昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

水彩スケッチ「アルノ川河畔の教会」

2011年02月09日 | 妻の油絵

妻の水彩スケッチ「アルノ川河畔の教会」です。

河畔に建つ「サン・フレディアーノ・イン・チェステッロ教会」のクーポラ(円蓋)が印象的な風景でした。



フィレンツェの町を貫くアルノ川付近の地図です。

向かって左端に「サン・フレディアーノ・イン・チェステッロ教会」があります。

フィレンツェで最も有名な「ヴェッキオ橋」から下流に二つ目の橋「カッライア橋」の北詰「カルロ・ゴルドーニ広場」から南岸に渡る途中で見た景色でした。



「コルシーニ宮殿」付近から下流南岸に見た「サン・フレディアーノ・イン・チェステッロ教会」で、手前にあるのが「カッライア橋」です。

アルノ川に向かった教会のファサードは、数百年間未完成とされる飾り気のない壁です。

「カッライア橋」は、四つの橋げたに五連のアーチが架かる美しい橋でした。

「カッライア」とは「荷車の通り道」の意味だそうで、この辺りに水を使う毛織物の作業場が多くあり、毛織物関係の荷物を運ぶ荷車も多かったことから名付けられたようです。



「カッライア橋」から見た下流南岸の風景です。

下流に見えるのは「アメリゴ・ヴェスプッチ橋」で、アルノ川の中には堰[せき]が造られています。

15世紀のフィレンツェの鳥瞰図を見ると、「アメリゴ・ヴェスプッチ橋」はありませんが、「カッライア橋」から上流に四つの橋が見え、この堰も描かれています。

かつてフィレンツェの繁栄は、アルノ川の豊かな水と、水運で支えられた毛織物産業よるものとされ、船をさえぎる堰を見ると、この下流に港があったのでしょうか。

■フィレンツェの毛織物産業の発祥の記載が下記の本にありました。******************************************************************************
「天才建築家ブルネレスキ フィレンツェフィレンツェ・花のドームはいかにして建設されたか」ロス・キング著、田辺希久子訳、東京書籍発行
P11
~だがこの町はロンドンにほぼ匹敵する五万の人口を擁し、有力な商業都市としての地位にふさわしい大聖堂を建立しょうとしていた。フィレンツェはヨーロッパでも指折りの繁栄した町になっていた。その富は、一二三九年にこの地に移ってきたウミリアート会の修道士たちによって始められた、毛織物産業がもたらしたものであった。コッツウォルズの修道院から運ばれてきた世界最高のイギリス産羊毛が、アルノ川の水で洗われ、梳[す]かれ、糸に紡がれ、機織り機で織り上げられる。そして紅海沿岸でとれた辰砂[しんしや](赤色顔料)や、丘の上の町サン・ジミニャーノ近郊の牧草地で育ったクロッカス(サフラン?)の明るい黄など、目にもあざやかな色で染め上げられる。こうして、ヨーロッパで最も高価でありながら、最も人気の高い毛織物が生まれるのであった。~
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アルノ川の下流に建つ「サン・フレディアーノ・イン・チェステッロ教会」の対岸には「オンニサンティ広場」があり、その奥に「オンニサンティ教会」が建っています。

「オンニサンティ教会」は、フィレンツェに毛織物産業をもたらした「ウミリアート会」が創建した教会でした。



クーポラ(円蓋)と、鐘楼部分の写真です。

17世紀の建物ですが、風格のある美しさを感じます。

観光案内にはほとんど取上げられていませんが、アルノ川の水辺の風景は、ここが一番印象的でした。


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