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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

がんでも働くこと

2010-12-07 06:05:15 | 医療・福祉
最近ガンの話が多い気がするので,あまり書くのも気が引けるのですが…。わたしの場合,自身の経験に基づきます。でも自身の経験というのは,それ自体は想像ではなく事実ですが,狭い個人の視点でしかありません。だから一つのものの見方…とお思いください。

毎日新聞の『治療の支え 最後まで「働きたい」』というのを読んで…。うーん…と悩ましく思います。

日記のどこかに書いたような気もしますが,わたしがガンにかかってスグに死ぬかも知れない…と思ったとき(今は思ってません),良く映画や小説であるような「したいこと」は何か?を考えてでた結論は「普通に働いていた」でした。わたしの場合やりたいことはそれなりにやって生きてきたと思っているので,死ぬとわかったから慌ててやるようなことは特にありませんでした。働きたいと思ったのは経済的な事もあります。ガンにかかったからといって,すぐ死ぬわけじゃないケースが今は多く,治療にお金がかかるから,収入を得たいということ。でも,それ以上に今の生活環境は人間の関係を変えるというストレスが負担だった事,社会から切り放されることが嫌だった,ということも結構あるように思いました。

自分の場合手術前後合わせて一月ぐらい入院しました。退院後一週間自宅で休み,その後出社しました。わたしの会社はフレックスなので一月くらい10時から15時まで働き,またバスに乗るところはタクシーに乗ったりもしてました。わたしの場合抗癌剤治療はなかったので,手術からの回復が進めば,改めて入院や治療を行うことはなく,後は経過観察の検査だけでした。ですから,それ以降徐々に普通の時間くらいは働けるようになりました。

わたしが働く会社は大きいからか,それとも組合が強いからか,一月くらい有給休暇で休み,その後フレックスで働く時間を減らしても,ペナルティを喰らうことはなく,職場の方々の理解もあって,肉体労働はせず,少しずつ回復しました。多分そういうことが出来ない会社も多いと思います。大きい会社だと職場のバリエーションも多く,軽い仕事に移ったりできる場合もあるでしょうが,小さい会社だとそういうことが無理…って事もあるでしょう。こればっかりは法律でどうのこうの出来る問題でも無いと思います。だからがんになってもクビにならなかった自分は幸運ですが,すべてにおいてクビにするべきではない…とは簡単には言えません。もしそうするなら何か補助か保険の様なものが必要でしょう。

がんは症状によりますが,手術をしても即日退院出来るようなものもあるし,抗癌剤の副作用が弱かったら,治療中も正常に働ける人も多いと思います。良くがんにかかっても死ぬまで働く美談がありますが,実際痛みだして動けなくなるのは,もう末期です。確かに,数年や数ヵ月後に亡くなる…とわかっている人を雇い続けるのは難しいかも知れませんが,それまでは普通に働ける人も多いので,その辺も会社には理解して,欲しいな…と思います。それは本人には喜びになるのですから。
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医薬品開発は公的事業に出来ないのだろうか?

2010-11-19 06:00:00 | 医療・福祉
タイトルの通り。以前から思ってることです。

ここしばらく医療費の高騰が良く話題になってます。特に抗がん剤などがかなり高価になっていて月に数十万とか平気でかかるものもあります。保険診療であれば,高額医療費への補助があり数万のオーダを自己負担が越えることはありませんが,その高額医療への補助制度自体がもう持たないのではないか?みたいな話も聞きます。さらに保険診療以外に手を出すと…まぁそれ自体は賛否両論ですが,ものすごい額がかかります。

医薬品が高いのは開発人件費がものすごくかかるからと聞きます。出来るかできないかわからないばくちの様な開発ですから,うまく出来れば,その間の開発費を製品に乗せなければいけません。薬品の材料費は多分たいしたことないのだと思いますが,それでも多くの人が長い間開発をしないと出来ないものには違いありません。これは日本の医薬品だろうが海外の医薬品だろうが同じだと思いますが,最近はどうも日本の医薬品メーカが大人しく海外から新薬が主に輸入されているようにも思います。それがますます認可が遅れる理由になってます。

