前回の三重県熊野市の「鬼ヶ城」の見物の続きです。
鬼ヶ城の案内図です。
「千畳敷」「奥の木戸」に続き、地図の赤い丸印「猿戻り」から「水谷」までの景色を紹介します。
もともとこの奇岩の海岸は、「鬼の岩屋」と呼ばれていたそうです。
案内地図の上中央に「鬼ヶ城城跡」が見えるように、この山の上に戦国時代の城があったようです。
1523年頃、この地の領主「有馬和泉守忠親」が、隠居城を築き、「鬼ヶ城」と名付けたそうです。
ちなみに織田信長が生まれたのが1534年で、その11年前の築城だったようです。
甥に家督を譲った忠親が、隠居後もなお、城を必要としたことは、一族間でも生死をかけて争った戦国時代の厳しさが考えられます。
又、忠親が、隠居城の名を「鬼ヶ城」とした理由にも興味がわいてきます。
その後、忠親に実子が生まれ、甥を死に追いやり、甥一族の攻撃により自害したと伝わる歴史を考えると、忠親自身に鬼のような人間を見ていたのかも知れません。
「猿戻り」と表示されていた場所から西の海岸線を見た景色です。
大きく縦に走る岩の裂け目を少し過ぎた辺りに「犬戻り」の表示もありました。
垂直に近い断崖と、大きく縦に走る岩の裂け目で、猿や、犬も進むことをあきらめるという意味でしょうか。
断崖・絶壁に造られた遊歩道の坂道を登り、かなり高くなった場所で、景色は抜群です。
猿・犬と聞けば、キジを加えた桃太郎のおとぎ話を連想します。
この絶壁でも、空を飛ぶキジでは「キジ戻り」は、ないでしょうね。
■西入口の環境省・三重県の案内板にあった「猿戻り」「犬戻り」の説明文です。
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「犬戻・猿戻」
長さ百数十m、高さ数十mの絶壁で、大きな岩の裂け目が見られ岩角に打ち寄せる波飛沫は壮観である。
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「犬戻り」の表示板がある辺りから東側を振り返った景色です。
後ろから小学生くらいの子供たちが賑やかに歩いていました。
一番向こうに「奥の木戸」が見えていますが、断崖の道は次第に高くなり、下の海は、かなり下に見えます。
遊歩道の柵で安心して歩けますが、絶壁の岩の裂け目に架けられた橋などを見ると、工事をした人に感心します。
断崖の下に見えた「鬼の風呂桶」と案内された岩です。
写真に向って中央からやや右にある岩の窪みが「鬼の風呂桶」のようです。
断崖の下の海は、少し風もあり、波しぶきがきれいです。
絶壁の上を見ると、所々でこんな岩が見えます。
4年前、南紀旅行で見た「虫喰岩[むしくいいわ]」を思い出します。
「神楽岩」の案内表示があり、この岩ではないかと思われます。
とにかく巨大な岩でした。
案内板にも説明がなく、なぜ「神楽岩」の名が岩に付くのか謎です。
大きな岩が二つ並び、手前が「神楽岩」、向こうが「木喰岩」と思われます。
「神楽岩」の手前の岩の上で水色の服を着て釣りをしている人がいます。
上段の「神楽岩」の写真のよりだいぶ西から撮ったので形が違うようにも見えます。
■西入口の環境省・三重県の案内板にあった「木喰岩」の説明文です。
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木喰岩
約300tの大岩が太平洋の怒涛に持ち上げられ、その岩の下に流木が食い込むところから名付けられた。
流木は大波が来るごとに入れ替わるという。
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上段の写真の向かって右端に「木喰岩」の下部分が見えますが、岩の下に隙間があり、流木が食い込むのではと思います。
(現地に具体的な案内がないので岩を勘違している可能性がありますが・・・)
「木喰岩」のすぐ西側にこんな岩がありました。
勝手に「鬼の飛び石」と名づけました。
飛び石を歩いて行った鬼が、向こうの海に二本のツノだけ出して沈んでいます。
「鰐岩」と思われる岩ですが、いち早く妻が見つけ教えてくれました。
1枚の写真に収まらなかったので、2枚の写真を強引に結合させてしまいました。
■西入口の環境省・三重県の案内板にあった「鰐岩」の説明文です。
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鰐岩
鬼ヶ城の中央に突き出た所の海にある巨岩で、まるで海を泳ぐワニの姿のようであることから、誰とはなくこう呼ぶようになった。
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「潮吹」とおぼしき辺りの写真です。
探して見ましたが、潮を吹いている所はありませんでした。
岩の名前だけが書かれた案内板を見て、まじめに探す自分がアホらしくなりました。
要は、海岸の景色を楽しめばいい話で、この案内板は場所当てクイズなのだと思えばいいのです。
