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昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

油絵「コスモス」

2007年10月22日 | 妻の油絵
今年も妻の「コスモス」の絵ができました。
ちょっと落ち着いたローズグレーを背景に花瓶いっぱいのコスモスが、賑やかに咲いています。

先日、妻からたのまれ、はがき用紙にこの絵を印刷しました。
妻は、そのはがきで親しい方々に近況報告をさせて戴いたようです。

9/23 鳥取の大山、境港、10/6 東北の気仙沼・遠野・平泉に行ってきました。
下関旅行の記事は終りになりますが、書くことが、いっぱいたまっています。

まだ紅葉が始まっていないというのに年賀はがきの予約の話が聞こえる季節になりました。
考えてみると今年も残り2ヶ月少々ですね。

油絵「ひまわり」

2007年08月02日 | 妻の油絵
妻の油絵です。
生き生きと咲く「ひまわり」を涼しさを感じさせるガラスの花瓶にさしています。

第47回 光風会 福山グループ洋画展が福山市の天満屋福山店8階で開催されています。
開催日時 8/1~8/6 AM10:00~PM7:30(最終日はPM6:00まで) 入場無料

先生方の絵が並ぶ中、この絵も展示させて頂いています。

妻の油絵「那智大社の紫陽花」

2007年07月13日 | 妻の油絵
久々に妻の油絵を掲載します。
2005年7月中旬、南紀旅行で熊野那智大社の境内に咲いていた紫陽花を見て描いたものです。(20号)
山の中腹の境内に咲く紫陽花に、朝日が当っている風景です。
又、南紀の各地で見かけた朝顔を隣に描き、7月の季節感を表現したいと思ったそうです。




ついでに那智の滝周辺の風景を掲載します。
紫陽花は、境内から下を見下ろす敷地の端に咲いていました。
熊野那智大社の境内に登る参道の景色です。


熊野那智大社の拝殿だったと思います。
向かって右の大木は、「那智のクス」で、平重盛手植えと伝えられている推定樹齢800年の樟(クス)で、高さ27m、幹回り8.5mあるそうです。


那智山青岸渡寺の三重の塔から那智の滝を見た景色です。
有名な景色で、何も書くことはありません。


上の風景の那智の滝の部分をズームで撮った景色です。


那智の滝を滝壺前の飛滝神社から見上げた景色です。
朝早く、勝浦のホテルを出発して真っ先にここにお参りしました。

妻の油絵「門扉のバラ」です。

2007年06月17日 | 妻の油絵
「第4回ふくやま”ばらの絵”公募展」が福山文化連盟の主催で行われ、受賞した油絵です。
福山市西町の福山ロッツ8階「ふくやま書道美術館」市民ギャラリーで5/24(木)~6/3(日)で展示されていました。


油絵「門扉のバラ」F15号
福山市東深津町の結婚式場「ウエディングパルコ アルジェント」の門の前のバラと、景色を描いています。

山陽新聞に受賞場面の写真と、インタビューの記事を掲載して頂きました。


■「福山ばら祭2007」5/19(土)~5/20(日)
福山市では「戦災の街に潤いを」と45年前に町内会の人達が広場にバラを植え、それが「ばらのまち」のシンボル「ばら公園」の始まりだそうです。
毎年、5月中旬には三角形の「ばら公園」を中心に「ばら祭り」が開催され多くの市民でにぎわいます。
(写真は、閑散としていますが、イベント前日の撮影です)

1945年8月8日22時頃、福山市はアメリカ軍のB29、91機による大空襲を受けました。
当時、6万人に満たない福山の町は焼け野が原となり、死者354人、負傷者864人、焼失家屋数10,179戸、被災人口47,326人と実に82%の市民が被災したそうです。
アメリカ軍が広島市に原爆を落とした2日後のことでした。

終戦後、市民は絶望の中から立ち上がり、町の復興を成し遂げました。
現在、「100万本のばらのまち福山」づくり運動を推進しています。
バラの花は、今いったい何本位になったのでしょうか?

油絵 「牡丹」と、「極楽寺」

2007年05月09日 | 妻の油絵
 
今日は、八重山旅行の代わりに妻の描いた油絵を掲載しました。

写真1段目は、一昨年5月上旬、妻の油絵「牡丹(ぼたん)」です。
つや消しの金色の額に入れ、和室にも合う絵です。

先週の5月5日、広島県世羅郡世羅町甲山の「浄土宗 極楽寺」で牡丹の花を見てこの絵を思い出して掲載しました。

写真2段目は、「浄土宗 極楽寺」の全景で、孝女伝説の阿姫の墓があるお寺です。
写真3段目は、極楽寺の庭の片隅に咲いていた牡丹です。

写真にある赤い欄干は、芦田川に架かる橋で、極楽寺からこの橋を渡ると「今高野山 龍華寺」などがあります。

世羅町甲山は平安時代からの荘園「大田庄」の中心で、高野山の所領だった関係でたくさんの伽藍がならぶ「今高野山」が造られていた所です。

「今高野山」のゆるやかな坂の参道を歩くと、八重桜の花びらで道が美しく染まっていました。
いずれ「大田庄歴史館」と合わせて掲載したいと思っています。

油絵「グスクの門に立つシーサー」

2007年04月14日 | 妻の油絵
 
写真上段は、妻の油絵「グスクの門に立つシーサー」で、100号(162cm×130cm)の大きな絵です。
シーサーを題材にした絵を何枚か描いていますが、その中では一番好きな絵です。