で,思うのがタイトルのこと。医薬品の開発に多くの人件費がかかるのでメーカがとても出来ない。できても新薬は莫大な価格に設定せざるを得ない…のであれば,その人件費自体を国が出すことは出来ないだろうか?。国が委託費を出すとか,それどころか公務員にしてしまうとか。それでもし新薬が作れれば,開発費を回収する必要はなく,あとは製造費だけで出せないか?という気もします。

もっとも医薬品は国内開発だけではなく,海外のもの…の場合もあるし,逆に日本が海外に輸出することもあるので,一概にそういう風にするのにも問題がある…というのも分かります。開発者のインセンティブの問題もあるでしょう。

でも,命に関わるような薬品開発が民間の力だけでいいのか。保険制度が崩壊する前に,日本の開発者がいなくなって海外に頼り,価格の決定権も無くなって…っていう風になっていいんだろうか?とよく思います。何でも民間にやらせれば安く上がるってわけでもないんじゃ…とか,そういうことも思います。まぁそんなに簡単な問題では無いのだろうけど。
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がんで医者にかかるということ

2010-11-14 21:28:24 | 医療・福祉
ネットで4年前に乳がんの疑いをもち,乳がんの治療で有名(著書などある人)な先生に診てもらっていて,4年間良性だから安心といわれていたのが,実は乳がんだったと分かった…,既にがんは大きくなっていて,乳房の失うことになった…という話を読みました。

とても残念なことで,乳房を失うことは辛いだろうと思いますが,まずは手術が無事終わり,がんの再発が起きない様な状態になることを望みます。あと,多分抗がん剤の治療もするのでしょうが,副作用など辛いことが少ないと良いなと思います。

その上で,このブログを読んで思ったことを…。

ブログ主は患者の姉妹ということで,医者に対してきつい言い方になってるのかもしれないし,第三者としてはいたずらに医者の言い分を知らずに批判をするのはうかつなということもあり得るとは思いますが,ただ,4年間がんの疑いで通院していて,誤診をしてるのは,その事実だけで批判されるべきことだと思います。

一方で,患者の方が他の医療機関で検査をしていれば…とも思います。患者の過失というつもりはありませんが,セカンドオピニオンを医者に失礼と思って躊躇するのは,本来はおかしいことです。ただ,がんの疑いがある場合,検査というのは心理的に負担があって,結果が分かるまで気が気ではないのです。がんの不安があるときに「良性です」と一人でも医者に言ってもらえることは,ものすごい安堵であり,その言葉にすがりたくなります。その言葉を捨ててまで他の検査を受けて,不安を再び産み出したくない…という気持ちは分かります。わたしも嘘でもいいから「がんではありません」といって欲しいと思った事が何度あるか…。ただそれは地獄へ続く嘘なのですが。

わたしの場合は,むしろ誰も良性とは言ってくれず,結局膵臓を半分以上摘出しました(膵臓は切って検査しないと確定しません)。また,大病院の先生はとても忙しくゆっくりと話をしてもらうのは結構難しいとも思いました(それでも信頼はしてますが)。説明の機会は何度か作ってもらいましたが,患者というのは次々と悩みが発生するし,でも怖いことを聞きたくないという躊躇もあったりするのです。わたしが行っていた病院は検査結果を紙でくれましたので,その数値とか,所見をみて,あとはネットで同じような経験をしてる人の手記,がんセンターなど医療機関の資料を読み,くわえて書店で医者向けのガイドラインや医学書などを買って読み,担当の医者がいうことが,あながちずれているわけではない…ということは確認してました。

基本的には,医者の誤診から身を守るには,とにかく広く情報を得ること,あと複数の医療機関に(どういう手を使っても)みてもらうことが重要だと思います。セカンドオピニオンが失礼と思うのであれば,別の健康診断にかかるという手もあります。わたしも主治医による経過観察中でも,人間ドックは毎年行ってました。お腹が痛いといって,内科の医者にいったついでに触診や血液検査をしてもらったこともあります。

