス・V・ガースナー会長が経営課題としてダイバーシティ推進を強化した。日本IBMもその流れの中で、それまでの生え抜き主義から経営層の多様化が進められ、現在では女性が13%、外国籍が29%、中途が12%を占めるまでに変化が進んでいるという。

 また、日本IBMによる多様性推進の取り組みは性別や国籍だけではなく、障害を持つ社員やセクシャルマイノリティと言われる社員にも及ぶ。各国のIBMでは、その国の人口内比率と連動して上述した人材を採用しているが、日本IBMでは副社長がセクシャルマイノリティ社員のための環境づくりを支援し、社内にカミングアウトしやすい/した人を受け容れやすい空気を生み出すことに成功した。このことはビジネス課題に対する発言のオープン化を促進する効果を生んでおり、米国の調査では、カミングアウトした社員の生産性について、カミングアウト前後で約15%の向上が見られたという報告がある。

 IBM社の多様性推進では、「成果主義」など7つの方針が定められているが、その1つに「ビジネスプライオリティ」という考え方がある。これは「ビジネス上必要だからやる」という意味で、業績優秀な社員を多様性推進の委員会に参加させることで、この課題が経営にとって重要であることを明示している。特に日本では、多様性推進に対して最初は消極的な意見も多く、実績を数字で示したり、実例を示さなくては納得しない向きも多かったのだという。こうした初めてのこと・前例のないことを敬遠する姿勢や、周りの空気を読むことが半ば強要されている文化は、「皆が同じ」であることからスタートし「自分の意見を言う」ことに対する幼少時からの訓練度が低い日本人がグローバル社会の中で苦労をする部分だと梅田氏が語ってくれた。

違いを前提とする教育が育む
「自分を大切にできる個人」


LITALICO執行役員、インクルーシブ教育研究者の野口晃菜氏
 では、「皆が同じ」を前提にしている従来の日本式教育と、「違い」を前提とする海外式教育は、一体何がどう異なるのだろうか。自身も小学校6年生から高校3年生までの7年間アメリカ合衆国イリノイ州で教育を受けた、株式会社LITALICO執行役員でインクルーシブ教育研究者の野口晃菜氏は、一般的な日本の教育環境と自身が経験した教育環境の違いについて、こう語る。

「自分の住んでいた地域は、移民や障害を持っている子どもも一緒に生活していた。だから、違うことが前提だと皆わかっているし、自分がマイノリティである状況も経験する。それを通じて『色々な価値観の人がいる』『意見が違う』ことの重要性を学んでいく」

 野口氏は現在、障害を持つ子どもをはじめ、多様な存在でありニーズの異なる子どもたちの誰もが隔絶されるのではなく、自分の住む地域にある学校に通えることをテーマにした「インクルーシブ教育」の研究に取り組んでいる。しかし、従来の日本式教育ではその多様性が認められておらず、「達するゴールも、到達する方法も1つしかなかったことが、教育に参加する子どもたちの多様性を排除してきた側面もある」と語る。

 その点、研究対象としている海外の学校では、様々な生き方や大人と出会う機会があることで、「何のために勉強するか」を自分で考え、自分自身の生き方につなげることが自然と実現される仕組みになっている。野口氏自身がイリノイの学校にいた頃の経験として、選択科目が非常に幅広く中学時点で児童教育とプログラミングを学び、高校では保育園とタイアップをするなどの経験から、「誰もが参加できる教育をつくる」という自分の進路が高校卒業時点でほぼ決定、現在では自分の仕事として実現することができている。

 こうした、海外の教育現場やインターナショナルスクールにおいて提供されている「違うことを前提とする」教育環境・方針がもたらすものとして、野口氏は「まず、自分にとって必要なことを俯瞰して考えられることで自己認識、自己受容、自己管理、内発的な動機付けといった能力を獲得できる。さらに、個々人がそういった自立した存在になることで様々な人が過ごしやすい社会になる」点があると語る。さらに、それは社会人になったときに「自立した個人として、何の抵抗もなく誰とでも働ける」力になるのだという。

「受け容れる力」がつくる
2つの「マネジメント力」

 今回のテーマである「受け容れる力」は、野口氏の言う2つの「マネジメント力」に表れている。1つは多様な人材を活かす「チームマネジメント力」、もう1つは多様な人材の中で自分を活かす「セルフマネジメント力」だ。

 前回事例として紹介した「アオバ・ジャパン・インターナショナルスクール」(AJIS)で展開される教育を見てもわかるように、そもそも違いを前提とした集団では「正解」を定めないことがポイントになる。違うことが前提とされたひとりひとりの発想や創造力がイノベーションを生み、チームの活力を最大化させていくことは、様々なところで既に語り尽くされている通りだ。

 だが一方で、多くの企業が仕事の進め方から社会通念まで様々な「かくあるべき」から抜け出せず、多様な人材の力を活用する機会を取り逃し続けている現状もある。そのような企業で働く社員は、ひとりのビジネスパーソンとしても知らず知らずのうちに硬直化していき、気づいた時にはもう個人として戦う力を失ってしまっている、というのも言い過ぎではないだろう。

 多様な人材と共に働くとき、何よりもなくてはならないのが相手と自分や第三者同士の違いを尊重すること、違いに基づく特性や適性を理解すること、なにより多様さを自然なこととして認識することだ。インターナショナルスクールが提供する「違いを前提とした教育環境」で育つ2つの「マネジメント力」は、多様性が高まるビジネスシーンを生き抜く上でなくてはならない力なのだ。

廃人ドラッグ、に思う

2014-08-19 22:10:01 | ダイバーシティ
(以下、毎日新聞から転載)
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発信箱:廃人ドラッグ、に思う=小国綾子
毎日新聞 2014年08月19日 東京朝刊

