加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

北海道を旅しました(10)

2015年08月12日 | 旅行
平成27年7月24日(金) 晴れ
道の駅みついしは朝霧の中にありました。
道路も駐車場も薄い乳白色の世界で、今回の旅の中では初めての経験です。
隣の車の方と話をしていると、地元の方から聞いた話では、「この霧はこの時期の現象で朝9時頃に気温の上昇と共になくなる」、「山の方は霧が出ていないので収穫した昆布は海岸では干せないので山の方の川原まで持って行き干しているという」というものでした。

霧の中の道の駅みついし


道の駅みついし


駐車場

隣の車中泊の方は茨城県の方で、大洗からフェリーで苫小牧に昨日着いたそうです。学生が夏休みなので休暇を利用しての北海道旅行だそうです。学校で陶芸を教えている陶芸家とのことでした。
何度も北海道へは来ているのでのんびり旅をすると言っていました。

道の駅みついしを後にして苫小牧方向に走行すると、海岸に砂利を敷き詰め昆布を干している海産干場がありました。


霧の中の海産干場


昆布干し

朝、昆布漁で採った物を砂利の上に丁寧に広げてあり、その日のうちに干し揚げなければならないそうで、これが日高昆布として販売されることになるのでしょう。

砂利を敷き詰めた干場

今日の目的地は日高図書館で沙流川流送の資料を収集することです。
日高町と門別町が合併し日高門別町となりました。
沙流川はこの両町を貫くように流れているのです。
日高町立門別図書館は郷土資料館と併設されています。建物は鉄筋コンクリート作りでまだ新しく斬新な建物です。


日高町立門別図書館

沙流川と坂本竹次郎に関しての資料閲覧をお願いすると、職員の方は何冊かの本の中から記述してある個所を開いて持ってきて頂き閲覧できました。
結局6冊位親切に探して頂いた本の中から5冊位の資料のコピーをお願いしました。


図書館の中庭

コピーしている間に資料館を見学しました。展示ブースの中に流送の時使用していた鋸や刃の広いマサカリなどの道具が展示されていました。
このような道具で原生林の巨木を伐採していたことに驚きました。


博物館の展示物
図書館を後にして、沙流川の河川敷を見たくて堤防に来ました。
沙流川の河口がとても広いのです。また、両岸には広い河川敷があり「さるがわせせらぎ公園」となっていました。

沙流川河川敷


沙流川にかかる橋


さるがわせせらぎ公園案内図

苫小牧へ向かう途中、鵡川港で「本物のシシャモ販売」という看板を目にしたので、鵡川港に向かいました。
港は閑散として夏の暑い日差しの中に漁船が係留されていました。

鵡川漁港


鵡川漁港の浜

直売所があったので覗いてみると、店主曰く「一般的に販売されているシシャモという魚はカペリンという魚でシシャモではない」とのこと。
シシャモは10月からが漁期だとのことで今は雄のシシャモしかないとのことでした。
見せてもらったら本物は若干魚体が大きく、身もしっかりしているようでした。
本物を食したいという浅ましい気持ちから10匹が串に刺してある物を1,500円で購入しました。
メスの子持ちは倍くらいするそうでびっくりしました。

苫小牧市内でフェリー乗船までの時間調整を行い、フェリーふ頭に到着しました。
乗船するのは秋田港経由の新潟行の「あざれあ丸」です。
乗用車が全部で80台位でしょうか、バイクも30~40台位でしょうか夏休みに入っているので乗客も多いようでした。

乗船待ちの車


乗船待ちの車


乗船待ちのバイク

19時30分「あざれあ丸」は静かに苫小牧東岸壁を離れ、秋田港を経由し新潟港へ船出しました。

今回の北海道で出会った方々、一緒に凧揚げに興じた仲間達、資料を一生懸命探してくれた方々には本当にありがとうございました。
おかげさまで多くの資料が集まりました。
これらの資料は整理し「加賀の旅人」(別館)でアップしてまいりますので、よろしければ見に来てください。
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北海道を旅しました(9)

2015年08月11日 | 旅行
平成27年7月23日(木) 雨
今日も朝から雨が降っています。
道の駅「樹海ロード日高」で隣に愛知県の春日井ナンバーの軽のワンボックスカーが駐車していた。
名古屋から太平洋フェリーで2昼夜船で過ごし昨日、苫小牧に着いたとのことで9月頃まで北海道で過ごすそうです。
北海道は今回で13回目で今日は雨降りなので1日ここでゆっくりすると話されていました。

