内灘町での10年間の凧活動を振り返って
平成元年から始まった「日本海凧揚げ大会」が平成4年には「世界の凧の祭典」と大会の名称も変えて国際大会となりました。小生が内灘の凧揚げ大会に参加したのは平成2年からでした。越中大門凧の会の方々から凧の手ほどきを受けて町内の有志と6畳の大凧を製作し内灘で初めての大凧を飛翔させることができたことが、後の百畳凧の夢につながったのだと思います。
平成3年には静岡県清水市の「第13回日本国際凧揚げ大会」の視察に当時の岩本秀雄町長始め役場職員並びに石川テレビ事業局の担当者の方々と同行させていただき、「凧作り教室」を見学させていただいた体験が、現在までの子供の凧作りの講習に生かすことができたと思っています。その後内灘町からの要請で6畳凧の製作図を作成し、内灘町の16の公民館に製作指導を行ったことが現在の内灘町の6畳凧が大凧の定番になったと思っています。
近年では夫婦で参加する方も多く見受けられるようになりましたが、小生が全国の大会に参加した平成4年当時は夫婦での参加者は少なく、同じ夫婦連れの方とすぐに顔馴染みになり凧作りについて情報交換をしていました。
平成7年1月には阪神淡路大震災が発生し、翌平成8年には震災の児童を励ますためのプレゼント凧を内灘町の町民の方々と製作し、820枚の凧を被災地児童に届けるお手伝いもすることが出来ました。
子供の凧作り講習会の材料調達は、初めのころは文房具店、ホームセンターでしたが全国の大会に参加し、情報交換する中で凧教材を扱う会社を教えていただき数社から材料を購入しましたが、現在では徳島の会社から購入しています。
材料調達で一番悩んだのは揚げ糸でした。最初はプラスチックのボビンに巻いた糸でしたが、ホームセンターでは定価で購入していました。徳島の会社では大量に購入しやすく600個が1袋となっていましたが、講習会の多い年は1年で1袋を使い切ることもありました。
平成4年から現在に至るまで大人から子供たちの凧作り講習会を行ってきました。講習会の場所も遠くは福井県の美浜小学校、福井県の勝山小学校、石川県門前町の櫛比小学校、と県内以外の学校や地区での講習会も行いました。
第10回の内灘の世界の凧の祭典で百畳凧を飛翔させることで、嫌がらせや中傷もあった中で小生を支えてくれ、助言してくれたのは全国の凧友でした。その百畳凧揚げで人とのつながりの中で貴重な体験をすることが出来、協力して頂いた方々に感謝しています。
内灘町で凧と出会い平成8年には白山市へ転居しましたが、平成8年11月には「新春子供凧遊び大会」の講習会の依頼を受け、翌9年1月に第1回「新春子供凧遊び大会」が開催されました。平成10年からは「子供凧遊び大会」と名称も改称し1月開催から秋の開催と変更になり開催されることになりました。平成11年の第4回の「子供凧遊び大会」を最後に内灘での講習会を地元内灘町の凧の会にお任せすることにしました。
現在は、世界の凧の祭典への参加、全国各地での凧揚げ大会への参加。そして、地方からの講習会依頼で、小学校や公民館活動での凧作り等の対応をしています。
今後の凧の活動は身体の続く限り夫唱婦随で歩んで行きたいと思っています。