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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

親を保護する難しさ

2010-08-25 22:24:52 | 社会
夏休みに帰省して親の顔を見てから書こうと思っていた不確認高齢者の件。帰ってきたので,少し書きます。

人を犯罪者扱いするな…と言われそうですが,親が死んでいるのに年金を受け取っていた…という子供らは詐欺だと思うし,死んでいないにしても,どこにいるかわからないという状態でやっぱり年金を受け取っていたという家族も,それに準じるとわたしは思ってます。

100歳以上で自治体が行方を確認できないという人が数十人いるのであれば,65歳以上とか考えたらその数倍…いや,千人以上いるかもしれません。本当にいないのに家族がやっぱり数年以上続けて年金を受け取っていたら,やっぱりおかしなことでしょう。

ただ,ふと思ったのが,今回の確認できない高齢者の家族で年金とか福祉サービスを受け取っていない人もいるんではないだろうか?ということ。いたとした場合,その人は年金目当てじゃなくて,ただ失踪届けや死亡届を出していないだけで,その責任は誰が負うんだろうか?ということです。

TVのインタビューに家族(子供)が親(高齢者)と仲たがいして,その結果高齢者が家を出て行ってそのまま10数年…という話がありました。親が行方不明になって捜索願も失踪届けも出さないのか?とか,とも思いますが,一方でそういう人もいるだろうな…と思います。

親子でぶつかるというと,若い子供と中年壮年の親というイメージがまず先行しますが,こじれたら結構大変なのはむしろ高齢者の親と中年壮年老年の子供の方だろうな…とも思います。というのは,こうなってくるとむしろ親の方が保護されるのですが,親ということもあり子供のいうことを今更聞かない場合も多い,人間関係というのは,そう簡単に切り替わるものではないだろうと思うのです。また伝統的なイメージでは歳をとると無欲になり人が良くなるというものが強いですが,実際は人間は歳をとるとあくが強くなる人も結構多い様に思います。根がいい人はかえってよくなるかも知れませんが,若い時代に抑圧されていた,どこか悪いところが表層化してくる場合も多い様に思います。歳をとり社会的にリタイアすると出世や組織のために遠慮をする必要が無くなる場合もあるでしょうし,そうではなく,寿命が近くなり精神的にも身体的にも,いろいろ我慢するのが嫌になるというのもあるかもしれません。また,もしかしたら脳の機能的にそういう部分が低下するとかもあるかもしれません。老人じゃなくても歳をとるとあくが強くなる人は中年くらいから結構強くなる気もします。

そういう社会性が低下し,それなのに保護をするのはかって自分が保護していた子供という関係であれば,こじれると,いい親子関係を築けず,手を焼く人…になってしまっているかもしれません。

そういう中,仲たがいして親が子の元を去ってしまったら,「あぁ助かった」と思う子供がいても不思議はありません。まともな感覚なら,自分が知らないところでよそ様に迷惑をかけてないか…とか,それで自分にとばっちりがこないかとか心配するのでしょうが,そういう最悪な事態から目を背けて…という人もいるかもしれません。案外人は最悪な事態を考えないようにして,「なんとなく世の中自分に都合がいいように回っていたらいいな」と思っている人は多い様に思います。



わたしは高齢者に比較的きつい考え方をしますが,それはその分保護者たる子供がある程度の責任を負うべきだと思っているからです。だからと言って老人虐待がいいとは思ってなくて,不自由を強いる代わりに,きちんと最後まで面倒を見るべきだとも思います。そして出来れば,高齢者自身もそれを自覚して欲しいと思います。

昔は極楽に行くために善行して欲しいとも言えたのかもしれませんが,今は,そういうことを言う坊さんもいないし,子供から親にそういうことは言えません。ただ自分も含めてそれは真実だとも思います。死後に行き続けるというのは,遺族の記憶の中に…ってことなので,いい思い出を残せないということは成仏できないということです。また子供の方も親を大事にして無いと,自分が老人になった時に,自分も子供に同じように扱われてしまいます。

親の失踪から目を背けて捜索しなかった子供らは,自分が高齢者になった時にどうするんだろうな?とも思います。そういう人がいても不思議じゃないとは思いますが,それがいいことだとは思いません。

