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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

さり気に悪者にされているお年寄たち

2008-09-17 20:38:47 | 社会
マスメディアの行動原理というブログを読みました。書かれているのは要は,マスコミが総裁選や環境問題を取り上げるのは,これらを取り上げてもクレームを入れてくる人がいないので取り上げやすいからであり,別にそれが重要なニュースと思っているからってわけではないとのこと。
まぁそうかもしれません。重要性やマスコミの主張などあまり関係ないのでしょう。メディアで取り上げたら,翌日苦情の電話がかかってくるようなネタは,面倒だから取り上げたくないということのようです。あと他が取り上げてるから取り上げるということ。
まぁマスコミなんてそんなものでしょうか。
とはいえ,この文章,いくつか興味深いことが書いてあって,団塊の世代が退職して暇なのかクレーマーが増えたとか面白いです。やっぱり団塊の世代って厄介なんだなぁ。
大体,誰か敵を想定してそれを攻撃することが報道だと思ってるから,こういうことになるんではないかね?と思うのですが,教育関係や医療関係を叩いていたら,社会自体がひどいことになってきて,ますます誰を叩いていいかわからなくなったので,一番反撃を食らわない官僚を叩いているってことの様です。議員が官僚を叩くのも同じことなのかもしれません。
そもそも国民全員の敵なんていうのは,もういないのでしょう。そうなると何度も書いてますが,利害関係で敵と味方が決まります。なのでどちらかの肩を持つとどちらかから攻撃されます。最後に書いてある現在は「何の力も持たない若者と、既得権益を離さない高齢者である」というのはまさにそうだと思うのですが,そういう臭いがぷんぷんしながら,それを明に指摘するメディアはほとんどいません。
実際わたしとかも昨日か一昨日新しい総理に期待することと街頭インタビューでお年寄が「年寄が希望を持てること」とか言ってるのを見て,そのせいで若者が絶望に落とされているとしてもそういえるのか?と思ったりしましたが,そういうことをお年寄に明に言うメディアはいません。
とはいえ,実はこのお年寄がずうずうしく既得権益に乗っかってるというのも少しメディアのイメージ操作かな?と思ったりもしてます。実際どうなんでしょう?。いや,まじめに「あなたが死んだ後くらいに日本が崩壊してもいいと思いますか?」とか「老人が贅沢にくらせるけど,若者が失業するとか,教育を受けられないけどいい?」とか聞いてみてそれでもいいと答える人ってそんなにいるんですかね?。本当に天涯孤独な人はそれでいいと答えるのかもしれませんが,子供や孫や親戚がいる人がそう答えるのかな?という気はします。
TVでよくそういうお年寄の無責任な発言を取り上げますが,大体そういうのは聞き方が悪いんじゃないの?という気がします。そういう意味じゃ,マスコミは若者と年寄の対立を暗に作ろうとしてるのかもしれません。
あまり考えがまとまらないのですが,わたしはお年寄が本当に若者を食い物にしたいと思っているとは思えないのですが,お年寄と若者の間に国が入っているから,こういうことになってしまうようにも思います。世代間の経済的格差があるのであれば,それが上の世代から下の世代に移るときに,間に国が巻き上げて渡すというようなことではなく,もっと直接的な流れが見えれば,この辺の断絶感が減らないかな?,そうすれば,もっと世代間の意識の違いが減るというか,同じ危機感を共有できないかな?と少し思います。具体的にどうすればいいのかは良くわからないのですが。
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富を生み出す三つの方法

2008-08-25 21:27:15 | 社会
昨日書いた業田良家のロボット小雪というマンガに描いてあったこと。その中に印象的だったのは昨日書いたとおり,「富を生み出す三つの方法」ということ。それは,「地球から搾り取ること」,「人から搾り取ること」,「未来から搾り取ること」でした。これは,経済的に失敗して貧民街で暮らすキャラがしゃべって内容なので,この二番目は自分たち貧民層から金持ちが富を吸い取っているということを皮肉ってのセリフですが,三番目の未来というのは,つまり国の借金(国債や年金)のことを言ってます。
一番目の地球というのは資源や農作物のことを書いてますが,農作を始めたのが文明の始まりということから,つまり富というのは文明とともに生まれたのかもしれません。
さて,こういうことを今回書いたのは,以前日記に書いていたことがあると思いますが,わたしの疑問として,富というのは経済の格差が無いと生まれないのではないか?というのとこの三つは関係あるなということからです。
現代社会は豊かになることを経済的に豊かになることのように言っていて,それがいい事のように言ってますが,もし格差がないと豊かになれないのであれば,人間全部が豊かになることは出来ません。金儲けは経済的な偏りが発生したときに出来る…様な気がしてますが,そのときには必ず得をする人と損をする人がいて,つまり得をする人は,損をする人の富を吸い取っているだけのような気がします。もし誰かを不幸にしないと幸せになれないのであれば,それはいいことなのでしょうか?
