日本の今の福祉政策が,年寄りに甘く,若者に厳しい…という論調が徐々に強まってきてます。かってわたしは「世代間対立って意外に表層化してないのは不思議」と日記に書いてますが,2009年時点ではむしろ後期高齢者医療制度は年寄りの切り捨てだとか,紅葉マークは年寄り差別だ…とかどこかの政党;-pが大騒ぎしてました。
昨日TVを見ていたら与謝野さんが出ていて,自分達の年代は逃げ切れるが,それでいいんだろうか?と思っていると言いました。たった二年で急激に世の中の意見が変わったような気もして,少しわたしは戸惑いを覚えます。
ネットは若い人が多いせいか,若い人が苦労して年寄りがいい生活をしてる…という意見は結構前からありました。でもやっぱり最近この手の意見が強まってきています。「あなたの老後の安心というのは、(中略)。もしかして生まれていたかも知れない、あなたの孫を奪ってまで得るべきものなのか、と。」と弾氏が書いてるのを読んで,ちょっとさすがにわたしは引いてしましました。
…というのは,もともとわたしも書いていたように,世代間の格差「感」みたいのはあるよな…とは思っています。わたしは年寄りは年寄りらしく暮せよ…と思っているので,お年寄を過度に保護したり,逆に若い人と同じ権利を与えることには疑問を感じてます(これだけ書くと誤解を受けそうですが,同じことをするのに余計にコストがかかるなら,とかいろいろ前提はあります)が,でも権利を奪うなら保護をしなければいけないとも思ってます。
若い人の仕事がなく,それで子供が増えないのは事実でしょうが,それが全て高齢者のせいみたいに言われると,ちょっと引っ掛かります。高齢者がいなくなると,若い人が豊かになるか?というとそれも疑問です。子供がもてないのは経済的な理由もありますし,子をもつより仕事を選ぶとか,育児で自由を奪われることに抵抗を感じるという考え方をする人もいるからではないでしょうか?。
それから,一般論としてお年寄りというと,若者からするとどこかの知らない人かもしれませんが,具体的に考えると自分の親だったりもします。年寄が裕福なのは,親がいる若者にとって,扶養者が減ってるということもできます。また一方で,年寄りは未来の自分でもあります。年寄にきつくいうのは,それを将来自分が受け入れる自信があるのか?ということでもあります。お年寄に増税し,子供達に再配分するのはいい効果があるかもしれませんが,結局お年寄りの面倒をその家族に押し付けるのであれば,子供手当ての様な策の無いばら撒きになる気がします。
もちろん世代間の問題に向き合うことはいいのでしょうが,要は問題を何か一つのことに起因すると断言することに危惧を感じるということです。
昨日TVを見ていたら与謝野さんが出ていて,自分達の年代は逃げ切れるが,それでいいんだろうか?と思っていると言いました。たった二年で急激に世の中の意見が変わったような気もして,少しわたしは戸惑いを覚えます。
ネットは若い人が多いせいか,若い人が苦労して年寄りがいい生活をしてる…という意見は結構前からありました。でもやっぱり最近この手の意見が強まってきています。「あなたの老後の安心というのは、(中略)。もしかして生まれていたかも知れない、あなたの孫を奪ってまで得るべきものなのか、と。」と弾氏が書いてるのを読んで,ちょっとさすがにわたしは引いてしましました。
…というのは,もともとわたしも書いていたように,世代間の格差「感」みたいのはあるよな…とは思っています。わたしは年寄りは年寄りらしく暮せよ…と思っているので,お年寄を過度に保護したり,逆に若い人と同じ権利を与えることには疑問を感じてます(これだけ書くと誤解を受けそうですが,同じことをするのに余計にコストがかかるなら,とかいろいろ前提はあります)が,でも権利を奪うなら保護をしなければいけないとも思ってます。
若い人の仕事がなく,それで子供が増えないのは事実でしょうが,それが全て高齢者のせいみたいに言われると,ちょっと引っ掛かります。高齢者がいなくなると,若い人が豊かになるか?というとそれも疑問です。子供がもてないのは経済的な理由もありますし,子をもつより仕事を選ぶとか,育児で自由を奪われることに抵抗を感じるという考え方をする人もいるからではないでしょうか?。
それから,一般論としてお年寄りというと,若者からするとどこかの知らない人かもしれませんが,具体的に考えると自分の親だったりもします。年寄が裕福なのは,親がいる若者にとって,扶養者が減ってるということもできます。また一方で,年寄りは未来の自分でもあります。年寄にきつくいうのは,それを将来自分が受け入れる自信があるのか?ということでもあります。お年寄に増税し,子供達に再配分するのはいい効果があるかもしれませんが,結局お年寄りの面倒をその家族に押し付けるのであれば,子供手当ての様な策の無いばら撒きになる気がします。
もちろん世代間の問題に向き合うことはいいのでしょうが,要は問題を何か一つのことに起因すると断言することに危惧を感じるということです。