今回も実家の親を観て,いろいろと頭が痛いこともありましたが,これも向かい合わないといけないことだとあらためて思いました。
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実は失敗だった?こと

2010-08-09 22:35:50 | 社会
タブーかも知れないなぁ,と思いつつ書いてみる。

社会が近代化,現代化して良かれと思って進んだ・進んでいる事で,実は弊害が多くて,間違いだったではないか?と思うことが結構ある気がします。工業化とかは,とっくに負の側面をみんなが認識してるけど,家族の在り方とか社会福祉の在り方…も実はそういうことあるんじゃないか?という気がします。

一つは以前も書いたけど,核家族化。子供は親の面倒を見なくて良いし,住むところも自由になって,就職して上京とかしやすくなった…というメリットを今の人は享受してると思うけど,一方で,家族のつながりの希薄化,子供の面倒を親だけで見なくてはいけなくなる,老人の独り暮らし,孤独死…とかいうのは,核家族がこんなに進まなかったら,もっと少なかったんだろうな…と思う。

核家族と合わせてだけど年金制度。これも子供が親の面倒を見なくていいかわりに,お金を納めて,あとでもらう…というものとも言える。いや多分,みんな納めた金をもらうと思ってるけど,実質は国の年寄りへの仕送をやってるようなものだと思う。長生きすれば払った額以上にもらえる。年金制度の問題は財政的な面で語られるけど,それ以前に家族の在り方の方に悪い影響も与えてる気がする。

年金制度と核家族は多分同じ思想で,子供にとっては親からの自由,老人側はリタイヤしても生きていける,という国民側のメリットと,一方で労働力を自由に確保しやすいという国や企業の利害が一致した結果だと思う。ただ,核家族は一人働き,もう一人は専業主婦でも十分に経済的にやっていけるという前提の場合はともかく,女性が更に妻や母(のみ)であることから開放されたいとか,その結果女性の社会進出が進み,実際は育児方面に支障がでて,結果少子化に繋がっている。

少子化になると今度は年金を支える若い労働力が不足して,今度は老齢者の年金や医療が問題になる…という悪循環に入ってる気がします。

わたしは幼児虐待,老人の孤独死,行方不明,高齢者医療問題…というのは結局は根は同じところにある気がしていて,核家族化し世帯の移動が激しくなり,それにより地域社会のつながりが希薄なって,若い育児世帯は助けを請う人もいなくて…というのが根本のような気がしてます。そして核家族を制度として支えてるのは年金制度や高齢者福祉なのだと思います。

先日も書いたけど,少子化だとか,子育てが大変だとか,子供を産んでも得なことがない…とかいう人がいるけど,年金もなくて高齢者の福祉も充実してなかったら,自分で貯金をひたすらするか,子供を育てて面倒を見てもらうしかありません。貯金というけど,お金の価値が不安定とか,貯蓄保証が無い時代に,老後の資金を自分のお金で保証するなんていうのは,無理…という気もします。そうなると子供に面倒を見てもらうのが一番。子供の面倒を見たり,教育が大変とか言うけど,子供が親を見捨てなかったり,それなりに稼ぐようになるには,それなりに子供を大事にしっかりと育てないといけないし,また一人だと不安だから数人産んで育てて…ということになる。日本近郊の某途上国とか,子供の教育に熱心な国が多いけど,多分国の社会保障があてにならない場合はそうならざるを得ないのだと思うし,結果的にそこで優秀な子供が育つ。

そういう,子供に親(親戚)の過剰な期待を背負わせる…ってやり方は古くさく,子供の自由を迫害するし,…ってことで,先進国では無くなって,変わりに社会保障を脹らませてる…って事なんだろうけど,先進国でやってるからといって,正しいやり方なのかはわからない。

もう一つ,最近思ったのが,個人情報保護というのももしかしたら間違いなのかも知れないな…といういこと。もちろん,概念自体を間違っているとは言わないけど,多分運用面で悪い点がでてきていることも事実。地域社会のつながりの希薄さが,個人情報の保護を必要とし,さらにその保護が希薄さに拍車をかけていて,なんか悪循環になっている気はする。

