加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

73年目もう一つの戦後

2018年08月20日 | 日々雑感

 

平成30年8月20日 今日は73年目の終戦秘話の日でもあります。
8月15日に日本武道館で平成最後となる戦没者追悼式が行われ、天皇陛下のお言葉がありました。

もう一つの戦後は昭和20年(1945年)8月20日樺太にソ連軍が上陸し、残されていた島民を無差別に狙撃したそうです。
真岡郵便局に残された女子交換手にも運命の時が迫ったとき、稚内局の交換手に「皆様 これが最後です さよなら さよなら」伝えた言葉が最後となりました。
これが「真岡事件」と言われ稚内市のHPでも詳細が書かれています。

私は北海道の猿払村の知人を訪ねた時は、樺太と道内を結ぶ海底ケーブルの揚陸地点であった猿払村浜猿払を訪ねています。この場所が猿払電話中継所跡です。

(猿払電話中継所跡)

この地には当時の海底ケーブル5本がプラスチック製の筒に保護されています。
平成18年に猿払のライオンズクラブによって整備されたと記念碑には書かれています。

(海底ケーブル用マンホール)


(海底ケーブルと保護筒)
ただケーブル保護のケースが年々劣化しているようで寂しく感じます。

樺太の真岡から猿払電話中継所を経由し、稚内局に繋がっていましたが、この当時の電話は自動電話ではなく、有紐の電話交換台だったようで交換手が電話のプラグを差し込み接続していたと、電電公社に務めていた古老から聞きました。(機会があれば稚内局にも確認したいと思います)
従って、真岡からの電話を猿払の中継所で取次、稚内に繋いだものと考えられます。

(ライオンズクラブが設置した記念碑)
今年は北海道へは行かなかったので猿払電話中継所跡の碑文を思い出し、特に思いを新たにしました。
殉職された9人の乙女に 合掌

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