昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

浦添グスクにある御嶽「ディーグガマ」

2008年07月21日 | 沖縄の旅

浦添グスクの中をを進むと木々に囲まれた御嶽「ディーグガマ」があります。
「ディーグガマ」は、丸い窪地にある御嶽で、下りて行く石段があります。

■上の写真に白い案内板があり、説明文を転記します。
「ディーグガマ」
浦添グスク内の御嶽(拝所)の一つ。「琉球由来記」にある渡嘉敷嶽(とかしきたき)とされ、「渡嘉敷」は浦添の古い地名と考えられている。
かって大きなデイゴの大樹があったことから、ディーグガマと呼ばれるようになったという(ガマは洞穴のこと)。



ディーグガマの横にあった「浦和の塔」です。
一段上の写真の向って左側にあります。

■又、一段上の写真に向って右側にブルーの案内板があり、「浦和の塔」の説明がありましたので転記します。
「浦和の塔」
浦和の塔は、沖縄戦で散華した人々ほ祀る慰霊の塔です。
1952年に市民の浄財と本土土建会社の協力によって建立されたもので、納骨堂には浦添城跡を中心に市内各地で散華した軍人や民間人5,000人全柱安置されており市では毎年10月には、慰霊祭を催し英霊を慰めています。
 浦添市役所



コンクリートの階段を下りた「ディーグガマ」の景色です。
一段下に降りて見るとなぜか落ち着いた気持ちになります。



「浦和の塔」の真下に深い洞窟(ガマ)があり、中は納骨堂になっているようです。
急な階段があり、下りていけるようになっていました。



「浦和の塔」の真下の「納骨堂」を見下ろした様子です。
3m以上の深さはあるようでした。


「納骨堂」の洞窟(ガマ)入口の横に石碑がありました。
ここにも「浦和の塔」について書かれています。


丸い窪地の中央付近にタマゴのような形の石が立っています。
台座には、「地蔵菩薩」と書かれていました。

正面突当り付近に真四角のオリのように見えるのが「御嶽」(拝所)のようです。



「ディーグガマ」の中に「浦添王子遺跡」と刻まれた石碑がありました。
「浦添王子遺跡」は、どんな遺跡かまったくわかりません。

「浦添王子」と言えば、第二尚氏王朝三代尚真王の長男だった浦添王子朝満(あさまん)=尚維衡(しょう いこう)を思い出します。
四代目の王となれず、廃嫡され浦添城に住み、曾孫の尚寧が七代の王となった歴史があります。

この「ディーグガマ」にある施設、「御嶽」「浦添王子遺跡」「納骨堂」等を見渡すと沖縄独特の精神文化を感じます。



「和光地蔵尊」と書かれた石仏がありました。
沖縄戦の慰霊と思われます。

浦添グスクないには沖縄戦の慰霊碑と思える石碑が数多くありました。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。