以前から興味があったスポット、別子(べっし)銅山。
日本三大銅山のひとつで元禄4年(1691年)に開坑され、昭和48年(1973年)に閉山になるまで283年間、掘り続けられた世界でも類をみない大銅山だった。
この銅山は住友グループ一社が掘り続け、新居浜市の発展や日本の発展に大きく貢献した。開港以来、採掘された鉱石量は約3000万トンといわれていて、今は住友金属鉱山といわれている別子銅山からは多くの企業が出来、まさに別子銅山は『宝の山』だったといえる。
この別子銅山、阿波生まれの鉱夫『切上り長兵衛』という男が発見し、備中吉岡銅山(岡山県)の住友家支配人田向重右衛門に知らせたのが始まりとされているが、この山はわが国でも早くから公害や環境対策に取り組んできたところとして有名だ。 (生子山の 通称えんとつ山)
環境公害対策をせずPM2.5などをまき散らしている中国に学んでいただきたいぐらいの煙害対策や水処理は、100年以上前から真剣に環境保全と取り組んできたとされ、今もそのポリシーが活かされ、住民と企業の共生が行われている。
今は冬で道路が通行止めになっているが、東洋のマチュピチュと呼ばれる東平(とうなる)や観光スポット、マイントピア別子で楽しく体験しながら別子銅山の歴史を学ぶのもよいのでは・・・。
※小さい写真はクリックすると拡大します。