皆で豊かになるというのは,皆が餓えない状態になることであれば,それはいいことですが,もし皆が餓えなく,さらに人生に満足していたら,お金を使わないので,誰かに余剰な富が集まることはありません。誰でも出来ることをするのは贅沢とは言いませんが,それもわれわれは,富という風に満足は出来るのでしょうか?
三つの方法の最初のひとつである地球は,もともとは大地の恵みであり,自給自足が出来ていれば,そこに人間間の富の隔たりは必ずしも生まれません。しかしそれだけでは,人は富と感じられなかったのではないでしょうか?。人と差があってこそ初めて富を自覚したのであれば,富を追求して人との差を作り,そしてさらに人から富を奪うことで富を実感したのかもしれません。
現在の文明国の富はどこから生み出されているのでしょう?。かっての植民地主義では宗主国が植民地から搾取してました。その後,先進国が発展途上国との富の差を利用して儲けているようにも思います。現代の日本は未来に対し多くの借金があります。そして,もうひとつ投資というのは,やっぱり誰かが損をする分を儲けてている気がします。
三つ以外の富を得る方法,特にどこからも奪うことなく豊かになる方法があったら,教えてほしいです。そしてもしないのであれば,豊かになることがそんなに良いことなのか?今一度誰か語ってくれないのかな?とも思います。
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ただ働きとボランティア

2008-07-09 22:34:43 | 社会
ちょっと前に三浦建太郎が「がくっぽいど」というソフトのパッケージをただで描いたとかいう話があって,なんか一部のネットで「プロがただで描いた」ということの批判があってました。なぜか同時期に女優の高樹沙耶さんがボランティアを募ったら批判されたという話もあって,どうも最近無償で働くことに対する批判がちらほら出るな…とか思うことがあります。
もっとも今回挙げた二つは,働いたことよりも,ただで働かせたほう,つまり無償で得た労働から儲けてる人たちを批判しているようにも見えましたが,働くほうもすこし批判されてるようも見えました。
だいぶ前にホワイトバンドが批判されたときも,善意の行動でお金儲けをしている人たちがいるって言うことで批判が出て,よくよく考えてみると,あの辺りで,すこしボランティア批判が出てきてるようにも思います。それ以前は逆に日本ではボランティアの意識が高まっているといわれていたので,その反動なのかもしれません。
最近はワーキングプアの問題もあり,働く人の収入が上がらないというので,ただで働く人がいると,食べるために働いている人の収入が向上しないということにもつながっているのかもしれません。それはそれでごもっともだなとも思うのですが,一方で善意で働くことを全否定するのもちょっとどうかな?と思うし,ボランティアでの労働を事業に結びつけることが,すべて悪だとも思ってないので,結局のところ,ボランティア賞賛も,ボランティア批判も,どちらも行き過ぎると引いてしまうというか。
人はわかりやすいシンボルが示されると,それで思考停止してしまうようですが,「ボランティア」と思っちゃうと,その内容を細かく精査しようとしないので,そちらの方が問題なのかもしれません。
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物価が上がれば,地価が下がったりしないだろうか?