■西入口の環境省・三重県の案内板にあった「潮吹」の説明文です。
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潮吹
岩の割れ目に挟まれた大石の下に、両側から波が押し寄せるとき、吠えるような音響を発して潮を吹くという。
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「飛渡り」は、写真の上部分に小さな橋が架けられている場所に表示板があり、橋が無かった頃の名だそうです。
「鬼の見張り場」は、この写真の手前辺りだったと思われます。
西入口の案内板(環境庁・三重県が設置)には「鬼の見晴らし場」と書かれてありました。
「見晴らし場」なんて言葉は、聞いたことがありませんが、国の名勝・天然記念物に指定されているだけに熊野市の案内板にある「鬼の見張り場」を支持する訳にもいきません。
もしかして、これは環境省の役人が考え出した「自然の景観」「場所当てクイズ」「名前当て2択クイズ」を複合した新たな観光政策かも知れません。
■西入口の環境省・三重県の案内板にあった「飛渡り・見晴らし場」の説明文です。
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飛渡り
岩の割れ目が深く入るところで、下から怒涛の音が聞こえ飛沫が上がってくる。橋のない時は、ここを飛んで渡ったことからこの名が付いた。
鬼の見晴らし場(鬼の見張り場)
昔、海の交通が盛んであった頃、七里御浜を一望におさめ見張り場に絶好の場所であったという。
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「水谷」の場所がよく分かりません、とりあえず案内板付近の水のある場所の写真を載せました。
「鬼ヶ城」の数ヶ所で、切り立った岩壁を伝って少量の水が流れ落ちる場所もありました。
写真上部の岩が黒くなっている様子は、釉薬[うわぐすり]が垂れた陶磁器のようにも見えます。
■西入口の環境省・三重県の案内板にあった「水谷」の説明文です。
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水谷
鬼ヶ城山頂から絶えず清水が流れ落ちており、昔、鬼が水を汲んだ所と言い伝えられている。
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奇岩の散策が、もう少し残っていますので、次回の掲載とします。
鬼ヶ城の案内図です。
「千畳敷」「奥の木戸」に続き、地図の赤い丸印「猿戻り」から「水谷」までの景色を紹介します。
もともとこの奇岩の海岸は、「鬼の岩屋」と呼ばれていたそうです。
案内地図の上中央に「鬼ヶ城城跡」が見えるように、この山の上に戦国時代の城があったようです。
1523年頃、この地の領主「有馬和泉守忠親」が、隠居城を築き、「鬼ヶ城」と名付けたそうです。
ちなみに織田信長が生まれたのが1534年で、その11年前の築城だったようです。
甥に家督を譲った忠親が、隠居後もなお、城を必要としたことは、一族間でも生死をかけて争った戦国時代の厳しさが考えられます。
又、忠親が、隠居城の名を「鬼ヶ城」とした理由にも興味がわいてきます。
その後、忠親に実子が生まれ、甥を死に追いやり、甥一族の攻撃により自害したと伝わる歴史を考えると、忠親自身に鬼のような人間を見ていたのかも知れません。
「猿戻り」と表示されていた場所から西の海岸線を見た景色です。
大きく縦に走る岩の裂け目を少し過ぎた辺りに「犬戻り」の表示もありました。
垂直に近い断崖と、大きく縦に走る岩の裂け目で、猿や、犬も進むことをあきらめるという意味でしょうか。
断崖・絶壁に造られた遊歩道の坂道を登り、かなり高くなった場所で、景色は抜群です。
猿・犬と聞けば、キジを加えた桃太郎のおとぎ話を連想します。
この絶壁でも、空を飛ぶキジでは「キジ戻り」は、ないでしょうね。
■西入口の環境省・三重県の案内板にあった「猿戻り」「犬戻り」の説明文です。
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「犬戻・猿戻」
長さ百数十m、高さ数十mの絶壁で、大きな岩の裂け目が見られ岩角に打ち寄せる波飛沫は壮観である。
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「犬戻り」の表示板がある辺りから東側を振り返った景色です。
後ろから小学生くらいの子供たちが賑やかに歩いていました。
一番向こうに「奥の木戸」が見えていますが、断崖の道は次第に高くなり、下の海は、かなり下に見えます。
遊歩道の柵で安心して歩けますが、絶壁の岩の裂け目に架けられた橋などを見ると、工事をした人に感心します。
断崖の下に見えた「鬼の風呂桶」と案内された岩です。
写真に向って中央からやや右にある岩の窪みが「鬼の風呂桶」のようです。
断崖の下の海は、少し風もあり、波しぶきがきれいです。
