昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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福山市王子町「王子神社」に参拝

2007年03月04日 | 山陽地方の旅
3月3日、「王子神社」が、備後国深津郡「須佐能袁能神社」に比定される可能性があると思い、行って来ました。

写真上段は、丘の上にある神社に東から登る入口です。
写真ニ段目は、神社の建物です。

写真三段目は、神社の案内板にあった由緒書きで、「須佐能袁能神社」であったと書かれていました。

文学博士志都剛氏の説により、延喜式神名帳にある備後国深津郡「須佐能袁能神社」は、「王子神社」だと断定されていると書かれています。

神社の由緒に「備後風土記によれば須佐之男命が朝鮮より八王子と共に・・・」とありますが、「朝鮮より」については間違いではないかと思います。

備後風土記の現代訳では、「北の海においでになった武塔の神(須佐之男命)が南の海の神の女子を与波比(よばい)に出て行かれた」「数年たって八柱の子供を連れて帰って来られた」とあり、日本(備後の北・出雲か)の北西に位置する朝鮮では不自然です。

写真最下段は、等高線に沿って古代の陸地に緑色を付けてみました。
下の赤い丸印が「王子神社」です。

かっての「深津嶋山」が浮かび上がりましたが、道路や、鉄道工事のために元の島が分断されています。

「王子神社」の拝殿の前は、フェンスがあり、その先は断崖になっています。
その下には王子町の街が広がり、2号線沿いにある洋服の青山が見えました。

ここからの景色が古代では、あたり一面が海で、鞆と並ぶ景勝地だったかも知れません。

この「深津嶋山」は、万葉集 第十一巻 2423に「柿本朝臣人麻呂之歌集」出として登場しています。
原文 「路後 深津嶋山 暫 君目不見 苦有」
訓読 「道の後 深津島山 しましくも 君が目見ねば 苦しかりけり」

[注釈]
 道の後(みちのしり=吉備の道のしりである備後)
 暫しく(しましく=しばらく)
 苦し(心配だ)


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