昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

伊勢神宮の塩田「御塩浜」

2009年09月06日 | 近畿地方の旅
5月連休の熊野・伊勢・志摩旅行の続きです。

旅行3日目、5月4日の早朝6時過ぎ、伊勢市二見町荘にある「御塩浜」に行きました。

この後に見学予定の、「御塩殿[みしおどの]神社」と合わせたものが伊勢神宮の製塩施設のようです。



人気のない五十鈴川の河口付近の土手から興味津々で「御塩浜」[みしおはま]を見下ろしました。

手前のコンクリートのマスは、海水の取水口で、塩田は柵に囲まれた部分(縦38m、横31m)です。

写真には見えませんが、すぐ左手に土手から下りる道があります。



伊勢市付近の地図です。

赤いマークの「御塩浜」は南の「伊勢神宮 内宮」の横を流れる五十鈴川の河口にあります。

ここで作られた濃縮塩水が、東にある「御塩殿神社」へ運ばれて塩になるようです。

現代ではトラックで濃縮した塩水を運ぶことが出来ますが、担いだり、荷車で運んでいた昔は製塩する「御塩殿神社」と同じ場所にあったものと考えられます。

二見浦で塩が作られ始めたのは「伊勢神宮」創建の頃とされていますが、当初は海水を煮詰める製法で、この御塩浜(塩田)はなかったものと思われます。

古墳時代後期~奈良時代の福井県小浜市の岡津製塩遺跡を見学したことがあります。

当時は、海岸に平たく石を敷き詰め、ソフトボール程度の大きさの土器に塩水を入れて複数並べ、その周囲で火を焚く土器製塩だったようです。

この「御塩浜」(塩田)の始まりは、それからかなり時代が下った頃からと思われます。



向こうに見える五十鈴川の河口から遡った土手に造られた御塩浜の取水口です。

土手の反対側に最初の写真の取水施設があり、干満の差を利用して海水を引き込んでいるようです。

この辺りでは五十鈴川の流れと、海水が混じり合っているものと思われます。

常識的には、塩分の薄い河口付近の水では海水を乾燥させる効率が悪いと考えられます。

しかし、一部の本では、河口付近の水が、きめ細かく、ミネラル豊富な塩が採れる先人の知恵が伝えられているとの見解もありますが実態は分かりません。



土手から道を下り、「御塩浜」の入口に立ちました。

御塩浜(塩田)の手前に鳥居がありましたが、特に社殿はありませんでした。

この鳥居で、やはり伊勢神宮の塩田であるとの感じが伝わってくるようです。



御塩浜(塩田)に近づくと、左手に物置小屋のような建物がありました。

作業の用具などが納められているものと思われます。



鳥居に近づいてみると、「黒木の鳥居」(木の皮を剥がず原木で造った鳥居)です。

左手には「貫」(笠木の下の二段目の横木)のない鳥居のようなものが立っていますが、何のためのものかよく分かりません。



土手の下の取水口につながった水路です。

突き当たりの土手の向こうには五十鈴川の河口付近の流れがあります。



御塩浜(塩田)の中の様子です。

正面の柵の下は、御塩浜(塩田)に塩水を入れる取水口のようです。

御塩浜(塩田)の中央付近に板が四か所に立てられています。

この場所は、沼井[ぬい]と呼ぶ施設で、濃縮された塩水を効率的に作る役割があるようです。



沼井[ぬい]の付近を拡大した写真で、奥行きが長く、長方形の穴が開いています。

この右手に大きな沼井の穴を掘るようですが、興味のある方は三重県醤油味噌工業協同組合 御塩作りの作業に掲載されていますので参考にして下さい。

「御塩浜」での塩作りは、一見昔の情緒を感じるものと思われますが、かなりの重労働のようです。


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