滋賀県大津市の日吉大社の参拝も最後の西本宮です。
本来ならここから参拝を始めるようですが、駐車場から道なりに進んだ結果です。
日吉造で知られる日吉大社西本宮の本殿です。
日吉大社では祭神を「大己貴[おおなむち]神」とし、天智天皇が大津京遷都(667年)の時、大津京を始め国家鎮護の神として大和国三輪山の大神[おおみわ]神社より御神霊を御迎えしたとしています。
ヤマト朝廷は、663年白村江で新羅・唐の連合軍に大敗し、必死で防衛体制を整えている時代です。国譲りで敗退させた「大己貴神」をなぜ「国家鎮護の神」として祀るのか疑問です。
又、「大神神社」では主祭神を「大物主大神」とし、「大己貴神」「少彦名神」は配祀としています。
一般的に大物主は、大己貴神の別称とされるようですが、どうも世襲の役職名ではないかと推察しています。
675年、西本宮に合祀されていた「田心姫神」が「宇佐宮」へ分祀したそうです。
三輪山に祀られてる「大物主大神」が、「大己貴神」でない可能性がある場合、大己貴神の妻「田心姫神」の合祀を不適切と考え、分祀したのかも知れません。
何分「古事記」「日本書紀」ができる前の時代で、事実はまったく霧の中です。
b日吉大社西本宮の本殿前の様子です。
社殿に上がる階段の下の板張り「浜床」を見ると、気軽にお上がり下さいと言われているようです。
■本殿前の説明板を転記します。
==========================================================================
国宝 建造物
日吉大社西本宮本殿 一棟
(大津市坂本五丁目)
この本殿は、桁行五間[けたゆきごけん]、梁間三間[はりまさんげん]、日吉造[ひえづくり]、檜皮葺[ひわだぶき]の建物です。日吉造は、一名を聖帝造[しょうたいづくり]ともいい、全国では、日吉大社だけにみられる特殊な構造です。
つまり、三間・二間の身舎[もや]の前面、両側面の三方に廂[ひさし]がめぐらされた形で、側面や背面にその特色を見せています。また、正面には、一間の向拝[こうはい]と浜床[はまゆか]をつけ、縁高欄[えんこうらん]がまわりをめぐっています。
天正[てんしょう]一四(1586)年に復興[ふっこう]されたものですが、慶長[けいちょう]二(1597)年に改造されています。
昭和三六(1961)年に国宝に指定されました。
大津市教育委員会 平成四(1992)年三月
==========================================================================
cここにも特徴のある狛犬がいました。
ドングリ眼が印象的で、どことなくスフィンクスを連想するようなタテガミです。
この建物が復興された天正14年(1586年)は、天皇から関白太政大臣や、豊臣姓を賜った秀吉の絶頂期でもありました。
その後、建物が改築された慶長2年(1597年)は、朝鮮半島への侵略「慶長の役」が始まった年で、翌年秀吉が亡くなっています。
廻り縁や、欄干に施された豪華な飾りを見ていると、安土桃山時代がついこの前のように錯覚してしまいます。
d日吉造りの特徴である本殿裏側の庇を見上げた様子です。
この角度では日吉造りの特徴がよく見えなかったようです。
e桂の木が御神木と案内されていました。
桂の木にちなむ神話を思い出しました。
島根県の山間部にある「金屋子神社」に行った時、数本の桂の木がありました。
昔、その桂の木に金屋子神(たたら製鉄の神様)が降臨したそうです。
■案内板を転記します。
==========================================================================
日吉随一の御神木
桂の木
山王祭(例祭)を別称「桂の祭」と申します。
冠や衣服に桂の枝を飾って神縁を結ぶ古式が行われます。
また縁結びのご神木と崇められ「愛染桂」とも親しまれています。
全ての良き縁をお祈り下さい。
==========================================================================
f桂の木を見上げた様子です。
ハート型のやさしそうな緑の葉を見上げていると心がなごみます。
古代人は、木の清々しさから神の降臨する木と考えたのでしょうか。
g本殿の横から向かいの拝殿を見た景色です。
向かって右の桂の木との間に西本宮の楼門が見えています。
h楼門を背にして見た拝殿正面の様子です。
鈴を鳴らすひもが、5本も下がっています。
お祭りには大勢の参拝者があるものと思われます。
■拝殿の脇に案内板があり、転記します。
