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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

愛知での実験

2011-02-09 05:43:38 | 時事
愛知の選挙について。

地方の選挙というのは,地方の人が選ぶのだから,部外者からはわかりにくいし,あまり意見を言うべき事ではないのかもしれません。今の名古屋の市長が名古屋で何をやっていて,それが市民生活にどう影響を与えているかを,東京在住のわたしが知ることは難しいし,実際知りません。

ただ個人的な好みでいうと,誰かを悪者にして,自分の人気を上げるのは,前向きじゃないので,好きではありません。あと議会や役人の給料を減らして,どれだけ財源が捻出できるんだろうとか?という疑問もあります。それから議会と首長を同時に選挙して自分の味方で固めるのは,権力を集中させる事になり,もし市長が本当に市民のためになる政治をすれば,スピードは速いですが,逆の場合のリスクもかなり大きくなります。

ですので,今回の愛知の選挙結果は,「大丈夫だろうか?」というのが一番の感想です。でもやっぱりわたしは部外者なので,愛知の人達の選択が,今後どういう形で現れてくるのかを,外からみるしかないのだろう…と思います。

本当に減税なんか出来るんでしょうか?。それで市民生活はどう変わるのでしょうか?。もしうまく行けば,その手法は他の行政区の参考になるかも知れません。いい方に行くような気があまりしないのですが,わたしの予想が外れても,いい方向に行くことの方が良いので,生活が良くなるように期待しております。

もう一つ追記すると,地方の議会(議員)というのは,大きく変わらないといけない時期に来てるのかも知れません。市民の代表ということを,市民に実感させないと,ますますこういうことは増えるんでしょうね。今はネットもあるので,細やかに意見を聞いて回ることや,想いを伝えることは出来るんでしょうが…,わたしが住むところでも市長言葉は聞えても,議員の言葉はなかなか聞えないのが大丈夫かな?…という気はします。
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春場所中止は相撲は八百長が無いという宣言

2011-02-06 21:50:06 | 時事
大相撲が八百長疑惑で春場所を中止するというニュース。その前に中止検討の話が出てる時,そういう雰囲気は感じましたが,いざ中止になると,ちょっとは驚いています。

八百長疑惑については,そのソースの出所が気に入らない…というのはありますが,八百長自体については,なんともいえません。相撲がスポーツなのか,エンターティメントなのか,格闘技なのか,はたまたちまたで言うように神事なのか,では神事とはどうあるべきなのか?というのはよくわかりません。

ただ思ったのが今回八百長疑惑で中止をするってことは,協会として八百長があることを,あってはならないことと公に宣言したってことでは無いでしょうか?。今後再開する時は,大相撲では八百長はやってない…という立場だってことでしょう。

例えばプロレスで八百長が一切行われていないと確信している人は多分少ないでしょう。最近ある総合格闘技って言うんですか?K-1とかその他…そういうのはどうなんでしょうね?。一方でボクシングやサッカー,プロ野球などは,プロスポーツではありますが,おそらく八百長は無い…という立場でやってるように思います。オリンピックなどがあるアマチュア競技はおそらく八百長は無いでしょう。

プロスポーツは見せてお金をもらう仕事ですから,プロレスの様に台本があるというのも本来はありなのかもしれません。でも,わたしは小学生の頃,プロレスを真剣勝負だと思っていました。K-1はわからないと書きましたが,台本があるのか無いのかあいまいのまま続けるというのもあったのかもしれないなぁ…とは思います。

これまでも台本や打ち合わせは無いにしても,手心という意味で,真剣勝負を避けてるような取り組みはたまに大相撲でも感じることはありました。また関取は最強の格闘家だ…と以前聞いていたのに,曙が他の競技でボロボロなのを見ると,そうじゃなかったなぁとかいうのも感じていて,多少大相撲のメッキははがれかけていたようにも思います。

今回思ったのは,八百長が発覚しましたが,個人単位でやっていて,おそらくやっていたのは一部の力士ですから,逆にほとんどの力士は真剣勝負をやっていたのだなぁ…と逆に少し感心しました。あと,今回の中止は,相撲から本当に八百長を無くす覚悟をしたってことですから,今後相撲は八百長がなくなるのかもしれませんし,手心もなくなるのかもしれません。それはそれで相撲の格が一つ上がる…と思います。でも,もしかしたら角番でいつまでも頑張る大関…とかはいなくなるかも知れないなぁ…とはちょっと思いました。
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質を高めるには量が必要?