2008-06-27 06:47:12 | 社会
経済の素人であるわたしが,ここしばらく漠然と思っていることが,表題。そんなこと無いんですかね?。
これも根拠レスなんですが,経済というのはバランスの様に思っていて,豊かさがあるのは,どこかに貧乏があるからの様な気がします。経済の変化自体が経済な気もしますが,それ以前に変化が緩やかなときも,格差があるから,豊かさがある。全員が豊かなのは,インフレとか経済成長のように,全体が成長しているときはありえるのでしょうが,それ以外はバブルだったり,未来から借金をしていたりとかじゃないでしょうか?。
日本が成長時に豊かだったのは,バブルだったとかいうのもあるでしょうけど,海外との格差が変化していた時代だったからって気もします。国内が全員豊かってことは,国外に貧しさがあるからではないでしょうか?。良く発展途上国の貧しさが問題になりますが,先進国の豊かさは途上国の貧しさの裏返しのような気もします。
で,表題。国政経済の話はちょっとおいておいて,日本国内の話。
日本はわたしが子供の頃(30年くらい前の田舎暮し)と今を比べると物価のバランスが大きく変わってます。昔は食べ物も高いというか,食べるものを買っていれば,親の給料は無くなってましたが,それ以上に,家電製品とかが物凄く高かったように思います。パソコンなんてありませんでしたが,ラジオやオーディオの様な趣味系電気製品も高かった。おもちゃもラジコンとか物凄く高かったと思います。ついでに書くと,レストランやファーストフードも高かったし,カップラーメンも高かったと思います。
昨今食品高騰が問題になってますが,おそらく収入に対してこれらの物価はずっと高かったのではないでしょうか?。良く,蕎麦が数円で食べられたとか,バスの初乗りが10円だったとか,いかにも昔の物価が安かったように言われますが,当時は給料も安かったので,結果的に衣食を満足させていたら,それだけでお金はなくなっていた気もします(もちろん想像)。
で,それから30年。もう小学生が携帯電話とかを持っていたりするのをみるとめまいがしますが,自費で携帯は無理でも,ゲーム機くらいは小遣いで買えたりします。カップラーメンが120円になったとか騒がれてますが,これも子供の小遣いで買えます。何だかんだいって物価は下がっている気がします。
じゃぁ全体的に物価が下がり,日本の経済は豊かになったのでしょうか?。どうでしょう?。この30年…40年?。物凄く値段が上がったものがあります。それは土地の値段です。わたしの親の世代は,真面目にサラリーマンをやっていれば,一戸建てが,そのうち買えました。今でも地方に行けば買えますが,都心では,10年分の年収でもおいそれとは買えません。衣食住のうち,「住」だけは上がってるように思います。衣食住はどれも人間が生きるには必要なものです。おもちゃや家電はなくても生きられますが,衣食住は何らかの形で必要で,必ず生きる経費として消費されます。
日本の数十年の物価の移り変わりを振り替ると,ものの値段の中で地価だけが物凄く上がり,他の値段は相対的に下がったように思います。もしかしたら,いま物価が上がり始めてますが,変わりに土地の値段は下がったりするのでしょうか?。
ふとそういうことを思いました。もっとも最初に書いた通り,海外との物価バランスの変化の方が大きい気がするので,日本全体の物価が上がるっていう可能性もあるのですが。
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凶悪犯罪から,なぜそうなる?