==========================================================================
重要文化財 建造物
日吉大社西本宮拝殿 一棟 (大津市坂本五丁目)
この拝殿は、方三間[ほうさんげん](桁行三間、梁間三間、一重[いちじゅう]、入母屋造、檜皮葺[ひわだぶき]、妻入[つまいり]りの建物です。
柱間は四方とも開け放して、屋根の妻飾りは木連格子[きつれこうし]、回り縁は高欄がつき、天井は中央部が一段と高くなった折上小組格天井[おりあげこぐみごうてんじょう]となっています。
日吉大社の他の同じ形の拝殿のうちでは、一番手の込んだ構造となっており、天正一四(1586)年本殿と同時に建てられたものです。
昭和三九(1964)年五月に重要文化財に指定されました。
大津市教育委員会 平成四(1992)年三月
==========================================================================
i西本宮の楼門です。
全景が撮れていませんが、実に立派な建物でした。
本殿と同様、天正14年の建物と推定されているようですが、約四百年間美しい姿を維持していることに驚きます。
■門の脇に案内板があり、転記します。
==========================================================================
重要文化財 建造物
日吉大社西本宮楼門一棟 大津市坂本五丁目
楼門とは、二階建で階上に縁があり、屋根は上の一つしかない形式の門のことです。
西本宮楼門は、東本宮楼門と同様、三間一戸(戸とは出入口のこと)入母屋造、檜皮葺の建物です。木部は丹塗[にぬり]を主としたもので、上下の釣り合いがよく、樹の緑によく映えます。四隅には猿の彫刻、前後に極彩色の蛙股[かえるまた]があります。
確実な資料はまだ発見されていませんが、天正十四年(1586)頃に造営されたものではないかと推定されています。
大正六年四月五日に国の指定文化財となりました。
大津市教育委員会
昭和六十三年三月二日
==========================================================================
本来ならここから参拝を始めるようですが、駐車場から道なりに進んだ結果です。
日吉造で知られる日吉大社西本宮の本殿です。
日吉大社では祭神を「大己貴[おおなむち]神」とし、天智天皇が大津京遷都(667年)の時、大津京を始め国家鎮護の神として大和国三輪山の大神[おおみわ]神社より御神霊を御迎えしたとしています。
ヤマト朝廷は、663年白村江で新羅・唐の連合軍に大敗し、必死で防衛体制を整えている時代です。国譲りで敗退させた「大己貴神」をなぜ「国家鎮護の神」として祀るのか疑問です。
又、「大神神社」では主祭神を「大物主大神」とし、「大己貴神」「少彦名神」は配祀としています。
一般的に大物主は、大己貴神の別称とされるようですが、どうも世襲の役職名ではないかと推察しています。
675年、西本宮に合祀されていた「田心姫神」が「宇佐宮」へ分祀したそうです。
三輪山に祀られてる「大物主大神」が、「大己貴神」でない可能性がある場合、大己貴神の妻「田心姫神」の合祀を不適切と考え、分祀したのかも知れません。
何分「古事記」「日本書紀」ができる前の時代で、事実はまったく霧の中です。
b日吉大社西本宮の本殿前の様子です。
社殿に上がる階段の下の板張り「浜床」を見ると、気軽にお上がり下さいと言われているようです。
■本殿前の説明板を転記します。
==========================================================================
国宝 建造物
日吉大社西本宮本殿 一棟
(大津市坂本五丁目)
この本殿は、桁行五間[けたゆきごけん]、梁間三間[はりまさんげん]、日吉造[ひえづくり]、檜皮葺[ひわだぶき]の建物です。日吉造は、一名を聖帝造[しょうたいづくり]ともいい、全国では、日吉大社だけにみられる特殊な構造です。
つまり、三間・二間の身舎[もや]の前面、両側面の三方に廂[ひさし]がめぐらされた形で、側面や背面にその特色を見せています。また、正面には、一間の向拝[こうはい]と浜床[はまゆか]をつけ、縁高欄[えんこうらん]がまわりをめぐっています。
天正[てんしょう]一四(1586)年に復興[ふっこう]されたものですが、慶長[けいちょう]二(1597)年に改造されています。
昭和三六(1961)年に国宝に指定されました。
