加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

守貞謾稿の中の凧を再現(1)

2015年02月01日 | 金澤郷土の凧資料
守貞謾稿の中の凧
江戸時代の風俗について作者の喜田川守貞が見聞きした事柄ごとに書きとめたものを多数の図を付して説明したもので、凡そ700項目におよぶ事物の名前や事情を分類し一種の百科事典的な文献です。
国立国会図書館所蔵の「守貞謾稿」原本は前集30巻、後集5巻からなるものですが、原本を翻刻したものが「近世風俗誌」として岩波書店からて全5巻で刊行されています。


喜田川守貞は本文の概略で自分のことを次のように書いています。
『余、文化7年(1810年)庚午6月、浪華(なにわ)に生る。本族石原なり。天保11年(1828年)庚午9月、東武に来る。
時に歳31歳。遂に北川の嗣となり、同8年深川に間居し、黙して居諸を費さんことを患へ、一書を著さんと思ひ、筆を採りて几に対すれども、無学短才、云ふべき所なし。ここにおいて、専ら民間の雑事を録して子孫に遺す。ただ古今の風俗を伝へて、質朴を失せざれんことを欲す。』

また、これらは天保8年(1837年)以来の事象を散紙に書きとめて、後から書き足すことが出来るように畾紙を挟んで整理したと書かれています。
今回、「近世風俗誌」の中から江戸時代の風俗としての「凧」に特化して調べることで、金澤の凧の歴史との結びつきが見つかればと思っています。
そして、絵図としての凧がありますが幾つかを再現したいと考えています。
凧を作り商いとしていることが記述された個所がありましたので、次に記述しました。

近世風俗誌(一)(守貞謾稿)
喜田川守貞著、宇佐美英機校訂
1996年6月20日 第2刷発行  岩波書店

巻之五(生業上)
際物師(きはものし)
一時限りの物を売る生業を云へども、ただ江戸のみこれを唱ふ。京阪もまたその賈あれども、この名目これなきなり。春時の凧、正月二日初夢宝船図、七日薺(なずな)、十五日削掛(けずりかけ)、三月ひな祭りに係る諸物、五月節句物、七月乞巧奠(きこうでん)、同魂祭物(たままつり)、蝋月注連縄(ろうげつしめなわ)、飾松、その他正月祝物を始め一時限りの物枚挙に暇あらず。皆総じて「きはもの」といふ。
守貞は江戸、上方の職業を細かく分類し、その他の商売についてもこの項で書かれています。
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