昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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因島「白滝山」参道、百華園から六地蔵まで

2010年05月05日 | 山陽地方の旅
5月1日、尾道市因島の白滝山へ再訪しました。

前回は、今年1月2日に山頂に近い駐車場から登りましたが、今回は麓からの参道をゆっくりと歩くことにしました。

前回の因島観光の数回にわたるブログ記事は、幸いにも因島観光協会様の観光案内ページにリンクを貼って頂き、毎日のようにリンクからの来訪者もあり、感謝しています。

更に、白滝山の石仏造営当時の伝承を知る方から、記事へのご指摘を頂き、更に貴重な歴史資料を見せて頂く機会を得て、因島への親しみと、白滝山への興味を一層強くしました。

又、その方から除虫菊の咲く季節の再訪を勧められ、この時期を心待ちにしていたものです。



「百華園」から重井東港を見下ろした景色です。

今回、「白滝山」への道は、フラワーセンター横の道から裏手の「百華園」を通り抜け、白滝山の参道に合流するコースを歩きました。

「百華園」は、白滝山のふもと近くの斜面に造られた公園(?)で、桜で親しまれているようです。

晴天に恵まれ、見晴らしの良い「百華園」からの景色は、海の色、山の緑、花が美しく輝いていました。



この地図は、ふもとから白滝山頂上の観音堂、五百羅漢への参道地図で、前回、観音堂で頂いた参道地図をアレンジしたものです。

今回は地図下部の①「フラワーセンター」前の駐車場から出発、⑦「六地蔵」までを記載し、残りは次回とします。

「フラワーセンター」の右上に見える③「表参道駐車場」には「山頂まで520m 25分」の標識があり、「フラワーセンター」からのコースは山頂まで約35分でしょうか。



「フラワーセンター」の後方斜面にある「百華園」の入口です。

入口付近の黄色の実は八朔でしょうか、白滝山を背景に、赤い屋根のペンション「白滝山荘」が映えて見えます。

「白滝山荘」は、米国人建築家ヴォーリズが昭和初期に建てた洋館だそうです。

ヴォーリズの名は、滋賀県近江八幡市の旅行の下調べで知り、日本に帰化されて多方面にすばらしい活躍をされた方です。

下山の途中、前を通りましたが、赤い柱に白い壁が美しく映え、花の咲く玄関へのアプローチなどを見るとペンションの方の暖かい気持ちが伝わってくるようです。

桜が終わった新緑の園内の坂道を山頂を目指して登って行きました。



帰りに立ち寄った表参道駐車場(地図③)です。

白滝山荘の横の道を進むと、車道はここで終わり、白滝山の参道が始まります。

少し手前にも駐車場や、桜並木がありました。

この道を少し進むと「百華園」からの道と合流(地図④)します。



参道を進むと右手に広場があり、柏原伝六の墓が立っていました。

1月にもこのブログで掲載しましたが、柏原伝六は、白滝山で新宗教「一観教」を開いた人です。

当時、山頂に造られた沢山の石仏に、各地から続々と信者が押し寄せたとされ、参道もかなり賑わったものと思われます。

■墓所を過ぎた辺りに「白瀧山」の案内板がありました。
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瀬戸内海国立公園 白瀧山
(由来)
白瀧山は、重井町善興寺の奥院で、古くは瀧山と称し、古代からの霊山として項上の岩揚を盤境と伝えています。
文政13年(1830年)柏原伝六が白瀧山 上の観音堂にこもり、儒教、仏教、神道の三大宗教に当時禁制のキリスト教を加え新宗教「一観教」を開き多くの弟子や信者と伴に約700体の石仏を造りました。
この石仏は石像美術としてもすぐれ中には弟子や信者、石工の名が刻まれ、尾道の名工太兵衛の名も見えます。
(現状)
白瀧山は標高227mで中腹から山頂にかけて、像高50㎝~2mの奇態万状の石造五百羅漢像、頂上には大石仏、三尊像(釈加如来、文殊菩薩、普賢菩薩)一観(柏原伝六「一観妻像等約700体が松林と岩石にかこまれ瀬戸内海の自然美の中にとけこんでいます。
 白瀧の山に登れば 眼路広し
 島あれば海 海あれば島
   寄贈 因島ライオンズクラブ
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伝六の墓の入口に石塔が並んでいます。