2008-06-19 22:36:49 | 社会
秋葉原の無差別殺傷事件から10日くらい過ぎました。TVは毎日この事件を取り上げ,ネットでもこの事件については,その背景についていろんなことを語る人がいるようですが,わたしは基本的に書けば脳髄反射の様になるような気がして,とりあえず,様子見をしてます。なので今も結構距離をおいてみてます。
さて,国や自治体としては,こういうインパクトの強い事件が起きて,「なにもしませんでした」というわけにもいかないのか,いろんなことを言い出してきてます。そういうのを観ていて,はぁ…そういう風になるんだ…と思うようなこともいくつかあるのでひとつ冷ややかに。一応お断りしておくと,わたしは被害にあった方には本当に気の毒だと思うし,もちろん他人事と思えないところもあります。また犯人については極刑に値するほど許しがたいと思ってます。でも一方で,この事件は誰でも被害を受ける可能性があるという点では特別ではないし,でも犯人像としては特殊だと思ってます。まぁそれについては後ほど。
出てきた対策?としてすでに実行されたのが「歩行者天国廃止」。一時か恒久的にかわかりませんが,まぁことの大きさからしばらく様子を見るのはありでしょう。ただ今回は交差点での犯行ですので歩行者天国というより「歩行者が多いところ」という場所が狙われたわけです。歩行者天国の有無はあまり本質的ではないかな?と。
次に「刃物保持の規制強化」。これは議論中か?。まぁこれも趣味で持ってる人には災難だけどしょうがないかな?と。ネットを観ると普段刃物を持ち歩いているのを正当化する意見とかあって「食べ物を切るため持ち歩いている」とかいう人もいたけど,そんなのプラスチックのナイフで良いじゃないとか思ってしまいます。大体刃物を持ち歩くのって,少し護身用とかそれを持つと強くなった気がするとかそういう部分がないといえますか?。
まぁでも一部の凶悪な人のためにまじめな人が不便な思いをするのがどうか?という意味では,確かにそうなんですが。まぁ武器って何かを規制しても本質的に犯罪を0にはできないので,銃みたいに大量殺傷武器ならともかく,刃物レベルまで規制するのが本当に犯罪防止になるのかは難しいかも。
次に「ネット書き込み監視強化」。これはいじめとかの問題もあるので,どうもすでに行われている気がします。むしろこれまで言論統制だと反対していたことに対して,監視への社会的合意が得やすくなってるという感じもします。
これは効果あるのかな?と思う反面,ばれないと思ってなんでも書く輩が多いので,監視通報逮捕という流れ自体は反対ではありません。まぁ逮捕後どういう罪になるか?とかそういうのは議論の余地があるかとは思いますが。
で,最後が「日雇い派遣禁止」。これはどうなんでしょう?。正直言って犯罪抑止に効果があるんでしょうか?という気がします。

あと,ちょっと危惧してるのが,この件について,犯人に同情する様な発言をする人をネットとかで見つけて驚きました。確かに犯人は派遣労働をしていたのかもしれないけど,そのことで今回の犯罪が正当化される余地など少しもないとわたしは思います。それとこれとは別ではないですか?。念のために書きますが,今回この事件がきっかけで何か労働や生活関係で政策が変わったとしても,犯人の声が届いたという形にしてはいけないと思います。こういう形で政府に声が届くとか思われてはいけないし,あの犯人を誰かの代表にしてはいけないと思います。
確かにオウムの事件が起きたときも,まるでオウムという団体について共感を覚えるような意見がありました。でも彼らに利するような政策はとられるべきじゃないしとられなかったと思います。宅間の事件のときはもちろんだれも共感しなかった。今回の犯人も彼のために同じ境遇の人が生活を向上して,結果的に彼のおかげ…という人が出てくることがいいのだろうか?と思います。
もちろんだからといって,じゃぁ犯罪者と同じような境遇の人が同じように犯罪者のように見られるのもよくないとも思います。同じような境遇の人が同じような犯罪を犯すわけではありません。そういう意味では,この犯人は特殊です。でも,世の中には予測不可能な形で犯罪を起こす可能性はたくさん落ちていて,そういう犯罪に自分が遭遇する可能性もあり,それは予測不可能なので避けることは難しいです。ですから,この犯罪者は特殊だけど,世の中に危険があるのはある意味一般的なことだと思います。
つまりいろいろ対策を講じるのはいいのですが,犯罪の手段を減らす意味での対策はいいとは思いますが,犯罪者を生み出さないようにする対策というのは,生活水準や教育という一般的なものならわかりますが,対象者を絞るようなやり方は的を得てないようにも思います。
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自分に返ってくるなら甘くしたらどうでしょう?