2011-01-18 05:56:40 | 時事
昨年まで日本の企業とかビジネスとかもうだめだ…みたいな感じのTVが多かったのが年明け早々にTVを見ていたら,日本の品質が日本を救うみたいな話がちらほら出てました。正月だから,希望を持ちたいのか?とも思いましたが,わたし自身,日本の品質が世界でのポジションをしっかり確保して,これからの日本を支えて欲しいと思ってます。ただし気になる事があるので。

というのは,今日本には品質を支える職人がいる…ただし高齢者…,みたいな話を良く聞くのですが,一つはその後進が育っているか?ということ。そしてもう一つ,その職人が育ったのは,結局高度経済成長時に大量生産をしていた時代があったから,では無いか?という気がします。

これから品質を維持するために職人を育てようとすると,今の職人がしている仕事を教えるのではなく,本当はその職人の若い頃の様に,質よりも量の仕事をある程度こなさないといけないのでは?ということ。ですから,品質勝負だけの仕事だけをやっていても,品質を維持する職人を育てることは出来るんだろうか?質の仕事も量の仕事も両方やら無いといけないのでは?と危惧します。

ちょっと話がそれますが,日本のアニメが海外の実写映画の原作になるというニュースを知り,このアニメは昔からある一般向けのアニメというより,深夜にやってるマニア向けのアニメですが,こういうアニメも実写化されるようになってきたんだと思いました。案外いま,日本で大量生産され将来の蓄積になっていくのは,工業製品というよりこういう分野の方なのかも知れないなぁとか思いました。今のアニメとかマンガは作品数が多く,玉石混合だと思いますが,質の高いものを作るにはこういう状態が必要で,だからこそ質の高いものが産まれる…というか,そんなことを思います。
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今の日本には低空飛行をするイメージがもてないことが不幸

2011-01-16 22:05:43 | 時事
社会からの離脱は本当に“家の恥”なのか」を読んで思ったこと。

戦後の経済成長からバブル崩壊まで「モーレツ」とか「24時間働けますか?」とか,寝る間も惜しんでハイテンションで働くことが美学…と言われた時代がありました。それがバブルで崩壊した後,その時若かった人達の間に,もうそういう生き方を辞めてユルイ生き方に憧れる…という時代があった気がします。わたし自身もかって,そういう生き方に興味をもって見てました。「エコ」とか「ロハス」とか「地球に優しい」という言葉は環境に対する言葉のようですが,それを好んで使う人には,自分達の生き方をユルクしたいという想いがあったと思います。バブル崩壊後に生き方として注目された「フリーター」もそういう想いから試行されたものだったのでしょうが,10年以上経ちわかったのは,フリーターな生き方は,貧困になる可能性の方が高い…ということでした。

その時から思うのは結局のところ日本ではユルクいきる生き方のモデルが存在しないということです。ユルクというのは,程ほどに働き,程ほどに休み,質素だけど,とりあえず食べられて,多くを望まなければ,幸せに暮せる…様な…,そういう生き方。いわば低空飛行な生き方です。いつのまにか,「人並み」に結婚して子供を育てようとすると,一流企業に入らないと無理…と思う学生がそれなりにいるようです。その「人並み」には外では携帯電話でパケットをバンバンとばし,カフェでお茶をし,一食1000円の昼食(ラーメン)を食べ,家ではゲーム機や大型TVをもっている…って事が必要なのかも知れません。あと海外旅行とか?…。

日本はかって一億総中流と言われましたが,それはみんなが中流だったというよりも,モデルを一つしかもたなかったと言うことかも知れません。かってはお父さんが働き,お母さんが専業主婦をし,子供は小学校,中学校,高校と行き,高校から上は働いたり,大学進学したり,大学を出たら企業で働き,結婚し,男は働き,女性は家庭に入り,子供は二人程度…というモデル。昔は親が離婚していたり,中学出で働く子供とか,また母親が子供を預けて働くのを,とやかく言う人がいたのは,つまりそれは「普通」から少し外れていると見なしていたからでしょう。