もう一つ,著書とかをたくさん出しているお医者さんというのは,やっぱり申し訳ないけど,おかしな医者も多い様に思います。いや,著書を出していようが無かろうが,いい医者も悪い医者もいるということかもしれません。とにかく本を出していて,有名だからといって,医者としていい医者かどうかは分からないのだな…という気はします。

ブックマークとか見てると,医者の品質を示すものが必要とかいう人もいるようです。実際に病院の検索をすると,ものすごく多くの病院を紹介したサイトがありますが,どれも評価については会員制にするか,載ってないか…ってことであまり役に立ちません。実名で評価をするのは難しいのかもしれないなと思うし,統一的な基準で順番をつけたら,それこそいい医者はいつも混んでいるということになるようにも思います。

医者の良し悪しの判断というのは本当に難しいと思います。腕前ではなくて,単に相性で良い悪いと判断されることもあるでしょう。悪い医者にあたってひどい目にあっても,医者と無縁に暮らすことは難しいです。医者でひどい目にあっても医者全体を憎んでもしょうがない。良い医者を変な追い詰めるのも,結局は自分達の不幸につながります。

どういう風に医者と付き合うか?…悩ましいことです。
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お金と命

2010-11-12 08:36:06 | 医療・福祉
NATROMさんが「将来は、「お金の切れ目が命の切れ目」が普通になる時代が来る」と書いているのをみて,過去にそれは普通であり,それはいけないことなのだろうか?という風に思いました。

以前わたしは命の値段について書きました。命がどんなに尊かろうと,病気になり,治療費が出せなかったら,それが一種の命の値段ということになるといえると思います。お金が無い人が医者に行く金が無くて,命を縮めてしまうというのは,昔からずっとあった話です。日本ではそれが国民皆保険制度になり,建前上お金があろうが無かろうが同じ治療を受けられるようになりました。建前上というのは,実際は保険適用外の治療があったり,海外に治療に行く…ということで命を永らえてる人がいるので,治療機会はやはりお金に影響されているといえるということです。

さてNATROMさんが危惧してるのは,この保険制度の中の治療法も,そのうち保険制度が崩壊して,財力で受けられる治療に差が出るということ,そしてその保険制度が崩壊するのは,抗がん剤などの薬品がこれからますま高額になっていくだろうということです。

このこともわたしは既に意識していたので,特に驚きはしませんでした。だからといって肯定的にとらえてるわけでもありません。ただ,高額な治療というのは新しい治療法であり,これまで助かっていた人がお金がないので助からなくなる…という意味ではないので,すこしタイトルは誤読されやすいように思いました。新しい薬の金額が極めて高いのは,薬の開発費が高いからでしょう。材料費の影響で高いとは思いません。そして薬が高くできるから開発費を投入してるともいえます。開発した薬を高く売ることが出来なければ,薬品メーカは開発を止めて新薬を作らなくなるかもしれません。国が薬品の開発を補助しようにも実際は海外のメーカの薬が多いので,それも難しいのではないでしょうか?。

それらの状況を考えると,効果的な新薬はこれからも出てくるでしょうが,値段はますます高くなるでしょう。新薬の承認も高価や安全性より価格の方が問題にされるようになるかもしれません。

で,それが悪いことか?といわれるとわたしはよく分からないのです。もし医療がどんどん高度に発達していき,お金さえかかければ,どんな状態になっても生きられるのであれば,むしろお金を理由に死ぬっていうのもあるのではないか?という気もします。わたしの本音としては働き盛りで家族を養わなければいけない年頃の人と,平均年齢以上生きていて,リタイヤもして生産的な活動を行っていない人に,同じだけの医療補助をかける意味があるのだろうか?とか思うこともありますが,多分今の日本は年齢で医療に線を引くのはタブーなんでしょうね。今の与党が野党時代に散々批判してましたから;-p。どんなに周りが注意しても健康に悪い事(例えば喫煙)を続けていた人にも同じだけの補助をする必要があるとか

