昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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外宮 神路通りにある「お木曳」の案内板

2009年07月09日 | 近畿地方の旅
伊勢神宮 外宮の参拝を終えて、「神路通り」を別宮「月夜見宮」へ向かう途中です。



前回掲載した昭和初期のコンクリート電柱のすぐ横に式年遷宮の一行事である「お木曳」[おきひき]の案内板がありました。

「お木曳」は、伊勢神宮の社殿を20年毎に建替えるための木材を運ぶ行事です。

■案内板の説明文です。
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お木曳[きひ]き行事と山田
伊勢神官には二十年毎に御宮を遷しかえる式年遷宮[しきねんせんぐう]という行事があります。
これは千三百年程前の持統天皇の御世に始められたもので、この伝統が固く守られ営々と現在に伝えられています。
お木曳[きひ]き行事とは、木曽の山から切り出された御用材を宮川より外宮の北御門[きたみかど]まで各団の誇るお木曳き車に載せ、木遣[きや]り歌、伊勢音頭[いせおんど]などを囃[はや]したり、練ったりしながら、神領民と呼ばれる地元の人々によって行われる民俗行事です。
時期的には遷宮の七、八年前に行われ、いよいよまち全体が遷宮の年に向けて走り出す行事といえます。
外宮領の山田地区では陸曳[おかびき]きと呼ばれ、街中を曳き、内宮領の宇治地区では川曳きと呼ばれ、五十鈴川をソリで曳きます。
お木曳き車はワン鳴りと呼ばれる独特の音を出しながら曳かれ、その音を競ったりもします。また、ここ北御門への曳き込みはエンヤ曳きと呼ばれ、お本曳き行事のクライマックスで見応えのある勇壮なものです。
伊勢人はこの行事に参加することで、お伊勢さんへの畏敬の念とともに親しみを持って自分達の誇りとして、日々暮らしています。
また、外宮の北御門は、伊勢参りに訪れる多くの人々が神宮に辿り着いたと感じる終着点と言える場所であり、それと同時に全国各地へ旅立つはじまりの場所でもありました。世界遺産に登録されている熊野古道(伊勢路)へ向かう多くの人々も、ここから熊野三山[くまのさんざん]を目指し新たな旅を始めようとしていたのです。

 たふとさに みなおしあひぬ 御遷宮  芭蕉
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式年遷宮は、飛鳥時代の690年に始まり、現在62回目の行事が8年間(2005~2013年)に亘り行われています。

規則正しく行われていたら2010年で第67回となるはずでしたが、戦国時代に約124年間中断しており豊臣秀吉により再開されたそうです。

内宮の「お木曳」では、五十鈴川を橇[そり]に乗せて運ぶようです。

このブログ【2009-06-24 伊勢神宮 外宮のパワースポット「三ツ石」、 石橋「亀石」】にも記載しましたが、1498年(明応7)9月(室町時代末期)、明応の大地震が発生し、外宮の社殿の横を流れていた宮川の支流が大津波により埋められてしまいました。

大津波前には、内宮で行われている川曳が、外宮でも行われていたのではと推測されます。



案内板の「お木曳」の写真を切り出したもので、外宮の「お木曳き車」には、長い綱が付けられ、街を引き歩くそうです。

「お木曳車」の派手な飾りと、簡素で厳粛な伊勢神宮のイメージとのギャップを感じますが、これも祭り好きの庶民の感性と言うものでしょうか。

伊勢旅行の下調べで、図書館のDVD「伊勢神宮 受け継がれるこころとかたち ~式年遷宮元年の記録~」を見ましたが、この「お木曳」前後の8年間に及ぶ式年遷宮の行事のスケールや、千数百年の伝統が受け継がれて行く様子に驚きました。

この「お木曳」に参加する一般市民は、内宮と合わせて延べ20万人にも及び、この神事に参加する伊勢の人々の熱い意気込みを感じます。

神宮で神職など歴任された矢野憲一氏の本の一節に式年遷宮の木材について書かれていました。

■「伊勢神宮 知られざる杜のうち」矢野憲一 著 より
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一回の遷宮に必要な檜材は約一万立方メートル。本数にすると一万本ほどになる。一万本もいるのかといわれるが、太い木ばかりだともっと少なくてよいのだが、細ければ本数はそれだけ多くなる。
一番太いのは棟持柱[むなもちばしら]で、二十年後には宇治橋の大鳥居になるからどなたもお馴染みだが、直径八十センチメートル、樹齢四百年以上の巨木が用いられる。最大のものは仕上がり直径一メートル三十センチの御扉に用いる一枚板の檜だが、もうこんなのは手に入らない。前回からは合板が使われた。
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用材の檜は、当初神宮の裏山だったものが、江戸時代以降、御嶽山の南に広がる長野・岐阜両県の山林から伐採されているようです。


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