左の大きな墓の前に「歴代 堂守の墓」と案内されていました。

頂上の石仏や、この墓所を大切に守ってきた人達が眠る墓のようです。

一番左手に見える石仏には「七〇〇体の内 第一号観音」と書かれた案内板が立掛けられており、白滝山の石仏約700体の内の初めて出会う石仏のようです。



梅の木の横に立つ柏原伝六の墓です。

もの静かで、おだやかな表情でしたが、不思議な存在感がありました。

白滝山頂上の観音堂前で、案内の方から聞いた話では伝六さんは、藩の取り調べを終えて帰って来た直後に亡くなったそうです。

■墓の横に「伝六の一代記」の案内板がありました。
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五百羅漢創建者伝六の一代記
1 1780年重井町川口(旧宅小段)で生まれた。(約200年前)
2 1805年、25才の時、母から観音様の申し子であっと 聞かされて以来、17年間熱心な仏道修行者になった。
3 1822年42才霜月6日の暁に悟を開いた。
4 同年よリ48才までの6ヶ年間瀬戸内海の島々広島県東部 岡山 兵庫 烏取3県及び京都府下の一部にまで伝道し 信者はl万人を越えた。
5 1827年から石仏造りに着手したが工事の中途参拝者はこの山に蟻集した これを聞いた広島藩庁は百姓一揆を起すのではないかと心配して伝六を厳しく取調べた伝六は終始十分な申し開きができたようたが藩は彼に毒を飲ませて帰したとか伝六自信が毒死したとかその死因は定かでない。
6 1828年3月15落命 その年の9月下旬ここに埋葬される。
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急な参道が開け、広い石段の道の上に「仁王門」が見えて来ます。

門の入口の向こうには小さく「六地蔵」が見えています。



珍しく石で造られた仁王像です。

左右の仁王像の写真を結合しました。

手に玉を持ち、腹が出てずんぐりした体形に、他人とは思えない親しみを感じます。

■門の脇に「仁王門」の案内板がありました。
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仁王門
1834年(天保5年)重井八幡神社に守護神として安置されましたが、明治の初めの廃仏毀釈の際、この山腹に移されました。
当時は青天井でしたが、明治42年に門が建てられました。
筋骨たくましく眼は光り、鼻は太く、口はかみしめて力あふれ、よき守り役です。
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仁王門を抜けると両脇に六地蔵が立っています。

ここにあった案内標識では、「駐車場200m、頂上500m」とあり、下の参道駐車場にあった標識「山頂へ520m」と距離が違っているようです。

■すぐ横に「六地蔵」の案内板がありました。
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六地蔵
1.天道(幸福一杯であっても悩みつきない人を励ましたい)
2.人道(死苦から逃れられない人生の因縁を諦めさせたい)
3.しゅら道(家庭苦、社会苦、戦災に悩む人を助けたい)
4.畜生道(憎しみうにみを一杯もった人を導きたい)
5.がき道(飢えきった人を物心二方面から救いたい)
6.地獄道(つらい責苦のある人の聞き手となって慰めたい)
これら六道に悩む人を早く救いたいと、中腹に下りて人待ちしています。
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左手に立つ地蔵さんです。

一体ずつ表情が違いますが、いずれも丸顔でやさしそうな表情です。

頭と胸に赤い布が付けられたものの、色が落ちて白くなっているようです。



六地蔵の付近から山頂を仰ぐと、左上に観音堂前の展望台の屋根が見えます。

山の斜面には巨岩が散在し、案内板の説明にあった旧名「瀧山」や、古代からの霊山を強く感じる景色が見えはじめて来ました。


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8 コメント

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Unknown (kaoko)
2010-05-07 09:16:14
お久しぶりです。