いわれても,少し疑問を感じます。

いや,実際に線を引くとしたら,とても難しいのは事実です。わたしは公的な医療保険制度を保持することは重要だと思ってます。でもだからと言って命を助けるためだったら,誰にでもどれだけでも高額な薬品を使うべきというのは,正しいのかはよく分かりません。もっとも医者がそれを判断すべきことなのかも分からないので,医者はあまねく患者を全力で助けるべきだというのはいい事なのかもしれませんが。
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正しく報道されないがんワクチン試験の件

2010-10-25 07:12:53 | 医療・福祉
先々週流れたがんワクチン被験者が出血していたという報道。

元々は朝日がした報道らしいですが,わたしはTVのニュースで聞きました。

膵臓がんの患者と聞いて気になりましたが,一方でよく分からない…という印象を持ちました。こう書くとひどいかもしれませんが,膵臓がんというのは極めて進行が早く,被験者をやっていた進行性の場合,ワクチンを打とうがうちまいが出血はあり得るから,本当にワクチンが原因かはっきりしないのでは?ということです。

よく分からないので続報を待っていたら,がん患者の方からは報道がおかしいとのコメントが目立つようになり,当事者の東大の方も報道に反論。そして多くのがん患者が報道に対しての抗議(PDFファイルです,ご注意を)を発表してます。

報道には多くの間違いがあるのですが,重要な点を書くと,被験者の出血はやはりワクチンのせいとはいえなかったとのこと。つまりそのことでワクチンが危険とはいえないということになります。しかしこの報道を受けて,臨床試験はストップしてしまってるとの事です。

わたしは以前も書いた気がしますが,健康な人や軽症の人と違い,進行性がんの患者はほっておいても近いうちに死ぬわけで,そこで求められる薬の安全性は予防ワクチンや風邪薬とはまったく違うと思います。つまり多少の悪い作用があっても,延命に効果があればいいのでは?とすら思います。実際がんでなければ毒として使用できない薬が,がんの薬として使われることもあります。がん細胞は元々本人の細胞であり,それを攻撃する薬ががん以外の体にもダメージを与えないわけはありません。それでも延命や症状緩和を期待してがん患者は薬を受けるわけです。

特に膵臓がんは認可されている抗がん剤がほとんど無く,新しい薬の承認は多くの患者が期待してます。それを,事実異なる報道で,治験への流れを止めるというのは,報道が多くのがん患者を見殺しにしているといえなくもありません。

がん患者が報道に抗議したのは,そういう部分もあるのだと思います。なぜかこの声明も報道は報道に対する抗議と受け取れない報道をしてます

いつも思うのですが,なぜ報道は間違った報道をしたときに,きちんと訂正を行わず,単に無視して,世の中から忘れられるのを待つような事をするのでしょう。一般の人々に謝ったイメージだけ植えつけて,そのまま時間が経つのを待っている様に見えます。謝罪はできないとしても,訂正をきちんと流すことをしないのは,報道として悪の様に思います。
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永遠の片想い

2010-09-22 22:09:32 | 医療・福祉
以前何度か日記で取り上げたことがありますが「粘る稀なガン患者」というブログがあります。このページは膵内分泌細胞ガンにかかっているブログ主さんが書かれていたブログです。膵内分泌細胞ガンというのは,わたしが四年前に手術した腫瘍と同じ病気です。ブログ主さんは発見時に既に転移があったため,手術不可能で,抗癌剤治療をやられてきました。最初は承認薬で治療をしてましたが,承認薬が効かなくなると未承認薬を使って更に命を延ばしてました。海外の医療文献等も読まれ,医者とも活発に議論をし,実に積極的に治療を行っており,膵内分泌細胞ガンという情報の少ないガンにとっては,非常に有効なデータとなるブログだったと思います。またガンに絡んで時事のことを語ることも多く,多く共感を受ける内容がありました。

