11/12 イタリア旅行4日目、「ウフィツィ美術館」の次に、隣の「ヴェッキオ宮殿」と、「シ二ョリーア広場」へ行きました。
「シ二ョリーア広場」から見た「ヴェッキオ宮殿」です。
1314年に完成し、ゴシック様式の外観と、そびえる「アルノルフォの塔」が印象的です。
シニョーリアとは「政庁舎」の意味で、市庁舎だった「ヴェッキオ宮殿」は、共和国時代には「シニョーリア宮殿」と呼ばれていたようです。
1865年には統一イタリアの首都がフィレンツェになり、ローマに遷都されるまでの数年間「ヴェッキオ宮殿」が国会議事堂で使われたこともあったようです。
又、「シ二ョリーア広場」は、フィレンツェの政治の中心地、市民の集会も行われていました。
向かって右に彫像が並ぶ「ランツィのロッジア(loggia-開廊)」の建物、左手には噴水「海神ネプチューンの泉」があり、素晴らしいアートな空間が広がっていました。
両脇に彫像が立つ「ヴェッキオ宮殿」の正面入口です。
左手の彫像は、ミケランジェロの「ダヴィデ像」(1504年完成-レプリカ)で、本物は現在「アカデミア美術館」に収蔵されています。
当初、「ダヴィデ像」の設置場所を横にあるロッジアの中と主張する50歳のレオナルド・ダ・ヴィンチと、この場所を主張する27歳の作者ミケランジェロが対立、遂に主張を通してこの場所になったそうです。
当時のフィレンツェは、メディチ家を追放した直後の共和国で、「ダヴィデ像」は共和国の象徴として称賛されたようです。
十代にメディチ家豪華王ロレンツォに才能を見出されて養育されたミケランジェロは、40代に復活したメディチ家体制を倒そうとする革命軍に加担して失敗、晩年は故郷フィレンツェを離れてしまったようです。
右手はバッチョ・バンディネッリ作の「ヘラクレスとカクス」です。
ローマ神話の中で、巨人カクスに牛を盗まれたヘラクレスが、洞窟に隠れているところを見つけて倒す場面です。
このブロンズ像は、ドナテッロ作の「ユディットとホロフェルネス」で、ユダヤ人女性ユディトが町を包囲する軍の司令官ホロフェルネスの首を切り落とす場面です。
元は上段の写真にあるミケランジェロの「ダヴィデ像」の場所にあったものが移設されたものです。(その前はメディチ家リッカルディ宮殿中庭の噴水彫刻)
ユディットの物語は、旧約聖書外伝にあるそうで、概要は以下の通りです。
ユダヤの町ベトリアがホロフェルネスを司令官とするアッシリア軍に包囲された。
町の女性ユディトは、美しく着飾って敵陣に赴き、エルサレム進軍の道案内をすると安心させ、酒宴で泥酔したホロフェルネスの首を切り落とし、包囲軍を撃退させた。
ユダヤの女性ユディトが、司令官ホロフェルネスの首を切り落とす場面は、このブロンズだけでなく、他の絵画でも凄惨な場面が描かれています。
場所を譲る相手が旧約聖書に登場するユダヤの王「ダヴィデ像」ではユダヤの女性ユディトは抗し切れなかったのでしょうか。
そう言えば、作者ドナテッロのブロンズ像「ダヴィデ像」を思い出しました。
剣を持ち、美しい少女のような少年の像で、若いミケランジェロは、先輩ドナテッロ達のダヴィデのイメージを大きく変える挑戦的な作品に取り組んだものと思われます。
「ヴェッキオ宮殿」の横にある噴水で、バルトロメーオ・アンマナトティ作「海神ネプチューンの泉」です。
コジモ一世が、オスマン帝国に対抗するため、1562年にピサの南リヴォルノ港に海軍を創設し、その記念に作られたようです。
巨大な海神ネプチューン像の足元に四頭の馬が見え、海馬が牽く戦車に乗った姿に見えます。
ネプチューン像の前にある女性のブロンズ像は実に変わったスタイルで、小さな顔、長い首、作られた時代には前衛芸術のようだったのでしょうか。
写真左手の馬に乗るブロンズ像は、ジャンボローニャ作の「コジモー世の騎馬像」です。
1537年、トスカーナ大公となったコジモ一世によりメディチ家は第二期の絶頂期に進んでいきました。
「ヴェッキオ宮殿」に向って右にある「ランツィのロッジア」(1382年完成)です。
建物にはステージがあり、かつては広場で行われる政治的なイベントの舞台となっていたようです。
後方の壁の前には古代ギリシアや、ローマ時代の彫像が並び、その前にルネサンス時代の彫像が並べられています。
ステージや、建物の両脇には素晴らしい彫像が並んでいます。
この三点の彫像は、「シ二ョリーア広場」にあるジャンボローニヤ(1529~1608年)の作品です。
