たろの日記ページ,gooブログ版

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遊具と子供という生き物

2007-02-22 14:13:49 | 医療・福祉
この間の日曜のNHKスペシャルは,「ドキドキ・ヒヤリで子どもは育つ~遊具プロジェクトの挑戦~」でした。町の公園からジャングルジムやブランコとかシーソーのような旧来の遊具が撤去されているという話です。原因はその遊具でけがをする子供が起きると,それがきっかけで町中の遊具が撤去されたりするらしい。わたしはそういう行動をちょっとヒステリックに感じるし,子供は怪我をしながら育つもの,確かに後遺症が残るような怪我をすると大変…というのはわかるけど,そういうリスクは社会に行けば山のようにあり,子供をそこまで箱にいれてどうするんだろう?…と思います。でもその一方で遊具の整備不良で起きる事故とかの話を聞くと,それはそれで人害的なリスクだとも感じるし,公園の遊具自体行動経済性長期に行政がつくってそれっきりにしてるハコモノの一種であるのだと気づきます

良く考えてみたら,わたしの世代は公園に上記のような遊具があるのが当たり前だったので,公園から遊具を除くこと自体過剰な反応に思いますが,よくよく考えてみたら,そんな公園像も戦後数十年のものでしかなく,それ以前は子供はもっと別のもので遊んでいたわけです。まぁだけどそれもこんな都会などが出現する前の話で,そこに戻るのも不可能だとも思いますが…。

とういわけで,番組では後半は子供のために新しい遊具を開発する人たちを取り上げてました。子供たちの行動をいろいろ分析し,子供たちが喜んで遊んで遊び,かつ安全なものを作ろうとしてました。その話はおもしろかったし,賛同できるものでしたが,一方で,大人が子供の遊び方を予想できるような遊具を子供がいつまでも喜ぶんだろうか?…と。そして,遊具開発じゃなくて,もっと全般的にいえる話ですが,そもそも子供を大人がコントロールしようとすること自体,うぬぼれた考え方,もっとひどいことをいうと,子供を自分のおもちゃのように考えているような気がして,ちょっと抵抗を感じました。もちろん怪我をしたら困るから…って公園から遊具を取り除いたりする取り除くという行動もそういう考え方が基になってるよなぁ…と。
もっと未開…というと問題あるか…,古い時代では,子供が大人になること自体生存競争だったわけで,そういうリスクを潜り抜けた子供だけが大人になったわけだし,もちろんそれは大人の手の上でのみ育った子供ではないわけです。

まぁそういうことを思いました。でも出来た遊具で遊ぶ子供,特に壁によじ登って大人的には目の高さくらいで固まって「怖い」と泣き叫ぶ子供にちょっとおもしろいなぁ…と思いました。本気で泣いてる様なんだけど,大人が見てること,大人が助けてくれることを計算して泣いてるようにも見えました。大人は子供を手の上で遊ばせようとする,子供はそういう大人に泣いて見せて手を差し伸べることを期待する…,なんとなくそういう役割を演じている感じもして,どうも子供の方も強かだなぁ…と。でもそれは「大人-子供」社会のルールだし,大人社会でも通じない(たまに泣けば許してくれる…と思ったまま大人になる人もいるみたいですが)し,自然界では通じないルールでもあるんですが…。
まぁ乱暴にいうと,やっぱりこれも脳化デスね…ってことで:-p。
コメント
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