昨年11月1日~2日の滋賀旅行の想い出です。
2/20の記事、大津市坂本の日吉大社東本宮へ参拝した続きです。
2009-02-28に「浮御堂は、冬至の太陽を遥拝する聖地だった」でも記載しましたが、薬師寺慎一著「聖なる山とイワクラ・泉」に日吉大社の磐座・泉のことも書かれていました。
日吉大社の神体山「八王子山」の頂上付近には金大巌[こがねのおおいわ]と呼ばれる巨岩があり、磐座とされています。
樹下神社の社殿の下に井戸があり、社殿のなかった時代には金大巌に鎮座する神様をこの井戸の上にお迎えして祭礼を行っていた説が書かれていました。
2009-02-24の記事-日吉大社東本宮摂社「樹下神社」の建物配置の謎-で書いた西の八王子山に向って参拝する「樹下神社」と、北に向かって参拝する東本宮本殿に対する疑問が解けたようです。
「樹下神社」はかって東本宮の本社だったのかも知れません。
「樹下神社」拝殿の御神輿を見ている時、神官の先導で、楼門から結婚式の一団が入って来ました。
たくさんの神社を参拝しましたが、結婚式を見るのは久し振りです。
東本宮の拝殿に東側から上る石段を新郎一行が進んで行きます。
手前の壁のない建物が、拝殿、奥に見えるのが本殿です。
西側から上る石段からは新婦の一行が進んで行きます。
天気の良い日、日陰を歩いている白い綿帽子をかぶったお嫁さんに赤い傘をさして歩く演出に思わず笑ってしまいました。
この後、新郎新婦は東西から拝殿の上がり、縁側に沿って南側中央で合流した後、関に着いて行きました。
拝殿の東側からの結婚式の様子で、厳粛に行われていました。
まったく壁のない拝殿の結婚式では周囲から丸見えで、お嫁さんも落ち着かないのではと心配しました。
しかし、神殿のなかった古代には野外で神事が行われいたことを考えれば、極めて自然ななスタイルかも知れません。
拝殿の東側から見た日吉造[ひえづくり]の東本宮本殿です。
正面から見ると入母屋造ですが、後ろから見ると独特の「日吉造」と分かります。
残念ながら結婚式に気を取られ、撮影していません。
屋根の後方部分を見ると、屋根下が切妻造のように斜めに傾斜している所に「日吉造」の特徴がみられます。
うまく表現できませんが、入母屋造の後方の屋根の両角を斜めに切り取ったような形が「日吉造」のようです。
東本宮本殿の東側の狛犬です。
かなりの歳月を経て表面の塗装がハゲ落ちて、寄木造りの接続された様子がよく分かります。
なかなかの面構えで、獅子のたてがみの個性的な表現が、印象に残ります。
桧皮葺の素敵な屋根です。
伝統的な神社建築の清潔さ、すがすがしさを感じる部分でもあります。
この角度で見るとまったく入母屋造にしか見えません。
東本宮本殿の西側から拝殿の後方を見た様子です。
入母屋造りの拝殿で、屋根のシルエットが美しく見えます。
四方向に階段があり、屋根の形と、出入り口の位置で分類される「妻入」「平入」の区別がつきません。
このタイプには新たに「四方入」と名付けたいところです。
■拝殿の前に建物の説明板があり、転記します。
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重要文化財 建造物
「日吉大社東本宮拝殿」一棟
大津市坂本五丁目
拝殿は、本殿の前に独立する方三間(桁行三間、梁間三間)一重、入母屋造、檜皮葺妻入の建物です。
四方の柱間は吹放しで屋根の妻飾り(屋根の三角部分)には木連格子(縦横の細かい格子)を入れています。
また廻縁には高欄がつき、天井は小組格天井となっています。
「文禄五年三月吉」の墨書がある天井の格縁が一本残されていて、一五九六年頃の建築であることがわかります。
昭和三十九年五月二十九日に国の指定文化財となりました。
大津市教育委員会 昭和六十三年二月
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拝殿の西側から見た東本宮本殿です。
向って左に見える建物は「大物忌神社」で、東本宮本殿の祭神「大山咋神」の父「大年の神」が祀られているそうです。
■本殿の前に建物の説明板があり、転記します。
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国宝 建造物
日吉大社東本宮本殿 一棟
大津市坂本五丁目
この本殿は、桁行五間、梁間三間、日吉造[ひえづくり]檜皮葺の建物です。
日吉造は、一名を聖帝造といい、三間・二間の身舎[もや]の前面、両側面の三方に庇がめぐらされた形をし、側面、背面が特徴のあるものとなっています。この様式は、全国でも日吉大社にのみ現存している形で重要なものです。
東本宮本殿は、西本宮とほぼ同様の造りですが、背面の三間の床が一段高くなっているのは、異なるところです。
文禄四(1595)年に西本宮本殿に引き続いて復興された日吉造の代表建築です。
昭和三六(1961)年四月に国宝に指定されました。
大津市教育委員会 平成四(一九九二)年三月
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神官が、本殿に上がり、結婚式のお祈りをしていました。
拝殿と本殿が離れているため、雨風の強い日の儀式は苦労されているものと思われます。
東本宮本殿の西に「亀井霊水」という井戸がありました。
柵の中をのぞくと石で造られた六角形の井戸枠から湧水が、ほんの少しずつあふれ出ていました。
樹下神社本殿の床下にある井戸と、この「亀井霊水」との関係が気になります。
■井戸の前にあった案内板を転記します。
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亀井霊水
昔、ここには池があり、伝教大師参拝の折、霊亀が現れた。占いによりここを閼伽井[あかい](仏様に捧げる水を汲む井戸)となし、「亀井」と名付けられた。最名水也
「日吉山王権現知新記」より