色々時代が変わり,こういうモデルから当てはまらない人が増えてきました。女性が出産しても働くなんていうのは,もう普通です。離婚もそんなに珍しいことじゃありません。大学を出ても企業に就職できるとは限らない状況です。ですが,やっぱりまだイメージされる「普通」のバリエーションが狭い気がします。全日で働いていないと,パートやアルバイト…という風に,言われる…し会社もそういう風に扱います。海外では季節労働者や,一日数時間働くだけという社会もあるのに,日本でそういう働き方を長期でやってもなかなか食べていけません。

最初のリンクで社会から離脱してしまう人は,つまりは一日10時間以上働いたり,通勤ラッシュにもまれたり,上司やお客様に気を使ったり,そういうことをしないと生きていけない社会に適応できなかったからで,もしかしたら,一日4時間くらい作業して,誰とも話さずに終り,後は帰って寝るだけ…という社会なら適応できるのかも知れません。でも日本にはそういう社会は引き籠もり路上生活者以外に,どういう仕事につけばそうできるのかイメージしにくい様に思います。

日本は昔から「普通」から外れた人に冷たくて,程ほどに生きていくことが難しい様に思います。でも人間というのはいろんな人がいて,モーレツに働ける人,そこで活き活きする人もいれば,そうじゃ無い人もたくさんいま。なぜそうじゃない人の普通の場が無いのだろう…,もしそういう人達も幾分生産的な場があれば,むしろ生活保護者の増大なども防げるのでは?と思うのに…等と思います。

そういえばネットで,『「ものが安くなる」ことと、「安いものしか選べなくなる」こととは、厳密に区別しないと怖い。』というのを見かけましたけど,少しこれも通じるものがあるな…と思いました。
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批判する人にはベストが見えてるんだろうか?

2011-01-15 12:29:55 | 時事
タイガーマスクこと伊達直人が全国を回って寄付をしている件は,マスコミも楽しそうに報道してますが,わたし自身,寄付をすることはいいことと思ってるので,一過性な話かもしれませんが,いいとは思います。これでなにか日本的な寄付の文化が根付くといいのですが。

世間を騒がせているだけあって,ネットをみていてもいろいろ論調があり,わたしも冗談で,タイガーマスクのアニメかを目論むため,とか書いたり,パチンコメーカの陰謀…とか聞いたりとか,ありますが,まぁ冗談の範囲です。

あと,なぜ「匿名なの?」という疑問を書く人もいますが,これだけいろんな人が伊達直人を名乗っていれば,様々でしょう。美学な人もいれば,はずかしいとか,ヤバイ金とか,ノリとか…。

それくらいならいいのですが,結構批判してる人もいて,へー,という感じです。ただ批判する人は,いろいろ理由をつけてますが,多分批判する気持ちが先にあって,それを正当化するために理論展開してる人が多くないですか?…という気はします。なぜ先に批判する気持ちがわくのかを自己分析すると面白いんじゃないかな?…と思います。周りが誉めるから,天の邪鬼的におもしろくないという人もいれば,寄付を悪ふざけでやるのが気に入らないという人もいれば,自分が出来ないからおもしろくない…とか,人に哀れみをかけるかけられるというのがイヤという人もいるかも知れません。

で,こういうネットでの論調をみていて思ったのが,答えを求めようとするけど,どうして答えがあると思うんだろう?…ということ。寄付について文句をいう人は,誰にも文句をいわれずに誰かを助ける自信がある…と自分は思ってるのでしょうか?。誰もが賛同する様なやり方があるというのでしょうか?。またこれだけいろんな人が寄付をすれば理由は様々なのに,一つの理由で説明できると思ってるのでしょうか?ということです。

物事には誰もが賛同する答えがある…ということの方がわたしは不自然に思います。これは今回の話に限らず,社会福祉とか行政とかもそうで,なにか問題が発生すると批判する人がいて,それをメディアや野党が取り上げますが,でも,それを止めると今度は別の人が文句をいうのであたふたする…っていうのを旧野党の人達がやっていたりします:-p。

話がそれましたが,そもそも批判というのは,あまり真に受けるのではなく,むしろ効果の方が本当にあるのか?…の方を考察・議論べきなのではないでしょうか?。寄付に関しては,困っている人が助かりありがたく思うかどうか,それが第一。伊達直人の行動に寄付先の人は感謝の弁を挙げているようですから,まぁ良かったのでは?…と思います。
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マスメディアは速度より質重視に変わるべき

