加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

北陸新幹線の白山総合車両所を見学してきました

2015年01月18日 | 日々雑感
白山市合併10周年の記念事業の一環で3月14日に開業運転する北陸新幹線の白山総合車両所を地元の白山市民を対象に見学会が開催されました。

(白山総合車両所見学会パンフレット)
昨年実施された見学会は申し込み後に抽選という方式でしたが、今回の開催は申し込み不要で松任駅と白山市役所から無料のシャトルバスが運行され沢山の見学者が訪れていました。

(市役所前送迎バス)
11時からセレモニーを行うということで50分位待たされて多分皆さんも相当イラついていたのではないでしょうか。

(見学会看板)
開場後、部品展示と台車研修場を見学しました。車体を持ちあげ台車や車輪を取り外す場所なのですが車両もなくただ新品の台車やパンタグラフ、その他の部品が展示された場所でした。

(研修場)

(台車)

(グランクラス座席)

(パンタグラフ)

研修場への引き込み線にW7系が停車しており沢山の見学者の撮影ポイントで賑わっていました。
(引き込み線の車両)

(屋上から見た車両基地内)

W7系の「かがやき500号」の車内見学では1号車から10号車の普通車両内を歩き座席に座って新幹線の旅行を一足早く味わった気持ちになりました。

(かがやき500号)

(普通車車内)
11号車のグリーン車は2列+2列で、グランクラスの12号車は2列+1列でしたが、車内見学はできず、窓から車内を除いて内装を見るだけでした。

(グランクラスマーク)

(窓からグランクラス車内を見る)
上越新幹線と東海道新幹線でグリーン車には乗ったことがあったので、グランクラスには一度は乗って最上級の居住性を体験して見たいと思いました。


車両床下見学通路からみる新幹線の床下は試験運用している車両なので鉄錆で汚れていましたが車体の下を間近で見る機会がないので見学者の方も興味深く見入っていました。

(車両床下見学コーナー)
見学者が多く、どのコーナーも長蛇の列ができ、最後に除雪車を見ようと列に並んだのですが、列の進みが遅いので見学をあきらめました。

帰りのバスも長蛇の列で約1時間位で乗車することが出来ましたが、私達の後に並んだ人達はもっと長い列になっていました。

沢山の見学者が訪れているというのは3月14日に開業する北陸新幹線への県民の期待が大きいからだと思うのです。
コメント

阪神淡路大震災から20年

2015年01月16日 | 阪神淡路大震災のプレゼント凧作り
平成7年(1995年)1月17日午前5時46分、夜間作業が終わりに近づいたころ大きな揺れに襲われた。
今まで体験したしたことのない大きな地震に不安が現実のものになるのにそう時間はかからなかったと思うのです。
甚大な被害が出た「阪神淡路大震災」の出来事は20年経過したのに昨日のことのように思い起こされる出来事です。
当時、震災の援助をしたかったのですが前年より体調を崩していましたので手伝いもできず忸怩たる思いでいた記憶があります。

年末に「被災地の子供たちにプレゼント凧の提供して欲しい」との呼び掛けに呼応して活動したことを記録してあるのがこちらです。「阪神淡路大震災のプレゼント凧作り

(内灘からのプレゼント凧)

今日16日、天気も良く風も良かったので内灘町からのプレゼント凧として製作した「ダイヤ凧」を明日は雪模様のため今日揚げることにしました。

内灘町で制作したダイヤ凧の尻尾には「がんばろう神戸!」と当時のメッセージが書かれていました。

(凧の尻尾にメッセージ)
近くの田んぼで凧揚げをし、写真に撮ったのですが画像がブレていたので家の前で再度写真を撮りました。家の周りは電線が多く高く揚げることができませんでしたが、ブログにアップする写真としては良かったのかも・・・・・。
震災当時の鎮魂の思いを凧に込めて揚げてきました。

(メッセージ凧(1))
(メッセージ凧(2))
明日で20年、被災者の方の鎮魂の思いを込めて「尻尾にメッセージを書いた子供たち」やプレゼントされた当地の子供たちは今もあの時の気持ちを持っていてくれることを信じています。
被災された皆様方のご健勝を祈念いたします。
     合掌
コメント

左義長に行ってきました

2015年01月10日 | 日々雑感
1月10日 町内の左義長がありました。

正月に歳神様を迎えるために玄関飾りや神棚の注連縄、床飾りをして迎えるのですが、松の内も終わったのでこれらをお下げしていました。
神社で左義長を行っているのですが、私の住んでいる地区は昔から田圃の一角で左義長を行っています
今朝は6時ごろから雪が降り始め、8時ごろには周りが白く雪化粧となり、雪の降る中左義長に行ってきました。
燃える煙に乗って歳神様は戻っていかれました。
(左義長)

昔は1月15日が左義長で成人の日と一緒になっていましたが、近年ハッピーマンデー法により成人の日が月曜日となり左義長も成人の日の近くの土曜日から月曜日になっているところが多いようです。

本来松の内とは1月15日ですが関東では1月7日となり、多くの地区が7日となってきているようです。
調べてみると15日までが松の内なので16日の早朝から左義長を行うという神社もありました。