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2/20の記事、大津市坂本の日吉大社東本宮へ参拝した続きです。
2009-02-28に「浮御堂は、冬至の太陽を遥拝する聖地だった」でも記載しましたが、薬師寺慎一著「聖なる山とイワクラ・泉」に日吉大社の磐座・泉のことも書かれていました。
日吉大社の神体山「八王子山」の頂上付近には金大巌[こがねのおおいわ]と呼ばれる巨岩があり、磐座とされています。
樹下神社の社殿の下に井戸があり、社殿のなかった時代には金大巌に鎮座する神様をこの井戸の上にお迎えして祭礼を行っていた説が書かれていました。
2009-02-24の記事-日吉大社東本宮摂社「樹下神社」の建物配置の謎-で書いた西の八王子山に向って参拝する「樹下神社」と、北に向かって参拝する東本宮本殿に対する疑問が解けたようです。
「樹下神社」はかって東本宮の本社だったのかも知れません。
「樹下神社」拝殿の御神輿を見ている時、神官の先導で、楼門から結婚式の一団が入って来ました。
たくさんの神社を参拝しましたが、結婚式を見るのは久し振りです。
東本宮の拝殿に東側から上る石段を新郎一行が進んで行きます。
手前の壁のない建物が、拝殿、奥に見えるのが本殿です。
西側から上る石段からは新婦の一行が進んで行きます。
天気の良い日、日陰を歩いている白い綿帽子をかぶったお嫁さんに赤い傘をさして歩く演出に思わず笑ってしまいました。
この後、新郎新婦は東西から拝殿の上がり、縁側に沿って南側中央で合流した後、関に着いて行きました。
拝殿の東側からの結婚式の様子で、厳粛に行われていました。
まったく壁のない拝殿の結婚式では周囲から丸見えで、お嫁さんも落ち着かないのではと心配しました。
しかし、神殿のなかった古代には野外で神事が行われいたことを考えれば、極めて自然ななスタイルかも知れません。
拝殿の東側から見た日吉造[ひえづくり]の東本宮本殿です。
正面から見ると入母屋造ですが、後ろから見ると独特の「日吉造」と分かります。
残念ながら結婚式に気を取られ、撮影していません。
屋根の後方部分を見ると、屋根下が切妻造のように斜めに傾斜している所に「日吉造」の特徴がみられます。
うまく表現できませんが、入母屋造の後方の屋根の両角を斜めに切り取ったような形が「日吉造」のようです。
東本宮本殿の東側の狛犬です。
かなりの歳月を経て表面の塗装がハゲ落ちて、寄木造りの接続された様子がよく分かります。
なかなかの面構えで、獅子のたてがみの個性的な表現が、印象に残ります。
桧皮葺の素敵な屋根です。
伝統的な神社建築の清潔さ、すがすがしさを感じる部分でもあります。
この角度で見るとまったく入母屋造にしか見えません。
東本宮本殿の西側から拝殿の後方を見た様子です。
入母屋造りの拝殿で、屋根のシルエットが美しく見えます。
四方向に階段があり、屋根の形と、出入り口の位置で分類される「妻入」「平入」の区別がつきません。
このタイプには新たに「四方入」と名付けたいところです。
■拝殿の前に建物の説明板があり、転記します。
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重要文化財 建造物
「日吉大社東本宮拝殿」一棟
大津市坂本五丁目
拝殿は、本殿の前に独立する方三間(桁行三間、梁間三間)一重、入母屋造、檜皮葺妻入の建物です。
四方の柱間は吹放しで屋根の妻飾り(屋根の三角部分)には木連格子(縦横の細かい格子)を入れています。
また廻縁には高欄がつき、天井は小組格天井となっています。
「文禄五年三月吉」の墨書がある天井の格縁が一本残されていて、一五九六年頃の建築であることがわかります。
昭和三十九年五月二十九日に国の指定文化財となりました。
大津市教育委員会 昭和六十三年二月
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拝殿の西側から見た東本宮本殿です。
向って左に見える建物は「大物忌神社」で、東本宮本殿の祭神「大山咋神」の父「大年の神」が祀られているそうです。
■本殿の前に建物の説明板があり、転記します。
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国宝 建造物
日吉大社東本宮本殿 一棟
大津市坂本五丁目
この本殿は、桁行五間、梁間三間、日吉造[ひえづくり]檜皮葺の建物です。
日吉造は、一名を聖帝造といい、三間・二間の身舎[もや]の前面、両側面の三方に庇がめぐらされた形をし、側面、背面が特徴のあるものとなっています。この様式は、全国でも日吉大社にのみ現存している形で重要なものです。
東本宮本殿は、西本宮とほぼ同様の造りですが、背面の三間の床が一段高くなっているのは、異なるところです。
文禄四(1595)年に西本宮本殿に引き続いて復興された日吉造の代表建築です。
昭和三六(1961)年四月に国宝に指定されました。
大津市教育委員会 平成四(一九九二)年三月
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神官が、本殿に上がり、結婚式のお祈りをしていました。
拝殿と本殿が離れているため、雨風の強い日の儀式は苦労されているものと思われます。
東本宮本殿の西に「亀井霊水」という井戸がありました。
柵の中をのぞくと石で造られた六角形の井戸枠から湧水が、ほんの少しずつあふれ出ていました。
樹下神社本殿の床下にある井戸と、この「亀井霊水」との関係が気になります。
■井戸の前にあった案内板を転記します。
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亀井霊水
昔、ここには池があり、伝教大師参拝の折、霊亀が現れた。占いによりここを閼伽井[あかい](仏様に捧げる水を汲む井戸)となし、「亀井」と名付けられた。最名水也
「日吉山王権現知新記」より
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