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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

義務教育が機能して無い?

2010-10-14 07:26:50 | 社会
新聞で「生活保護世帯の子に進学支援拡大」って表題を見てどういう話だろう?と思ったら,自治体が中学生に無料の学習教室を開催したりする…という話だった。

いい話のようで,根本的なところで「?」が頭をよぎる。冒頭の「低所得や家庭環境が原因で子どもが教育機会を失い」という文を読むと,日本には義務教育が無いのか?とか,初等,中等教育にお金がかかるのか?という風に読めてしまうんではないか?。最初高校生とか大学受験の話か?と思ったら中学生なので義務教育の話。義務教育って社会にでて必要な最低限の知識や学力がつくようにあるのか?と思っていたのですが,どうもそうじゃないってことなんだろうか?。…っていうのは皮肉で実際大学になっても,分数の計算も満足に出来ない人がいるので,それって貧困のせいなのか?:-p。

いや,もちろん分かって書いてるのですが,やっぱり変だなと思うのは,つまり貧困な人が教育機会を失うというのが本当であるのであれば,日本の義務教育が機能して無いということでは無いのだろうか?。そしてその解消が国ではなくて自治体の施策に頼るのであれば,国は教育を放棄してるってことではないか?。いやつまり憲法違反じゃないのか?という事。

もちろん現実問題として,すべての生徒をフォローのが困難だとか,その際に落ちこぼれと進んでいる人とどっちにあわせるべきか?とか学力以外に教えるべきこととか,義務教育の問題がいろいろ難しいのはわかるのですが。

低学歴が自立の壁になるというのであれば,高学歴が自立には必要ってことなんでしょうか?。最近は高学歴ワーキングプアという言葉もあるんですが。

というわけで,教育に行政が力を入れるのはいいことだと思うものの,どうも,根本的なところでの姿勢が変じゃないか?という気がしました。ただ教育機会を与えればよくて,その内容がおかしくなってるって所から目をそらしてるんじゃないか?という気もします。進学こそが教育という考えは受験勉強だけを子供に強いることになり,実学の教育を教える機会がむしろ減る気もします。自立のために高学歴にするという考えもあるのならば,逆に低学歴でも充分に社会に役に立つ教育をするという考え方もあるかとは思うんですが。
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家庭の事情と個人情報

2010-10-08 01:26:02 | 社会
アメリカ在住の人(日本人)と話した話。

その人は,日本の企業が社員に健康診断を受けるということを,会社として実施すること,また会社が社員に「健康状態」とか「家庭の事情」を報告することを要求する経験を,かって日本にいたときやっていて,それって個人情報なのに…と違和感を感じたそうです。

あまりそういうことに違和感を感じてなかったのですが,なるほどと思って,そういえばとも思います。

すべての会社がそうだとは思いませんが,日本の場合企業が社員に健康診断を受けさせるというのは,例えばお金を出して勝手に受けて来い,じゃなくて,大会社だったら会社に医療スタッフを呼んで,そうでなかったらどこかの診断施設をまとめて予約して日程を指定して,社員に受けさせるんでしょう。その結果は本人にはもちろん返ってきますが,普通に考えると会社が見ることもできそうです。実際に観てるかどうかはわかりませんが,少なくとも「見て無い」と言い張ることは難しいそうです。

家庭の事情を報告するというのは,これも会社によるかもしれませんが,人事に提出する資料にそういうことを自己申告する欄があったりするという意味です。ここで例えば「子供が転校できないので,異動の際は単身赴任を希望する」とか,さらに「介護してるので転勤はできません」とか書くことが可能です。もちろん,そういう事情があっても書かないという
手はあります。

そういうのは個人情報だ…というのはごもっともですが,日本の場合,社員がそう書いても抵抗が無いのは,多分,そう書くことによって,何か考慮をしてくれるというのを期待しているからでしょう。実際に,単身赴任になるとか,転勤を拒否するというのは(ペナルティが無いわけではありませんが)考慮してくれるケースが多い様に思います。