膵内分泌細胞ガンは進行が遅いガンだと言われますが,転移がある状態から8年以上治療を続けておられる姿は,わたしのガンが再発しても8年は生きれる可能性があるわけだ…と思え,非常に勇気づけられたものです。

正確にはこのページを知ったのは,はっきりとはおぼえてませんが,わたしの手術前か直後で,ブログ主さんは当時はまだ治療を初めて4年程度,そのあとの投薬の変化も非常に興味深く読んでいたものです。

そのブログ主さんが今年度に入り,仕事をお辞めになり,その後しばらくしてどうも体調が良くなさそう…という感じになり,気になってましたが,二週に一度更新されていたブログが今週は更新されないので,気になっていろいろ調べたら,どうやら13日に亡くなられていたようで…。その事を知りショックを受けております。

この方はブログでは素姓を一切明しておられませんでしたが,昨年奥様が小腸がんで亡くなり,絵描きであった奥様の追悼展があったため,その個展を観に行きました。会場はお客さんが多かったため,ブログ主さんを遠目で観ましたが,声をかけることもなく記帳だけして帰りました。今年も追悼展が再度行われるということになり,記帳したからでしょう,案内が自宅へ郵送されてきており,今年も行こうと思っていたところでした。

今回の追悼展は他にも作品を出す方がおられたので,その方のページからブログ主さんの死と,追悼展が行われることを知ったのですが,その開催を前に亡くなったということで,なにか頂いた案内が結果的に亡くなった方からの手紙…ということになってしまいました。

今度こそ会場で一言ご挨拶が出来るだろうか?…等と考えたりもしてました。わたしの方は先日の検査で手術後四年が経過し,再発の怖れかなり減ったと医者には言われています。一方8年間治療を続け生きながらえたブログ主さんの容態が悪くなりつつも,しっかりとしたブログを作り続けているのを読むのは,凄く不思議な感覚でした。少しずつ違う方向に進んでいるのだろう…とは思いますが,それでもブログ主さんは,わたしにとってはすばらしい指針であったと思います。でもわたしも手術直後は,自分自身がブログ主さんと同じ方向に歩むことになるのが怖くて,ブログにコメントを書けませんでした。今年の5月に初めて「以前から読んでます」と書けたところでした。おそらくブログ主さんはわたしのことは認識されておらず,わたしが一方的に尊敬の想いを募らせていただけでしょうが,コメントを書けたこと,そして追悼展の案内をもらったことは,少しだけ「やっと少し距離が近づけた」という様な感覚を持ちました。

もっともっと長く生きて,普通の人の寿命ぐらい生きていらっしゃったら良かったのに,そして一度しっかりとお礼を言いたいな…と思ってました。とても残念ですが,安らかにお休みになることを祈っております。
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有名人のがん

2010-08-03 21:32:23 | 医療・福祉
先週ニュースになった桑田佳祐が食道がんになったという話。不用意を承知で書くと,「初期」「手術」という言葉から,取れる程度…なのかな…と思うと,(完治は)大丈夫じゃないか?と希望的観測をしています。一日も早い復活をおまちしてます。完治の可能性が高くても,とてもしんどい治療なのは,わたしも身を持って体験中なので,そんな気軽な話じゃないのですが…。

すこし自分の経験を…。

こういう芸能人のがんのニュース。もちろん自分が健康なときは,大変だなぁ…とか,頑張って…,まぁある程度気軽に思ってはいたのですが,自分ががんであることを知って,その時期に近くそういうニュースを聞くと,まるでもう一人の自分のように感じてしまいます。わたしの場合,自分ががんであることを知った時期に,そういうニュースが流れたのは,王監督と清志郎でした。なので,彼らの動向はずっと気になっていて,王監督が再入院したとかそういう話を聞くと再発か?とか自分もそうか?とか恐怖にふるえました。

清志郎は手術をしなかったのですが,手術をしないというニュースを聞いたときにすぐに「あぁ助からないんだ」と思いました。そういう意味では彼を励ますファンの声が物凄く悲しく感じられました。

