昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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運天港(うんてんこう)に琉球王朝の伝説

2007年04月03日 | 沖縄の旅

写真上段は、運天港(旧)にあった案内地図で、写真中段の中心辺りにある案内板です。(南北が逆になっています)
向かって右上に現在の運天港があり、伊是名島・伊平屋島を結ぶフェリーが運航しています。
運天港は、沖縄本島の北西部に西に突き出た本部(もとぶ)半島があり、その北東部付近にある港です。

写真中段は、古宇利島を結ぶ昔からの運天港(地図中央上)でしたが、2005年2月橋の開通で現在は使われなくなりました。
閑散とした広い駐車場にレンタカーを止め、近くを散策しました。

写真下段は、「無名の古墓群」です。
海岸に沿って地図の道を左に行き行き止まりに切り立った山の斜面があり、たくさんの横穴の墓があります。
ブロックで塞がれていますが、昔からの風葬墓だそうで、骨を洗って骨壷に入れて穴に納められているようです。

墓のある斜面の上は、「運天森園地」の展望台があり、屋我地島・古宇利島が見えます。
又、その途中に「為朝公上陸之址碑」があり、鎮西八郎為朝の子「舜天」が琉球の王となった伝説があります。

運天港は、江戸時代の初期、薩摩藩が琉球を侵略した最初の港で、以来薩摩との間を結ぶ重要拠点となったようです。

参考までに為朝伝説と、琉球王朝の歴史概要を記します。

<鎮西八郎為朝と、舜天王の伝説>
保元の乱(1156年)で伊豆大島に流刑となった為朝は、漂流して沖縄運天港に流れ着いた。為朝は、島尻大里大按司の娘と結ばれ1166年に尊敦が生まれた。為朝は、妻子を残し島を去ったが、尊敦は、浦添の按司から、琉球を統一する舜天王になった。
(為朝は弓の名手で知られ、鎌倉幕府を開いた源頼朝のおじにあたる)

この伝説から曲亭馬琴(滝沢馬琴)作・葛飾北斎画の「鎮西八郎為朝外伝椿説弓張月」の物語が作られているようです。
SF時代劇のようなおもしろい物語ですよ。

<琉球王朝の歴史>
 天孫王朝 25代(伝説の王朝)[平安時代末期まで?]
◎舜天王統 3代(1187~1259)[鎌倉時代]
 英祖王統 5代(1260~1349)[鎌倉時代]
 三山時代 [南北朝時代]
  中山・察度王統 2代(1350~1405)
  北山・怕尼芝王統 3代(1322~1416)
  南山・大里王統 3代(1337~1429)
 第一尚氏王統 7代(1350~1405)[室町時代]
 第二尚氏王統 19代(1470~1879)[室町時代~明治]
  1609年~薩摩藩が侵略し、間接支配
 1879年琉球処分で琉球王朝から沖縄県


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