2008-06-14 07:36:43 | 社会
山口先生の「タクシー問題をどうにかするための10のアイデア」を読みました。ネタにマジレスで無粋なんですが,ちょっと反論。
というか,最初のサービス残業しろとか,朝まで職場にいろとか歩いて帰れとか,比較的公務員につらいことが書いてますが,逆にしたほうがよくないですかね?。実態として霞ヶ関の公務員が残業代をもらってるのかは知らないので勝手な言い分ですが。残業代はしっかりもらい,タクシーをバンバン使ってもらいましょう。民間でサービス残業してるからとか徹夜してるからとか公務員がそれを当たり前にしたら,今ちゃんと残業代がでてる民間まで出なくなりますよ。「それが当たり前だろ」といわれるようになってしまう。
公務員とは特殊だとは思いますが,公務員がいい思いをしてるなら,われわれも「公務員もやってるんだから」といい思いをすればいいのです。そんなことをしたら,会社がつぶれるって?。そんなことは経営者が心配すればいいのです。福利厚生だってマッサージチェアは会社が購入するものだとか,慰安旅行は会社が出すものだっていう風にしたほうが,絶対働いている人にはお得だと思うんだけどなぁ…なんで,みんな逆のことをやるんだろう。
もちろん,役所と国民の関係は国民のほうが出資者だから,経営というか株主的な感覚なんだろうけど,でも,労働者に厳しい風潮を作れば,結局は自分に回ってくると思うけど。
まぁ,半分くらい冗談なんだけど,他人に厳しくすると自分に返ってくるっていうのは,そうじゃないのかな?と思ったりはします。世の中グレーゾーンで恩恵をこうむっていることってある様に思うんだけど,世の中もう少しゆるーい方がいいんじゃない?とちょっと思ったりもしてます。
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自殺という病気

2008-05-29 20:17:25 | 社会
最近自殺のニュースが結構多くて,特に有名人や子供が自殺するとわりと取り上げられ,その後いろいろ語られることも多い様に思います。とはいえ,そのニュースとかで語れる様な,自殺した人の事情の考察には,わたしはあまり興味が持てません。ただ,そういう事情には興味がないのですが,語られ方としてちょっと気になることがあります。
というのはどうも自殺というのは,今の社会(日本以外はしりませんが)では,自殺した人が自分の意思で死んだもの…と見られている様に感じます。でも,わたしは自殺の中には結構「病気としての自殺」もあるように思います。そういう言い方はあまりされてませんよね?。わたしは自殺には病気のものも多い,つまり死んだ本人は意思ではなく,病気として死んだのだから,死んだ理由にはあまり興味がないのです。でも,どうして病気になったのかは興味があります。一方で,病気とみなさない社会は自殺を死んだ人の自己責任,もしくは他人事,として片付けてる感じがしますが,病気だったら本人の責任は減るし,われわれにも関係があるかもしれません。
自殺を引き起こす病気としては鬱病が代表的ですが,そもそも日本は鬱病すら病気とみなしていないような感じもします。これもどうかね?,と思います。
一方で,最近はウエストが85cm超えたぐらいで病気予備軍として,いろいろ治療や検査までしてくれるという手厚い行政ぶりです。わたしは,病気も自己責任の部分もあるし,あと寿命や運命の部分もある,年寄りや乳児が成人した若者より死に易いのも,まぁ生物的に当然な気もするのですが,そういうところまで国が責任を負うようになったのは,ちょっと奇妙な気もします。まぁ病気に対して国が補助をしてくれるのは病人としては大変ありがたいのですが,どうも妙なバランスだよな…と思うことはあります。
でも,一方で自殺や精神疾患に関しては,どうも冷たいというか,世論形成がされてないな…と感じたりしてるのはわたしだけでしょうか?。
ちなみに,病気か病気ではないか?の線引きに「治療できるかできないか?」があるような気がするのは間違ってますか?。というか保険治療がない病気は病気としては扱われてない気がします。だから自殺は病気扱いされないのでしょうか?。
病気だとすると,そういう病気にかかったら,だれでもそうなるかもしれないし,一方で病人の心情を考察するよりも,病気の見分け方や,病気にかからないようにすることのほうが大事な気がします。でも,自殺に関してはあまりそういうことを語る人がいないのが,なんとなく変だなぁ…と感じてます。
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物理の人気は必要か?