まとめるとつまりは,近代化現代化…というのは,社会(国)に対し直接個人がさらされる事であり,前時代にあった家族や地域社会が無くなっていく事…っていうのは良く言われるけど,まさにその通りになっている。親の替わりに社会(国),子供の替わりに社会(国)って事なんだろうけど,子供が次々に産まれてこないと,成り立たない社会でもある。突き進めると多分,子供は産まれたときから国が全て面倒を見る,育児教育さえも…って事になるのだけど,それって,とても恐ろしい社会じゃないのか?…という気がする。

行き着くところが恐ろしい社会なら,そっちに向かっている今の方向も正しいのか?,そこまで行かなくて中庸だったらいいのか?,でも中庸だからうまく行ってないのではないか?という気もして,実は最初から間違いだった…とかいうこと無い?とか,ふと思う。
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消費者の品

2010-08-05 22:23:30 | 社会
ネットで話題になっていたネット販売の値段を元に量販店を値切って断れた話を読んで,ちょっと嫌な気持ちになったので,その事を書きます。

リンクは読んでの通り,大型TVを買うために量販店に言って,店員からいろいろアドバイスをもらって,その後に値段交渉をして,ずいぶん譲与を引き出し,最後に価格comの最安値を見せ,それより安くしろと言ったが断られたので,通販で買いました…という話。読んで思ったのは,この人,「品」がないなということです。もちろんこの人がやったことは,商契約上何の問題もありません。社会的にも問題はありません。でも金持ちがやるような事ではないように思います。

書いた人がどういう人かは知らないので,金持ちじゃないのかも知れませんが,タワーマンションに住んで大理石式のエントランスのあるとわざわざ書いているので,金持ちか,金持ちであることを訴えたい人なのでは?と類推します。まぁ本当の金持ちはわざわざ「大理石」…とか書かないとも思いますが…,金持ち気取るなら,もう少し金持ちらしい振る舞いをしたら?…と思いました。余談ですが,この方,エントランスに置かれた大型TV…どうやって部屋に運んだんでしょう?…。

…戻りますが,品がないな…と思ったのは,この人は実際に量販店で店員から製品のアドバイスを受けたり,多分実物を触ったりして,お店のサービスを受けている点です。受けておきながら,最後に,そういうサービスがない通販と同じ価格を要求し,ダメだったら,そのサービスへの感謝を踏み倒している点。これだとまるで百貨店の地下でただの試食を食べ歩いて,商品を買わないのと同じです。そしてそれだけ店員の時間を拘束し,3万円をケチる点です。経済について語る人なら,店員の稼働にコストがかかっていることはわかるでしょう。値引き交渉をするなら,最初から価格comの最安値を見せて,目標価格を示していたら,おそらく店員も時間をかけて相手をしなかったでしょう。散々付き合わせた挙げ句に,断ってます。文章を見るとまるでゲームを楽しんでいるようにも見えます。

一番気に入らないのが,こういうことをやっておいて,自分は悪びれたり,明確な自慢をするのではなく,なぜか自分も被害者のように書いているところ。なんじゃそりゃ?

わたしは金持ちは社会に対して,貢献をすべきだと思ってます。自分が金銭的にはある程度は損をしようが,安い店よりも,あって欲しい店からものを買うべきではないでしょうか?。確かにそれは量販店じゃなくて,本当は町の電気屋さんの様な気がしますが,通販じゃないでしょう。でもこの人は最後に「僕たちの生活は毎年少しずつ便利になっている」って書いてるので,通販だけの社会が便利な社会と思ってるんでしょうか。

わたしはそうは思いません。結果的に通販しかない社会は,現品に触ることができない,店員の顔が見えない等,そんなにいい社会じゃないと思います。今はいいかも知れませんが,歳をとってから通販でものなんか買っていたら,いい詐欺のえじきになるような気がするけど,自分は絶対にそうならないという自信があるんでしょうか?あと,気づいてるのかわかりませんが,TVは自分で粗大ゴミに出すことも出来ません。うりっぱなしの通販で買って処分するときのコストは計算に入れているんでしょうか?