2011-01-13 23:55:54 | 時事
TVでニュースを観てると「○○が問題です」「××が問題です」「事件です」「大変な時代です」と毎日言っています。世の中問題だらけです。大変な世の中です。一方他の人のことはわかりませんが,わたしはなんとか普通に生きてます。将来の不安という不確かなものがないとは言いませんが,今この瞬間だけを見れば,お腹も減ってないし,命の危険も無いし,そこそこ楽しい生活です。

きっとTVの中のセカイと,わたしが今ここにいるセカイは違うセカイなんでしょう。ってことはTVのセカイは自分とはあまり関係ない話なんでしょうね。もしくは,TVで「問題だ」と言ってることは実は問題じゃない…つまりTVは狼少年みたいなものなんでしょうか。そうだとすると,そのうち本当の狼がやってくるのかも知れませんが,TVからのお知らせではわからないということになります;-p。

というわけで,TVのいう「問題」になんとなく疲れてきた今日この頃,一方ネットでは良くマスメディア批判を見かけます。まぁ自分のページもそうか…。

ラジオの今後の在り方とか新聞の在り方とか,ちょっと連日出ていたので,思ったこと。個人的にはラジオは好きだし,新聞も多分必要だと思います。TVもそうです。というかラジオもTVも全く無くなると寂しいです。ただどちらも今ほどチャネル数が必要なのかな?…という気はしてます。TVもラジオもNHK以外は広告収入で運用されてるんでしょうけど,広告メディアがネットとか多様化している以上,今のTVやラジオの規模が維持できないのは当たり前だし,それに視聴者も減ってるんだから,普通に考えれば統廃合されるものじゃないか?…という気がします。ですが,TVは特にどんどんチャネルが増えたのはどうしてなんでしょう?…という気がします。

ラジオもTVも新聞も載ってるのはプロが作ったコンテンツですから,品質が高いものが多いのは認めます。そのまま綴じたら本になったりビデオになるものも結構あるでしょう。でも一方で,速報性とか,衝撃度とか,盛り上がりとか,そういうのは,もうネットにはかなわないじゃないでしょうか?。当事者が直接配信したり,目撃者が直接ネットにアップする時代ですから,速報性をマスメディアが独占するのは無理です。もちろんお金を使って特ダネを買うことはできるでしょうが,ネットにコンテンツをアップする人は今のところお金より注目の方が欲しいのだろう…という気がしてます。

でもある事象に対して,有識者を集めて,きちんとした解説を付けたり,是非を議論させたり,そういうことは,マスメディアの方がうまい気がしま。もちろんネットにも有識者の議論等は多く載ってますが,何せネットは玉石混合です。信憑性やSN比は今一つです。また娯楽コンテンツもネットのものは品質が低いと思います。

というわけで,わたしはマスメディアはこれからは,品質勝負をすべきじゃないか?という気がしてます。逆に速効性や,最初にあるような不用意に不安を扇るような扇動的な記事は止めた方がいいんじゃないか?…と思ってます。まぁそれにしても今のチャネル数がもつのか?という気はしますが。

例えば民放は広告収入無いと経営できませんが,深夜アニメのように,最初からパッケージ販売を目的としたコンテンツをつくり,その広告として放送をし,出来が良ければDVDが売れる…みたいにすれば(まぁこれもそんなにうまくは言ってるともいえないのでしょうけど),放送コンテンツは全て長期の視聴に耐える,新聞だって連載記事を本にするつもりでつくれば,それも読み返すに耐える…コンテンツではないといけないということになります。今ブログで毎日書いている文やマンガをまとめて本にする人が多いですが,新聞やTVだともっと品質が高いものを作れるでしょう。

わたしはそういう意味で,マスメディアの役割をそろそろ変えて行った方がいいのでは?と思ってます。そういう意味では期待してるんですけどね。
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ジャパン・シンドローム

2011-01-12 21:54:50 | 時事
NHKのニュース9が一昨日と昨日「ジャパン・シンドローム」という特集をやっていました。今の日本の状況である,デフレ,少子化,高齢者増大,雇用状況の悪化,人口減少,みたいなのが負のスパイラルになっている。この様な状態はこれまでどの国も経験してない未知の領域で,海外からも日本がどこへ向かうのか注目されている…って事のようです。