2008-05-27 23:39:22 | 社会
竹内薫先生が,「そして誰も物理を学ばなくなった」というのと「物理が絶滅する理由」というのを読んで,いまいち問題点がわかりづらい。先生は理学博士で物理好きなので,物理を学びたい学生が減ってることを嘆いているようですが,物理の人気がないのが,ほかの生物や化学に人気があるからか,人文系が人気があるからか,勉強自体が人気がないか…のいずれかでちょっと意味が違うように思います。
勉強自体が人気がないのであれば,日本の将来を大いに嘆くべきだし,人文系が人気がある(いわゆる理系離れ)も結構危機感を感じますが,物理の代わりに生物や化学に人気が移っているのであれば,それはそれで良いんじゃないか?と思ったりもします。
確かに,電子回路や機械設計とかをやる上で物理が弱いと,将来競争力がそっちの方面では弱くなるようには思いますが,生物や科学が人気があるとしたら,バイオ方面とか,部品素材開発で競争力が伸びるかもしれませんし。
わたしが高校生だった25年位前は,確かに理系というと物理が人気で,次が科学,生物と地学なんてぜんぜん人気がありませんでした。ついでに書くと,わたしかもう少し上の世代はオーディオも人気がありました。でも,わたしが社会人になったころは,もうオーディオの新技術は頭打ちにあり,画像処理とかの人気が出たのもあり,音響よりも映像のほうが仕事も多いように感じました。
まぁそれは良いとして,むしろ今考えると,何で当時はそんなに物理が良いと思ったんでしょうねぇ…と思ったりもします。いま自分が学生だったらやっぱり生物とか化学とかを選ぶように思います。当時は物理をやれば,どんな仕事に役立つと思ったんだろう?とか。わたしが小学生のころは宇宙戦艦ヤマトとかで相対性理論とかが人気があったといえばそうなんですが,そういうのがものづくりに役立つとは当然想像もしてなかったわけで。なんか研究の現場にいるとどういう学問が役に立つかは,何十年単位で変わっていくように思います。
ついでに書くとわたしにとっては物理は生物や地学や,地理や世界史より受験には楽だったのですけどね:-p。
というわけで,物理の人気がなくなったこと自体はわたしは危惧してません。でも,そろそろ物理化学地学生物という分け方ってどうなんでしょう?。生物やっていても,物理って必要だよね?とか思ったりもしますから。理系離れは,あるとしたら危惧してますが,これは学校の問題というよりも,社会の常識が,理系のほうが給料が低いとか,もしくは子供が見る漫画やゲームが,あまり学問的ではない(ファンタジーとかが多い)になってることのほうが大きいのではないか?と思ってます。こっちは,大人が子供に何を語れるか?ということで,それこそ作家の皆さんにもがんばっていただきたいと思ってます。
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天才と成功

2008-05-13 23:21:12 | 社会
なんかネットを回っていたら,子供の頃知能指数テストですごくいい点数を取ったのだけど,その後落ちこぼれて…っていう話を二つくらい読みました。なんとなくリンクをするのが気が引けたので,やりませんが,二人とも今は経営者をやってる人のようでした。まぁ経営者と言ってもさまざまなので一概に成功した人とはいえないのですが,以前からうすうす思ってることとつながったので,続けます。
以前からTVとかで成功してる芸人とか識者というかとある分野で成功してる人の半生とかを見て思うことがあります。わたしはそういう番組で,どうしてこの人はこういう有名人になれたのだろう?ということをかんがえるのが好きです。成功するには何かしらの理由があると思う(もちろん運も含めて)ので,それがなにかを知りたいなと。で,芸能人とか物書きとか経営者とか,まぁいわゆる成功者とかの半生をみていると意外にもともとは金持ちだったり,親が経営者とか役人とかまぁそこそこの人だったりするケースが多いなぁ…と感じてます。芸能人じゃなくて,学者とか大企業人の場合は,本人も高学歴だったりしますが,芸能人とか芸術家とかは本人は学校でおちこぼれたり中退したりしてるパターンも結構あります。でも共通してるのは,子供の頃は結構優秀というか,親は優秀というか。
つまりなんとなく思うのは,もともとは頭がいいのだな…という事。成功するには学歴とかは関係ないけど,もともとの頭のよさ,地頭のよさみたいなものが必要なんだろうか?ということです。
