5月3~5日の「熊野・伊勢・志摩旅行」の思い出を再開します。
5月4日7:50頃、伊勢神宮 内宮へ参拝で、参道口の「宇治橋」にさしかかりました。
伊勢神宮では、第62回神宮式年遷宮の行事が、平成17(2005)年に始まり、平成25(2013)年まで様々な儀式や、行事が続いているようです。
内宮の宇治橋の架け替えもその行事の一つで、平成20年7月26日に起工式が行われ、目下建設中でした。
鳥居の向こうに工事中の「宇治橋」が見えます。
内宮の参道口である「宇治橋」は、五十鈴川に架かる檜[ひのき]造りの橋です。
記念撮影をする人が多く、私も三脚を持参し、妻と記念写真を撮りました。
伊勢神宮で頂いたパンフレットに掲載されていた「宇治橋」の写真です。
(前回の建て替え直後に撮られた写真でしょうか)
このブログ【2009-07-09 外宮 神路通りにある「お木曳」の案内板】でも引用した本ですが、「伊勢神宮 知られざる杜のうち」(矢野憲一 著)に、この正面から冬至の太陽が昇ることが紹介されていました。
誰かが冬至の日の出を意識してこの橋の方角を考えたのか、単なる偶然なのかは不明です。
機会があれば、この場所から冬至の早朝に太陽を拝みたいものです。
■パンフレットにあった宇治橋の説明文です。
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宇治橋
内宮の入口、五十鈴川の清流に影を映してかかる高欄つきの和橋が宇治橋で、二十年ごとに架けかえます。
橋の内側の大鳥居は内宮古殿の棟持柱を、外側は外宮古殿の棟持柱をつかい遷宮後に建て替えられます。
ここからはいよいよ神域だと、心のあらたまるところです。
ここは心のふるさとか そぞろ詣れば旅ごころ
うたた童にかへるかな 吉川英治
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工事中の「宇治橋」の隣ある「仮橋」です。
立て札に「右側通行」とありますが、外宮では逆に「左側通行」でした。
手前の仮橋から見る工事中の「宇治橋」です。
骨格は既に出来上がり、仕上げに入る段階のようです。
宇治橋の向こうに「鼓ヶ岳」[つづみがたけ](標高355.2m)が見えます。
この地方の山は、緑の色が多様で、とても美しく感じます。
川の中央付近から上流を見た景色です。
上流には人家が少ないようで、水がとても澄んでいます
仮橋から五十鈴川の下流を見た景色です。
川は、左にカーブしてその先の川辺は「おはらい通り」の町並みの裏通りです。
川の曲がった流れが、雑然とした景色を遮断しているようです。
仮橋を渡り、振り返って見た「宇治橋」の全景です。
少し離れているため、檜の香りはしませんでしたが、新緑の「鼓ヶ岳」に映えて完成時の美しさが思い浮かぶようです。
寛政9年(1797)年5月に発刊された伊勢参りの絵図「伊勢参宮名所図会」の「宇治橋」の絵図です。
「絵図に見る伊勢参り」(旅の文化研究所編 河出書房新社)に掲載されていたもので、江戸時代に盛んだったお伊勢参りの様子がよく伝わってくる本です。
江戸時代の「宇治橋」の風物詩を描いたもので、参拝者が厄除けで投げる銭を橋の下にいる人々が竿の先に付けた網でキャッチする様子だそうです。
大道芸人のようなパフォーマンスで、投げ銭をする人達を喜ばせていたのでしょうか、昔の情緒がしのばれます。
しかし、寒い冬にはかなりつらい仕事だったものと思われます。
■「絵図に見る伊勢参り」に掲載されていた説明文です。
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宇治橋
五十鈴川に架けられた橋で、内宮の入口にあたる。南北の橋の渡り口に鳥居が立つ。ここでの名物は、竹の先に網をつけて投げ銭を拾う人々であった。『東海道中膝栗毛』にも、弥次郎兵衛と喜多八が同行の上方者といっしょになって宇治橋から銭を投げる場面がある。どのように銭を投げようとも彼らが器用に拾ってみせるので、一種の芸人であったともいえる。こうした情景がいつごろからみられるようになったかは定かでないが、神宮徴古館蔵の『伊勢両宮畳茶羅図』(桃山時代ごろ)に、宇治橋から銭を投げる人々とそれを拾う子どもの姿がすでに描かれている。綱つきの竹こそ使っていないが、宇治橋での投げ銭の慣習そのものは中世以来のことと考えることができる。また、寛政六(一七九四)年に東北からの参詣者が書き残した『伊勢参宮所々名所並道法道中記』には、「厄落とし橋銭投げ申すべく候」と善かれている。厄落としの賽銭のような意味合いで、参詣者は宇治橋から銭を放ったのであろう。
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「宇治橋」を内宮側の鳥居の下から見た景色です。
「宇治橋」の工事は、平成21(2009)年11月3日の渡始式を目指して行われており、完成後には再訪して渡って見たいと思います。
