夏休みに帰省して親の顔を見てから書こうと思っていた不確認高齢者の件。帰ってきたので,少し書きます。
人を犯罪者扱いするな…と言われそうですが,親が死んでいるのに年金を受け取っていた…という子供らは詐欺だと思うし,死んでいないにしても,どこにいるかわからないという状態でやっぱり年金を受け取っていたという家族も,それに準じるとわたしは思ってます。
100歳以上で自治体が行方を確認できないという人が数十人いるのであれば,65歳以上とか考えたらその数倍…いや,千人以上いるかもしれません。本当にいないのに家族がやっぱり数年以上続けて年金を受け取っていたら,やっぱりおかしなことでしょう。
ただ,ふと思ったのが,今回の確認できない高齢者の家族で年金とか福祉サービスを受け取っていない人もいるんではないだろうか?ということ。いたとした場合,その人は年金目当てじゃなくて,ただ失踪届けや死亡届を出していないだけで,その責任は誰が負うんだろうか?ということです。
TVのインタビューに家族(子供)が親(高齢者)と仲たがいして,その結果高齢者が家を出て行ってそのまま10数年…という話がありました。親が行方不明になって捜索願も失踪届けも出さないのか?とか,とも思いますが,一方でそういう人もいるだろうな…と思います。
親子でぶつかるというと,若い子供と中年壮年の親というイメージがまず先行しますが,こじれたら結構大変なのはむしろ高齢者の親と中年壮年老年の子供の方だろうな…とも思います。というのは,こうなってくるとむしろ親の方が保護されるのですが,親ということもあり子供のいうことを今更聞かない場合も多い,人間関係というのは,そう簡単に切り替わるものではないだろうと思うのです。また伝統的なイメージでは歳をとると無欲になり人が良くなるというものが強いですが,実際は人間は歳をとるとあくが強くなる人も結構多い様に思います。根がいい人はかえってよくなるかも知れませんが,若い時代に抑圧されていた,どこか悪いところが表層化してくる場合も多い様に思います。歳をとり社会的にリタイアすると出世や組織のために遠慮をする必要が無くなる場合もあるでしょうし,そうではなく,寿命が近くなり精神的にも身体的にも,いろいろ我慢するのが嫌になるというのもあるかもしれません。また,もしかしたら脳の機能的にそういう部分が低下するとかもあるかもしれません。老人じゃなくても歳をとるとあくが強くなる人は中年くらいから結構強くなる気もします。
そういう社会性が低下し,それなのに保護をするのはかって自分が保護していた子供という関係であれば,こじれると,いい親子関係を築けず,手を焼く人…になってしまっているかもしれません。
そういう中,仲たがいして親が子の元を去ってしまったら,「あぁ助かった」と思う子供がいても不思議はありません。まともな感覚なら,自分が知らないところでよそ様に迷惑をかけてないか…とか,それで自分にとばっちりがこないかとか心配するのでしょうが,そういう最悪な事態から目を背けて…という人もいるかもしれません。案外人は最悪な事態を考えないようにして,「なんとなく世の中自分に都合がいいように回っていたらいいな」と思っている人は多い様に思います。
…
わたしは高齢者に比較的きつい考え方をしますが,それはその分保護者たる子供がある程度の責任を負うべきだと思っているからです。だからと言って老人虐待がいいとは思ってなくて,不自由を強いる代わりに,きちんと最後まで面倒を見るべきだとも思います。そして出来れば,高齢者自身もそれを自覚して欲しいと思います。
昔は極楽に行くために善行して欲しいとも言えたのかもしれませんが,今は,そういうことを言う坊さんもいないし,子供から親にそういうことは言えません。ただ自分も含めてそれは真実だとも思います。死後に行き続けるというのは,遺族の記憶の中に…ってことなので,いい思い出を残せないということは成仏できないということです。また子供の方も親を大事にして無いと,自分が老人になった時に,自分も子供に同じように扱われてしまいます。
親の失踪から目を背けて捜索しなかった子供らは,自分が高齢者になった時にどうするんだろうな?とも思います。そういう人がいても不思議じゃないとは思いますが,それがいいことだとは思いません。
今回も実家の親を観て,いろいろと頭が痛いこともありましたが,これも向かい合わないといけないことだとあらためて思いました。