 厚生労働省の募集した「脱法ドラッグ」の新名称として「廃人ドラッグ」という案が、実際に採用された「危険ドラッグ」より票を集めたと聞いて、胸が苦しくなった。確かにその方がインパクトは強いかもしれない。でも「廃人」では薬物依存者への偏見を助長する。

 17年前、薬物依存者と家族を1年間取材した。ドラッグに深く依存する人の多くは、いじめや虐待を受けた過去があったり、人付き合いが苦手で自分に自信がなかったり、さまざまな困難を抱えていた。「クスリが唯一の友だちだった」という声もよく聞いた。親たちの闘いも壮絶だった。友だちより家族より命よりドラッグが大事、となった依存症の我が子から、金をせびられ、暴力を振るわれ、子供の借金の取り立てまで……。かばうことが我が子の回復を遅らせると学び、時には警察に通報し、毅然(きぜん)と対応しようと努める親の切なさ。ある母親は当時妊娠中だった私のおなかを何度もなで、「ほめて育てろと聞いて懸命にほめて育てたのに、それが娘を『良い子でないとほめてもらえない』とクスリへと追いやったなんて」と泣いた。

 法の網をかいくぐり、新たな化学物質が次々登場する危険ドラッグは、規制や取り締まりだけでは抑え込めない。遠回りに見えても、乱用・依存者への治療や回復支援を充実することこそが、交通事故など悲しい事故に巻き込まれる被害者をこれ以上生まないことにつながるはずだ。

 生きづらさを抱え、ドラッグに頼り、しかしそこから抜け出そうとしている彼らを、どうか「廃人」と切り捨てないでほしい。彼らの回復を、その家族の闘いを支えよう、という社会でありたい。(夕刊編集部)

「リベラルであること」の難しさとは何か?

2014-08-19 11:55:52 | ダイバーシティ
(以下、東洋経済ONLINEから転載)
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「リベラルであること」の難しさとは何か?
湯浅誠×乙武洋匡 リベラル対談

プラスの積み重ねで育てられた

湯浅:乙武さんの書かれた『自分を愛する力』(講談社現代新書)を読んだのですが、私と乙武さんの家庭には似たところがあるのです。私の兄は障害者なんですよ。乙武さんのお父さんも転勤拒否していたそうですが、うちのオヤジもです。オヤジは日経新聞の社員でしたが、転勤しなかったため同期でいちばん出世が遅れた。そんな父親をお互いがんで亡くしたという点も同じですね。

乙武:そんな共通点があったのですね。

湯浅:でも違うところもありました。乙武さんは自己肯定感が高いけれど、うちの兄貴はとても低かった。とにかく人見知り。特に小さい頃は、家に人が来るとコタツの中に隠れてしまう。私が車イスを押して外出しても、人のいない道、いない道を行きたがる。

乙武:確かに、それは相違点かもしれませんが、むしろ障害者としてはお兄様のほうが一般的なのかもしれません。

湯浅:私ね、小さい頃は自分が損しているとずっと思ってたんですよ。兄貴とケンカすると、たいがい私が怒られる。

乙武:ああ、なるほど。

湯浅:オヤジもおふくろも、どちらかというと兄貴のほうにフォーカスしてるから、私は自己主張しても損するだけ、みたいな感じがありましたね。でも私はそれでも、気がついたら「なんとかなるさ」という性格になって、この年齢まで来てしまったんですけど(笑)。

乙武:私には決定的に恵まれているところが2つあったんです。ひとつは生まれた瞬間からこういう体だったもので、親はもう一生寝たきりだろうと覚悟していたという点。だから僕が寝返りを打った、起き上がった、自分でごはんを食べた、字を書いた、それだけで大喜びですから、プラス、プラスの積み重ねで育ててもらえた。

湯浅:はい。

乙武:親って、生まれるまでは「五体満足であってさえくれれば」なんて言うくせに、そのうち「この子は運動ができない」「勉強ができない」とか、いろんなイチャモンをつけてくる(笑)。でも僕はもともとゼロベースなので、些細な成長でさえすごく喜んでもらえた。

湯浅:わかります。

乙武:もうひとつは僕の生まれつきの性格が、目立ちたがり屋だったこと。車イスに乗っていて、ましてや手足がないとなると、みんな僕を見ますよね。誰が悪いとかじゃなくて、物珍しいものには自然と目が向くのが人間の本能だから。でも、普通は自分が目立つのは「いやだ、恥ずかしい」という人が多いし、おそらくお兄様もそうだったのだと思います。

そうすると街に出るのがおっくうになったり、「この人は自分に対してどういう視線を向けるんだろうか」と、他人の様子をうかがうようになってくる。これは当然だと思うんですよね。

湯浅:そうかもしれないですね。

乙武:ところが僕の場合は小さい頃から、目立ったり、注目を浴びたりすることが嫌ではなかった。だから「じろじろ見られて大変だったんじゃないですか」「嫌な思いをされてきたんじゃないですか」とよく聞かれるのですけど、どちらかと言えば「目立ってうれしい」くらいに思っていたんですよね。

湯浅:ほう。物心ついたときから目立つのが好きだったのなら、それって先天的なものなんですかね。

乙武:そうかもしれません。この2つは僕の自己肯定感の形成に、決定的に大きかったと思います。

湯浅:本にはずっとそのままで大人になったと書いてありますが……。

障害者であるより、有名人であるほうが大変

乙武:もっと正確にいうと、『五体不満足』(講談社文庫)がベストセラーになるまでは、視線を浴びることへの抵抗は特になかったのです。障害者であるということを差し引けば、普通に生きてきたわけですから。ところが、自分がいわゆる“有名人”になると、視線の質が変わってくるのです。

湯浅:どう変わりました?

乙武:今までは「未知との遭遇」みたいな視線を向けられてきた。それに対しては何の抵抗も感じていなかったのですが、今度は「既知との遭遇」になるわけです。「ああ、あの乙武さん」だと。そして一方的に写真を撮られたり、サインをせがまれたりするようになった。

湯浅:しんどかったんじゃないですか?

