昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

大山の「賽の河原」と、「金門」

2007年12月10日 | 山陰地方の旅

大神山神社の神門「後向き門」を下ると、左手に別れる「旧参道」があります。
案内板の写真がピンボケで、字があまり読めませんが、洪水で「旧参道」が流れてしまったようです。



あまり使われていない石段があり、とりあえず進んで行きました。



途中、道が見えなくなり、適当に進んで行くと河原に出ました。
写真は、歩いて来た草むら方向を撮ったものです。

石積みが二つ並んで、花がお供えされていました。
ここは佐陀川(さだがわ)の南光河原(なんこうがわら)で、「賽(さい)の河原」とも呼ばれているようです。



河原を川の方へ進むとたくさんの石積みがありました。

「賽の河原」とは、この世と、あの世の境にある川「三途川」の河原とされています。
「賽の河原」では親に先立って亡くなった幼い子供が、親を供養する石の塔積み重ねると、鬼が来て塔を壊すそうです。
幼い子供の霊は、その後も何度も泣きながら石の塔積み重ね、その度に鬼に壊されてしまうそうです。
しかし、その哀れな子どもに救いの手をさしのべるのは唯一、地蔵菩薩だそうです。

しかし、このたくさんの石の塔は、誰が積み上げたのでしょうか。



「佐陀川(さだがわ)」の細い流れがありました。
岩・小石・砂が灰色で、水も濁っていました。
この世と、あの世の境にあるという「三途川(さんずのかわ)」のイメージはあまりにも小さな流れです。
ちょっとまたいで渡ってしまいました。


この「佐陀川」は、ちょっと変わった川です。
大神山神社付近から始まり、2Km余り流れた後、地中に姿を消してしまいます。
ところが、約3Km下った場所(大山平原GC付近)から再び「佐陀川」の流れが出てきます。
「佐陀川」は、日野川と並行して流れ、最後には三保湾に流れ込みます。



「佐陀川」は、両側に大きな岩がある「金門」に流れ込みます。



「金門」の全景です。
高い岩山がそびえてとても雄大です。
こんな狭い岩の門があるのは不思議な景色です。

言い伝えでは、この場所に道を開こうと僧徒等が工事を行っていたが、難工事で途方に暮れて居たそうです。
その時、二羽の烏が飛来し、手伝い、程なく竣工したそうです。



金門から下流は、高い断崖になっており、下を見下ろした写真です。
予想外に、落差のある滝の口で、左右の雄大な絶壁や、巨石の見えるはるか下の河原の景色にもチョット感動しました。



金門の横に、石垣があり、大きなお地蔵さんがあります。
「賽の河原」を見下ろし、子供たちの霊を見守っているのでしょうか?



河原から上流の大山方向を見た写真です。
とても雄大なながめでした。
たまたま山頂付近のガスが晴れてきて山頂が見え始めました。



大山の荒々しい北壁が見えます。
北壁の崩壊は進んでいるようです。