2019年クロアチア他2国の旅1クロアチア ドブロブニクへ
の続きです。
2019年クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニアの旅程
1クロアチア ドブロブニクへ 2ドブロブニクホテルへ
3ドブロブニク・朝散歩 4ドブロブニク・スルジ山
5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場
6ドブロブニク プラツァ通り~オノフリオ噴水
7ドブロブニク オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)
8ドブロブニク 旧港・カフェ・戦争没者記念館
9ドブロブニク アドリア海ミニクルーズ
2019年6月26日(木)
クロアチアに到着
無事クロアチアに着きました。
クロアチア共和国、通称クロアチアは、
東ヨーロッパのバルカン半島にある国。
アドリア海を挟んで、お向かいはイタリアです。
スロベニアやハンガリー、ボスニア・ヘルツェゴビナなどと
国境を接していて、首都はザグレブ。
現地時間で夜の8時前頃。
まだまだ明るくて、日本の夕方5時くらいの感覚です。
ただし、実際の日本は今、夜中の2時前、
ということは、体は今ふらふらです。
あ。。アドリア海に沈む夕日がきれいですよ。
このアドリア海を挟んだ向う側がイタリアなんですね~。
クロアチアの内紛
クロアチアは、旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国を構成していた
6共和国の一つでしたが、1991年6月に独立を宣言。
1991年独立後、みずからもクロアチアから独立する権利をもつと主張する
国内の少数派セルビア人とクロアチア共和国軍とが衝突、
旧ユーゴスラビア連邦軍がセルビアに加勢し激しい内戦が始まります。
うわ~、美しいドブロブニクの旧市街地が見えています。
でも、ここも、内戦の時は銃撃で多くの建物が崩壊されたそうですよ。
今は、平和で美しい町ですが,
内戦中の1992年から1995年間で、
クロアチアの人口が約475万人から約440万人に減少したそうです。
100人に7人が亡くなっていたなんて。。
しかも1995年というと、今から26年前の事。
私たち日本人が戦争のない平和な時代を生きていた同じ時に
ここでは、毎日200人以上の人が戦争で亡くなっていたんですね。。
なんだか信じられない思いがします。
ドブロブニク町並み
そんな、ガイドさんの話を、へぇ~と思いながら聞いています。
ほとんどの人は眠ってしまっていましたが。。
ドブロブニクの町にやってきました。
夕食を楽しむ人、夜のランニングをする人。。
お花も綺麗に咲いていますね。
体はふらふらでも、車窓が素敵なので
私は寝てなんかいられません。
グランドホテルパーク
そして、本日のホテルに到着です。
うわ~、何?この揺れるハンギングチェアー。
気持ちよさそう~。
ホテルのロビー
こちらは、ホテルのロビー。
赤と黒の色遣いがお洒落ですよね~。
お部屋へ
私達が泊まった部屋は、別棟のヴィラにありました。
欧米人はシャワーのみの本館使用で、
バスタブが使いたい日本人はヴィラのようです。
ホテルの中庭から町の灯りが見えています。
いよいよ夕暮れが近づいていますね。
お部屋
お部屋に入るとトランクが届いていました。
お部屋は3ベッドルーム。
ツインベッドとシングルベッドで結構広い。。
窓からはレストランや公園のある裏庭が見え
その向こうにはアドリア海が広がっています。
夕ご飯
夕ご飯は各自レストランに行くなり
スーパーで買い物をするなりして済ますことになっているのですが
もう、疲れ果てた私達は、本当は何も食べなくてもいいけれど
明日からの事を考えると、少しだけでもお腹に入れようと
日本から持ってきているミニラーメンを。
うん、美味しい~。これ位がちょうどいいです。
テラスレストランの音楽
その後、倒れ込むようにベッドに入ったのですが
私達の部屋がテラスレストランの真上だった為、
結構、生演奏の音楽の音が大きくて寝られないのです。
体はくたくたなのに。。
隣では主人が瞬殺爆睡。
でも、私は音が気になり出すと気になって。。
仕方なく、もう一つ空いていたシングルベッドの方へ
移って寝ることにしました。
レストランの真上ではないので少しは音もましで、
もうすぐレストランの音楽は終わる、終わる。。
と呪文のように唱えながら
いつの間にか寝てしまっていました。
多分寝たのは現地時間で11時前頃でしたが、
あくる日の朝まで7時間はぐっすり眠れました。
とりあえず、よかった、よかった。。
2019年クロアチア他2国の旅 3ドブロブニク・朝散歩
へ続きます。
最後までお付き合い頂き
ありがとうございました。
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