門の中の色は、沖縄の海の色にも似た感じで、その奥にはシーサーの幻想的な世界が広がっているようなイメージを持ちます。

のんびりとした左のシーサーと、しっかり者の右のシーサーの足元で、小さなシーサーたちが遊んでいる様子が描かれています。

写真下段は、今帰仁城の正門「平郎門」で、絵の門のイメージに使っています。


油絵「店頭のシーサー達」

2007年03月31日 | 妻の油絵
 
写真上段は、妻の油絵です。

このシーサーは、数年前、那覇市国際通りの店頭で見つけ、描いたものです。
際立って個性的なシーサーで、既に数点の絵のモチーフにしています。

今回の旅行では、このシーサーか、同じ陶芸作家の作品を探して購入を考えていました。

数年前のシーサーの写真を持ち、写真で撮ったお店に行ってたずねてみました。
このシーサーは既に売却され、若い男性が数十万円で購入されたとのことでした。
同じ作家の作品が、姉妹店にあるとのことで行ってみました。

写真下段の中央に大きく口を開けているシーサーが、同じ作家の作品です。
その向かって右に作家のプロフィールが紹介されていました。

スペイン人の方でした。
1955年生まれで、1981年に沖縄で陶芸を学び今日に至っているようです。
窯は、今帰仁村にあると書かれており翌日探してみることにしました。

陳列の作品は、絵のシーサーと同じように個性的でしたが、絵のモチーフとしては少し描きづらい感じだったので購入を断念しました。

妻の油絵「菅原神社の桜」

2007年03月22日 | 妻の油絵

昨年の春、妻が描いた油絵です。
桜も見頃を過ぎた日曜日の夕方、急に思い立ち菅原神社に桜見物に行くことにしました。

めがね橋に夕陽が射し込み、水面の花びらがとても輝いて見えました。
水面に映る美しい景色はよくありますが、水面に自然の貼り絵を見るような景色でした。

満開の桜の美しさは云うまでもありませんが、見頃を過ぎた桜にもまた別の美しさがあります。
水面に浮かぶ花びらと合わせてお楽しみ下さい。

油絵 「お雛さま」

2007年02月28日 | 妻の油絵
妻の油絵 「お雛さま」です。

昨年も描きましたが、今年の絵が少し出来が良いようです。

昨年の「お雛さま」の絵は妻の母がお世話になっている市内のグループホームに飾って頂いています。

「桃の節句」とは云いますが、桃の花のない「桃の節句」です。
新暦になって季節感のない行事になってしまいました。

最近、全国的に古い町並みの各商家にお雛さまを飾り、イベントとなっています。

せめて古い町並みでは、旧暦の桃の花が咲く季節感のある時期にもやってもらいたいものです。

油絵「ポピーの花」

2007年02月19日 | 妻の油絵
昨年5月の妻の作品です。
6号の小さな作品ですが、少し動きのある感じを出したかったようです。

ポピーは、「アイスランドポピー」が正式のなまえのようで、花言葉は「思いやり」「いたわり」の他、白い花は、「忘却」「眠り」だそうです。

ユーラシアや、北アメリカなどの亜北極圏が原産の多年草で、植物の分類ではケシ科 ケシ属ですが、麻薬にはなりません。
厚さに弱いため日本では一年草で扱われているようです。

季節ごとに何気なく見ている花も世界各地から来ていることが分かり、改めて感心します。

「卜部俊孝」さんの日展特選を祝う会

2007年02月11日 | 妻の油絵
2/11 17:00 福山ニューキャッスルホテルで「卜部俊孝さんの日展特選を祝う会」が開催されました。
卜部先生の飾り気がなく、心優しい人柄に、270名と多くの方々がお祝いに出席されました。

来賓の方々からの祝辞の後、卜部先生から心がこもったお礼の挨拶があり、お孫さんからの花束贈呈に顔をほころばせていらっしゃいました。

しかし、受賞してこんなに盛大な祝賀会だと日展特選の受賞保険が要りますね。

下記のアドレスは「卜部俊孝」先生の作品が紹介されているサイトです
http://www.hiroshima-e-art.com/file/main/kaiga/urabe/index.html

写真は、祝う会で頂いた出席者名簿、会場風景、おみやげで頂いたお酒と生花です。(受賞作品の油絵「画室の静物」が印刷されていました)

琉球王朝時代「中村家住宅」の油絵

2007年02月08日 | 妻の油絵
この写真は、2005年春に妻が描いた「中村家住宅」の油絵で、2004年4月、2005年3月と、二回訪問してそれぞれ同じシーンを描いたものです。

門を入って左に行くと、裏庭に続く小路の途中にある井戸と、その後ろに畜舎がある場所です。紅い花、石垣のある井戸、赤瓦の畜舎など、妻がとても気に入った場面です。

中村家住宅」は、沖縄県北中城村にあり、国指定重要文化財にも指定されている琉球王朝時代の建物です。琉球王朝時代の18世紀中頃に建てられたと伝えられています。
赤瓦の屋根上に迫力のあるシーサー、どっしりとした石塀、フクギの生垣など、古きよき沖縄の魅力を感じさせてくれるスポットです。

モネの庭マルモッタンの「睡蓮の庭」の油絵です。

2007年01月25日 | 妻の油絵
写真は、2004年7月高知旅行の後、妻が描いた油絵です。
クロード・モネが長い不遇の時代を乗り越えて最後に落ち着いた南フランスのジヴェルニーの土地で造った睡蓮のある庭が、2000年4月高知県室戸岬に近い北川村に「モネの庭 マルモッタン」の名で再現されています。
園内は、睡蓮の池を中心とした庭の他、花壇を中心とした庭、レストランなどがあり、南フランスの田舎の雰囲気を感じさせられます。
ちょうど睡蓮の花の時期で、可憐な花を描くことができました。
高知旅行では、室戸岬の他、吉良川の土佐漆喰の商家・いしぐろ塀の道並みも楽しい思い出になりました。