大津市教育委員会 平成四(1992)年三月
==========================================================================
cここにも特徴のある狛犬がいました。
ドングリ眼が印象的で、どことなくスフィンクスを連想するようなタテガミです。
この建物が復興された天正14年(1586年)は、天皇から関白太政大臣や、豊臣姓を賜った秀吉の絶頂期でもありました。
その後、建物が改築された慶長2年(1597年)は、朝鮮半島への侵略「慶長の役」が始まった年で、翌年秀吉が亡くなっています。
廻り縁や、欄干に施された豪華な飾りを見ていると、安土桃山時代がついこの前のように錯覚してしまいます。
d日吉造りの特徴である本殿裏側の庇を見上げた様子です。
この角度では日吉造りの特徴がよく見えなかったようです。
e桂の木が御神木と案内されていました。
桂の木にちなむ神話を思い出しました。
島根県の山間部にある「金屋子神社」に行った時、数本の桂の木がありました。
昔、その桂の木に金屋子神(たたら製鉄の神様)が降臨したそうです。
■案内板を転記します。
==========================================================================
日吉随一の御神木
桂の木
山王祭(例祭)を別称「桂の祭」と申します。
冠や衣服に桂の枝を飾って神縁を結ぶ古式が行われます。
また縁結びのご神木と崇められ「愛染桂」とも親しまれています。
全ての良き縁をお祈り下さい。
==========================================================================
f桂の木を見上げた様子です。
ハート型のやさしそうな緑の葉を見上げていると心がなごみます。
古代人は、木の清々しさから神の降臨する木と考えたのでしょうか。
g本殿の横から向かいの拝殿を見た景色です。
向かって右の桂の木との間に西本宮の楼門が見えています。
h楼門を背にして見た拝殿正面の様子です。
鈴を鳴らすひもが、5本も下がっています。
お祭りには大勢の参拝者があるものと思われます。
■拝殿の脇に案内板があり、転記します。
==========================================================================
重要文化財 建造物
日吉大社西本宮拝殿 一棟 (大津市坂本五丁目)
この拝殿は、方三間[ほうさんげん](桁行三間、梁間三間、一重[いちじゅう]、入母屋造、檜皮葺[ひわだぶき]、妻入[つまいり]りの建物です。
柱間は四方とも開け放して、屋根の妻飾りは木連格子[きつれこうし]、回り縁は高欄がつき、天井は中央部が一段と高くなった折上小組格天井[おりあげこぐみごうてんじょう]となっています。
日吉大社の他の同じ形の拝殿のうちでは、一番手の込んだ構造となっており、天正一四(1586)年本殿と同時に建てられたものです。
昭和三九(1964)年五月に重要文化財に指定されました。
大津市教育委員会 平成四(1992)年三月
==========================================================================
i西本宮の楼門です。
全景が撮れていませんが、実に立派な建物でした。
本殿と同様、天正14年の建物と推定されているようですが、約四百年間美しい姿を維持していることに驚きます。
■門の脇に案内板があり、転記します。
==========================================================================
重要文化財 建造物
日吉大社西本宮楼門一棟 大津市坂本五丁目
楼門とは、二階建で階上に縁があり、屋根は上の一つしかない形式の門のことです。
西本宮楼門は、東本宮楼門と同様、三間一戸(戸とは出入口のこと)入母屋造、檜皮葺の建物です。木部は丹塗[にぬり]を主としたもので、上下の釣り合いがよく、樹の緑によく映えます。四隅には猿の彫刻、前後に極彩色の蛙股[かえるまた]があります。
確実な資料はまだ発見されていませんが、天正十四年(1586)頃に造営されたものではないかと推定されています。
大正六年四月五日に国の指定文化財となりました。
大津市教育委員会
昭和六十三年三月二日
==========================================================================