乙武:一般の方からお声がけいただくのはまだよかったのですけど、出版後、しばらくは週刊誌にずっと張られていて、家の前3カ所くらい、あっちの電信柱とこっちのコインランドリーに誰かがいてこっちを見ている。つねに監視をされているような感覚。

湯浅:それはつらい。

乙武:そういう生活が1年、1年半と続いたとき、原因不明の頭痛と吐き気に悩まされるようになりました。病院に行ってひととおり検査しても原因がわからなくて。

湯浅:そこで初めて、目立つことの大変さを知ったということですね。

乙武:目立つって、そう楽なことばかりでもないな、と(笑)。

湯浅:この本の中で、乙武さんがスポーツライターから教育分野に転身するきっかけとして、2003年と2004年に起きた、少年少女による幼児や同級生の殺人事件を挙げていますね。もちろん被害者はつらいけれど、加害者も苦しかったのではないか。周囲にいた大人が子どもたちの発するSOSのサインに気づき、軌道修正していれば、こうした事件を起こさずに済んだかもしれないと。

乙武:僕らはどうしても表面的なところばかりに目を向けてしまう。でも、「どうしてそうなったのか」という裏側にも、もっと目を向けていくべきだと思うのです。

湯浅:世の中、なかなか殺人事件の加害者の身になって考える人は少ないと思うのですけど。

乙武:それは自分の境遇が大きく影響しているのだと思います。『五体不満足』が出版されて、多くの方が僕のことを評価してくださるようになった。でも、そこに違和感があったのです。「自分はそんなに褒められるような人間ではない。もし褒めていただくとしたら、それは僕の周りだ」と。

僕の周りの人が、僕をつくってくれた


湯浅:周りとは?

乙武:両親や学校の先生方、クラスメートや近所の方々。みなさんから見えているのは僕ひとりなので、「乙武さんがすごい」となりますけど、その乙武洋匡をつくりだしたのは、やはり周囲にいた人々だったわけです。

湯浅:そうですね。

乙武:少年犯罪においても、同じことかなと。僕らに見えているのは11歳、12歳の子供が人を殺したという部分だけです。でも、そこに至るまでの経緯にも目を向けたら、また違うものが見えてくるはずだ。そんなふうに考えるクセがついたんですよね。

湯浅:よくわかります。私が自分自身と社会との関係を考えるようになったのは、ホームレスの人と付き合ったり、生活に困っている人の相談を受け始めたりしてからですね。あるときに、それこそ私はなんとかなると思えるけれど、「なんとかなるとはどう逆立ちしても思えない人が、世の中にいる」という事実を、知ってしまった。

乙武:なるほど。

湯浅:逆に、なぜ自分のことはなんとかなると思えるのだろうと振り返ってみると、私には「溜め」があったなと。つまり家族や友人や経済環境など、自分を支えてくれるもの。私はそれを「溜め」という言葉で表現するようになったのですけど。そこで初めて「自分にとって当たり前だと思っているものを持たない人がいる」と気づいたんですよね。

乙武:その「溜め」がないと、人々は「何ともならない」と感じた。

湯浅:これは健康と同じで、失ってみないと気づかないというか、私や乙武さんみたいにきっかけがないと気づけない。そのためにも、いわゆるリベラルな価値観を広めていく必要があると思うのです。乙武さん自身はそれをどうやって伝えていこうと思っていますか。

乙武:そうですね。最近、リベラルの難しさをすごく感じるんですよ。たとえば、ものすごく右傾化した人々や何か強い主張を持った人々には、相手を否定することで自分たちの主張をより際立たせるという手法をとっている方が多い。

僕はリベラルという言葉へのこだわりはないけれど、自分自身のスタンスとしては、やっぱり多様性を認めるということを強く伝えていきたい。しかし、「多様性を認めるべきだ」と主張してしまうと、自分とは「相いれない主張も、多様性のひとつとして認めなければいけない」というジレンマが出てくるわけですよね。

湯浅:そこは、リベラルの基本的なジレンマですよね(笑)。

乙武:相手はこちらを否定してもいい。でも、こちらが相手を否定することはできない。これは、すごく不利だなと。では何を論拠に「伝えていくのか」を考えると、やはり個人的な経験が論拠になるのかな。僕の場合、それこそほかの方には逆立ちしてもできない経験を積み重ねていますし、ほかの方には見えない景色も見てきたでしょうから、少しは説得力のある話ができるかもしれない。それが今のところの自分のスタイルですね。

「多様性を否定する人」も認めるつらさ

湯浅:リベラルが不利だというのは、おっしゃるとおりです。「多様性を否定する人を肯定するのが、多様性を認める」ということですからね。それって、ただつらいだけじゃないかって(笑)。

乙武:そうなんですよね(笑)。すごく難しい。

湯浅:そのドツボにはまらないためには、感情や経験に基づいた話をするのがいいかもしれない。自分がそうだったという事実を相手は否定も肯定もできないわけで、論争にはなりませんよね。それをやっていく意義は大きいと思います。大きいと思いますが、その次のステップをどうするかという問題があります。

たとえばリベラルな価値観を守るような制度・政策を作ろうという話になったら、自分の経験や感情から話を立ち上げつつも、論争的な領域に入っていかざるをえないじゃないですか。そうなったときは、どうしますか。

乙武:正直、これといった答えを見つけられてはいません。今までの僕の活動領域では、先ほどもお話していたように、自分の経験を論拠にしていればよかった。つまり自分はこんなふうに生きてきました。自分から見えた景色はこういうものでした。それを、メディアを通して伝えていくことで、何か考えるきっかけを得る人がいたり、生きるためのヒントをつかんでくださる方がいたり、それで完結していたんですね。

ただ私自身の視点が、私個人から教育という分野に移り、さらに教育から社会というものに移っていくと、その手法だけではどうしても限界がある。それは、まさに最近、感じつつあることなのですよ。

湯浅:乙武さんが、社会活動に本気でここまでかかわろうとしている話を聞くのは心強いですね。

なぜ、あえて「カタワ」という言葉を使うのか

イメチェン前の湯浅氏は怖かった?