わたしは本当は量販店よりも町の電気屋もそうですし,それ以外の商店も自分が住んでいるところの近くで,お店の人の顔が見える…,そういう店舗が残るべきだと思ってます。そのために多少の価格が高いのは仕方ないと思います。だからわたしは,自分があって欲しい…と思う店舗にお金を払います。もちろん経済的にいつもそういうことが可能なわけではありません。10円でも安い店で買うこともあります。ただ,安いだけで毎回異なるお店で買っていたら,お店もお金でしかサービスしてくれなくなります。お店を育て企業を育てることも消費者の責任であり,それに大きく貢献できることが経済的に余裕がある人の務めだと思います。
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政治と個人の生活

2010-07-28 12:17:39 | 社会
ネタにマジレスになるのですが,Chikirinさんが各時代の不幸自慢を書いていて,今の時代が悪いというが昔はもっと…ということで縄文人の勝ちと書いてます。もちろん冗談だし,ここに書かれている各時代の事情も嘘だったりホントだったり,まぁそんな感じなのですが…。

そんなことを思いつつも,わたしが思うは,床屋政談や年寄の思い出話という意味では,実際にされていることはあるのかもしれないと思うけど,でも,日本人の庶民は「誰が国を治めようがたいして変わり無い」と思ってるんじゃないか?ということ。言い換えれば,お上が誰だろうがお侍が天下を取ろうが,維新だとか議員だとかが,いろいろ都合のいい事を言ってくるけど,結局年貢をもっていくだけだ。わしらはそんなことより目の前の畑を耕さないとオマンマが喰えねぇ…,とかそんな感じ。

日本人は政治に関心が低いとかちょっと前から言われてましたが,それは決して自民党の長期政権が続いたからというよりは,もともとそうなんじゃないか?という気もします。それは上に書いたように,朝廷だろうが幕府だろうが新政府だろうが,いろいろ治世のシステムは変わったのかもしれないけど,多分農民や町民レベルではたいして変わってない。もちろん国のせいで命を落としたり食うや食わずの生活をしたりとかあったんでしょうが,そもそも誰が政治をやってもいい目を観てるのは権力争いをしてる貴族とか侍とかなので,農民や町民はいい目を観ない。いい目を観ることが無ければ,不幸の程度が若干変わるだけ…って思われてしまうので,誰にも期待しなくなり,そして無関心になる。それは一方で不幸といっても,単一民族(と言われてる)国家で,政権交代が民族の入れ替えを伴わないから,国から自分達が追われる心配も無いから,というのはあるのかもしれません。もちろん国の多くが焼け野原になった太平洋戦争は,国の行いが他人事じゃないという状況を引き起こしたのだけど,戦国時代とかは全国が戦乱と言っていても,平和なときも山賊とかにおびえていた人からすると,たいして変わらなかったのかもしれません。

…と書いたのも冗談でもあるんですが,ちょっとそんなことを思うこともあります。だからメディアは政権交代で大きく騒いだこの一年だったけど,多分庶民の生活の根本は,そんなに変わらないんだろうな…とわたしも冷ややかに思っていたりします。
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実験とは仮説を検証するものではないのか?

2010-07-05 22:02:48 | 社会
高速道路の無料化という社会実験の経過が報道されてるようです。そういえば突っ込んでなかったのですが,ふと思ったのは,これって何を検証するために「実験」してるんでしたっけ?。

自然科学では実験というと普通「仮説」を立てて仮説が正しいかを検証するために行うものです。社会実験がそうだかどうかは知りませんが,普通実験って,何かを証明したいとか,どういう結果が出たらどうするとかそういうのを決めてからするんじゃ無いですか?。

高速道路無料化の場合,実験的に行えば,もちろんただから使うという人はいるでしょう。一方で渋滞も起こるでしょう。騒音や排ガスが増えるという人もいるでしょう。一般道が車が減るとかそういうのもあるかもしれません。つまりいいことも悪いこともあると思いますが,それが起きたらどうするんでしょう。もしかしてそんなことを考えずにやってますか?。

後期高齢化医療の件や,自動車の高齢者マークとかみたいに,一旦決めたら文句が出るけど,戻したらまた文句が出るケースなんてヤマの様にあります。何も決めずに試しにやってみて,文句が出たら止めても,止めたらまた文句が出るでしょう。やってみて影響を見るとか漠然とやっても,何も決められません。あらかじめどれくらいの異論が出たら,どういう風にするとか,そういうの決めないですることを「実験」というんでしょうかね?。そう思いました。
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子育てに悩む親を責める年長者のひどさ