今回の旅の目的の一つで、沙流川の「流送発祥の地」を訪れることです。
沙流川の流送とは、石川県江沼郡滝ケ原から坂本竹次郎が渡道し、苫小牧の王子製紙の専属請負人として伐採した木を流送させて王子製紙に納め、財を成した人です。
郷里の滝ケ原に丸竹橋や大きな石の鳥居等を寄付した郷土の偉人でもあり、是非、発祥の地を見てみてみたいと思っていました。
国立青少年自然の家の近くに「流送発祥の碑」はありました。


流送発祥の地の碑

流送発祥の地はその碑からまだ数百メートル上流に行った所のようでしたが、その道は車両通行止めとなっています。
徒歩でしか行けないようで、道の周りは草が生い茂りなぜか薄気味が悪いので行くことを断念しました。
青少年自然の家の横には人だけが渡れる橋があったので、沙流川の上流と下流の写真を撮ってきました。


沙流川にかかる橋


沙流川上流


沙流川下流


これからの目的地は帯広の「中札内村」です。この村には小松市の山奥の「新丸村」から多くの方が移住しています。
図書館で村史を調べる旅です。

国道274号線を東に向かうと霧がかかって前が見ずらくなります。何年か前にも日勝峠を超えたことがありました。

熊と鹿に注意!

峠越えをすると幾分霧も薄まりますが、場所によっては濃い霧がある所もあり難儀な山越えとなりました。

帯広を過ぎ、中札内村の手前に幸福神社がありました。



しばらく道なりに進むと左側に幸福駅があり、ここでしばらく見学することにしました。
幸福駅は国鉄の広尾線の駅名です。昭和62年2月1日で広尾線が廃線となりましたが、幸福という名前で駅だけが残ったそうで、駅舎の中には色々なメッセージカードが貼り付けられていました。


幸福駅標識


広尾線


駅舎内の願札

中札内村役場で図書館の場所を教えていただき、図書館に着くと何と立派な図書館ではないか、中札内村は財政状況が良いのでしょうか?
図書館の中も広く蔵書も沢山あるようです。
村史の中の必要箇所をコピーして頂き図書館を後にしました。


中札内村図書館

中札内村役場に戻り、受付の方に石川県からの開拓移住者に関して聞いたのですが、分からないようで副村長さんが私達の話を聞いてくれました。
中札内村は昔は幸震村(さつないむら)といい、後に合併して大正村となり、中札内村と帯広市の大正町になった経緯を説明して頂いた。
新丸村からの移住者名簿を示すと、帯広市の大正町にその名前の人がいるようだとのことでしたが、副村長さんは名簿を持って行き調べた結果該当する方は少ないそうで、特定の方の名前で石川県出身者であることが判明しました。
後で、「常盤地区」の「開拓百年史」の中から石川県出身者の方々を見つけ、足跡が残されていたことでホットしました。
常盤地区の郷土史を借用することが出来、帰宅後必要箇所をコピーしお返ししました。

その後236号線で山越えの道路で日高幌別に向かいます。山越え道路際には放牧場があり、馬が放牧されていました。この頃になると雨も上がり青空が広がってきました。


馬横断注意!


馬の牧場


牧場風景

日高幌別からは国道235号線となり海岸道路となりました。
今晩の車中泊は道の駅「みついし」です。
三石に近づくと霧が出て見通しが悪くなる所がありました。

みついし温泉は道の駅に併設されており、温泉の露店風呂から太平洋が見えとても気分がのびやかになりました。
道の駅には沢山の車が駐車していました。
私達にとって今晩が北海道最後の夜になります。



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北海道を旅しました(8)

2015年08月10日 | 旅行
平成27年7月22日(木) 雨
道の駅美瑛の「丘のくら」での車中泊、夜半の雨が車を叩いている「ピシャピシャ」「バザーバザー」雨でもいろんな音があるものだ。
中々熟睡できないのでトイレに何度か行くのだが、外は雨足が強いので長靴をはいての移動となる。道の駅には24時間使用可能のトイレがあるのですが、男性用でも1か所だけ、これではコンビニのトイレと変わらない。これが道の駅?と疑う。
朝、車中泊の方からもトイレが少ないと不満たらたら。駐車場もホテルの駐車場か道の駅の駐車場か疑問との声も聞こえる。
もっと車の旅行者にやさしい道の駅を運営して欲しいものだと思います。


道の駅美瑛駐車場


道の駅美瑛駐車場

今日は知人が富良野を案内してくれるとのことで待合せ場所「かんのファーム」へ移動。
私達と同時に知人到着。
雨が降っているので挨拶もそこそこに富田ファームへ行くことになりました。
何度も来ているとのことで裏道を通り目的地へ到着しました。