乙武:湯浅さん、随分イメージが変わりましたよね。僕が初めて湯浅さんにお会いしたのはまだイメチェン前だったので、「ビフォー・アフター」を存じあげていますが(笑)、湯浅さんご自身は、イメチェンによる効果を感じていらっしゃいますか。

湯浅:ええ。感じていますね。少なくとも、「前は怖いという印象を持っていた」と白状してくれるようになった(笑)。実は、そう思われていたとは、全然、知りませんでした。「湯浅さんって怖いですね」なんて軽口をたたけないくらい怖かったんでしょうね。

乙武:わはは。軽く傷つきますね(笑)。

湯浅:今までも親しくなると、「実は笑うんですね」とか言われてましたけど(笑)、怖そうだと言ってくれる人はいなかったですね。そんなつもりはまったくなかったんですけどねえ。

乙武:正直、僕も怖い人だと思ってましたもん(笑)。メガネかなあ、やっぱり。

湯浅:いや、テーマだと思います。私が扱っているのは貧困問題でしょう。テレビで笑いながら話せる問題じゃないわけですよ。私だって友達といるときは笑って酒飲んでたりしてますけど、テレビカメラが回っているときに笑顔で「いや、日本で餓死が起こっているんです」とは言えない。

どうしても「こういう問題があるんです」という訴え調になる。そのうえ服装には、まったくこだわってなかったので、怖い印象になってしまっていたみたいです。

乙武:それは仕方がない部分ですよね。

湯浅:私の反省は、社会活動家と名乗る以上は、自分が人に与える印象にもっと自覚的であるべきだったということですね。とにかく洋服と一緒で無頓着だったものだから、全然気にしていなかった。

乙武:僕は身なりについては、わりと早い段階から意識していました。障害者問題や貧困問題って、どちらも一般の方にとってはなじみのない分野であり、発言しにくい分野だと思うんですよ。

湯浅:下手なこと言ったら、怒られそうなイメージがある(笑)。

乙武:でも、本来はそうであってはいけない。そう考えると、望むと望まざるとにかかわらず、今の日本では障害のことなら僕が、貧困のことなら湯浅さんが、社会に対しての入口になってしまっている部分があると思うのです。その入口である人間がどういう風体をしていて、どれくらい親しみやすい人間かは、みなさんが入口をくぐってみようと思うか思わないかを大きく左右する。だから身なりの話は、くだらないことのように見えて、実はけっこう大事なのかなと思っています。

湯浅:それ、いつ気がつきました?

乙武:『五体不満足』(講談社文庫)の中に、「障害者ももっとおしゃれをしたらいいのに」と書いた章があるんですね。僕自身、すごく洋服が好きだったのもあって。それに対して「本当にそのとおりだと思います」とか、「乙武さんのように障害のある方がオシャレ好きだなんて意外でした」という反響をいただいて、「あ、これは大事だな」と。

賛同者を増やすことの必要性



湯浅:そういう声を聞いたら、それをすぐ受け入れる柔軟さを持っていたのですね。私がそう思えるようになったのは40歳を超えてからです。内閣府の参与を務めたときに、「政策を実行するということは、反対する人の税金も使うということだ」と思ったんですよね。

たとえばホームレスの人の炊き出しなんかをやってると、怒鳴り込んでくる近所のおばさまがいる。「アンタたちがそんなことをするから、この公園にホームレスが増えるんじゃないか。汚れるし、子供も遊ばせられなくなるじゃないか」って。もちろん丁寧に対応するけれど、心の中では反論しているんですよ。「こっちは生きるか死ぬかの問題なんだよ」みたいにね。

でも参与をやっているとき、ふと思ったのは、あの怒鳴り込んできたおばさんの税金も使うんだよな、と。あのおばさんが「そんなことに税金を使うなら、あたしは税金を払わない」と言っても、税務署は差し押さえることもできちゃうんだよな、と。

乙武:確かに。

湯浅:そう考えると、あの人も利害関係者として認めないといけないし、それが公的なことをやるということなんだと思ったら、少しでも賛成してくれる人をいかに増やすかを考えなくちゃいけない。賛成とまではいかなくても、せめて強固に反対しないくらいになってくれるといい。そのためにやれることは、なんなのか、いろいろな方法を考えないといけない。

私はそれまで合意形成ということを、ちゃんとまじめに考えたことがなかった。だけどこれからは、まったく相いれない価値観の人とどう合意を形成していくのか、交渉学とかファシリテーションとか、そういうことも本気で考えないといけないと思いましたね。

乙武:湯浅さんは何冊も著書を出されていますが、いつもそのときの自分の考えを凝縮して、1冊の本を執筆している。ですから、どの本も、書いた時点ではウソは1ミリもないと思うんですよ。ところが今、参与を経験された湯浅さんが、たとえば最初の本を読み返すと、きっと疑問に思う点がたくさん出てくるのではないでしょうか。

湯浅:それはもう、満載です。

乙武:そこがきっと参与をご経験なさった財産なのかなと思うんですよね。あれだけすばらしい活動をされてきて、知見がたまってきた。それを基に世の中を動かすには、価値観の異なる人ともぶつかりあって、着地点を見いだして合意形成をしないといけない。それこそ僕らが今、向き合わなければいけないことなんだ、というふうに変化してきた。ご著書を連続して読むと、その変化がすごくリアルに伝わってきます。

湯浅:乙武さんはそういうことないですか。自分が過去に書いた本を読み返すと、今と考えが違うようなことが。

乙武:考えが変わったというより、「そうとらえられるのか」という誤算はありましたね。いちばん大きいのは最初の本(『五体不満足』)ですよ。それまで障害者というのは「かわいそうな人」「不幸な人」であると思われていた。確かにそうした側面もあるかもしれないけど、僕自身は障害者として生まれて、毎日幸せに暮らしている。そんな人間もいるのだと伝えたくて、あの本を書いた。つまり不幸に寄りすぎたイメージを真ん中に戻したくてあの本を出したのですが、あまりにも多くの方に読まれたために、今度は「なんだ、障害者も幸せなんだ」というイメージに寄りすぎてしまった。

障害当事者や家族からクレームや批判が届いた


湯浅:そんなつもりはなかったのに?

