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科学やすべて役に立つべきか?

2012-01-04 00:32:36 | 社会
原発事故の後のそれに対する言説の中で「科学が役に立っているか?」と問われるのを聞くようになりました。それを聞いて心穏やかにいれないのは,私自身が科学者の端くれと自覚してるからでしょうか。「物理学者」とか「原子力科学者」と括られたらまだ冷静でいられますが,「科学者」と言われると,科学者全員が原発事故に対して責任を負わなければいけないのか?と思ってしまいます。

原発事故に限らず「科学が役に立っているか?」という質問なのであれば奇妙な気がします。現在の日本に科学が生み出した成果の恩恵をまったく被っていない人っているんでしょうか?。薬だって,病院の医療器具なんて科学の結果のものだし,家電や住宅建材にも,さらには農作物を作るための技術の中にも科学の成果は幾分かは入ってます。それを見ず,科学を役立たずというのでしょうか。

というよりこれはむしろ科学に対して万能なものを期待して,原発事故を何とかできなかったという失望感から,こういう言説が出るのでしょうか?という気もします。もしくは原子力発電を作ったのが科学だから,それに対する抗議なのでしょうか。

後者であればわかる気がしますが,前者であれば,過剰な期待をし,失望し怒りを感じる…というのは,少しやりきれないものを感じます。

科学は常に人の役に立たないといけないのでしょうか?。すべての職業がすべての人の役に立っているといえるのでしょうか?。仮に「役に立つべき」と言うのは良いけど,限定的ではいけないのでしょうか?。むしろすべての人の役に立ってるわけじゃない仕事なんて幾らでも挙げられます。

一方で科学がすべての人に必要か?という議論もあるでしょう。わたしは科学というのは「考え方」でもあると思うので,ある程度ほとんどの人にあった方がいいと思います。科学的根拠をもとに論理的に考えるぐらいは身につけるという意味でも。

もちろん科学は「役に立つ」と公言して沢山の予算を使っているという側面もあります。だから一部の科学の結果,不幸な事故がおきている現状が責められているのはあるでしょう。ただそれで全科学が否定されるということも,これまた違うんではないか?という気もします。

いろいろ思うところがありますがうまくまとまりません。ただ一方的に攻められると戸惑います,という感じです。
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