2010-07-02 21:54:24 | 社会
今日ネットを見ていたら,「母親による乳児の虐待はゲームの影響」という無責任でひどい言動を読みました。あまりにひどいので,反論として,「そうじゃなくて,周りでサポートするシステムも作らず,金だけばら撒けば,子供を作るだろう…とどっかの政権がやってるからでは?」…と書いてみる:-p。

…というのは半分皮肉なんですが,リンク先の言動はゲーム云々ということよりも,育児に追い詰められてノイローゼになる母親に,その人たちが悪い…と言いたげで,挙句の果てに「自分の息子の嫁になってほしくない」とか書いていることに怒りを感じます。

これはあまりに悩んでいる人を突き放している書き様ではありませんか。こういう人は,若い人が支える年金を支払う必要ないと思います。

若い母親が子育てで悩むのは,確かに子供が思った通りにならなくて苦労するという面もあると思います。しかしそれはゲームとかいう以前に,今の社会が核家族化してしまい,また兄弟も少なく,幼少から大人になるまでに,兄弟や親戚の赤ちゃんの面倒をほとんど見たことがなく,いきなり親になってしまう人が増えてるからだと思います。そして親と同居して無いから,子育てをサポートする人もいない。

わたしの世代は晩婚化が進んでいたので,ある程度,精神的に落ち着いてから結婚するとか,知り合いや親戚の赤ちゃんに触れる機会とかも若干あったかもしれません。でも,今は20代前半で結婚して子供を産む人も増えてきてるので,そうなるとつい最近まで学生だったりするし,学生というのは歳が離れた知り合いも作りにくいので,親戚以外になかなか赤ちゃんを見ることが少ないと思います。いくら子供が好きだと思っていても,実際の赤ちゃんに触れて,しばらく面倒を見たりしないと,実際の子育ての大変さ…というのは想像しにくい部分もあると思います。

わたしの場合を書くと,10数年前に甥や姪の赤ん坊時代を知っているし,自分自身も歳をとってある程度落ち着いたせいか,子育てがいかに計画どうりにいかないし,自分の生活が犠牲になることは知っていたので,そこまで追い詰められることは(たぶん)ありません(ただ,だからと言って晩婚がいいかというとやっぱりそうではなく,歳をとって体力的には辛いものもあります。もう少し若い頃に子供を作っていたほうが良かったよなぁとも思います^^;)。でもまったく子供に触れたこと無い人が,経験者のサポート無しに,子育てをしようとすると大変だろうな…と思います。

社会の核家族化が進み,親戚がバラバラに住むようになったのは,今の若い人の責任ではありません。そして子育てを支援するシステムも整備せずに,子供を産ませようとお金をばら撒いていたりする人たちもいます。少子化で年金制度が崩壊とか言いながら,医療費はしっかり使い,若い人の雇用を奪ったりしている年長者が,若い親が子育てに悩んだら,あたかもその若い親自身自体が悪く,そんな人とは係わり合いになりたくない…という論調は,一体どういうことだろう…と思ってしまいます。
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英語力という物差し

2010-06-23 06:11:46 | 社会
先週楽天の三谷社長が社内公用語を英語にするという話を聞いて,「ふーん,英語で会議やったら無駄話しなくなるかもね」とか軽く考えてたのですが,その後この英語社内公用語の話題あちこちで一般論として広がっていたようです。michikaifuさんのところでリンクされているのを読んだのですが,わたしはあまりこの話題に明るくないので,英語を社内公用語にすることに関しての判断は保留。ただし,ちょっと思ったことを。

社内公用語を英語にしても日本人はネイティブで英語を喋るわけではないので,英語の能力の差は多分個々人で様々。であれば,英語の能力で出世するしないが大きく左右されるんだなぁ…と。英語喋れなくても能力が高い人が出世するのか,まずは英語喋れないとその先が無いのか,やり方はいろいろあると思うけど,技術,法律,経済,人事育成などの能力より先に英語能力が来そうだな…と。学歴だけで出世が決まっていた社会もあったので,まぁそれに変わる新しい尺度…になるんだろうなって気はします。英語が出来ないと国際社会で苦労するというのはわかるけど,もし英語だけが出来る人が集まって会社の運営をしたらどうなるんでしょうね。

