昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

大神山神社 本社へ参拝

2007年12月26日 | 山陰地方の旅
大山の麓にある大神山神社本社に参拝しました。
大神山神社は、大山中腹にある奥宮と、米子市尾高にある本社の2ヶ所にあります。
本社の場所は、米子インターチェンジ近くにあり、佐陀川と、尾高城跡に近い平坦な場所に建っていました。
冬になると雪深い奥宮からこの本社に移り住むそうで、奥宮を夏宮、本社を冬宮・里宮とも呼ぶそうです。



大神山神社本社の参道入り口で、向かって左側に駐車場があります。
鳥居の前に狛犬がありましたが、向かって左の狛犬は、心無い人に壊されたものか元の形が分からないほどの状態でした。
しかしながら、台座に置かれ風化した狛犬の姿には長い歴史を感じさせられます。



境内にあった神社の案内板です。
「式内社大神山神社」とあります。
「式内社」とは927年(延長5年)に作られた「延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)」に登録されていた神社です。
「延喜式神名帳」に記載されていなかった「式外社(しきげしゃ)」もありましたが、「式内社」は、政府公認の「官社」だったようです。
又、「式内社」には「大社」、「小社」のランクがあり、「大神山神社」は「小社」の格だったようです。

「延喜式神名帳」によると伯耆國には小社が6ヶ所あり、案内板にある「宗形神社」は、会見郡にあるもうひとつの式内社です。



津和野藩主亀井氏が奉納し、現在東京国立博物館に寄託されている短刀が紹介されていました。
東京国立博物館のリストでは「銘 備州長船住兼光 南北朝時代・14世紀 鳥取・大神山神社蔵」とあり、名工「備州長船住兼光」は、後醍醐天皇や、足利尊氏が活躍していた時代の人のようです。
その作品は、足利義政や、上杉謙信などの武将の愛刀にもなっていたようです。

このような歴史的な名刀を「大神山神社」へ奉納した津和野藩主亀井氏は、非常に深い信仰があったものと考えられ、そのいきさつに強い興味を感じます。
ちなみに12月3日に掲載した「大神山神社奥宮」の末社「下山神社」の美しい建物も津和野藩主亀井氏の寄進によるものとされています。



境内の横を流れる小さな小川(溝)があり、鯉がたくさん泳いでいました。
この小川は、大山から流れ出た水でしょうか。
猫や、悪い人達に捉まえられず、よく育っていたのには感心しました。



鳥居をくぐって参道を進むと「神門」があり、その両側に神殿を囲む塀がありました。
「神門」の正面両側は、長い提灯を掛けるようになっています。
一般的には、両脇の正面には格子窓があり、格子の中に弓矢を持った随神像があります。



神門の両脇には、二番目の狛犬が座っていますが、鳥居の前の狛犬より少し時代が新しいようです。
向って右側の狛犬は、口の下から胸の辺りまで石が欠けて痛々しい姿です。



神門をくぐる時、両側が格子窓になっており、中には石の狛犬がありました。
あまり見ない狛犬で、極めて古いものと思われます。



後ろの本殿の屋根のてっぺんと、拝殿の屋根が重なり、美しい建物です。
しめ縄が、出雲大社のものとなんとなく似ています。
そういえば、この神社の祭神が、大国主命でした。

狛犬は、比較的新しく造られたものと思われ、ライオンに近い、洋風のデザインです。
隣の建物につながるアーチ型の渡り廊下が印象的です。



拝殿の奥に見える祭壇です。



拝殿に入り、上を見上げると立派な社号額がありました。
奥宮の社号額と同様、由緒あるもののようです。


横から見た大社造りの本殿です。