乙武:はい。そこで何が起こったかというと、ある種のクレームや批判が届くわけですよ。クレームを寄せてくるのは、ほとんど障害当事者か、そのご家族や支援者でした。どういう批判かというと、「お前は恵まれている」というものです。「おまえのように親に愛され、周囲に応援されて生きてきた障害者なんか、ほとんどいないんだ。たまたまラッキーだった人生をそんな大々的に語られても、みんながそううまくいくわけじゃないんだ」とか、「おまえみたいなやつが出てきたおかげで、『乙武さんだってああして頑張ってるんだから、あなたも頑張れるはず』と、おまえと同じ頑張りを強要された。どうしてくれるんだ」などなど。

これは本当に想像もつかなかった。僕は養護学校ではなく、地域の学校で健常者とともに育ったもので、特に障害のある友人がいなかったんですよ。だから自分以外の障害者の境遇や困難を知らなかった。まあ、だからこそ書けた本ではあったのでしょうけど。

期せずして障害者の代表のように扱われるようになり、いくら自分のことを語っているつもりでも、世間からは「障害者はこうなんだ」と受け取られてしまう。そのあたりのもどかしさは、今でも感じることがありますね。

湯浅:なるほど。

私が今、自分の過去の本を読んでいちばん強く感じるのは、一言でいうと、基本的なトーンの違いなんですよね。昔は「なんでわかってくれないんだ」っていういらだちを吐き出すようなトーンなのです。わからない人に寄り添う感じはない。

もちろんそれに共鳴してくれる人もいるし、それで問題の存在に気づいてくれる人もいるのだけれど、でもそのトーンのせいで妙に責められているような感じを受ける人もいて、その人たちはむしろ遠ざかってしまったりする。そうすると結果的に私は目的が果たせていないということになる。

障がい? しょうがい? だったらカタワでいい


乙武:確かに湯浅さんのおっしゃるとおり、あえて過激で挑発的な言葉を使うことで、一般の人の目を引きつける効果はあります。でもそういう言葉を使うことで敬遠する人も出てくるのも確かで、その使い分けはすごく難しい。

たとえば、僕は自分自身のことをツイッター上で「カタワ」などと表現する。いまでは差別語とされていますから、当然、炎上するわけです。では、なぜあえてそんな言葉を使うかというと、最近、障害の「害」という字を平仮名で表記する風潮が広がっている。なぜなら「害」という字が社会の害になっているように感じるからだと。でもそれを平仮名にするなら、今度は障害の「障」の字だって、「差し障る」という字なんだから、それも平仮名にしろという話になるだろうし、「しょうがい」などとすべて平仮名にするくらいなら、もう別の言葉にしてしまおうという流れになっていくと思うのです。

だったら、「カタワ」でもよかったんじゃないかと。「カタワ」の語源って、「車輪は片方だけだと不具合がある」=「片輪」ですから、そこまで侮辱的な意味ではなかったはずなのです。でも、それが使われていくうちに「差別的だ」という理由で、「身体障害者」という呼び方になった。イタチごっこだと思うんですよ。障害者に対する本質的な意識や考え方を変えないかぎり、いつまで経ってもそれが続くだけでしょう。

湯浅:根本的なところ、でね。

乙武:まさに。そうした問題提起の意味で使っているのですが、まあ過激は過激ですよね。でも、過激な言葉を使うことで振り向いてくれる人が、やっぱり多いわけです。

しかし、先ほどもお話したように、そういう手法をとることで離れていく人もいるわけで、そのあたりのさじ加減に難しさがあるんですけど。

湯浅:つまりある時期までは、そういう攻撃的なスタイルが必要なことがある。でもある段階を越えると、それだけではやっていけなくなる。そうするともうちょっとウイングを広くしながら、それこそ強硬な反対をやわらかい反対にもっていくようなことをやらないといけない。それには、とんがっているだけでは駄目だということになる。これは必然的な変化だと思うのです。

湯浅 だけどその切り替えが遠くから見ると、変節とも見えるわけですよ。「あいつは有名になって人が変わった」とか「媚びるようになった」とか言われることもある。でもそれをしないと前に進まない。

乙武:障害にしても貧困にしても、マイノリティですよね。マイノリティの問題を解決するには、マジョリティを味方につけないといけない。でも、マジョリティはマイノリティの問題に興味がない。

湯浅:そこが決定的なジレンマですよね。

最後にひとつ伺いたいのですが、乙武さんは今後、何か着手しようと思っていることとか、思い描いていることがありますか。

教育は“学校”だけではない


乙武:僕はこの10年近く、教育をメインフィールドに小学校教師や東京都教育委員を務めてきたのですが、それだけでは限界も感じていたところなのです。教育というと、どうしても学校教育だけがクローズアップされがちですが、本来、子どもは「家庭」「学校」「地域」の三者で育てられるんですよね。

学校教育については、かなり深くかかわることができた。また、2児の父として、家庭教育にも当事者としてかかわることができている。ただ、地域との接点を持てていないということに気づいたのです。そこで、「グリーンバード新宿」というゴミ拾いのボランティア団体を立ち上げました。ゴミ拾いにかぎらず、さまざまな活動を通じて、地域の住民同士をネットワークで結んでいこうというのが目的です。高齢化が進むだけでなく、高齢単身世帯がどんどん増えていく状況で、いざ災害が起こったときに誰もが孤立しないためのまちづくり。こうした地域活動が、防災や治安、子育てや地域教育につながっていくものと確信しています。