富田ファーム

富田ファームは私達も何度か来たことがあるのですが、何度来てもこの花畑には感動します。
ラベンダーが昨夜の雨に叩かれて倒れているのが痛ましく感じます。


倒れているラベンダー
ラベンダーの花そのものは小さなものですが、沢山群生すれば紫がとても綺麗で、見るものの心を癒してくれます。

ラベンダー畑

「この農園にある車両のナンバーは皆、39-39ですよ」と知人から教えられ近くの車を見ると何と39-39である。
そしてこちらに止まっているトラックも39-39でした。


車両ナンバーが39-39

トラックのナンバーも39-39

富田ファームでコーヒータイムを楽しみ歓談。

雨降りのため次の目的地「後藤純男美術館」へ向います。
大雪山系を間近に望む十勝岳のふもとに「後藤純男美術館」はあります。
以前、一度訪れて絵画を知らない私達が金箔を貼った襖6枚に描かれた桜の絵に心を奪われ
早速、横幅が1m程ののポスターを購入しました。
帰宅後、特別な額に入れて飾って眺めています。


後藤純男美術館

今回は2階のレストランでランチです。
大きなウインドウ越しに十勝岳が雲に霞んでいる。
麓には遠くに山々の木々が見え、畑に植えられた作物が緑、黄金色、薄黄緑色とさまざまな色が呼吸しています。

ウインドウ越しに向かい側の壁の木が気になったので、近くで見てみると木のオブジェであった。


樹木のオブジェ

2000年に富良野に来た時にはゴンドラがあった記憶があるとの話から案内されたのが中富良野にある「町営ラベンダー園」でした。
私はこの時、風邪を引いていたので記憶にはないのですが、妻はこの場所で間違いないとのこと。


町営ラベンダー園


町営ラベンダー園

次に向かったのは富良野ワイン園です。この頃には雨も上がり薄日が差してきました。
この場所は富良野市街を一望出来る高台にあり、ワイン工場、ワインハウス、果汁工場があります。
ワインハウスにはレストラン、売店がありますが、ベランダには椅子もあり、広大な田園風景と十勝連峰のパノラマを眺めることができる場所でした。


ワインハウスからの眺望


ワインハウスからの眺望

ワインハウスから少し離れた所に北海道の写真を展示した写真館があります。
その中から見たウインドウ越しに見える眺望もウインドウピクチャーだと思いました。


写真館からの眺望

最後に富良野プリンスホテルの前にある「ニングルテラス」という施設に案内された。
森の中に小さなログハウスが点在し、その木の店を細い道が繋いでいます。小さな森の妖精がいるので小さな声でと注意書きがあります。
小さなログハウスの店は木を使ったアクセサリーや木を使った小物が売られていました。


ニングルハウス案内板


ニングルハウス

富良野を沢山観光案内してもらったのですが、午後3時近くになったのでここでお別れすることになりました。
Hさんご夫婦にはとても感謝しています。

二人と別れ一路、道の駅「樹海ロード日高」へ向けて走行しました。
日高の道の駅に到着後、沙流川温泉で入浴し、道の駅で車中泊です。
今日も長い旅でしたが、色々な知らない観光地を見ることが出来、楽しい観光でした。
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北海道を旅しました(7)

2015年08月09日 | 旅行
平成27年7月21日(火)晴れ
猿払の凧揚げでお世話になったOさんと次回の再開を約し、後にしました。
道の駅さるふつを通過し海岸沿いに南下して行き、浜猿払漁港方面の標識を左折します。
道なりに海岸に沿って走行すると左側に海の見渡せる場所に出ます。
戦時中まで北海道と樺太(現在のサハリン)の真岡を海底ケーブルで結んでいた猿払電話中継所のあったところです。。

海底ケーブルが北海道に上陸していた場所がこの浜猿払の「電気通信ゆかりの地」です。
現在も当時施設された海底ケーブルが保存され、展示されています。

北海道と樺太間の電話通信は、海底ケーブルでつないでいました。
昭和9~39年の30年間、猿払村浜猿払は陸揚地の中継地点でした。直線距離では稚内市の方が近いのですが、潮の流れなどで猿払村浜猿払が中継地点に選ばれたようです。
第二次世界大戦敗戦後、昭和20年8月20日の真岡事件の際、猿払電話中継所では自決した真岡郵便局の電話交換手の最後のメッセージを受信しました。
亡くなった電話交換手の鎮魂と、電気通信の功績を後世に伝えている場所です。


