加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

令和6年 能登半島地震から1カ月

2024年02月01日 | 日々雑感

令和6年2月1日 元旦の地震から1カ月となりました。
今日は特別なことはしませんが、毎日地震の余震を気にする生活は変わっていません。
最近は余震の頻度も少なく、震源地の震度も震度3が多くこちらでは震度1くらいで生活していてもほとんど感じなくなりました。
新しい発表では今後2~3月は震度5程度の地震が起こる可能性があるので注意が必要とのことです。

地震発生の午後4時10分ごろは子供たちの見守り活動中のためテレビを観れませんでしたが、ニュースでは発生時刻には多くの地区では黙とうをしている姿を報道していました。

今回の災害では亡くなった方は240人(災害関連死とみられる方は15人)、行方不明者の方は15名と発表されました。

地元では倒壊を免れた家にとどまる被災者の方もいるようで、一時避難所から二次避難所に移ってもらうよう勧めているのですが、住み慣れたところから離れたくないとの理由から上手くいっていないようです。
また、どちらの地区に避難するかは事前に連絡はなくバスに乗ってから告げられ、避難をあきらめたとか、金沢に到着して初めて避難先が分かったとの話も出回り、馳石川県知事も「送り出し側と受け側との意見の齟齬があった」と認め謝罪していました。
戦時中の強制収容的な出来事では今後のことが疑心暗鬼となっている人にとっては二次避難所への避難は進まないと感じます。もし自分が被災者であったら行き先が明らかにならない場合は絶対にバスには乗らないと思います。

被災者も自分がいることで復興が遅れることは分かっていると思うのですが、行政も被災者に寄り添った透明性を持った対応をお願いしたいものです。

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