昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

ガラス越しに見た桃山時代の「山王神輿」

2009年03月09日 | 近畿地方の旅
日吉大社東本宮から西本宮へ向かいました。



楼門を出ると八王子山に上がる石段と、その両脇に奥宮を遥拝所する祠があります。

奥宮へ行きたかったのですが、時間がなく又の機会としました。

奥宮にある磐座「金大巌」[こがねのおおいわ]が見られなかったのは残念でした。



神輿収蔵庫の前に「山王神輿特別公開中」の看板があり、立ち寄って見ました。


■入口横に案内板があり、転記します。
==========================================================================山王神輿七基 重要文化財
全国神輿のルーツが山王神輿である事は有名で平安の昔桓武天皇が日吉大神に寄進されたに始まる。又、僧兵の強訴でも有名で平安から室町にわたる三百七十余年の間に四十数回の上洛強訴が行われた。重量五百貫(二トン)の神輿を海抜八五〇メートルの日枝山をかつぎ越えて入洛したエネルギーは想像を絶するものである。
平安時代の神輿は元亀の乱で焼失した。現存のものは桃山時代の作で重要文化財に指定されている。
日吉大社には神輿が十四基現存する。
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この2基の神輿[みこし]には「三ノ宮」「八王子宮」の名札が付けられていました。

ガラスの仕切りと、壁の隙間から撮影できました。

向って右の神輿は、八角形のようでしたが、他は四角形です。

八角形の大きな神輿は、鳥取県の大山の「大神神社奥宮」にもありました。

八角神輿では西日本一の大神輿とされ、平安時代から七基の神輿が繰り出す「大山神幸行列」が行われていたと案内されていました。

七基の神輿が共通で、何か理由があるのかも知れません。

比叡山の僧兵が、朝廷へ強訴した時に担ぎ出した神輿は、もっといかついイメージでしたが、実に華麗な神輿です。



ガラス越しの撮影にかろうじて撮影できた東本宮の神輿です。

華麗で、大きな神輿が、全部で7基並んでいましたが、他の4基の神輿はフラッシュがガラスに反射してうまく撮れませんでした。

七基の神輿は、日吉大社の上七社と言われる西本宮・宇佐宮・白山宮・牛尾宮・三宮宮・東本宮・樹下宮の神輿だそうです。

神輿[みこし]は、神様の乗り物で、それぞれの神社の神様専用のものが造られているようです。