昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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世界遺産 沖縄の「勝連城」の英雄物語

2007年03月10日 | 沖縄の旅
昨年9月2日から4日までの沖縄旅行の記録です。
最初に世界遺産にもなっている「勝連城」(かつれんぐすく)へ行きました。
「勝連城」は、沖縄本島中南部「うるま市」の太平洋側に突き出た与勝半島にあります。

写真上段は、城(グスク)の「三の郭」に上がる坂道を望む景色です。
発掘された遺物から13世紀末から14世紀初頭の頃と推定されています。

「勝連城」には、この地方の英雄「阿麻和利」(あまわり)の物語があります。

農民の子「加那」(かな)は、人々に親切にし、尊敬されていました。
「加那」は、この地方の領主、茂知附按司(もちづきあじ)に取立てられまして。
しかし、民衆が茂知附按司の圧政に苦しめられていたことを見かねて、策略によって按司を倒し、按司の座につきました。
「加那」は、神様のような人、アマワリ(天降り)加那と呼ばれ、「阿麻和利」の名となったそうです。

按司(あじ)とは、地方の領主のことです。

写真中段は、かっての「勝連城」を想像した鳥瞰図です。
「勝連城」は、標高97mの丘に造られ、頂上の「一の郭」から「三の郭」の石垣が、復元されています。

「阿麻和利」は、盛んに海外貿易を行い、勝連地方は栄え、国王の尚泰久(しょうたいきゅう)は娘の百度踏揚(ももとふみあがり)を「阿麻和利」へ嫁がせました。

又、国王は、お妃の父「護佐丸」(ごさまる)に首里城と勝連城の間に中城を(なかぐすく)を築かせ、「阿麻和利」に警戒していたようです。

1458年(室町時代)、「阿麻和利」(あまわり)は、中城の「護佐丸」が謀反を企てていると国王へ讒言し、攻め滅ぼしました。
その後、「阿麻和利」は「鬼大城」(おにおおぐすく)が率いる王朝軍により滅ぼされ、「護佐丸・阿麻和利の乱」として今に伝わっています。

写真下段は、「勝連城」の頂上一の郭からの景色です。
中国の元の時代の陶磁器などが発掘され、当時の勝連が、首里に劣らない繁栄ぶりで、鎌倉にもたとえられていたようです。


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