前日から夜間作業で仕事をしていたので当時のことは鮮明に覚えています。
22年経った新聞紙面では地震の記事も前面から紙面の後ろの方になりました。それだけ人々の記憶から薄れていったのでしょか?
震災の翌年、「神戸ふれあい全国凧あげ大会」が須磨海岸で行われました。
その時に通った阪神高速の高架が座屈し横倒しになっていた光景に大変驚き今でも忘れられない光景です。
内灘町がこの時の為に製作したダイヤ凧の尻尾にメッセージを書いたあの子たちは小学校5、6年生だったのですが現在は30歳前半でしょうか? メッセージを書いたことを覚えているのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/c2/6c29153b4441341dc0b3c6eb65096066.jpg)
子供心に力になりたいと一生懸命にメッセージを考えたことでしょう。
そして、私たちと一緒に凧を作り、発送までの作業をしたボランティアの方々も同じ思いだったのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/2a/35efa1ffabefaa53fe4e44a1c8772911.jpg)
関係者を通じて渡した凧は子供たちに力を与えることが出来、今日の力になっていると思っています。
1・17この日は私にとって忘れられない慰霊の日でもあります。
亡くなった方に関しては心より哀悼し、残された方々には心の復興が訪れますようお祈りいたします。
合掌