ちなみに自分の場合,例のガンの手術をやった後,人事資料にそのことを書こうか悩みましたが,直接の上長と相談して,健康状態を「普通」ぐらいにした記憶があります。実際は異動があったら耐えられなかったのですが,上長がその辺はうまくやりくりして,実際の人事記録としてその辺は残ってないことになってます。もっとも会社の健康診断でガンが見つかってるので,会社の人事ラインがそれを把握していたかは分かりませんし,実際昇格にずいぶん苦労したのも,健康問題では無いか?といわれていたりしてるので,やっぱりわたしの健康状態を考慮した人っていうのは結構いたのでしょう。

つまり,ガンなので異動はしなくて済んだんだけど,昇格は遅れたとも取れます(もちろんこれは思い込みで,単に仕事が出来なかったから…かも知れません。)。これを自分の健康を考慮してくれた…ととるか,余計なお世話と取るかは多分人次第で,ですから,強制的に健康情報を会社が把握するのはどうよ?…ってことになります。家庭の事情も同じ。

アメリカの場合は,これらの個人情報を会社が把握することは無くて,その代わり,異動を社員が拒否したらクビになっても仕方が無い…ってことになるわけです。子供の学校とか健康状態とか,そんなの会社は知らないってことです。その代わりといってはなんですが,アメリカは転職が当たり前の国ですから,じゃぁ別の条件にあった仕事を探すか…というようになるわけです。

さて,まぁわたしの感覚では,アメリカ方式をいきなり日本にもってくるのは転職事情のことから無理があって,だから会社が社員の個人情報を考慮するというのは,かなりメリットもあると思ってます。ただ健康状態や家庭状況の考慮は明文化したルールになりにくい(大雑把には病休とかの規定はあります)ので,どこまで考慮されたのか,それとも上司が勝手にいろいろやってしまったのか?が分かりにくいので,トラブルの元や会社への不信へつながる可能性はあるよなぁ…と思いました。

日本はおそらく,社員を家族の様に扱う…という文化がまだ残っているのだと思います。ただこういう状況は就職難とか正規社員の減少ということを考えると,だんだん薄れているようにも思います。個人情報は会社が把握してるけど,社員を家族の様に扱ってくれない…ということになってくるとメリットの方だけが無くなっていく…という気もして,そういう方向に進んでないよね?とか思いました。

あと,多分会社が社員の健康状態を把握するのは,労災(健康)の回避とかもあるんでしょうけど,多分アメリカは,働きすぎで社員が死ぬとか…あまりなんだろうなぁ,とかとも思いました。

どっちがいいですかね?
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俺ルール

2010-09-29 23:36:41 | 社会
天に唾を吐くような話だけど書きます。

世の中にはルールがあるのにいっこうに守られてないものが結構あるように思います。ルールがあっても,まるで自分で「守らなくていい」と判断して対応してるもの。おかしな話です。

一番そう思うのが,携帯電話と自転車のルールです。

携帯電話で全然守られてないと思うのは,一番は電車で「電源を切れ」と言われているところでの電源のオフ。これについてはわたし自身も偉そうなことを言えず,切り忘れたり,わざと切らなかったりすることが多々あります。先日関西に行ったときに車両ごと携帯電話OFFというのがあって,乗った瞬間に,しまったなぁ…と思いました。

なんで守らないか?というと,一つは面倒というのでしょうけど,あと,なんでOFFにしなくてはいけないか…が,あまり実感がない。携帯電話が世の中に出てきたころは,電磁波でペースメーカが誤動作する…と言われてましたが,いまのペースメーカもそうなんでしょうか?。ペースメーカの方が電磁波対策出来てるという話も聞かないでもありません。仮にペースメーカに問題があるとしたら,人が周りにいないときならOKですか?ということになります。

いや,これって良くない考え方で,いいわけでしか無いというのはわかるのですが…。

携帯電話についてはいろいろ過渡的な要素があり,将来的には,電車での使用って大丈夫になるんじゃないか?と思ったりもしますが,一方で明らかに危険なのが,車の運転,自転車の運転,また徒歩時の電話機の操作。これは危ないし,やる人がどんどん増えている気がします。車はともかく自転車は免許がないし,徒歩は罰則がありません。なかなか守らせるのが難しいと思います。

自転車に話が移りましたが,自転車はルールを守って無い人がかなり多いように思います。そもそも歩道を走るのに,歩行者がいてもちゃんと止まれない…という人が多いです。以前も書きましたが,自転車って一回はちゃんと訓練したらどうでしょうか?。