なんか新しい造語を作ったようですが,これが流行るのか,生暖かく見守りたいと思います:-p。

ちょっと思ったことを。多分日本に限らずどの国でも問題を抱えてない国はないと思いますが,わたしが子供の頃はインフレとか公害でした。インフレは終わったけど,公害はともかく,環境破壊は現在進行中。人口増加が昔は問題だったけど,今は少子化。人口減ったら嬉しいのかと思っていたら,いつのまにか逆になっていたし,インフレが済んだら嬉しいのかと思ったら,これも逆になってデフレが問題となっていました。あまり今言われてる良し悪しは当てにならんなぁというのがわたしの印象です。なぜならメディアは今起きている問題が終わった後の検証を何一つやらないからです。

昨日のTVでは,地方都市の中心地に近いところにも空家が増えてるみたいな事を言ってましたが,じゃぁ,その空家を若い人が買える位の値段になってるのでしょうか?。わたしの印象だと,地方としでも中心地に近いところに,若い人がポンと家を買えるほどの値段にはまだ地価は落ちてないのではないでしょうか?。このバランスはなんとかならないのでしょうか?。とりあえず,自分に関係ありそうなことを書いておきます(笑)。地方の郊外は多分二束三文で買えるんでしょうが,それって結局住むところが広範囲に分散してしまい,ますます効率が悪い地方集落が出来るだけのの様な気がします。

あとおまけですが,少子化も晩婚も神の見えざる手じゃないか?と昔書いたのを思い出しました。現状の方向でうまく安定した社会を作れれば,興味深いけど,まぁそれが人によって住みやすい社会かどうかは…また別の話かなとも思います。。
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若い世代にお金を移す方法

2011-01-08 21:07:12 | 時事
というわけで前回の続き。年金とか世代のわたしの考え方。多分賛成する人は少ないというか,わたしもこれでいいかは良くわからないけど,極論の一つ…ってことで。

本論の前に,年金と医療の話を簡単に書くと,年金受給額が多いとか言いますが,年寄りは再チャレンジが殆んど出来ないので,物価にあわせて下げるのはいいけど,慎重にせざるを得ないとは思います。一方で,年寄りの医療を若者以上に厚くする必要もないと思ってます。額の点ではなく,どこまで助けるか?という意味で。特に平均寿命とか85とか以上だと,いつ死んでもだれも(医者も家族も)悪くないと思います。

弱い年寄りを守るのも当たり前ならば,歳をとって死ぬのも当たり前だとわたしは思ってます。

で,本論。年金とか貯蓄で,若い人より年寄りがお金をもってるのはおかしいという人がいますが,確かにそういう部分はありますが,一方でそのおかげで年寄りの親をもつ若い人は親に仕送をしたり,呼び寄せて面倒を観ずに済んでいる人は多いのでは?と思いますが,その事についてはほとんど語られません。例えば親を扶養家族にした子供には老人用の扶養手当を支給し,その老人の年金支給を止めるという手もあるでしょう。年金支給は扶養者がいない老人に限るとかいう手もあります。扶養者になりたがらないのを防ぐため,その場合の支給額は扶養の場合より減らすことになるんでしょうか。

子供が親の面倒をみるという風にすると,子育てが自分の老後に繋がるから教育を頑張るし,働く子供を支援することで,自分自身も再チャレンジ出来るといえば出来ます。

親が子供に面倒をかけたくないとか,子供から金をもらいたくないという人もいるでしょうが,昔はみんなそうでした。昔は国が年金なんて面倒を見なかったので,子が親の面倒を見たり,未成年の面倒を見るのは当たり前です。ダメなら一家総出で働いていました。自営の人は今でもそういう人もいるでしょう。年金を子供に渡して,子供が面倒を見てくれなかったら,それは自分でそういう子供を育てた責任となります。

ただし,家族だけが面倒を見るとなると,子供が出来ない人とかは老後のたれ死ぬしかなくなります。そういう部分を保証する社会保障は必要でしょう。

大体こんな感じです。多分これは近代以前の家族モデルに戻りかねないので,賛成しない人が多いでしょうし,実際ヨーロッパとかの福祉国家への流れには反するのだと思います。詳しくはわかりませんが。

今,年寄が年金もらいすぎとかいいますが,それをうのみにして,その資産を放出させると,下手をすると,若い人の収入が増えないまま,年寄りの資産も減るっていう事を,今の政府はやりかねないので,そうじゃなくて,若い人に親の面倒を観させる代わりに若い人の収入を増やすという形で,年寄から若い人に資産移動をもっとしたほうがいい様に思います。
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年金の問題はマクロに観ないとなんともいえない