左手の「サピーネの女の略奪」は、女性が不足するローマが隣国サピーネの女を略奪した伝承から作られたもので、一つの大理石から三人を彫ったことが評価されたようです。
中央の彫像は、「ヘラクレスとケンタウロスの戦い」を描いたものです。
これもギリシアかローマ神話に登場する場面と思われます。
射手座の絵にもある上半身が人間、下半身が馬の「ケンタウルス」をゼウスの子ヘラクレスが倒す場面のようです。
右手の彫像は、「海神ネプチューンの泉」写真にもあった「コジモー世の騎馬像」です。
これらジャンボローニヤの作品は、神話などの劇的な場面を強烈な躍動感のある彫像に仕上げ、近くで見上げる者を圧倒します。
ベンヴェヌート・チェッリー作「メドゥーサの首を持つペルセウス」のブロンズ像です。
ギリシア神話で、髪の毛が毒蛇、顔を見た者を石にする怪物メドゥーサをペルセウス(ゼウスの子)が後ろから忍びより倒した場面です。
メドゥーサは、三姉妹の一人で海神ポセイドン(=海神ネプチューン)の愛人とされ、二人の子供もいるだけに神と怪物の区別がよく分からなくなります。
「ヴェッキオ宮殿」に入ると中央に噴水のある中庭があります。
中庭を囲む壁には、風化してよく見えなくなった壁画が並んでいました。
これらの壁画は、コジモ一世の息子フランチェスコに嫁いだオーストリア大公の娘ジョヴァンナ・ダウストリアを慰めるため、オーストリアの風景を描いたものだそうです。
政略結婚で嫁ぎ、慣れない地で郷愁をつのらせていたジョヴァンナを慰めようと気遣う周囲の人達の配慮だったのでしょうか。
中庭の中央にある噴水の上にはヴェッロッキオの「イルカを抱いた天使像」(レプリカ)です。
中庭の噴水の上は吹き抜けになっており、見上げると「ルノルフォの塔」が見えます。
この塔の地面からの高さは、94mだそうです。
「ヴェッキオ宮殿」の裏手に「ウフィツィ美術館」があり、間の通路で上を見上げた写真です。
「ウフィツィ美術館」の東側の棟と、「ヴェッキオ宮殿」は、やはり回廊でつながっていました。
十三世紀に建設され、フィレンツェ共和国時代、フィレンツェ公国時代、統一後のフィレンツェ市庁舎と、これらの建物には様々な歴史が刻みこまれているようです。
「シ二ョリーア広場」から見た「ヴェッキオ宮殿」です。
1314年に完成し、ゴシック様式の外観と、そびえる「アルノルフォの塔」が印象的です。
シニョーリアとは「政庁舎」の意味で、市庁舎だった「ヴェッキオ宮殿」は、共和国時代には「シニョーリア宮殿」と呼ばれていたようです。
1865年には統一イタリアの首都がフィレンツェになり、ローマに遷都されるまでの数年間「ヴェッキオ宮殿」が国会議事堂で使われたこともあったようです。
又、「シ二ョリーア広場」は、フィレンツェの政治の中心地、市民の集会も行われていました。
向かって右に彫像が並ぶ「ランツィのロッジア(loggia-開廊)」の建物、左手には噴水「海神ネプチューンの泉」があり、素晴らしいアートな空間が広がっていました。
両脇に彫像が立つ「ヴェッキオ宮殿」の正面入口です。
左手の彫像は、ミケランジェロの「ダヴィデ像」(1504年完成-レプリカ)で、本物は現在「アカデミア美術館」に収蔵されています。
当初、「ダヴィデ像」の設置場所を横にあるロッジアの中と主張する50歳のレオナルド・ダ・ヴィンチと、この場所を主張する27歳の作者ミケランジェロが対立、遂に主張を通してこの場所になったそうです。
当時のフィレンツェは、メディチ家を追放した直後の共和国で、「ダヴィデ像」は共和国の象徴として称賛されたようです。
十代にメディチ家豪華王ロレンツォに才能を見出されて養育されたミケランジェロは、40代に復活したメディチ家体制を倒そうとする革命軍に加担して失敗、晩年は故郷フィレンツェを離れてしまったようです。
右手はバッチョ・バンディネッリ作の「ヘラクレスとカクス」です。
ローマ神話の中で、巨人カクスに牛を盗まれたヘラクレスが、洞窟に隠れているところを見つけて倒す場面です。
このブロンズ像は、ドナテッロ作の「ユディットとホロフェルネス」で、ユダヤ人女性ユディトが町を包囲する軍の司令官ホロフェルネスの首を切り落とす場面です。
元は上段の写真にあるミケランジェロの「ダヴィデ像」の場所にあったものが移設されたものです。(その前はメディチ家リッカルディ宮殿中庭の噴水彫刻)