もう一つ。社内公用語が外国語ということで,これまでに無いことの様に語られてますが,日本って江戸時代までは公的な文書は全部漢文だったんじゃありませんか?。この辺詳しく無いのですが。もちろん一般の人は字をかけない人も多かったし,字をかけてもカナ交じりの文字だったりで。まぁ当時は役人は武士という身分制度でしたから,一般の町民が漢文が凄く得意だからって出世することはなかったんでしょうけど。でも,江戸時代とか更にその前とかに,文字が綺麗とか漢文や漢詩がかけるからってことで,尊敬されていた人がたくさんいるので,まぁそれだけで偉くなっていた人も多いんでしょう。

それから英語が読み書きできたら海外と仕事をしたり海外の情報を得るのには非常に有利ですが,実は日本が進んでいる技術分野は,日本の技術者が日本語でしか特許や論文を作らないので,逆に海外がなかなか追いつけない…というものもあります。それがいい事か悪いことかは一概には判断できませんが,まぁそういうものもあるってことで。
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車のUIはそろそろ変えるべき?

2010-06-18 08:46:47 | 社会
最近新聞記事を見ていて思うが,自動車のアクセルとブレーキ間違えた事故の記事。数日に一回見てる気がします。

まぁこういう警察の発表って定型にはめてるだけ…って場合も多いので,必ずしも同じようなミスが原因とは限らないのですけど,マスコミが取りあげるせいか?目立ちます。ちなみに最近わたしが目に付く事故のもう一つが高齢者による逆走などの事故。

で,思うのがアクセルとブレーキを隣り合ったペダルで踏むという操作法はも止めた方がいいんじゃないか?ということ。特に,オートマ免許の人はともかく,マニュアルで免許を取った人は,もともとアクセルもブレーキも右足で踏むので,オートマでもそうしてる人多いんじゃ無いでしょうか?。実際ペダルの位置もそういう場所にあります。

そもそもマニュアル車の場合アクセルとブレーキを踏み間違えても,止まるつもりでクラッチも一緒に踏んでいれば急加速はしません。それがオートマになり,良く見えない足元を右足でどれを踏むかだけで発進と停止が決まってしまうというのはちょっとリスクが大きいように思います。これがもし足が左右に分かれていれば,完全とは言いませんが,踏み間違いが減る様に思います。もしくはアクセスをもう,手にしてしまう。バイクだってアクセルは右腕です。車は回転ハンドルで握るところが一定して無いので難しいかもしれませんが,パワステで片手で切れますから,ギアの位置とかでもいいかもしれません。

バイクはブレーキも右腕ですが,レバーとグリップと操作系が全然ちがうのでブレーキとアクセルを間違えることは無いでしょう。
ということでどうでしょうか?。今のブレーキとアクセルの位置関係はマニュアルでなおかつパワステじゃない時代の名残です。シフトレバーとかサイドブレーキはメーカで違うので,アクセルも違っていていいと思いますけどね。ついでに書くと,今は電子制御が出来るので,ブレーキはある程度衝突や車間距離のセンサで何とかならのでしょうか?という気もします。いっその事アクセルは前後のセンサで全自動っていうのはどうですかね?(^^;)。さすがに危ないかな。まぁ安全に振った方向で。もちろん,いろいろと安全性を確認してから操作法は決めるべきでしょうけど。

どうでしょうか?
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世論は新政権に増税を望むらしい

2010-06-14 21:50:53 | 社会
消費税増税必要が66%という記事を読んで,ちょっと驚きました。「容認」じゃなくて「必要」と来ましたよ。世論って増税を望むんだ…と。

これを読んで去年の11月に書いた政権交代すると増税できる話を思い出しました。あの時は消費税じゃなくてガソリン暫定税率の話だったと思いますが消費税はもっと影響の多い税です。

