昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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日吉大社摂社「宇佐宮」参拝

2009年03月24日 | 近畿地方の旅
滋賀県大津市の日吉大社の参拝で、東本宮の参拝から始めて、白山姫神社の参拝の後、宇佐宮へ向いました。



「宇佐宮」は、白山姫神社から一段高い場所にありました。

階段の向こうに壁のない拝殿見えています。

本殿は、向って右にあります。



「宇佐宮」本殿の手前に「宇佐竈殿社」の祠がありました。

日吉大社にある三つの竈殿社の一つですで、「宇佐宮」の料理を司る神様として「奥津彦神」「奥津姫神」が祀られています。

「奥津彦神」「奥津姫神」は、大山咋神の兄神・姉神とされており、日吉大社の三つの竈殿社で共通の祭神です。



「宇佐宮」の本殿です。

祭神は、宗像三女神の一番上の姉、田心姫[たごりひめ]神です。

神社のサイトでの説明によれば創建時から675年までは西本宮に夫とされる「大己貴神[おおなむち]」と共に祀られていたようです。

なぜ別居させられたのでしょうか? ちょっとした謎です。

次回、西本宮の記事で、祭神について考えてみたいと思います。

「宇佐宮」の名は、大分県の宇佐神宮の社伝では祭神「応神天皇」「神功皇后」と共に祀られている「比売大神」が、宗像三女神であるとのことから名づけられたものと思われます。

■建物の説明板があり、転記します。
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重要文化財 建造物
日吉大社摂社宇佐宮本殿 一棟
(大津市坂本五丁目)
この本殿は、桁行五間[けたゆきごけん]、梁間三間[はりまさんげん]、日吉造[ひえづくり]、檜皮葺[ひわだぶき]の建物です。
西本宮本殿、東本宮本殿と同じく日吉造[ひえづくり](聖帝造[しょうたいづくり[)の典型的[てんけいてき[なもので、三間・二間の身舎[もや]の前面、両側面に一間の廂[ひさし]をめぐらし、側面や背面に特色があります。他とは、ほとんど同じですが、正面の階段前に吹寄格子[ふきよせこうし]をいれた障壁[しょうへき]が設けてあるのが大きく異なります。また、高い床下には大きな岩が露出していて何か意味ありげなものです。
慶長[けいちょう]三(1598)年に建てられたものです。明治三四(1901)年八月に国の重要文化財に指定されました。
大津市教育委員会 平成四(1992)年三月
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拝殿の横から見た「宇佐宮本殿」です。

社殿の左右に玉垣に囲われた「橘」があります。

宇佐宮の社紋が「橘」であることから植えられているようです。

「橘」には、田道間守[たじまもり]が常世[とこよ]から持ち帰った神話があります。



宇佐宮の狛犬です。

日吉大社にある各神社の狛犬の表情はそれぞれ違っていました。



宇佐宮の拝殿です。

造りは、他の拝殿とほぼ同じように見えますが、緑の木々を背景に美しく見えます。



宇佐宮から西本宮側に進むと「大宮竈殿社」の祠ががありました。

「大宮竈殿社」は日吉大社西本宮の料理を司る神様として「奥津彦神」「奥津姫神」が祀られています。



「大宮竈殿社」の後方に「庖丁塚」がありました。

6月の「包丁祭」では、滋賀・京都の料理人が集まり、古式ゆかしい式庖丁の披露や、古い庖丁の供養が行われるそうです。

■石碑に「竈殿社」の説明文があり転記します。
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竈殿社
祭神 奥津彦神 奥津姫神
古来 我が国では火の清浄を
尊び 諸の災禍は火の穢より
起こると信じられてきました
また 竈は日常の飲食を炊く
ところで 生活上一日も欠かすことの
出来ない物であることから 古来より
朝廷でも斎き祀られました
殊に一家を構える家庭の命の源を
守護する家神として崇敬されました
このことから現在では台所の神として
また飲食を整える包丁の守護神
として調理の上達を願い多くの
信仰を集めています。
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