というわけで,携帯で自転車って取り締まるべきでは?と思うわけですが,やってる人達は違反してる意識があるのか?というのが気になります。しかも自転車の腕前がいい人がやるならともかく,みんながやるからか,下手な人もやってます。事故が増えてると思うのですが,警察は携帯電話で起きた自転車事故ととか数を公表してはいかがでしょうか?。自転車も携帯も,最近ユーザが増えたものなので,この状態で安定する感じがせず,ますます危険度が増すのではないか?と,危惧します。

こういう守れない法律って,なんとかならないのか?と思います。みなさん,守らなくていいと本気で思ってるんでしょうか?。その根拠はなんなんでしょうか?。少なくとも法律違反をしていて,事故を起こしたら過失は自分に100%来てしまいます。
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エクスキューズと批判

2010-09-21 21:20:02 | 社会
「学校の教育が不十分」と題された記事をネットでをみました。またモンペか?と思ってよく読むと,親に対して学校の教育が充分か?と聞いているのと,親として充分か?というのを聞いて,大半が充分ではないと答えたという記事の様です。

「(学校・親として)の教育が充分か?」と問われれば,親は,大半は不十分だと答えるのではないか?

これは別に学校に不満を感じるというわけではなく,親としてまだ子供にしてあげられる事,してあげるべき事があるんではないか?と思えばこういう回答になります。つまり親として自信が無いことに対してこういう回答が出るわけです。親として自信が無い親が学校に対しては充分だと思うかというと,やっぱり「これでいいのかな?」という意味で不十分とこたえる気がします。

もちろん親はもっと自分に自信を持ってもいい,今の親としての教育で充分だと思えばいいという考えかも出来ますが,自信が無い親の気持ちも分かります。

で,あれば,この記事のタイトルは少し不適切な気がします。こういうタイトルはあたかも教育行政への批判の様に受け取れますが,実際は親が「もっと自分も学校も子供に何かやるべきことがないか?」と思ってる状態ですから。

さてそうは書きましたが,実際は自虐的な態度だけじゃなくて,学校を批判する親も多いかもしれません。それは親としては何かしてあげたいという思い,もしくは何もしなかったとあとで後悔したくないという思いからやってるのかもしれません。文句をいっておけば言い訳になるし,もっと良くなるだろうという思いでしょう。

でも実際は親がそれぞれバラバラに学校に文句をいうと,現場は混乱するし,親が学校に文句をいうと,子供は学校を信頼しなくなるし,ということで悪いことも多い気がします。なにかしてあげたいと思うのは気持ちは分かりますが,文句をいうと良くなることばかりではない…,ということも知っておくべきではないでしょうか。
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寄付を集めるための物語

2010-09-19 20:42:06 | 社会
WIREDにあった寄付は統計的な数字より,特定の人の事情を説明したほうが集まるという話。当たり前じゃん,というのが感想。

内容はある災害で人が何人死んだとか,被害総額がどれくらいだとかそういう数字を並べるよりも,だれか特定の被害者でもいいので取りあげて,その人の家族の話とか,生活っぷりとかをドラマ仕立てで報道したほうが寄付があつまる…というようなことらしい。

「慈善行為というものが、つまるところは人間の同情心に根ざしたものであり、論理的かつ実利的な計算に基づくものではないから」と書いてあるが,その通り。実際は困った人を助けるという風潮が形成されれば,自分が困ったときも助けてもらえる可能性が上がるという論理的な思考から慈善行動をすることは可能だし,そういうこともあるのだけど,そうじゃなくて単純にその人の「状況」に同情して寄付をすることの方が多いんだと思います。

記事は論理的な人の方はその人の状況を知っても寄付額が上がらないと書いてるけど,論理的な人ってどうやったらわかるんだろうという気はする。それよりその人の状況を知ると寄付額が上がるというのは,要は,人は他人よりも知り合いの方が,家族の方が,より同情と助け船は大きくなるということだと思う。これは人を助けるときに優先順位をつけることであり,それは身近な人,つまり遺伝子の近いの方を助けるという進化論には合理的な行動だと思うけど。