あともう一人,スティーブジョブス。彼はわたしよりも一年以上前に手術をしてますが,同じ膵臓の特殊ながんであることから,今でもずっと気になってます。一時期激痩せした時は,もしかして再発したのか?とか,自分も一年後に同じようになるんじゃないか?とおびえました。それからがんとは関係ないけど松井秀喜。骨折なんですが,同じような時期に,最前線から離脱…という意味で,どこか自分を重ねていて,選手として復帰したときに嬉しく思いました。

という風に,有名人の病気や怪我のニュースは,同じような境遇の人には,自分を照してしまうような気がします。さすがに今回の桑田さんのニュースは既にわたし自身は自分と同一視はしませんが,多分同じように思っている人はいるんだろうなぁと思います。つまり桑田さんが元気になることは,その人を勇気づけることになる…ということです。

まぁ,そういう事は背負わずにゆっくりと静養をして欲しいとは思いますが,そういうこととも患者は思うということで…。
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医療は人に都合良く病気を治すわけではない

2010-07-30 10:00:13 | 医療・福祉
極東ブログのインフルエンザと結核の話を読んでいて,メインの話も興味深かったのですが,最後の結核が無くなったのが,結局抗生物質の発見というよりは「栄養」が十分に取れるようになったからという話,そして実は結核は産業革命時に労働条件が悪くなって,広まった…みたいな話を読んで,なるほどねぇ…と思いました。

栄養については昔から結核を「滋養」によって治すというような話を聞いていたので,そうだろうな…とは思ってましたが,これを読むと,結核の蔓延と撲滅は医療というよりは,生活や環境の方が本質ではないのか?という気がします。

現代は病気というと,病院に行き,医者の治療を受ける。医者は切った貼ったの外科的治療か投薬による内科的治療で病気を治したり抑え込んだりしようとします。ですから,逆に患者は病気になったら病院にいって,治療で治したり抑えたりしようとします。

…ですが,実はこれは本質ではないように,わたしも薄々思ってます。病気になったら本来は安静にして,体が病気に立ち向かえる様にする。病気をならない様にするには,原因になるものを排除し,また体を鍛えたり十分に栄養を取ったりする…というのが本質ではないでしょうか?。今は病院で病気は治せると思って,熱があるのに薬で熱を下げて働くとか,働くならまだしも遊びにいくとか,そういう風に行動する人が案外多いように思います。

しかし本来はそんなに都合良く体は病気に立ち向かってはくれません。病気になれば,その時の生活が一転し,いろんな計画がおじゃんになる…っていうのは,ある意味当たり前のことなのです。

わたしは先日の日記で医療の治すことをあまりあてにしてないと書きましたが,人間の体も,また医療もそんなに人の目論みに都合良く動いてくれるとは思ってません。特に内科的治療は対処療法だったりする場合も多い様に思います。対処療法というのは,症状を和らげて結果的には体を治しているのは自分の免疫や治癒力…ということになります。ですから,病気を治しているのは,薬ではなく体なのです。

医療の発達だけを追うと,近代医療がいろんな病気を駆逐してきたように見えます。ですが,実際は医療だけで人間は病気を排除したわけではなく,生活の改善にも大きく影響されてます。医療は体が病気と戦う事を助けてるだけだという考え方も出来ます(とはいえ助けがないと体も病気に立ち向かえないので,必要な事でもあります)。

人間の体はそんなに都合良くは行きません。体の方に自分の計画をあわせて生きる方が正解な気がしてます。
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代替医療への冷めた想い

2010-07-24 11:17:10 | 医療・福祉
最近極東ブログさんがなぜか代替医療(?)の創始者(?)の伝記みたいを書いてます。なぜだろう?とも思いますが,今行われている代替医療がどういう経緯で起ったか?ってことを記しておこうと思ってるのかも知れません。

先日も書きましたが,わたし自身は医療は日本の厚生省が認可してる医療をまずは第一に受けるべき…と思ってます。それでもダメな場合とかそれとあわせて,違う医療行為を受けるか?というと,実はいろいろ複雑な気持ちがあり,簡単には説明できないのですが,完全に否定してるわけでもありません。

