昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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イタリア旅行No.33 ナポリのバス車窓観光

2011年04月12日 | 海外旅行
【東北地方太平洋沖地震で被災された方々に心からお見舞い申し上げます。】


11/14 イタリア旅行6日目、オプション旅行で行った「ナポリ・ポンペイ日帰りツアー」の続きです。



ポンペイからナポリへ向かう途中の土産物店で見たナポリ名物カメオの制作風景です。

古代ローマ時代から続くカメオの制作過程の写真が並ぶパネルや、素材となる大きな巻貝が展示され、職人さんによりカメオが彫られる場面を見物しました。

この店は、商売上手な日本人の奥さんによって繁盛しているそうで、日本人好みのお土産品を企画販売していました。

バスは、トイレ休憩を兼ねて往復立寄りましたが、お店を案内するガイドさんたちの熱心さもこの店の奥さんの商売上手な根回しによるものだったのでしょうか。



ナポリの町の南サンタ・ルチア地区の地図です。

100万人都市ナポリは、ヨーロッパにおいて中世から19世紀までパリに次ぐ規模の国際都市だったそうで、南にナポリ湾、東にヴェスヴィオ山を望む美しい町です。

地図南の「パルテノペ通り」の名は、紀元前6世紀、古代ギリシア人が造った植民都市「パルテノペ(小惑星)」に由来するようです。

又、「ナポリ」の名は、ギリシア語「ネアポリス(新都市)」に由来し、「パルテノペ(小惑星)」に近い場所の、新設の都市だったことによるものと思われます。



バスの窓の景色が開け、巨大な石造りの円筒がそびえる中世の城が見えてきました。

ムニチビオ広場(市庁舎前広場)に立つ中世の城「カステルヌオヴォ(ヌオヴォ城)」です。

城の前面に三つ、後方に二つある円筒を壁でつながれた初めてみる城の形です。

「カステルヌオヴォ(ヌオヴォ城)」は、13世紀末、イタリア南部を支配していたフランスのアンジュー家により、フランスのアンジェ城を模して造られたとされています。

アンジュー家が居城としていた「卵城」と、北東に離れて建つ「カプアーノ城」の中間に防衛上の配慮で造られたようです。



石造りの円筒の間に造られた「ヌオヴォ城の凱旋門」です。

シチリア島を支配していたスペイン、アラゴン家のアルフォンソ5世が、1442年にアンジュー家の支配するナポリを攻略、首都を移転してナポリ王アルフォンソ1世となった記念の施設です。

大理石の凱旋門には下からアルフォンソ王の凱旋行進を描いた浮き彫り、「節度、剛毅、公正、雅量」を表す四体の寓意像、一番上は大天使聖ミカエル像だそうで、南イタリアのルネッサンス芸術の代表的作品とされています。



「ヌオヴォ城」の正面から西に進むと「ウンベルト一世のガレリア」の入口がありました。

バスの窓から見ると、美しいガラス屋根に覆われた十字形に交差したアーケード街で、中央には高さ58mのドームが輝いているようです。

道路を挟んで向かいはミラノ「スカラ座」、ローマ「オペラ座」と並ぶイタリア三大歌劇場の一つ「サン・カルロ劇場」があります。

1884年、ナポリでは約7千人が亡くなるコレラの大流行があり、荒廃したスラム街を撤去して造られたものです。

当時のイタリア王国のウンベルト1世(在位1878年~1900年)は、1861年イタリアを統一したヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の後を継いだ国王です。



中央のロータリーに噴水がある「トリエステ・エ・トレント広場」です。

左手に見えるのはナポリ王宮、建物の向こうには「プレビシート広場」が見えます。

ここはナポリの中心地のようです。



バスの車窓から「トリエステ・エ・トレント広場」に面したカフェが見えてきました。

天気に恵まれ、ナポリの町をゆっくりと楽しんでいるようです。



海岸に面した「パルテノペ通り」です。

この辺りに古代ギリシアの町「パルテノペ」があったのでしょうか。

通りには5つ星クラスのホテルが建ち並び、向こうには「ヴェスヴィオ山」が見えていました。

右手には「卵城(カステル・デッローヴォ)」の門があり、その先を左折すると「サンタ・ルチア通り」です。

「サンタ~ル~チ~ア~!」子供の頃歌ったナポリ民謡が浮かんできます。

バスの車窓観光も、ここでちょっと下車、海岸から「卵城」の見物です。



門の向こうには海に突き出た「卵城(カステル・デッローヴォ)」が巨大な姿で建っています。

かわいらしい「卵城」の名とは違い、いかめしい要塞です。

門の道の左手には大勢の客で賑うレストランが並び、その先は白いマストが並ぶ「サンタ・ルチア港」でした。

再訪し、ナポリ湾で獲れるおいしい魚料理を食べたいものです。



「パルテノペ通り」から見た、海中にそびえる「卵城(カステル・デッローヴォ)」です。

1139年に南イタリアを征服したノルマン王ルッジェーロ二世がによって築かれた「卵城」は、ナポリでは最も古い城です。

「卵城」には不気味な伝説がありました。

「卵城」の基礎に卵が埋め込まれており、その卵が壊れると、城と共に町も滅びるといわれ、城の名称になったようです。

「卵城」の建つ場所は、古代「メガリス島」と呼ばれ、紀元前1世紀には古代ローマの大富豪リキニウス・ルクッルスの別荘があったとされ、5世紀には修道士が住んでいたようです。



「卵城」の見物を終え、「パルテノペ通り」を東に進んだバスの車窓から海岸を背にして建つ「インマコラテッラ(無原罪の聖母)の噴水」が見えてきました。

google地図には「フォンターナ・デル・ジガンテ(巨人の噴水)」とあります。

両端に若い女性の像、左右のアーチの下に噴水の出る水瓶を持つ像が見えますが、聖母マリアの像は見当たりません。

ルネッサンス時代の作品のようですが、よく分からない彫刻でした。



ナポリ湾の東に長い裾野を持つヴェスヴィオ山が見えていました。

好天に映える青い海の風景を楽しむ人達が海岸あちこちで見られました。

ガイドさんから「フニクリフニクラ」の歌は、ヴェスヴィオ山の登山電車の歌だと聞き、山に電車が走っていることに驚きました。

頂上からナポリ湾を一望する風景はすばらしいものと思われます。

これでイタリア旅行6日目の観光が終わり、バスはローマへの帰途につきました。


参考文献
「ナポリと南イタリアを歩く」小森谷賢二・小森谷慶子著
「地球の歩き方 南イタリアとマルタ」地球の歩き方編集室著


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