湯浅:ほんとうに、親だけでなく、先生だけでなく、地域の人にも守られて子どもは育つのですよね。

最後になりますが、乙武さんにとって、リベラルとは一言でいうと、どういう意味だと思いますか。

乙武:これがリベラルなのかはわかりませんが、僕が教育においても、また社会においてもいちばん実現したいことは、「生まれついた境遇や環境によって不利益が生じない社会にしたい」ということです。それが僕の中でリベラルと親和性の高い思いかな。

湯浅:乙武さんは『自分を愛する力』(講談社現代新書)の中で、「みんなちがって、みんないい」という金子みすゞの詩(「わたしと小鳥とすゞと」)の一節を引用していますが、これはまさにリベラル的なマインドですよね。

(構成:長山清子、撮影:今井康一)

被災地のDV/地域の人権意識高め防止へ

2014-08-19 09:44:46 | ダイバーシティ
(以下、河北新報から転載)
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被災地のDV/地域の人権意識高め防止へ

 東日本大震災の被災地で、配偶者からの暴力(ドメスティックバイオレンス=DV)が深刻化している。人の尊厳をないがしろにし、心身を傷つける暴力がはびこる地域社会で復興は語れない。そう認識し、被害者を支える地域の人権意識啓発と関係機関の連携強化を急ぎたい。
 警察へのDV相談件数は2013年、宮城県警が前年比236件増の2092件、福島県警が17件増の857件、岩手県警は70件増の368件。いずれも過去最多となった。内閣府が被災3県の女性を対象に実施している悩み・暴力相談には13年度、4837件が寄せられ、うち13%が配偶者や交際相手からのDVに関する内容だった。
 一般社団法人社会的包摂サポートセンターが厚生労働省、復興庁の補助事業として全国展開している24時間電話相談「よりそいホットライン」。13年度のまとめで、DV・性暴力相談の割合が被災3県ではそれ以外の都道府県の2倍近くに上った。
 相談から浮かび上がるのは、生活再建がままならず、先の希望が見えずに孤立する被災家庭、DV被害者の姿だ。「DVが原因で別居していた夫が津波で家も職場も失い戻ってきた」「被災で生活環境が激変し、夫が引きこもりがちになった」「職を失ったまま失業保険も切れ、弔慰金も使い果たして経済状態が悪化した」。そうした状況下で夫の暴力が激化している。
 狭い仮設住宅では逃げ場がない。地方は人間関係が濃密なため、行政の窓口に知り合いがいる場合も多く、相談しづらい。世間体を気にして暴力は隠されがちだ。性別役割分業意識が根強く、自分がDV被害者であることに女性自身が気付いていない事例も少なくないという。
 DVは震災前から数多く潜在していた。震災を機に表面化したわけだが、それも氷山の一角。復興が遅々として進まない現実の中、時間の経過とともにさらに深刻化する危険もはらむ。
 「相談件数の増加はある意味、いいことだ」と、DV被害者の支援活動を25年続けているNPO法人ハーティ仙台の八幡悦子代表は言う。相談しないケースこそ事態が悪化し、殺人など重大な事件に至ると、早期対処の必要性を指摘する。
 DVは、それを目の当たりにする子どもへの虐待でもある。子どもへの暴力が重なっているケースも少なくない。それを逃れたシングルマザーの経済的困窮は、共に暮らす子どもの貧困問題だ。DVの深刻化は多様な社会問題と連鎖している。
 DVを防止し、被害者を支援するために必要なのは何か。人権教育、男女平等教育の推進だと専門家は口をそろえる。
 行政の担当者や相談員、民生委員など支援する側が人権、男女平等の視点を持ち、連携することが重要だ。そして市民もまたその視点でDVに気付き、専門家や相談機関につなげる地域力を高めたい。どんな暴力をも許さない「世間の目」が求められている。もちろん、被災地だけでなく、あらゆる地域で。


2014年08月19日火曜日

「女性が輝く国」で苦闘するフィリピン人女性の現実

2014-08-18 09:21:19 | ダイバーシティ
(以下、JBPRESSから転載)
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「女性が輝く国」で苦闘するフィリピン人女性の現実
DV被害者やシングルマザーが連帯し、助け合いの場を模索

2014.08.18(月) 巣内 尚子

「女性が輝く日本へ?」 「それはなに?」 「私に関係あるの?」

 安倍政権が掲げる「女性が輝く日本へ」とのスローガンを耳にし、こう感じた読者は男女問わずいないだろうか。

 非正規雇用、家庭内で抱え込まれる介護・育児の負担、長時間就労などにかかわる問題が解決されないまま、「女性の就労(=労働力化)」だけ促されても、多くの女性はそう簡単には輝けないだろう。

 さらに、日本政府は、ある女性たちを忘れているのではないか。それは海外出身の女性たちだ。

 日本で暮らす外国人女性の中には、長年にわたり日本で暮らし、就労し、結婚・出産を経験した人も多いが、困難に直面している人も少なくない。彼女たちは果たして「女性が輝く日本へ」というスローガンの対象になっているのだろうか。

 一方、外国人女性の中には、自ら助け合いの場をつくり、連帯する動きが出るなど、「自分の輝く場」をつかみとろうと模索し、奮闘している人もいる。そんな女性たちが集まる外国人女性支援組織「KAFIN(カフィン)」の道のりを3回にわたり紹介したい。

それぞれの物語を共有し、支え合う女性たち

 「自分のよいところを紹介し合いましょう」

 司会のフィリピン人女性がにこやかに、明るい声で、こう呼びかけた。会場には、フィリピン人が多いが、日本人も少なくなかった。日系ブラジル人とウクライナ人も参加している。来日して10年以上の人も少なくない。中には来日20年ほどを数える人もいる。出席者の中心は女性だが、男性も数人参加していた。