先日手かざしで亡くなった子供の話を書きましたが,手かざしとかホメオパシーをやっていて,普通の医者に子供を通わずにいる親というのは少なからずいるようで,そういうのを医療ネグレクトと呼ぶそうです。しりませんでした。

少し話を変えます。わたしはいちおう自然科学を修めた人間ですが,宗教の話が好きで,一時期は結構いろんな宗教の事を表面的ではありますが調べてました。あわせて少数民族の信仰や習慣も調べたりして,その中には信仰の行為と医療等の行為が混然となってるものもありました。信仰にも言葉だけではなく,薬草とか瞑想とかを用いるものもあり,興味を持って瞑想など試したこともあります。そういうこともあり,手かざしやホメオパシー的なものはあまり勉強してませんが,頭ごなしに否定してはいません。

そもそも若い頃から,科学も宗教の一種であるとか,宗教と呼ばれるものもかっては科学だった…という風に考えてます。また人間は精神状態が身体へ与える影響が物凄く大きいので,精神をコントロールするためにまじないを用いることは,必ずしも効用がない…とも思ってません。わたしは体系的な理論の美しさよりも,実際に役に立つなら科学者でも宗教を信じてもいいし,また科学は完成されたものではないので,発展の可能性として神秘的なものからは目をそむけない…と思ってます。

ですから,ずっと健康に歳をとっていれば,そのうちわたしも代替医療とか試していたかも知れません。

ただこういう考え方は,結構自分の命が保証されているというのんきな状態では楽しく語ることができるのですが,4年前に自分がガンにかかったとわかったときは,わたしは逆にこういう医療について,とんど魅力を感じなくなりました。

理由を一言でいうと,いちおう科学を勉強し,擬似科学も楽しんでいた自分の知識を総動員して考えて,一番命が助かる事と気分が平穏になること…とした結果,それらの代替医療はわたしにとって優先順位が低くなってしまったのです。細い理由は書きませんが,確率的に考えて標準医療の方が助かる確率が高いし,費用負担的な面でも有利だと考えたということです。もちろん現代の医療も完全ではないし,日本の医療行政にもシステム的にも思想的にも賛同できない部分がある…というのもわかりました。エビデンスに基づく医療が今は良いとされますが,難病と呼ばれる病気には,確率的にはレアであるケースになってしまう事もそれなりにあります。また長期的な医療の効果は,現在の医療の認可システムでは,測りえない…とも思いました。ですから,代替医療や民間療法の中にも効果が全くない…とも言えないものも多分あるでしょう。

また,わたしは現在の医療というのは実は「治す」という点ではまだまだダメですが,「調べる」と点ではかなり優れていると思ってます。ですからわたしが病院にいくのは検査をするためと言っても大げさではありません。医療行為でガンを治すというと「切り取る」「(放射線で)焼く」とか「(体に害がある)薬で抑える」というかなり乱暴なものしかありません。しかも薬での完治は非常に稀です。自分が患者となって考えると治療という意味では結構お粗末で,癌治療にがっかりするのもわかります。コントロールできないとしても自然治癒力や回復力に頼らざるを得ないわけです。ガンの状態がどういう状態か…というのはCTやMRI等でミリ単位でわかります。治療が有効な手立てが無くても,自分の体の状態を正確に知るために,病院には行くべきだと思います。

もっともわたしの場合は腫瘍をゴッソリ切り取ってしまい,抗癌剤も使わず,再発するかどうかというのに賭ける状態ですから,後は状態監視しかないのです。抗癌剤をうって副作用で苦しむ方は違った考えになるかもしれません。わたしの場合は再発の確率をどう低くするかとか,再発におびえる精神にどうやすらぎをもたらすか?という意味ではエビデンスの無いことでも幾つか試したことはあります。ただこれらも基本的には自分の財布を圧迫しない程度…という風に決めています。というのも,もし再発などして,抗癌剤治療になったり,更に承認抗癌剤が効かなくなり,海外で効果があるとされている薬とかを使い出すと,湯水のようにお金が必要になるため,気のせい…である代替医療に高額なお金を投じるのは良くないと考えたからです。わたしは基本的には気分転換の代替医療は良くても,経済を圧迫するものはダメだという基準にしてます。