さて,それはそれでいいとして,ちょっと悩ましいのが,こういう人間の性質からいうと,時々見かける「ある困っている人」について,TVとかのメディアで人となりから取りあげて,お涙を頂戴するというのは,個人的にはあまり好きじゃないのだけど,困ってる人からすると,戦略的に有効である場合が多いということになる。だからメディアが視聴率を稼ぐために煽るのと困った人というのは利害が一致してる。かつ,メディアを観て寄付をする人も,それですっきりするのだから,みんなが利害が一致していて,いい事尽くめじゃないか,という気も一見する。

でも,なんかこういうのって割り切れないんですよね。何故割り切れないかというと,多分上にある論理的な思考で考えると,本当に困っている人は他にいるんじゃないか?というのが頭に過ぎってしまうからかな。それとも論理的な思考自体を止められていることに,なにかしら不安感を得るから?だろうか。

まぁよく分からないけど,そもそも人はほとんどが「物語」を元に行動してるもんだと思う。だから別にもとの気の内容には,そんなに驚くべきことはないと思いました。
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Twitter

2010-09-14 05:50:12 | 社会
ちょっとTwitterについて,幾つか思うところを簡単にメモ。つぶやき風に短文で書く:-)。

わたしは有名人とか企業の担当者が結構書いていて,その声が読めるから読んでいる。

そういう意味ではコミュニケーションツールというよりメディア。

有名人や企業が書くのは,つぶやき(140字)という書きやすさと,フォロアーという読んでいる人の数がわかりやすいというシステムから,ブログやホームページに比べ,書く意欲が湧きやすいからか?

わたしは基本的にはリードオンリーのつもりだが,なにもないと失礼かな?と思い,簡単に機械的なつぶやきをしている。

タイムラインが物凄い勢いで流れるので,付きっきりになれる人と,なれない人で,多分格差が産まれてる。文章力とかネタの豊富さよりそっちの方が大きい気がする。

有名人のつぶやきに対して意見が直接言える,というのが一般ユーザには魅力なのかも知れない。2chにはなかった仕掛けだし,ブログも有名人はコメントを塞ぐ人が多かったので,これもTwitterの仕掛けといえる。

端からみてると,無視スリャいいのに…というコメントに,反応してる人が結構多い。

ブログはコメント開けておいて,無視すると炎上するけど,twitterはどうかね?。

みんなが自分のところに書くというスタイルなので,他の人のところを炎上させるのは出来ないと思うんだけど。

きちんと反応する人の方が第三者からみても好感度が高いのはブログとかも同じだけど。

メイルと違い特定の相手を狙ってメッセージを投げにくいし,読んだかどうかもわかりにくい。詳しく突っ込んだ議論がしにくいという意味では,
深いコミュニケーションがとりにくいシステムだけど,根付くのかな。
文章が短いのは読みやすいという利点はある。コピーみたいなもの。
書く方も書きやすい。ただし正確にはなってないよなとも思う。
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スキャンダルと政治

2010-09-12 09:44:33 | 社会
正論というのは,論理的には正しいことを指すのでしょうが,それをいつ言い出すか?というのは,決してフェアではなく,言い出し手の立場や感情とかに影響されてるんじゃないの?という気がします。

というわけで,日本の政治がスキャンダルに弱くて,それでダメになっているという話。最近急に少々のスキャンダルで優秀な政治家を退陣させるのは良くないのでは?。日本人は清廉潔白すぎる…みたいな話を良く聞きます。

それはそうだよな,とはずっと前から思ってます。でもなぜ1年前にはそれを言わず,今言い出すのかね?とも思います。

正論を急にかざし出すというと,急に国会で議論をすべき,審議拒否はすべきじゃない…とか言い出す人もいますが,それもなんで今言うかね?…とも思います。

それをこのタイミングで言うと,まずは現政権を守りたいという立場があって,その為に正論を吐いているだけ…という風に見えます。それは正しい意見であっても,フェアじゃありません。

とはいえ,再度書くとスキャンダルに敏感すぎるのはちょっと良くないです。というか,今のスキャンダルに比べれば,麻生さんが漢字読めないとか,どこがスキャンダルなんでしょう。振り替ると,麻生さんはスキャンダルらしいスキャンダルすらなくて,ただ意味なく批判されていたようにも思います。どこがスキャンダルだったか。

