加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

令和4年 東日本大震災から11年(3)

2022年03月11日 | 3・11 凧絆プロジェクト

令和4年3月11日 今日の空は青い空が広がり良い風が吹いています。
昨年までは慰霊の連凧を揚げてきましたが、今年は「鎮魂」と書いた凧を揚げに何時もの広場に行って来ました。
弱風用と強風用の2種類の凧を準備していきましたが、風は6~7m位だったので強風用としました。
尻尾を調整し南西の強風に合わせると東北の方角に向かって青い空へ揚がっていきました。
亡くなられた方々のご冥福を祈り心の中で手を合わせ凧揚げをしました。




2011年のあの日は寒い日で雪が舞う天気でした。これまで慰霊の凧揚げをしてきましたが、吹雪模様のため凧揚げを中止にしたり、強風で連凧が揚がらなかったこともありましたが、今日の日が一番天気に恵まれた日でした。

あの日から11年経ちました。
午後2時46分NHKテレビで現地から追悼の中継をしていました。
テレビを観ながら地震発生時間に合わせ、1分間の黙とうを行いました。

                   (NHKテレビより)

                    (NHKテレビより)

震災から11年経過しても人々の心の中はまだ完全に復興していないと感じた一日でした。

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令和4年 東日本大震災から11年(2)

2022年03月10日 | 3・11 凧絆プロジェクト

令和2年3月10日 明日で東日本大震災から11年となります。
東日本大震災を記録した河北新報社の「3・11大震災」と三陸河北新報社の「大津波襲来・石巻地方の記録」の2冊の本があります。
2011年の震災の年に避難所に住む方々を元気付けるために「仙台凧の会」が全国の凧仲間に呼びかけて凧を募集しました。
私の方も簡単に揚げられる凧をセットにして送りましたところ、そのお礼にと上記の2冊の本が送られてきました。
永く本棚にしまっていたのですが、11年になったので取り出し本のページをめくると生々しい写真に当時の記憶が鮮明に蘇ってきました。


本の中は全てを記録する形で構成されており、今まで報道されていたもののほかに記者の方の目線での写真となっているので、見るたびに心が痛くなるものばかりです。

孫たちは当時小学校3年でこの本を見せたのですが覚えているのだろうか?今は県外の大学へいっているので今度帰省したら記憶に残るように見せようと思っている。

震災から10年経ったころから人々の記憶から薄くなったと思います。
人々の記憶はその時の記録で蘇ることもあると思うのです。
これからも細々と慰霊の凧を揚げていきたいと思い、それが記憶を忘れないことだと思うからです。
明日は震災から11年となる日です。「鎮魂」の凧を揚げて慰霊したいと思っています。

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令和4年 東日本大震災から11年(1)

2022年03月09日 | 3・11 凧絆プロジェクト

令和4年3月9日 凧・絆プロジェクトとして毎年繋いできた連凧も今年はもう繋ぎません。
2011年から仙台凧の会の呼びかけ被災地の子供たちを元気づけようとして始まった「凧・絆プロジェクト」でした。
仙台凧の会では2015年に「スマイルカイトアクション」と名称を変更しましたが、私は初心のまま現在まで「凧・絆プロジェクト」として活動してきました。
昨年までの10年間で110枚の凧をつなぎ東北地方の震災で被災された方々の慰霊したいとの思いで連凧を繋いできましたが、今回10年の節目が終わり慰霊のための連凧揚げを断念することとしました。
慰霊の連凧を作った時から東北の被災地での慰霊の連凧を揚げて御霊を慰霊したいと考え、昨年10年を機会に青森県、岩手県、宮城県、福島県での慰霊の凧揚げを検討したのですが、コロナウイルスの感染拡大で計画倒れとなりました。

10年の思いの詰まった連凧を収納箱から出して、1枚づつ確認しているとその年の出来事が思い出され思わず確認の手が止まってしまいます。

                     (連凧の点検)

                     (連凧を収容)


2011年の年は貼り付けたセロテープが変色し、経年劣化で硬化して剝がれてしまいました。
凧の尻尾に孫たちが書いたメッセージを見て懐かしく、あの時は小学生だった孫たちも今は大学生になっています年月の流れを感じました。
点検を終わった連凧を収容箱に収めましたが、今後連凧を揚げる機会があるのでしょうか?

