昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
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えさし藤原の郷の「中尊寺 金色堂」と、本物との違い

2008年05月15日 | 近畿地方の旅
岩手県奥州市「えさし藤原の郷」見物のつづきです。



「えさし藤原の郷」には平安時代の建物が立ち並び、時代劇の世界にタイムスリップした感覚になっていきます。

園内の「金色堂」の案内標識に従って少し長い階段を上って行きました。



「金色堂」のセットがありました。
セットとは言え、お寺で見かけるお堂と同じような建物です。
「金色堂」に期待して少し長い階段を上って行きましたが、平凡さにちょっと落胆してしました。

■案内板の説明文を転記します。
「金色堂」
平泉黄金文化の最高傑作である金色堂を、建立当時を想定して覆堂のないかたちで再現しています。
奥州の覇者となった藤原清衡は平泉で新都建設に着手しました。その宗教的中心となったのが中尊寺で、諸堂の造営にかかった歳月は21年に及びました。現存する金色堂は三間四方の単層方形造りの外観をもち、屋根は木瓦葺で、木造に漆が塗られ、その上に金箔が張られています。当時流行の阿弥陀如来を本尊としています。金色は価値の高さを表現する色であり、宗教的には霊性を示します。清衡は、戦乱で罪なくして死せられた魂を弔い、奥羽の安寧と国家の安泰を祈念するとともに、辺境と言われた地に都と同じく仏教文化を築くという願いを込めて金色堂を建立しました。



まだ見ぬ「金色堂」でしたが、建物の中や、外観も貧弱で、まったくイメージが違いました。
金色に塗られたこのお堂に、あの「金色堂」の名称を付けるのは、かなりムリがある感じです。



「金色堂」のセットを斜めから撮ったものです。
写真に向かって右側におみぐじが、結び付けられています。
左側におみくじの自動販売機があり、参拝と錯覚して買ってしまうのでしょうか?



本物の「中尊寺 金色堂」の外観です。
「えさし藤原の郷」の見物後に行きました。
「金色堂」は、この大きな覆堂(おおいどう)の中にあり、出口から金色の建物が少し見えています。
建物の前に立つと長い歴史の重みを感じます。

覆堂の入り口から出口まで一方通行の通路をゆっくり歩きながら「金色堂」を拝観しました。


「中尊寺」で頂いたパンフレットの「金色堂」の仏像の写真です。

薄暗い覆堂の中で光る「金色堂」の仏像や、建物の美しさ、荘厳さに感動しました。

■パンフレットの説明文を転記します。
<国宝>金色堂
天治元年(1124)の建立で、中尊寺創建当初の唯一の遺構です。
皆金色の阿弥陀堂は、荘厳の限りが尽くされ、まさに極楽浄土を現世にあらわしています。
ご本尊は阿弥陀如来。その前に観音菩薩、勢至菩薩、左右に三体ずつの六地蔵、最前列には持国天と増長天が仏界を守護しています。
仏壇(須弥壇)・四本の巻柱、長押は螺鈿細工・蒔絵の粋が施されています。夜光貝(螺鈿)・紫檀・アフリカ象の象牙などの材料は、当時の交易の広さを物語ります。
中央の須弥壇の中に初代清衡公、向って左の壇に二代基衡公、右に三代秀衡公のご遺体と泰衡公の首級がおさめられています。


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