左義長について文献を調べてみました。
絵本江戸風俗往来  菊池貴一郎著 (平凡社発行)
「十四日年越し」の項では江戸時代のことが記述されています。
正月の門松ならびに七五三(しめ)縄は、外部に飾りし分は、この月六日の夕方に取り払いて内部に掛けし輪飾りを残す。
内部の輪飾り等すべて十四日に外し、その跡へ削掛(けずりか)けというものを掛ける。
削掛けは柳の木の皮を去り、削かけて総(ふさ)の如ししたるあり、また獅子の毛幔(けまん)のごとくなるあり。
しめ縄を外した処理に関しては記述がありませんでした。

近世風俗誌(四) 喜田川守貞著 岩波文庫
巻之二十六(春時)
「正月十五日、十六日 俗に小正月」の項では
前文省略 
また京坂ともに十五日に門松、注連縄(注連縄)を取り除くなり。
江戸も昔は今日なり、大阪は門松、注連縄の類を諸所川岸等に集みて、十六日の暁前にこれを焚きて、左義長の義を表す。
これを焚くを坂俗は「とんど」と云うなり。
十四、十五日頃には小戸貧民の男童ら藁筵(わらむしろ)の両辺に竹を付け、4人にてこれを担ひ、坊間諸戸を廻りて門松、縄等を乞うなり。多くを集むを功とし、少なきを恥とす。
年来の習風にていづれの時よりかくのごときか。かの童らこれを乞ふる詞「おゑさん、だなさん、しめなわくだんせ、とんどへあげる」と同音に呼び巡る。
御家は人の妻、御家様、旦那様、注連縄下され、頓度に上げると云うなり。
「とんど」字失念するなり。
中略
十五日の夜、諸川岸これを焚く。かの童、夜中牛蒡注連縄等を持って、あるひは地をうち、あるひは民戸をうつなどして、「トンドじゃ、チャンギリコじゃ」と報告し巡る。
けだし、これを焚くには雇夫ら出てこれを助けて、児童のみにはあらず。かの輩、今夜寝ざるゆへに夜不寝講と云へり。よねかんかと訓ぜり。
「チャンギリコ」は左義長の訛ならん。
江戸には更にこの事なし。あるいひは川に流し、あるひは家にてこれを焚く。あるひは芥溜(ごみた)めへこれを捨つるのみ。



コメント

ふきのとうが送られてきました

2015年01月06日 | 日々雑感
今日荷物と一緒に蕗の薹が送られてきました。
正月に帰省していた息子夫婦が赴任先に戻り、嫁さんの実家に正月の挨拶に行ったとき家の近くで孫が一生懸命探したものだそうです。
小さなものは親指位の大きさで、大きなものでもピンポン玉より少し小さい位で全部で30個もありました。
(蕗の薹1)

(蕗の薹2)
暦では6日は小寒でこの日から節分の立春までが「寒(かん)」というそうで、一年で一番寒い時期に入ったそうです。

一年で一番寒い時期をむかえているのに関東の方では露地物の蕗の薹が春を待ちきれなくて顔を出しているのでしょうか、日本海側と太平洋側では季節がこんなにも極端に違うのかと実感しました。

以前は田んぼの畔に蕗の薹が自生していましたが、近年は除草剤の影響でしょうか全く見なくなりました。
昨年は3月の中旬にスキー場の近くで蕗の薹を採りに行って行きました。
蕗の薹は早くても3月に入ってからの物になるだけに、この時期の蕗の薹は宝物のように見えました。

早速、大きそうなものは「フキミソ」に、小さなものは天ぷらにしてお酒のつまみになりました。
天ぷらの蕗の薹はほろ苦く春の香りが口いっぱいに広がりました。
正月のお年玉のような一足早い春の訪れを頂きました。

明日からまた強い冬型となり寒さが戻ってきたようで、本当の春はもう少し先のようです。
コメント

今日も孫と除雪

2015年01月03日 | 日々雑感
元旦から毎日10㎝位の積雪があり帰省中の孫から朝食後「爺ちゃん雪透かしするぞ!」と一緒に除雪をしようと誘ってくる。
関東の方では積雪があっても毎日のように除雪する必要もなく珍しいのだと思うのです。

それでも小さい時は一緒に生活していたので積雪に関しては知っているのですが、手伝うことが出来る年になり、孫が逞しくなったことに嬉しくなりました。
(1月3日の降雪状況)

(孫の除雪)
今日、関東に戻るので今回の雪透かしが最後になるので少し寂しい感じもする。
息子家族が毎日除雪してくれたので大変助かりました。明日からしばらくは冬型も緩み雪の心配もなさそうで、一安心です。

やはり若い人の除雪は早い、それだけ自分の体力が衰えて来ていることを実感しました。
除雪を完了して、車に荷物を積み込み「今度は夏にくるね!、行ってきます!」と赴任先に戻っていった。

今日、明日がU-ターンラッシュになるといっていたので道中無事で到着するように祈念するばかりです。
途中、関越道の嵐山で渋滞中とメールが届いたがその後無地帰宅したとメールがあり安心した。
コメント