                      (連凧の収容箱)
世の中でも東日本大震災は10年を境に過去のものとなったように、話題にならなくなりました。
私の中では「阪神淡路大震災」と「東日本大震災」は凧で繋がった仲間とともに忘れられない事柄です。

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令和3年 3・11凧絆プロジェクト(5)

2021年03月11日 | 3・11 凧絆プロジェクト

令和3年3月11日 東日本大震災から10年です。各地で震災慰霊の行事が行われています。

慰霊のための連凧は2011年から作り始め、毎年10枚ずつ繋ぎ、今年2021年で110枚となりました。
最後まで続けられたのは、震災で犠牲になられた方々への慰霊のためです。
阪神淡路大震災で被災児童へのプレゼント凧作りを行ってきましたが、今回の地震の被災地は一度も訪れたことがないため、何かしたいという思いから連凧を作るきっかけとなりました。
連凧に書かれた一文字は
2011年:絆、2012年:祈、2013年:ニコニコマーク、2014年:夢、
2015年:友、2016年:希、2017年望、2018年:愛、2019年:繋、
2020年:結、2021年:絆 です。

昨日に続き今日も慰霊の凧揚げです。朝から晴天ですが風は微風で凧揚げには向きません。昼過ぎから少し風が吹いて2~3m/sの風になりました。
午後から昨日揚げた海浜公園に行き、弱風用の「鎮魂」の凧を揚げましたが、風が弱く上空で停止してくれません。

2時ごろから3m/s位の風が吹いてきました。連凧110枚を全て延ばすと公園の端から端まで伸びました。
先頭凧を上に持ち上げると先頭のほうがざわざわと揚がりたいような動きだったので、思い切って引くと先頭からゆっくりと揚がっていき、周りにいた人たちからは「オー!!」と歓声が聞こえました。
全体が持ち上がり連凧は上がる角度は低いのですが青い空に吸い込まれるように揚がっています。




思い起こせばこの10年で満足に揚がった年はありませんでした。ある時は雨、雪、そして強風に泣かされた10年でしたが、今回の連凧揚げは最高の凧揚げとなりました。
きっと被災され犠牲となられた方が空から引き上げてくれたのでしょうか。
30分位揚げて連凧を降納しました。

良い風なので「鎮魂」の凧を揚げましたが海岸の松林の影響で高く揚がりません。糸を長く伸ばし一気に引くと高い位置で静止しました。




凧が揚がった方向は東北ではなく南西の方角でしたが、東北地方の方には思いは通じたのではないでしょうか。

コロナが落ち着いた時に東北地方の海岸で慰霊の凧を揚げたい。
そのためには健康が一番、これが今年の目標でもあります。

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令和3年 3・11凧絆プロジェクト(4)

2021年03月10日 | 3・11 凧絆プロジェクト

令和3年3月10日 東日本大震災から明日で10年となります。
昨年はコロナの影響で凧を揚げるだけでバッシングされる異常な状況で、連凧を揚げることははばかられる状況でした。

今年は10年で節目の年となります。今日と明日11日は晴れの予報となっているので慰霊のための凧を揚げたいと思っていました。

今日は午後から青空が出たので河津桜を見に行き、帰りに何時も凧揚げで利用している「シーサイド松任海浜公園に行きました。

風は北風で風速は6~7m/sと強いので連凧は揚げられません。
強風用の「鎮魂」の凧を揚げると風を受け良く揚がりましたが、海岸の松林を越してきた風なので上空は風が乱れて凧は右へ左へと揺れていました。





次にメッセージを書いた垂れ幕凧を揚げましたが、垂れ幕が裏のなったりよじれたりと中々安定しませんが、何とかワンチャンスで写真に収めることができました。
「東日本大震災」 みんなで がんばろう 日本‼ と応援メッセージが書かれています。





明日11日の天候は晴れ、午前中は風が弱く、午後から3m/s位と予報が出ているので連凧を揚げたいと思っています。

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