 今からおよそ5カ月前、その日は3月8日の「国際女性の日」に合わせてフィリピン人女性支援組織「KAFIN」の会があった。

 KAFINは在日フィリピン人女性を対象に、DV被害者やシングルマザーらの支援を行う団体だ。フィリピン人女性やこれを支援する日本人が協力して組織運営に当たり、日本の暮らしの中で困難に陥った外国人女性たちが助け合う場を形成している。

 都内からおおむね1時間弱のところにあるコミュニティスペースでKAFINのイベントが開かれ、数十人が集まった。

 広々としたスペースの真ん中に、参加者たちは椅子を持ち寄って楕円形に座った。和気藹々とした雰囲気の中、久しぶりに会う仲間と談笑したり、初対面の者同士が挨拶したりする。

 部屋の入り口付近には、料理やお菓子がずらりと並ぶ。具をたっぷり入れたサンドイッチや海苔巻もあれば、目移りするようなさまざまなおかず、カラフルなクッキーやケーキもある。子供連れの参加者も多く、子供たちがにこにこしながら部屋の隅で仲よく遊んでいて、全体的になんともリラックスした雰囲気だ。

 あまりにゆったりし、気を使わない感じなので、私は自分の子供を連れてこなかったことを少しだけ後悔した。取材先に子供を連れていくことは通常ないことだ。ただし、KAFINの集まりの打ち解けた雰囲気と、子供たちが楽しそうに遊んでいるのを見ると、一緒に来ていたら息子はとても喜んだろうにと思えたほどだった。

 今回の会では、何人かの参加者が自分のライフストーリーを話し、それから各人がペアになり自分のことを語り合うことが行われた。この主眼はそれぞれが自分の話をし、相手の話に耳を傾けることで、悩みや思いを共有するというもの。その後、ご飯やお菓子を食べながら、フィリピン人女性家事労働者を描いた映画『ミグランテ』を観るという流れだ。

 イベントの幕開けは自己紹介だった。女性たちは英語か日本語で、それぞれ自己紹介する際、「自分のよいところ」も教えあった。

 「自分のよいところ」を話すことは、この集まりでは何よりも大事なことだった。女性たちは「自分のよいところ」を損ねられるような経験をこれまでに幾度も経験し、さまざまな痛みとともに生きてきたからだ。

 でも、この日は自分のことを自然に話すことができる日だった。

 「私のよいところはハッピーなところです」

 「私は足立区に住んでいます」

 「私は狭山市のお弁当屋さんで働いています」

 「入間市から来ました。私は料理が好きで、とてもフレンドリーです」

 「私はダンスや歌が得意です。孫が2人います」

 女性たちはこうして、1人ずつ、はにかみながら、あるいは堂々と自己紹介した後、2人ずつになりお互いのストーリーを語り合った。仕事のこと、結婚や離婚、育児をはじめ家族のこと、出身地のこと、そしてどうやってこれまで生きてきて何を感じてきたのかを語るのだ。

 嬉しかったこと、悲しかったこと、驚いたこと、傷ついたこと、一人ひとりの物語が静かに共有されていった。

海外就労するフィリピン人には高学歴者や専門職経験者も

 KAFINでは、フィリピン人や日本人が、DV被害者やシングルマザーといったフィリピン人をはじめとする外国人女性の支援活動を行う。

 外国人女性からの相談を受け、電話や対面で話を聞き、なにができ、なにが課題となっているのかを話し合い、女性たちが困難から脱出できるよう一つひとつサポートする。いわば外国人女性の駆け込み寺だ。

 DVや離婚問題、離婚後の自立や子育ての悩みなどに直面する外国人女性は少なくない。外国人というと、「一時滞在のお客さん」と思う人もいるかもしれないが、実際には日本で働き、中には結婚をし子供を産む人もいるなど、その実態は「生活者」だ。

 一人ひとりが日本という国で、日本人と同じように、日々ご飯を食べ、仕事をし、家族や友人と交流し生活している。しかし、どこかで道がふさがれ困難にぶつかったとき、外国人である彼女たちが問題の解決策を自力で見出すことは簡単ではない。

 フィリピン人女性の中には、来日前に高校や大学で教育を受けた人も少なくない。「アジア出身の出稼ぎ者」という言葉からは、「貧しい国から来た人」といったステレオタイプのイメージが持たれるかもしれない。

 しかし、実際には、貧困層もいれど、中間層や高所得層もいる。出稼ぎに出るために、就労を仲介する業者に手数料を支払ったり、外国での就労情報にアクセスしたりできる人は、最貧世帯の出身者ではないことが多い。

 仲介業者への手数料は借金を背負う形で、出稼ぎ後に返済していくこともあるが、それでも海外で働けるだけの“健康”な身体や語学力、一定の学力などのような資源を持てる層が出稼ぎに出られると考えられる。

 例えば、フィリピンからは大卒の教師、医師、看護師など専門職の人々が、ほかの国に出稼ぎに出ている。なかには海外で看護師として就労したほうが収入がよいことから、医師が看護師免許を取得し、海外出稼ぎに出るケースもある。これはフィリピンの医療に打撃を与える重大な“頭脳流出”だが、それでも海外就労を選ぶ人が後を絶たない。

移動により下降する地位とヒエラルキーへの組み込み

 けれど、国境を越えて移動することは、就労による収入を得るという経済的な恩恵をもたらす半面、出稼ぎ先社会では外国人ゆえに諸権利は制限され、出身地で得た知識やスキルが十分に生かされない場面に直面する。そして、結果的に社会的な地位が下降する。

 出身地で「メイドさん」と呼ばれるような家事労働者を雇用している女性が、出稼ぎ先で家事労働者として就労することもある。本国で教師として働いていた人が、出稼ぎ先でホステスとして働き、その職業から出稼ぎ先社会で差別的な視線にさらされたり、買春や人身売買のリスクを背負ったりすることもあるだろう。