…というわけで,わたしの場合,自分の命に関わる病気にかかったため,むしろ代替医療とかに興味消え去ったという感じです。それでも,宗教は好きだし,自然(食)や低農薬崇拝みたいのはまだ残ってます。ただ,まぁなんとなくそういうのは,お楽しみみたいになってきたなぁ…と感じております。宗教も死んでからの話だから,まぁ死んでから考えればイイやというか(笑)。

もちろん信じている人を茶化してるつもりもないのですが,冷静に真剣に考えたら,わたしの場合はそうなる…ということです。ですから,最初に話に戻ると,楽しみとして代替医療をやっている人は否定しませんが,子供に対して医療をネグレクトしてる親にはもっと冷静に子供が助かる方法を考えてあげて欲しいと思います。前も書きましたが,医療にはずるをして得なことやライフハックみたいな話は無いと思います。広い情報をどう得るかだけで,一つのうまそうな話を盲信することでは無いでしょう。
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医療でズルをすれば得なことは無いと思う

2010-07-22 09:31:52 | 医療・福祉
子供に手かざしをし続けたが亡くなってしまったという話を読んで。

悲劇だと思うけど,こういう話って昔からあって,親の信仰の問題で輸血が出来なくて子供が亡くなったり,病気になった子供の狐や狸払いをするとかで子供を叩いたとか…そんな話昔から聞きます。だから今特に多いのか?といわれると判らないのですが,最近目に付くのはこういう手かざしにしても,先日書いた予防注射をやらない親とかとか,あと自然治癒力とかそんな少し疑似科学的な感じで世間一般の標準的な医療を子供に受けさせない大人がいるということ。

現世で不幸な目にあっても,その後幸せになるために,そういう行為が必要と信じるのであれば,そういうのもありかもしれません(もっとも,信じるのは大人ですので,大人だけで勝手にやってほしいと思いますが)。でも,どうも最近の事例を見てると信仰の問題として医療行為を逸脱するのではなく,それが科学的に正しいと信じておかしなことをやって人が結構多いんではない?とかいう気がします。少なくとも,来世での幸せのために現世で苦行をやってるわけではなく,現世での利益のためにやってるように見える例が多い気がします。

そうであれば,最初の手かざしの件も,予防接種をしないとか,自然治癒力を高めるとか,そういうのも,いくら熱心にそれをやっても,子供自体が亡くなってしまったら元もこもありません。つまり信仰よりも,間違った知識,間違った思い込みがこういう事件を起こしているわけです。

こういうのを一般に疑似科学といいますが,疑似科学の多くは通例となっている科学的見解を否定します。医療も国が定める標準治療を否定したりします。でも根本的に,国が定める治療が確率的には一番患者を助ける可能性が高いのは明らかです。どうしてそれを否定するんでしょう。こういうのを信じる人は,あたかも国の医療が嘘を言っているとか,自分達だけが知っている真実がある…とでも思っているんでしょうか。

もちろん医療行為が個人に効くレベルまで落とすと標準に当てはまらないケースはたくさんあります。医者によっては誤診をすることもあるでしょう。でも,わたしが思うのは,だからといって秘密の方法はありません。医療にズルをすれば得をするということは無いと思います。医者の言うことが信用できなければ,他の医者の意見を聞くか,自分で医療論文などを読んで,勉強するしかありません。自分の健康のために,子供のために人とは違った努力をしたいのであれば,怪しい意見に耳をかすのではなく,現代の医療を深く調べる方向で努力をすべきでしょう。

もちろん,現代の医療が100%正しいとは限りません。20年経てば誤ったといわれる治療を今やってるかもしれません。でも,だからと言って正しい方法が,その辺に落ちているわけでもないのです。
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