一方で首相の寿命が短いといいますが,その中で長かった小泉さん。小泉さんにスキャンダルがなかったかというと,まぁ年金の話とか(瑣末だけど),最初の田中真紀子がらみとか,なかったわけでもありません。だけど,小泉さんはそれをスキャンダルに発展させなかった。だとすれば,必ずしも世論やメディアだけの問題じゃないのかも知れません。政治家もうまくやれば,スキャンダルに影響されない政治が出来るのかも知れません。そういう意味ではなぜ小泉さんは潰されなかったかを,良く再検討してみても良いでしょう。

ちょっと思うのは,鳩山さんも菅さんと違い小沢さんは案外スキャンダルに強いかも知れないな…と思います。ただ,わたしは小沢さんの言ってることは理解できない,賛同できないので,支持はしてません。

話を戻すと,そういうわけで,今更スキャンダルに弱いのが問題とか言うなよ…という話,でもそれでもスキャンダルに強い政治家も,今後出てくるんだろうな…ということ。ただし今の政治家の中に,その片鱗を感じさせる人は,あまりいません。
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量刑

2010-09-09 00:28:01 | 社会
早稲田の生徒が東浩紀のテストをカンニングしたとツィートしたという話が,ちょっと今ネットで話題です。

当初この話を読んだとき,あぁ早稲田もバカな生徒がいるなぁとか,以前mixiやブログで自らの犯罪行為を書いてしまって,通報されたり捕まった奴がいたよなぁ…とかそんなことを思いました。

今,書いた本人がどう思っているか?はこのツィートからは良くわからないのですが,書いたときは軽い気持ちで書いたんだろうな…と思います。軽い気持ちというのは,カンニングをしたこと自体の罪を軽く思ってるっていうのと,そういうことをTwitterに書いてしまうことを軽く思ってるのと多分両方でしょう。ネットに書いたらばれると思ってなくて…という「軽さ」はmixiやブログに犯罪行為を書いてしまう軽さと同じようなものでしょう。これはネットリテラシィが低いというか,ネットに書くということが,社会に大きく公言してしまうということが分かってない,ネットで内緒話をすることは可能だけど,それはいろいろと気をつけないと難しい…ということが分かってないことだと思います。

一方でその罪自体を軽く見積もってる,ばれてこんなに大騒ぎになると思ってなかった,もしくはばれること自体を考えてその行為を行ってなかったということもある様に思います。この出来事の前に,万引きで捕まった中学生が親が弁償すれば済むと思っていたというニュースを読みました。これも愚かな中学生で一度しっかり怒られるべき…と思いますが,これらの罪の重さを見誤っている子供ら…みると,人というのはそもそも量刑など分からないものなのだなと思います。

思い出してみたら,自分も子供の頃に思っていた行為に対する罪の重さって今と全然ってました。わたしの場合,どちらかというと,罪を重く見積もっていた,大人になったらたいしたことじゃなかったってことの方が多かったような気がします。そもそも「人を何故殺したらいけないのか?」という質問が子供から定番の様に出てくるのに表されているように,大人だったら誰でも分かるような罪でも教えられなければ分からないものなのでしょう。というか,大人でも合意が取れてない量刑なんて当たり前の様にあって,だから裁判が行われるわけです。

なので若者が悪いことと分からずに罪を犯すことなんて多分昔から良くあって,でもそれが今の時代増えているのであれば,それはそういう事を教える機会が減ってるからでは?という気がします。

グダグダ書いたけど,書きたかったのは,普通の大人から見たら,誰でも分かる違法行為だけど,そんなことも教えないと分からないということ。もしわからない人が増えてるなら,教える機会が減ってるんだろうなということです。
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学閥

2010-09-07 21:50:34 | 社会
弾さんが学校に誰でも入れるようにすると誰が困るか?というのを書いてるのを読んで。

弾さんは「学校にブランドを期待する人々」と書いてますが,わたしは違う意見です。弾さんはあまり実感がないかもしれませんが,学校というのはブランドではなくて,社交界だと思うんですよ。少なくとも東京の五本の指に入るような有名大学とか,あと地方とかでも伝統のある名門大学,または地方によっては高校(のOB会)ですら社交界であるところがあります。