 こうしたことを踏まえ元エンターテイナーが少なくない在日フィリピン人女性について考えると、外国人であり、アジア出身者であり、女性であり、エンターテイナーのステレオタイプなイメージと結び付けられやすいということは、四重の制約となって彼女たちにのしかかることが想像できる。

 そして、そのことにより、彼女たちが日本社会における民族・ジェンダー・職業のヒエラルキーの下位に位置づけられてしまうことが懸念される。

 女性たちは就労できる分野が限られ、ときに差別的な扱いに遭遇することもある。DVや離婚、シングルマザー/シングルファザーとしての就労と子育てを乗り切るのは、日本人の女性や男性も簡単ではないが、外国人女性はさらに難しい。それは、とても1人で対処できるものではない。

 だからこそ、KAFINに集まることで、相談し合い、助け合い、お互いを認め合う場をつくろうと模索している。KAFINの女性たちは自分の悩みを話し、別の誰かの悩みを聞くという営みの中で、支え合っている。

紛争地からやって来た女性が立ち上げたKAFIN

 こうした女性たちが集まるKAFINとは、どうやって生まれたのか。それを知るため、KAFINを立ち上げたフィリピン南部ミンダナオ島出身の長瀬アガリンさんを訪ねた。

 西武線のある駅で待ち合わせたアガリンさんは、穏やかな雰囲気の人だった。黒目がちでくりっとした大きな目が印象的で、見つめられるとなんだかどぎまぎするほどだ。

 駅の改札口でアガリンさんに自己紹介すると、彼女は少しはにかんで、流暢な英語で自己紹介をしてくれた。すぐに打ち解けた雰囲気になれ、改札を出てすぐのところにある店に入り、ドーナツとコーヒーをそばに置いて話を聞いた。


KAFINを立ち上げた長瀬アガリンさん(筆者撮影)
 アガリンさんは1963年生まれで、ミンダナオ島ジェネラルサントスの出身だ。ミンダナオ島はマニラ首都圏のあるルソン島に次ぐフィリピンで2番目に大きな島。

 ダバオの麻栽培に日本からの移民がかかわった歴史があるほか、太平洋戦争時には日本と米国が戦闘を行うなど、日本にもなじみが深い。フィリピン出身の世界的なボクサー、マニー・パッキャオもミンダナオ島ブキドノンの出身として知られる。

 しかし、ミンダナオ島ではこれまで、モロ・イスラム解放戦線などの反政府勢力とフィリピン国軍との武力紛争が続き、多数の犠牲者を出してきた。

 私はフィリピンにいた際、マニラ首都圏のマカティで暮らし、仕事をしていた。周辺は住宅や学校、オフィスビル、商業施設が立ち並び、紛争などとても考えられない雰囲気のところだ。

 人々は休日、マカティのショッピングモールで映画を観たり、カフェに行ったりして過ごしており、同じ国で紛争が続いているとは思えないほどだった。だが、そんなマニラ首都圏でも、新聞などにミンダナオ島の紛争の情報が途絶えることはなかった。

 紛争が続くことなどから、資源に恵まれつつもミンダナオ島の経済開発には課題もあり、貧しい地域が残されている。マニー・パッキャオがフィリピン人の心を強くとらえるのは、苦難を抱えるミンダナオ島の貧困家庭に生まれながらも世界に知られるボクサーへと駆け上がったという彼の物語が、庶民たちの心情に訴えるものがあるからだろう。

 こうしたミンダナオ島で生まれたアガリンさんだが、自身も紛争に巻き込まれ、つらい思いをしてきた紛争の当事者であり、被害者である。

 だが、アガリンさんは被害者として打ちひしがれているばかりではなかった。1983年から10年以上、紛争により被害を受けた女性を保護・支援する女性センターで働いたのだ。紛争により夫を亡くしたり、攻撃を受け傷ついたりした女性たちの支援活動に当たった。そうしてコミュニティ内での支援活動のノウハウやスキルを蓄積していった。

来日して初めて知ったフィリピン人女性が抱える問題

 そんなアガリンさんが日本とのかかわりを持ったのは、ボランティアでフィリピンに来ていた現在の夫と出会ったことがきっかけ。その後、2人は結婚を決め、アガリンさんは1996年に夫とともに来日した。

 来日当初は、台東区と荒川区にまたがるいわゆる「寄せ場」と呼ばれる「山谷」を訪れるなどし、日本が抱える課題を目の当たりにすることもあった。「豊かなはずの日本なのに、不利な立場に置かれた人がいる」ことに驚いたという。

 一方、アガリンさんは当時、日本でフィリピン人女性がエンターテイナーとして多数就労していることは知らなかった。しかし、日本で過ごすうちに、多数のフィリピン人女性が日本で暮らしていること、そして悩みを抱えるフィリピン人女性が少なくないことに気がついたのだ。

 特に大きな問題だと感じたのは、パートナーからのDVだった。日本人の夫や恋人によるDVで、心身が傷つけられたフィリピン人女性がいたのだ。

 そうしたフィリピン人女性の多くはエンターテイナーとしての就労をきっかけに日本で暮らし始め、後に日本人男性と結婚したり、付き合うようになったりした人たちだった。

 ミンダナオ島で女性支援活動を行ってきたアガリンさんは、日本にいるフィリピン人女性を放っておくことができず、自ら支援組織を立ち上げることを決断した。それがKAFINなのだ。1998年に埼玉県内にKAFINを設置し、活動を開始した。

 そして今、KAFINはフィリピン人女性を中心に外国人女性が集まり、助け合う場となっている。DVや離婚、シングルマザーといった課題について、当事者自らが協力し合いながら問題解決の道を模索している。

 ではKAFINに集まる外国人女性たちには、実際にどんなことが起きているのだろうか。次回は、フィリピン人を中心に外国人女性が直面した問題について見ていきたい。