あの時と同じことを書くと,政府って税金をあげたくても上げられなくて苦労してると思うんですが,政権交代するとあっさりとこういう大増税ができる…というか国民の方からそれを望んでくるんですねぇ。知らなかった。これだったら財務省とかも政権交代があるとイイナ…と思うでしょう:-p。

まぁ新聞の世論調査なので恣意的な質問である可能性もありますが産経の調査でもにたような結果なので,そうなんでしょう。自民党の頃は,財政再建後に増税…と言っていたのが,その前提すら無くなってるのにわたしは驚きます。

わたしは子供手当や高速道路や高校の無償化の財源として消費税上げられたらかなわないと思うので,なんに必要かをまずは説明すべきでは?…と思います。国債発行額の増加ぶりが恐ろしいので,国債発行を減らすというセットじゃないと,増税には賛成できません。産経の記事に議員や公務員削減とか書いてる人いますが,その辺削っても,そんなにお金でてこないと思います。誰かをいじめてすっきりしようというのにも賛成できません。

福祉を充実させるために国家の予算規模を上げるというのは,考え方としてはあると思うんですが,それはお金をばらまいて,消費者に勝手にしてよ…というのではなくて,システムや制度をつくることでしょ?とわたしは思います。

今が大変だから,消費税増税すればきっと良くなる…という思考なんでしょうか?。今が大変だから政権交代すればきっと良くなる…と民主に白紙委任状を出した結果がご覧の有り様…なんですが,また同じことをやるんでしょうか?。
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鳩山首相辞任

2010-06-06 17:27:47 | 社会
先週鳩山総理が辞任しました。正確には今日まで総理大臣なんでしたっけ?。まぁ世の中はもう菅総理で騒いでますが。ちょっと遅ればせながら少し鳩山政権への想いなど。

鳩山さんの辞任の言葉がいろいろと話題になってましたが,まぁ本人がどういうつもりで言っているかは最後までわからない人だったので,たぶん国民をを馬鹿にして言っていたのでは無いのだろうと,思います。ただし最後まで何言ってるのかわからない人で,そういう人が国のトップになるとどうなるか?…という9ヶ月だったなぁ。

私は民主党政権が誕生したときから,不安だ…と書いていたので,今回の辞任も全然残念ではありません。まぁでも民主党から次の首相が産まれるのもたぶん間違い無いので,まだまだ不安は残ります。

鳩山さんが首相になってからの政権の政策は,私には賛同しかねていたのでネットで徐々に強まっていった鳩山さんへの批判は,特に反発無くみてたのですが,昨日の辞任発表後にネットを見ると,案外鳩山さんの辞任自体に反感を持ってる人も多く,ヘー,と思いました。まぁその辺は人それぞれだから良いのですが,その中にあった,結果を出す前にメディアがつぶしてしまった,とかネガティブことばかりをぶつけるという意見は… 麻生さんのときとまったく同じなので,麻生さんの時もそういっていたのならともかく,今回だけそういうのであれば,それは別のバイアスがかかっている意見じゃないかな?とはおもいます。

去年の衆院選挙で民主党に入れた人は,民主党に期待したのか自民が嫌だったのか分かりませんが,わたしは当時の日記に書いたとおり,政権交代はあったほうがいいと思うものの,当時から民主党に不安を感じてましたし,結局はその予感は的中しております。また,政権交代に無条件に期待しても,かっての細川政権の時の様に,ただ失望で終わるのでは 無いか?という不安を持ってましたが,なんとなく似たような感じになってきたなぁとも思ってます。そういえば細川さんも,お坊ちゃん,本人が無頓着だったお金の問題,無茶な政策を掲げて撤回する…という意味では,本当に同じようなことになったなぁと思います。しかも後ろにいたのはどちらも小沢さんだし。だとすると次の首相は羽田さんみたいになるのかしら?:-p。

というわけで,参院選挙に向けての首相交代ですが,選挙は,どうなるか良くわかりません。今の民主で批判されていたのは鳩山さんと小沢さんなので,その二人が辞任したことで国民(マスコミ?)の揚げ足はだいぶ和らぐかもしれません。また,自民の方も体制がまだ整っていなくて華がある看板もいないので,いまひとつ何やってるのか良くわかりません。なかなか状況的に判断が難しいなぁとも思います。
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