昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

伊勢神宮の製塩施設「御塩殿神社」

2009年09月09日 | 近畿地方の旅
「御塩浜」の見学を終え、6:30頃、すぐ近くの「御塩殿神社」[へ行きました。

駐車場がなく、参道口まえの道路脇に駐車し、短時間で参拝させて頂きました。



「御塩殿神社」みしおどのじんじゃ]の前は変則的な三叉路で、カーブミラーから左手に進む道が、外宮に至る「御塩道」[みしおみち]です。

「御塩道」は、「御塩殿神社」で作られた「御塩」を外宮まで運ぶ約10Kmの街道だそうです。

右手の道路の横断歩道をそのまますすむと「御塩殿神社」の参道です。

■カーブミラーの下ある二つの白い石碑の小さい方に説明文が刻まれていました。
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鴨長明は、鎌倉時代初期の人で、「方丈記」の作者としても有名です。
文治二年(1186)ごろ、二見の御塩殿を訪れ、ひの物ふりて神々しいたたずまいにすっかり感動しました。それがこの歌です。
  二見町教育委員会
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■大きい石碑に刻まれていた鴨長明の歌です。
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二見潟神さびたてる御塩殿 幾千代みちぬ松かげにして 長明
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早朝の「御塩殿神社」の参道口です。

真直ぐに進む参道は、木が生い茂り、薄暗いトンネルのようでした。

■参道口前の道端に「御塩殿神社」の案内文が刻まれた石碑がありました。
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御塩殿神社
塩筒翁の神がまつってあります。
域内に皇大神宮の御料の御塩を調製する御塩殿、御塩焼所、御塩汲み入れ所があります。
御料の御塩は、夏の土用に町内の西地内にある御塩浜から運ばれた塩分の濃い海水を御塩汲み入れ所におさめ、これを御塩焼所で荒塩に焼きます。
さらにこの荒塩を、毎年三~四回、御塩殿において三角形の土堝をもって堅塩に焼き固めて、これを御料に供えています。なお、御塩の調進は昔から神領二見郷の住民が奉仕しております。
  二見町教育委員会
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参道を進むと「御塩殿」[みしおでん]が見えてきます。

鳥居があり、板垣に囲まれた建物で、てっきり「御塩殿神社」と思いました。

「御塩殿」は、粗塩を焼き固めて「堅塩」を作る施設だそうです。



「御塩殿」の左手にこじんまりとした「御塩殿神社」の建物がありました。

「御塩殿神社」は、皇大神宮の所管社で、この建物は他の所管社と同じようです。

参道口の案内板によると祭神は、「塩筒翁の神」とあります。

「塩筒翁」[しおつつのおきな]は、日本書紀に出てくる「塩土翁」と同じ神様と思われます。

釣針をなくして途方にくれた山幸彦(彦火火出見尊)を助けた場面や、神武天皇(山幸彦の孫)へ東征を進言した場面に登場します。



右手から見た「御塩殿」です。

「御塩殿」の右手後ろの塀の中に「御塩御倉」の屋根がほんの少し覗いています。

「御塩御倉」には「御塩殿」で作られた「堅塩」が外宮へ運ばれるまで保管されているようです。



「御塩殿」の右手に社務所のような建物が見えます。

その建物の横の道を左手に進むと「御塩殿」の後方にある「御塩焼所」「御塩汲入所」があります。



林の中の道を進むと生垣に囲まれた「御塩焼所」「御塩汲入所」が見えてきます。

人気のない早朝の境内を妻と二人で歩いて行きましたが、無断で奥まで入って行くことにいささか躊躇してしまいます。



左手の建物が「御塩焼所」、右手の建物が「御塩汲入所」です。

ここにも鳥居があり、神聖な場所への入口としているようです。



御塩焼所[みしおやきしょ]では、大きな鉄鍋で鹹水(濃縮された塩水)を煮込み、水分を蒸発させて粗塩を作る施設だそうです。



鳥居の向こうに「御塩汲入所」[みしおくみいれしょ]の建物があります。

前回紹介した御塩浜から運ばれた「鹹水(濃縮した塩水)」を保管する施設だそうです。

屋根が低いため建物の中を立って歩くのがつらいようです。

入口が見当たりませんでしたが、左手の妻側にあるのでしょうか。



「御塩汲入所」の切妻と、後方の「御塩焼所」の切妻が並び、美しく見えました。

この建物の建築様式は、「天地根元造り」[てんちこんげんづくり]と呼ばれ、竪穴住居のイメージも感じるスタイルです。


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