2011-01-07 07:15:49 | 時事
年金受給が物価変動とかの関係で受給者には増税の影響が無かったとかとか話題になってました。なんか今更感がわたし的にはあります。よく年金が損とかいいますが,わたしは以前から現行制度の年金なら払っておいた方がよいと言ってるのは,まさに年金は物価変動で支給率が変わるから,インフレに強いよと言うことです。金融資産はインフレになればどんどん値下がりしますが,年金は*多分*国が調整してくれます。もちろん金融資産も利子とかで調整がされるはずですが,保険として,年金をもっておくのは悪くないと思います。

もちろん,それは現行の年金制度が維持できればという話で,このままでは維持できなくなるよ,とも一方で言われていて,そうなると確かに今のお年寄りは良くて,払っている我々はどうなるかわかりません。維持するために消費税増税と言っていますが,それも議論としては進んでません。それから全般的に日本の社会保障と経済が年寄に得で,若い人に厳しいとか,まぁそういう空気があるわけです。

いろいろ言われてますが,その時に語られる根拠が,貯蓄だったり,年金だったり,医療保険だったり,個々の数字ばかりですが,こういうのって全体のお金の流れを全部書いてみないとなんともいえないのでは?と思います。実際年金はわたしの親には得なんでしょうが,おかげでわたしは親に仕送りをせずに済んでいたり,一緒に住む必要が無かったりもするわけです。

もちろん親がいない人は仕送りも面倒を観る必要もないでしょうが,どういう層を主たるそうとして設計し,それ以外をどう個別の保証でみるか?ってことでは無いでしょうか?。

年金制度は親子の経済依存を切る代わりに,それぞれが自由に住むところを選択できるようにし,労働力の流動性を上げるための国の政策だったと思いますが,それで自由を得たと思ってる人もたくさんいるでしょう。

年金制度は日本旧来の親子のあり方を変えてしまったわけですから,今後制度を変革するとしたら,再び親子や家庭のあり方が変わるのだと思います。どういう形がいいのでしょう?。この話,後日続きを書きます。
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フィクションに懲りない面々

2010-12-23 23:37:02 | 時事
medtoolzさんのフィクション欠乏症についてっていうのを読みました。面白かった。幼少からフィクションを充分に経験してこない人の方が大人になれないとのこと。なるほどと思いました。そういうこともあるなと納得しかけました。

でも,ちょっと自分の経験を振り返ると,そうでも無い例が結構あるなとも思いました。オカルトとか飽きるというのはそうなんだろうなと思います。そういういかがわしいものはそうかもしれませんが,性衝動に関しては,大人になっても飽きないというか,大人,更に壮年になっていかがわしいものに行く例をいくつか見たことがあります。そういえば中年のバツイチの男って,ナンパしまくったりして凄いという話を聞いたことありますが,ああいうのもそうだし,あと地位と財産を得た人が愛人を作ったりとかそういうのも。

オカルトが飽きるのはオカルトをどんなに勉強しても,多分自分の状況はそうは変わらない。ご利益もそんなに起きない。だから時間が経てば飽きるだろうけど,性衝動は,どんなにフィクションに接していても,歳を取って身体的なものが変わったり,自分の周りにいる異性が変わったりしたら,そこで初めて行動に出たりする…って事は多いんじゃないかなと思います。飽きるのは,一通り現実の行動をやったら飽きるっていうのはあるかもしれないけど,それが犯罪的なものだと困るし,若いときにやらないほうがいいんじゃない?と思うことも多い様に思います。

だから,若いときにフィクションに触れていれば,飽きて大人になるっていうのは,そうじゃない人も結構いるような気がします。

余談ですが,わたしはずっと妄想が強い人だったんですが,妄想を取り除くのに効果があったのは,身体を感じることでした。例えばくたくたになるまで走るというのは,体力を奪って発散してるのではなくて,体の限界を感じて,妄想の可能性を感じなくなるって感じです。手術したあと歩くのも大変だった時期,あと今の様に子育てに四苦八苦してるとき,こういうときも体の限界を感じて,いらないことを考えない。まぁこれは性衝動の妄想とは違った妄想だったのですが。

話を戻すと基本的にいかがわしい話を考えるのも,頭が暇だからじゃない?って気もします。
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