5月4日7:50頃、伊勢神宮 内宮へ参拝で、参道口の「宇治橋」にさしかかりました。
伊勢神宮では、第62回神宮式年遷宮の行事が、平成17(2005)年に始まり、平成25(2013)年まで様々な儀式や、行事が続いているようです。
内宮の宇治橋の架け替えもその行事の一つで、平成20年7月26日に起工式が行われ、目下建設中でした。
鳥居の向こうに工事中の「宇治橋」が見えます。
内宮の参道口である「宇治橋」は、五十鈴川に架かる檜[ひのき]造りの橋です。
記念撮影をする人が多く、私も三脚を持参し、妻と記念写真を撮りました。
伊勢神宮で頂いたパンフレットに掲載されていた「宇治橋」の写真です。
(前回の建て替え直後に撮られた写真でしょうか)
このブログ【2009-07-09 外宮 神路通りにある「お木曳」の案内板】でも引用した本ですが、「伊勢神宮 知られざる杜のうち」(矢野憲一 著)に、この正面から冬至の太陽が昇ることが紹介されていました。
誰かが冬至の日の出を意識してこの橋の方角を考えたのか、単なる偶然なのかは不明です。
機会があれば、この場所から冬至の早朝に太陽を拝みたいものです。
■パンフレットにあった宇治橋の説明文です。
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宇治橋
内宮の入口、五十鈴川の清流に影を映してかかる高欄つきの和橋が宇治橋で、二十年ごとに架けかえます。
橋の内側の大鳥居は内宮古殿の棟持柱を、外側は外宮古殿の棟持柱をつかい遷宮後に建て替えられます。
ここからはいよいよ神域だと、心のあらたまるところです。
ここは心のふるさとか そぞろ詣れば旅ごころ
うたた童にかへるかな 吉川英治
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工事中の「宇治橋」の隣ある「仮橋」です。
立て札に「右側通行」とありますが、外宮では逆に「左側通行」でした。
手前の仮橋から見る工事中の「宇治橋」です。
骨格は既に出来上がり、仕上げに入る段階のようです。
宇治橋の向こうに「鼓ヶ岳」[つづみがたけ](標高355.2m)が見えます。
この地方の山は、緑の色が多様で、とても美しく感じます。
川の中央付近から上流を見た景色です。
上流には人家が少ないようで、水がとても澄んでいます
仮橋から五十鈴川の下流を見た景色です。
川は、左にカーブしてその先の川辺は「おはらい通り」の町並みの裏通りです。
川の曲がった流れが、雑然とした景色を遮断しているようです。
仮橋を渡り、振り返って見た「宇治橋」の全景です。
少し離れているため、檜の香りはしませんでしたが、新緑の「鼓ヶ岳」に映えて完成時の美しさが思い浮かぶようです。
寛政9年(1797)年5月に発刊された伊勢参りの絵図「伊勢参宮名所図会」の「宇治橋」の絵図です。
「絵図に見る伊勢参り」(旅の文化研究所編 河出書房新社)に掲載されていたもので、江戸時代に盛んだったお伊勢参りの様子がよく伝わってくる本です。
江戸時代の「宇治橋」の風物詩を描いたもので、参拝者が厄除けで投げる銭を橋の下にいる人々が竿の先に付けた網でキャッチする様子だそうです。
大道芸人のようなパフォーマンスで、投げ銭をする人達を喜ばせていたのでしょうか、昔の情緒がしのばれます。
しかし、寒い冬にはかなりつらい仕事だったものと思われます。
■「絵図に見る伊勢参り」に掲載されていた説明文です。
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宇治橋
五十鈴川に架けられた橋で、内宮の入口にあたる。南北の橋の渡り口に鳥居が立つ。ここでの名物は、竹の先に網をつけて投げ銭を拾う人々であった。『東海道中膝栗毛』にも、弥次郎兵衛と喜多八が同行の上方者といっしょになって宇治橋から銭を投げる場面がある。どのように銭を投げようとも彼らが器用に拾ってみせるので、一種の芸人であったともいえる。こうした情景がいつごろからみられるようになったかは定かでないが、神宮徴古館蔵の『伊勢両宮畳茶羅図』(桃山時代ごろ)に、宇治橋から銭を投げる人々とそれを拾う子どもの姿がすでに描かれている。綱つきの竹こそ使っていないが、宇治橋での投げ銭の慣習そのものは中世以来のことと考えることができる。また、寛政六(一七九四)年に東北からの参詣者が書き残した『伊勢参宮所々名所並道法道中記』には、「厄落とし橋銭投げ申すべく候」と善かれている。厄落としの賽銭のような意味合いで、参詣者は宇治橋から銭を放ったのであろう。
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「宇治橋」を内宮側の鳥居の下から見た景色です。
「宇治橋」の工事は、平成21(2009)年11月3日の渡始式を目指して行われており、完成後には再訪して渡って見たいと思います。