電気通信ゆかりの地全景


説明文


海底ケーブル


海底ケーブルのマンホール

海底ケーブルの説明文は「このマンホールに収められている海底ケーブルが海側の標石のの下を通って樺太(サハリン)にのびていた」と記されています


海底ケーブルの説明


皆さんこれが最後ですの碑文


碑文にはこのように書かれていました。
皆さん
これが最後です
さようなら
さようなら

昭和20年8月15日終戦、それから5日後の昭和20年8月20日
ソ連軍が樺太(サハリン)真岡上陸を開始しようとした。
そのとき突如日本軍との間に戦いが始まった。
この日の電話交換手である九人の乙女達は窓越しに見る砲弾の炸裂、
戦火と化した真岡の街、刻々と迫る身の危険、もうこれまでと決断、死
の交換台に向かい「皆さん これが最後です さよなら さよなら」
の言葉を残し夢多き尊い花の命を絶ち職に殉じた、この思いを繋い
のが当時電気通信の拠点として重要な役割を果たしていた「猿払電話
中継所」なのです。

私達は猿払ライオンズクラブ設立20周年記念に当り、殉職した
9人の乙女の霊を慰め、また電気通信ゆかりの地に電気通信の功績を
顕彰すると共に世界の恒久平和を祈り、この碑を建立する。
平成18年12月10日
猿払ライオンズクラブ   二十一代会長 鳥谷部 徹雄
寄 贈   猿払ライオンズクラブ


私達は猿払に来るたびにこの地を訪れています。
遠く離れたケーブルの先に繋がれていた当時の乙女達に黙祷を捧げました。

北海道を訪れている観光バスも通らない場所ですが、忘れて欲しくない場所でもあります。

この地を後にして浜頓別を右折し国道235号線を走行し音威子府方向へ向かいます。
山越えの道は車の往来も少なく、快適なドライブが続きます。
音威子府を過ぎ、美深の道の駅で昼食を食べ、更にひたすら先に進みます。
目的地は今晩の宿泊地の美瑛です。

美瑛の手前で道路の右側に花畑が見えてきた。
「ぜるぶの丘」と書かれています。この花畑をしばらく散策してみました。
ぜる部の丘のHPでは、「かぜ」「かおる」「あそぶ」の各後ろの三文字をとって名付けたあります。

ぜるぶの丘


ぜるぶの丘


ぜるぶの丘

ぜるぶの丘の隣には「亜斗夢の丘」があり、こちらにも沢山の花畠が広がっていました。
そちらの風景も撮影しました。


亜斗夢の丘


亜斗夢の丘


亜斗夢の丘

花畑を散策していると、帰りがけに雨が降ってきましたので美瑛に向かいます。

美瑛に着き、道の駅を確認すると意外と駐車スペースが少ないことが分かりました。
日帰り温泉は道の駅から山の方に20km程走ると白銀温泉があるのでそこで入浴することにしました。
途中、名勝地の「青い池」があり、明日訪れる予定にしていたのですが、明日は天候が良くないので今日見ることにしました。

青い池の駐車場に着いたのは午後4時を回っていましたが、さすがに観光バスは少なく、普通車は多く駐車していました。

曇り空で、夕刻ということもあり、湖面の青が十分に見えませんが、晴れているときっと絵葉書のような光景が見れると思いました。
それにしても某国からの観光客は道一杯に広がり、大きな声で話をするし・・・マナーもないのでしょうか?

白銀温泉でひなびた民宿のような所で入浴することにしました。
この浴場は天井にカーテンレールのようなものが設けられており、昔は湯治場だったのでしょうか?
露店風呂があったので入ってみました。
湯温は少し熱めで疲れた身体を癒してくれたのですが、ふと周りを見渡すと、風呂の周りに積まれた岩の向側には山の生い茂った樹木が見え、薄暗さも手伝って、熊がのっそり顔を出しそうで、早々に浴室の湯船の方に引き返しました。


白銀温泉で入浴

道の駅美瑛「丘のくら」に戻ると駐車場はすでに満杯でしたが空きスペースを見つけ、今晩はここで車中泊です。
北海道へ来て初めての激しい雨が降っています。



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さるふつ凧揚げ大会に参加しました(3)

2015年08月08日 | 各地の凧揚げに参加しました
平成27年7月20日(月)晴れ

今日は猿払のホタテの簡単凧の作り方講習会です。
講習会といっても会員の皆様は祝日のため仕事や家庭の行事があり2名だけに説明することにしました。

凧の真ん中の「木の字のジョイント」を使ってもらうのに持参したつもりでしたが、どうしても見当たらないので帰宅後郵送することにし、完成品をばらし新たに製作する過程を説明すると、飲込みが早いので早々に組上げることが事が出来ました。
後、スーパーの袋で作る簡単な凧も説明し、凧作りの説明は終わりました。

昨日までの疲れもあり、Oさんと昼寝。

今日は1日のんびりと過ごしました。
この晩は会長さんからお食事のお誘いがあり会食しました。
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