加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

令和2年 おかえり天神

2020年01月25日 | 日々雑感

令和2年1月25日 菅原道真公は学問の神、天神様として信仰されています。
我家では昨年12月25日に天神様の掛軸を飾り、出世魚の「ふくらぎ」をお供えし孫達の学業の向上をお願いしました。
年が明け、1月25日は道真公にお帰りになる日とされていますので、「ふくらぎ」をお供えし、天神様の掛軸を片付けました。





菅原道真公の命日が2月25日と生まれた日が6月25日であることから毎月25日が天神の日であるといわれています。ちなみに1月25日は菅原道真公が大宰府に左遷された日でもあるそうです。

菅原道真を主祭神としている神社では、終い天神は12月25日、一年の行事の始まりの初天神は1月25日となっていますので、我家ではこの間の1ケ月間、天神様を飾り孫達の学業向上をお願いしました。

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令和2年 婦くら雀凧の竹の矯正

2020年01月20日 | 凧を作る

令和2年1月19日 今年初めての凧作りを始めようと竹骨を出してみると、割った竹が湾曲していました。

                (湾曲した柾割り竹)

婦くら雀凧の骨組みの竹は昨年1.6~2ミリくらいの柾割りにしていましたが、柾割りにした竹を長期間置いておくと、竹が元に戻るために湾曲してしてしまいます。
湾曲した竹を使って組み立てても、節の部分に無理な力がかかり納得のいく骨組みとなりません。
凧はやはり骨組みが重要なものなので、納得のいかない凧は作りたくないのです。
凧の湾曲を矯正するのには節の部分を暖めて曲がった部分と反対方向に力をかけて矯正し、冷たい水を含んだ布で冷やし矯正していきます。

節間の部分の湾曲は手で曲がりを矯正していきます。
反射型のストーブを使い竹の節の部分を暖めるため、冬の仕事としています。


                   (ストーブで暖めて)


            (矯正が終わった竹)

約40本くらいの竹を矯正し後は骨組みを組み立てる作業へと移ります。

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令和2年 阪神・淡路大震災から25年

2020年01月17日 | 日々雑感

令和2年1月17日 平成7(1995)年1月17日午前5時46分兵庫県南部地震が発生しました。
兵庫県、大阪府、京都で地震による大きな地震が発生し、6434人の方が犠牲になりました。
テレビの画面で視た被災地の状況は今でも脳裏に焼き付いています。

あれから25年、神戸・三宮の東遊園地では、竹灯籠を約6千本を使い「きざむ 1・17」にろうそくの火が灯され追悼行事が催されました。

平成生まれの方々が社会人として多くなる現在、震災の記憶も忘れられようとしている中で、今年の追悼文字は「きざむ」で震災の記憶を刻んでいくとの思いが込められているそうで大切なことです。


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令和2年 左義長に行ってきました

2020年01月15日 | 日々雑感

令和2年1月15日 今日は平日ですが、神社では左義長が行われていました。
近年、左義長は皆が参加しやすい土曜日や祝祭日に行われるようになっていますが、神社は昔からの慣習を頑なに守っているように思います。

今日はあいにく朝から雨模様、神社に着くと神社の駐車場は多くの車が駐車していました。
境内に向かうと境内の入口付近にも数台の車が駐車していました。本殿の横では左義長のお焚き上げが行われています。




火のそばには係の方が正月飾りやお守りなどを火にくべる手伝いをしていました。



左義長の呼び方は各地で色々あるようですが、当地では左義長と言っています。
左義長の謂れとしては家にやってきた年神様がお焚き上げの煙に乗って帰られるのだそうで、私が子供のころは焚き上げた火で餅を焼き、黒く焦げた餅を食べた記憶が蘇ってきましたが、今ではそのようなことをしていることを見ることもなくなりました。
今日、左義長に来ていたほとんどの方は高齢者ばかりで、車にはシルバーマークが貼られた車が多くいました。
左義長という行事も様変わりし、年寄りの回顧行事になるのでしょうか?




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令和2年 三学期が始まりました

2020年01月08日 | 日々雑感

令和2年1月8日 会社関係は1月6日から仕事始めとなっていましたが、金沢市と一部の地域の小中学校は7日からが三学期の始業式でした。
こちらの地区では今日から小中学校の始業式で三学期が始まりました。

今朝は雨模様で時折風が吹いていましたが、子供たちの見守り活動がスタートです。
朝7時20分頃まで電柱の街灯がついていましたが、雨模様のため街灯が消えても辺りは薄暗く、往来する車もライトを点けて走行しています。

7時30分を過ぎるころから、雨風が強くなり雨も横殴りのような時もありました。


小さな小学生たちは長い冬休みの後登校できるのか気になっていましたが、
5人グループが登校後は誰も来ませんでした。
強い雨風状態だったので、親の方が車で送っていったのでしょう。
新年早々、雨合羽着用の活動となりましたが、今年も何事もなく活動できるような一年であってほしいものです。

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