またまたおいでくださったのですね。
大変ありがとうございます。

除虫菊は見られましたか?
今年は、例年にない悪天候のため、開花が遅れて皆さんに随分ご心配いただきました。

また、こうしてお会いできましたこと、嬉しく思います。
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因島の新緑と、海の眺望 (tako888k)
2010-05-09 23:00:19
kaoko様、コメントありがとうございます。

リンクからの来訪者も増えて、お世話になっています。

5/1連休初日、幸い晴天に恵まれ、朝から張切って因島を訪問させて頂きました。

白滝山参道を汗をかきながら登った他、フラワーセンター、因島公園、鯖大師、地蔵鼻、美可崎城跡での美しい瀬戸内海の景色を堪能することができました。

やはり、因島の山から見下ろす新緑と、海の眺望は、格別ですね。

ぼつぼつと、ブログに掲載させて頂きますので、お暇な時にご覧ください。

よろしくお願いします。
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Unknown (kanko)
2010-05-19 09:10:34
先日の事ですが、除虫菊の花摘み会に行っていましたら、カメラマンの方がいらっしゃったので、ついでに、
「白滝山も行ってみてください。」
と申しますと、
「観光協会のHPに素晴らしいお客様ブログがあり、それを見させてもらったのでよ~くわかりましたよ。」
と、お褒めの言葉をいただきました。とっても嬉しかったです。
今後とも宜しくお願いいたしますね。
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感謝します (tako888k)
2010-05-20 07:13:12
観光協会様のHPのリンクから毎日のように来訪者があり、感謝しております。
白滝山の記事は、昨日の掲載で終了しました。
今回の白滝山の散策は、前回以上に心に残るものでした。
5/1に因島の八朔など柑橘類をたくさん買い、ちょうど昨日まで毎日おいしく頂くことが出来ました。
因島の記事は、もう少し続ける予定ですのでご覧頂けると幸いです。
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白滝山 (jasmine)
2011-08-20 12:48:17
近々、しまなみ探検隊5名で白滝山荘と新しくできた伊東さんの建築ミュージアムに行きます。美しい風景の中で建築を楽しめそうでとても楽しみです。白滝山荘でランチしてきます。やさしい文使いときれいな写真のブログ記事に感謝。ありがとうございました。
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Unknown (tako888k)
2011-08-21 08:16:31
jasmine様

こんにちわ。
ブログをご覧下さってありがとうございます。
建築ミュージアムは、初めて知りました。
とても珍しく、興味をそそられます。

リンクからブログを訪問させて頂きます。

素敵な旅になりますように!
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瀬戸内と建築 (jasmine)
2011-08-21 20:59:54
こんばんは。コメントを載せていただいてありがとうございます。建築見て歩きが好きなのですが、瀬戸内の風景とブレンドしたり、いい意味勝負したりしている建築物を見ていると心がおどります。伊東さんは安藤忠雄さんや谷口吉夫さんとともに現代日本を代表する建築家。その方のミュージアムが世界の丹下といわれた建築家丹下健三さんのふるさと今治市にできたのでわくわくです。とうんちくはこれくらいにして、白滝山荘と建築ミュージアムを堪能してきます。ブログの記事はこれからもう一度読破させていただいて旅の予習といたします。これからもすてきな記事をお願いいたします。
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旅と建築 (tako_888k)
2011-08-22 06:34:03
jasmine様

こんにちは。
リンクからブログの一部を拝見させて頂きました。
旅行のガイドさんをなさっていらっしゃるとのこと、うらやましく思います。
昨年、初めて行ったイタリア旅行の各地で、現地で結婚された日本女性のガイドさんに上手な案内を受けて、感心した記憶がよみがえりました。
jasmine様のガイドにも、やはり情報収集のご努力があってのことなのですね。
建築と、美しい自然を見る旅に、心をおどらせるjasmine様のガイドは、同行する旅行者にしっかりと伝わるものと思います。
これからも素敵なガイドで、皆さんを楽しませてあげてください。
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