絶壁の上を見ると、所々でこんな岩が見えます。
4年前、南紀旅行で見た「虫喰岩[むしくいいわ]」を思い出します。
「神楽岩」の案内表示があり、この岩ではないかと思われます。
とにかく巨大な岩でした。
案内板にも説明がなく、なぜ「神楽岩」の名が岩に付くのか謎です。
大きな岩が二つ並び、手前が「神楽岩」、向こうが「木喰岩」と思われます。
「神楽岩」の手前の岩の上で水色の服を着て釣りをしている人がいます。
上段の「神楽岩」の写真のよりだいぶ西から撮ったので形が違うようにも見えます。
■西入口の環境省・三重県の案内板にあった「木喰岩」の説明文です。
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木喰岩
約300tの大岩が太平洋の怒涛に持ち上げられ、その岩の下に流木が食い込むところから名付けられた。
流木は大波が来るごとに入れ替わるという。
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上段の写真の向かって右端に「木喰岩」の下部分が見えますが、岩の下に隙間があり、流木が食い込むのではと思います。
(現地に具体的な案内がないので岩を勘違している可能性がありますが・・・)
「木喰岩」のすぐ西側にこんな岩がありました。
勝手に「鬼の飛び石」と名づけました。
飛び石を歩いて行った鬼が、向こうの海に二本のツノだけ出して沈んでいます。
「鰐岩」と思われる岩ですが、いち早く妻が見つけ教えてくれました。
1枚の写真に収まらなかったので、2枚の写真を強引に結合させてしまいました。
■西入口の環境省・三重県の案内板にあった「鰐岩」の説明文です。
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鰐岩
鬼ヶ城の中央に突き出た所の海にある巨岩で、まるで海を泳ぐワニの姿のようであることから、誰とはなくこう呼ぶようになった。
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「潮吹」とおぼしき辺りの写真です。
探して見ましたが、潮を吹いている所はありませんでした。
岩の名前だけが書かれた案内板を見て、まじめに探す自分がアホらしくなりました。
要は、海岸の景色を楽しめばいい話で、この案内板は場所当てクイズなのだと思えばいいのです。
■西入口の環境省・三重県の案内板にあった「潮吹」の説明文です。
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潮吹
岩の割れ目に挟まれた大石の下に、両側から波が押し寄せるとき、吠えるような音響を発して潮を吹くという。
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「飛渡り」は、写真の上部分に小さな橋が架けられている場所に表示板があり、橋が無かった頃の名だそうです。
「鬼の見張り場」は、この写真の手前辺りだったと思われます。
西入口の案内板(環境庁・三重県が設置)には「鬼の見晴らし場」と書かれてありました。
「見晴らし場」なんて言葉は、聞いたことがありませんが、国の名勝・天然記念物に指定されているだけに熊野市の案内板にある「鬼の見張り場」を支持する訳にもいきません。
もしかして、これは環境省の役人が考え出した「自然の景観」「場所当てクイズ」「名前当て2択クイズ」を複合した新たな観光政策かも知れません。
■西入口の環境省・三重県の案内板にあった「飛渡り・見晴らし場」の説明文です。
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飛渡り
岩の割れ目が深く入るところで、下から怒涛の音が聞こえ飛沫が上がってくる。橋のない時は、ここを飛んで渡ったことからこの名が付いた。
鬼の見晴らし場(鬼の見張り場)
昔、海の交通が盛んであった頃、七里御浜を一望におさめ見張り場に絶好の場所であったという。
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「水谷」の場所がよく分かりません、とりあえず案内板付近の水のある場所の写真を載せました。
「鬼ヶ城」の数ヶ所で、切り立った岩壁を伝って少量の水が流れ落ちる場所もありました。
写真上部の岩が黒くなっている様子は、釉薬[うわぐすり]が垂れた陶磁器のようにも見えます。
■西入口の環境省・三重県の案内板にあった「水谷」の説明文です。
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水谷
鬼ヶ城山頂から絶えず清水が流れ落ちており、昔、鬼が水を汲んだ所と言い伝えられている。
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奇岩の散策が、もう少し残っていますので、次回の掲載とします。