ユディットの物語は、旧約聖書外伝にあるそうで、概要は以下の通りです。
ユダヤの町ベトリアがホロフェルネスを司令官とするアッシリア軍に包囲された。
町の女性ユディトは、美しく着飾って敵陣に赴き、エルサレム進軍の道案内をすると安心させ、酒宴で泥酔したホロフェルネスの首を切り落とし、包囲軍を撃退させた。
ユダヤの女性ユディトが、司令官ホロフェルネスの首を切り落とす場面は、このブロンズだけでなく、他の絵画でも凄惨な場面が描かれています。
場所を譲る相手が旧約聖書に登場するユダヤの王「ダヴィデ像」ではユダヤの女性ユディトは抗し切れなかったのでしょうか。
そう言えば、作者ドナテッロのブロンズ像「ダヴィデ像」を思い出しました。
剣を持ち、美しい少女のような少年の像で、若いミケランジェロは、先輩ドナテッロ達のダヴィデのイメージを大きく変える挑戦的な作品に取り組んだものと思われます。
「ヴェッキオ宮殿」の横にある噴水で、バルトロメーオ・アンマナトティ作「海神ネプチューンの泉」です。
コジモ一世が、オスマン帝国に対抗するため、1562年にピサの南リヴォルノ港に海軍を創設し、その記念に作られたようです。
巨大な海神ネプチューン像の足元に四頭の馬が見え、海馬が牽く戦車に乗った姿に見えます。
ネプチューン像の前にある女性のブロンズ像は実に変わったスタイルで、小さな顔、長い首、作られた時代には前衛芸術のようだったのでしょうか。
写真左手の馬に乗るブロンズ像は、ジャンボローニャ作の「コジモー世の騎馬像」です。
1537年、トスカーナ大公となったコジモ一世によりメディチ家は第二期の絶頂期に進んでいきました。
「ヴェッキオ宮殿」に向って右にある「ランツィのロッジア」(1382年完成)です。
建物にはステージがあり、かつては広場で行われる政治的なイベントの舞台となっていたようです。
後方の壁の前には古代ギリシアや、ローマ時代の彫像が並び、その前にルネサンス時代の彫像が並べられています。
ステージや、建物の両脇には素晴らしい彫像が並んでいます。
この三点の彫像は、「シ二ョリーア広場」にあるジャンボローニヤ(1529~1608年)の作品です。
左手の「サピーネの女の略奪」は、女性が不足するローマが隣国サピーネの女を略奪した伝承から作られたもので、一つの大理石から三人を彫ったことが評価されたようです。
中央の彫像は、「ヘラクレスとケンタウロスの戦い」を描いたものです。
これもギリシアかローマ神話に登場する場面と思われます。
射手座の絵にもある上半身が人間、下半身が馬の「ケンタウルス」をゼウスの子ヘラクレスが倒す場面のようです。
右手の彫像は、「海神ネプチューンの泉」写真にもあった「コジモー世の騎馬像」です。
これらジャンボローニヤの作品は、神話などの劇的な場面を強烈な躍動感のある彫像に仕上げ、近くで見上げる者を圧倒します。
ベンヴェヌート・チェッリー作「メドゥーサの首を持つペルセウス」のブロンズ像です。
ギリシア神話で、髪の毛が毒蛇、顔を見た者を石にする怪物メドゥーサをペルセウス(ゼウスの子)が後ろから忍びより倒した場面です。
メドゥーサは、三姉妹の一人で海神ポセイドン(=海神ネプチューン)の愛人とされ、二人の子供もいるだけに神と怪物の区別がよく分からなくなります。
「ヴェッキオ宮殿」に入ると中央に噴水のある中庭があります。
中庭を囲む壁には、風化してよく見えなくなった壁画が並んでいました。
これらの壁画は、コジモ一世の息子フランチェスコに嫁いだオーストリア大公の娘ジョヴァンナ・ダウストリアを慰めるため、オーストリアの風景を描いたものだそうです。
政略結婚で嫁ぎ、慣れない地で郷愁をつのらせていたジョヴァンナを慰めようと気遣う周囲の人達の配慮だったのでしょうか。
中庭の中央にある噴水の上にはヴェッロッキオの「イルカを抱いた天使像」(レプリカ)です。
中庭の噴水の上は吹き抜けになっており、見上げると「ルノルフォの塔」が見えます。
この塔の地面からの高さは、94mだそうです。
「ヴェッキオ宮殿」の裏手に「ウフィツィ美術館」があり、間の通路で上を見上げた写真です。
「ウフィツィ美術館」の東側の棟と、「ヴェッキオ宮殿」は、やはり回廊でつながっていました。
十三世紀に建設され、フィレンツェ共和国時代、フィレンツェ公国時代、統一後のフィレンツェ市庁舎と、これらの建物には様々な歴史が刻みこまれているようです。