この社交界の事を一般には学閥と言います。ブランドと違うのは,ブランドは外から見たもの,学閥は中から見たものということです。

確かに出身校によって就職が有利とかあれば,それはブランドです。ですが,実際はそういうことよりも同じ大学出身者同士が,業界が違っていたり会社が違っていたりしても,妙な同族意識があって,お互いが助け合ったりすることが結構あります。以前は学閥というと省庁内とか企業内という印象が強かったんですが,実際には社外とかでもあるように思います。実際政界とかでもありますよね。某大学出身者が妙にウマがあってるとか。

こういうのは露骨な贔屓というものから,単に出身校を言って,相手と一緒だと,初対面でも話が弾むというキッカケに過ぎないものまであります。でも,そういうキッカケすらつかめない人からすると,そういうのって凄いアドバンテージなんだと思います。

ただこういう社交界的な機能を果たす学校というのは,一部の学校なのだけかも知れません。だからこそそれは社交界であり,結構な機能を持ってるんじゃないか?という気はします。
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ベビーカーの迷惑

2010-08-30 22:53:34 | 社会
当事者なんで書きづらいが書きます。ベビーカーで電車、3割が「迷惑」という話について。

確かにベビーカーで電車に乗る人は増えてると思います。ホームで良く見かけます。ただし大型化してるか?というと,ベビーカー自体は多分昔より小さくなってると思います。ただ,電車に乗ってくるサイズは大きくなってるのかも知れません。

3割しか迷惑に思ってない…という風にも取れますし,実際にバスにしても電車にしても,混んでなければ畳んで乗れ…とは言われません。バスはベビーカーの固定場所まで指定されている位です。混んでいれば畳んで乗るのは当然だと思いますが,問題は「混んでいる」というのがどこからか?というのが人によって違うだろうなぁということです。電車もガラガラで入り口あたりにも人が誰もいなかったら,ベビーカーを邪魔と思う人は少ないでしょうが,首都圏でそういう事は稀。一方ラッシュ時は誰がみても混んでいて,ベビーカーを広げて乗るのが非常識なのはわたしもそう思いますし,そもそも危ないのでやりません。

そういうわかりやすい状態じゃなくて,微妙なのが,人を押し退けはしないけど,どいてもらわないと乗れないとか,少しつめてもらえないと,ベビーカーに人が当るって程度。まぁでも電車に数人しか乗ってなくても,入り口に人が立っていれば,どいてもらえないと,乗れないわけで,乗り降り時に「すみません」と人を押し退けるのが,「混んでる」と言われてしまうと,これも困ってしまいます。いや,人間が乗るときだって人を押し退けないと入れないように入り口に立ってる人いるし。

…等といろいろ考えますが,多分どういう風に気を使っても,迷惑と思う人もいるし,逆に親の方も「ずうずうしく混んでても乗ってくる」人もいるでしょうな…ってことで,モラルに期待しても,トラブル自体は無くならないと思います。電車に一ヶ所ある車いす用の場所にも結構人が立っていて,ベビーカーとかが近づけないケースもよくあるし,マナー違反の人をネットで叩いても仕方ないと思います。

余談ですが,地方に行くと,自転車を畳まずに電車に載せるのを正式に許容している路線もあったりして,こういうのは「常識」というのが無いものだと思います。

じゃぁいっそのこと,ルールとして乗物に畳まないでベビーカーを乗り入れることを禁止…にするかというと,まぁ畳む事自体は不可能ではないけど,世知辛いなぁ…とは思います。これ自体が少子化の問題に直結してるとは思わないけど,やっぱり子供は社会の宝だとわたしは思うし,子供を連れた親の大変さは,多分やったこと無い人の想像を越えてると思うし。ベビーカーを載せるスペースがつくれるくらいの混み方なら,載せてもいいんじゃないですかねぇ。

ヨーロッパにいくと,子連れには非常に優しい社会になっていて,「これが普通なのか」とちょっと驚きます。西洋化がなんでもいいとは思わないけど,少子化問題については西洋の方がずっと先輩なのだし,見習うことも多いと思います。

まぁ最初に書いた通りわたしは当事者だから,自分に都合がいいように書いてるだけだろう…と言われると否定はできません。自分の子供が大人になっても,同じ意見を言い続けられるようにしたいとは思いますが。
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