人を犯罪者扱いするな…と言われそうですが,親が死んでいるのに年金を受け取っていた…という子供らは詐欺だと思うし,死んでいないにしても,どこにいるかわからないという状態でやっぱり年金を受け取っていたという家族も,それに準じるとわたしは思ってます。
100歳以上で自治体が行方を確認できないという人が数十人いるのであれば,65歳以上とか考えたらその数倍…いや,千人以上いるかもしれません。本当にいないのに家族がやっぱり数年以上続けて年金を受け取っていたら,やっぱりおかしなことでしょう。
ただ,ふと思ったのが,今回の確認できない高齢者の家族で年金とか福祉サービスを受け取っていない人もいるんではないだろうか?ということ。いたとした場合,その人は年金目当てじゃなくて,ただ失踪届けや死亡届を出していないだけで,その責任は誰が負うんだろうか?ということです。
TVのインタビューに家族(子供)が親(高齢者)と仲たがいして,その結果高齢者が家を出て行ってそのまま10数年…という話がありました。親が行方不明になって捜索願も失踪届けも出さないのか?とか,とも思いますが,一方でそういう人もいるだろうな…と思います。
親子でぶつかるというと,若い子供と中年壮年の親というイメージがまず先行しますが,こじれたら結構大変なのはむしろ高齢者の親と中年壮年老年の子供の方だろうな…とも思います。というのは,こうなってくるとむしろ親の方が保護されるのですが,親ということもあり子供のいうことを今更聞かない場合も多い,人間関係というのは,そう簡単に切り替わるものではないだろうと思うのです。また伝統的なイメージでは歳をとると無欲になり人が良くなるというものが強いですが,実際は人間は歳をとるとあくが強くなる人も結構多い様に思います。根がいい人はかえってよくなるかも知れませんが,若い時代に抑圧されていた,どこか悪いところが表層化してくる場合も多い様に思います。歳をとり社会的にリタイアすると出世や組織のために遠慮をする必要が無くなる場合もあるでしょうし,そうではなく,寿命が近くなり精神的にも身体的にも,いろいろ我慢するのが嫌になるというのもあるかもしれません。また,もしかしたら脳の機能的にそういう部分が低下するとかもあるかもしれません。老人じゃなくても歳をとるとあくが強くなる人は中年くらいから結構強くなる気もします。
そういう社会性が低下し,それなのに保護をするのはかって自分が保護していた子供という関係であれば,こじれると,いい親子関係を築けず,手を焼く人…になってしまっているかもしれません。
そういう中,仲たがいして親が子の元を去ってしまったら,「あぁ助かった」と思う子供がいても不思議はありません。まともな感覚なら,自分が知らないところでよそ様に迷惑をかけてないか…とか,それで自分にとばっちりがこないかとか心配するのでしょうが,そういう最悪な事態から目を背けて…という人もいるかもしれません。案外人は最悪な事態を考えないようにして,「なんとなく世の中自分に都合がいいように回っていたらいいな」と思っている人は多い様に思います。
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わたしは高齢者に比較的きつい考え方をしますが,それはその分保護者たる子供がある程度の責任を負うべきだと思っているからです。だからと言って老人虐待がいいとは思ってなくて,不自由を強いる代わりに,きちんと最後まで面倒を見るべきだとも思います。そして出来れば,高齢者自身もそれを自覚して欲しいと思います。
昔は極楽に行くために善行して欲しいとも言えたのかもしれませんが,今は,そういうことを言う坊さんもいないし,子供から親にそういうことは言えません。ただ自分も含めてそれは真実だとも思います。死後に行き続けるというのは,遺族の記憶の中に…ってことなので,いい思い出を残せないということは成仏できないということです。また子供の方も親を大事にして無いと,自分が老人になった時に,自分も子供に同じように扱われてしまいます。
親の失踪から目を背けて捜索しなかった子供らは,自分が高齢者になった時にどうするんだろうな?とも思います。そういう人がいても不思議じゃないとは思いますが,それがいいことだとは思いません。
今回も実家の親を観て,いろいろと頭が痛いこともありましたが,これも向かい合わないといけないことだとあらためて思いました。