勉強が出来るできないというのは表面的なもので,実際は記憶力があるとか理解力があるとか,そういうのが成功には不可欠なんでしょうか?。もちろん遺伝どうこうというつもりもないのですが,親が喋る内容や親が子供に見せるもので,意外にスタートダッシュで差がついていたりしないのだろうか?と。
そういう意味でいうと,なんか結構辛いものがあるな…と。成功者がオチコボレだったと言っても,最初から落ちこぼれだったのかと,途中で勉強に興味がなくなり脱落したのでは,実際は違うのではないか?とかすこし思ったりもします。
もちろん親が相当なちゃらんぽらんでも,成功して無い人がいないわけでもありません。遺伝や子供の頃の環境に関係なく頭がいい人が出来る場合もあるように思います。あと子供の頭の良さってわかりにくくて,馬鹿なことばかり言ってる子でも,意外に頭の回転がいい場合もあります。…とか書くと結局良くわからない…ってことになってしまうのですが(^^;),なんとなく全体の傾向として成功者は勉強が出来たかどうかは関係ないが,もともとの頭の良さみたいのを持っている様な気がしたので,ちょっと思いつきとして書いておきます。
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ある意味今の女子学生の就職への意識は真剣なんだけど,それをわからない社会人も多いって事か…

2008-05-09 11:27:31 | 社会
ネットで見つけた「『私、ここで結婚できますか?』と聞く女子大生、どう思います?」という文章を読んで面白かった。どこが面白かったか…を書くのはちょっと難しいのですが,幾つか思うことがありました。
わたしは就職活動中の女子学生がそういう質問をしても,別に仕事をまじめに考えてない…とは思わず,むしろ結婚しても仕事を続ける意思があるという意味に取るのだけど,そう取らない人もいるのだなぁ…。仕事の中身を聞かないのは,仕事をまじめにするつもりが無いのではなく,「なんでもやります」という意味にも取れるし,就職活動とかで仕事の内容を聞いてもわからないと思ってるのかもしれません。実際仕事が自分にあってるかどうかは,就職前に他人から聞いてもなかなかわかるものでもないから,まぁそういう割り切りはあるでしょう。仕事を選ぶという感覚は我々のようなバブルの世代にはあったかもしれませんが,今の若い人は売り手と言ってもやっぱりまだ就職が大変だった先輩達の記憶があるだろうし,またわたしの親の世代とかも,仕事なんて選べなかった…,むしろ結婚してクビになったりはしないよな…という感覚はあったかもしれません。
それから,やっぱり今,少子化とかいう話もあって,一方で雇用の戦力として若い女性が期待されていたりして,つまりある意味男性より多くの面で社会から期待されている部分が大きいので,男性よりよっぽど大変。また仕事なら10年20年かけて積み上げられるけど,子供を産むことに関しては,20代で既に適齢期なのだから,仕事よりよっぽど差し迫った問題。社会に出てからかんがえる男子よりよっぽどすぐにかんがえないといけない問題があるのが女性なのでしょう。
この文章を書いた人は「女性として特別扱いを受けたことが極端に少ない人生を送っている」と書いてますが,そこでいう「特別扱い」というのはチヤホヤって事なんでしょうか?。わたしの若い頃の女性はかなりチヤホヤされていたけど,それは逆にいうと一人前として認められてなくて,社会に出てもどうせ腰掛だから…と思われていたからこそのチヤホヤだった気もします。そういうのはなくなってきてるのかもな…とも思いました。
まぁそういう風にいろいろ思ったのですが,やっぱり出産だけは男性が代わりに出来ないので,なんとも厳しいものがあるな,とも思うし,男女ともに高学歴になって社会に出るのが遅くなってる分,どちらも大人になるのが遅いのだけど,身体的な部分は,待ってくれてるわけでも無いし…などとも思います。
学生と社会人のずれみたいな話も面白かったのですが,こういうことは経験者である社会人こそが汲み取るべきじゃないのか?という気はします。
おまけですが,この記事に関するはてなブックマークも面白かったです。
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