加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

東近江大凧まつりに参加しました

2014年05月28日 | 各地の凧揚げに参加しました

 平成26年5月25日(日)

「東近江大凧まつり」は、一昨年までの愛知川河川敷で行なわれていましたが 昨年から「ふれあい運動公園」に会場を変更して開催され今年も参加しました。
 開会式の前に大凧の安全祈願祭があり、大凧の揚げ手の安全と観客の方々の安全を祈願していました。
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 東近江の大凧の絵柄は全国的にも珍しい「半じもん」という手法で絵と文字の図柄で意味を表しているそうです。凧の上部に2匹のツバメが向き合って下部に「繋」という文字が書かれています。ツバメは音読みでエン=縁というので向き合って(あって)繋という文字をあわせて、「縁あって 繋がる」というそうです。

 開会式には東は埼玉県から西は徳島県、広島県からと200名を超す凧の仲間が参加していました。

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 開会式終了後は風が弱く揚がる凧が少なかったので「雀の連凧」を引き揚げ方法でチャレンジしました。
 多くのカメラマンが揚がる瞬間を撮りに周りに集まりカメラマンをかき分けるように連凧のラインを担いで走りましたが風が弱く、会場の所々に設置されているカラーコーンなどの横に降りてしまいました。再度引き上げを行ったときに何枚かの連凧を破損してしまいました。
 連凧を回収し、徳島の凧屋さんから竹ひごを分けていただき応急修理をし
午後から会場の東側端で再度雀の連凧を飛揚させ、周りに集まった人たちにもラインを持って連凧の引きを体験をしてもらうことが出来、子供たちやその保護者の方も喜んでいた。
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連凧のジョイント部分の破損

 毎年会場には沢山の出店がありますが、参加した年は毎回購入するものがあります。以前知人から『八日市の「みたらし団子」は美味しいので一度食してみるとよいと』教えてもらい、以降は参加する度に楽しみに購入しているのです。今回ももちろん美味しくいただきました。これがまた参加する楽しみの一つでもあります。

風が良い風になってきたので各々が凧揚げに興じていました。小生も「金澤扇子凧」と「婦くら雀凧」を琵琶湖からの風に飛揚させ凧揚げを満喫しました。
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 100畳の大凧の飛揚は午前中に3回、午後から3回チャレンジが行われたのですが、午後からのチャレンジでは1分間の滞空時間だった。風も弱かったのであるが、大凧を引く距離がもう少し長ければ・・・と思ったのは小生だけだろうか。
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平成26年 凧絆プロジェクト

2014年05月08日 | 3・11 凧絆プロジェクト

 白山市学童保育との凧作り
 平成26年1月14日今年も東日本大震災の慰霊の凧揚げの準備のため、昨年協力して頂いた白山市学童保育のポテトクラブを訪ねた。近々学童保育連絡協議会の会議があり、全体として協力できるか協議して頂くことになった。
 1月23日に再度訪問した。2月9日に学童保育の学童保育連絡協議会(以下市連協)の行事がありその中で凧作りのコーナーを設けることになったとのこと。ポスターはすでに出来上がっているので凧のことは口頭で各クラブに伝えるとのことであった。
 参加人数は2月早々に判明するが概ね100~150人位になるのではないかとのことであった。今回も連凧が終わったら連凧を解体し、1枚凧として使ってもらうことにしているが、今年は材料費と巻糸代として一枚100円を負担して頂けることとなった。

この日から連凧のビニールを切る作業や竹ひごを切る作業に追われることとなった。
今年の追悼の凧揚げのテーマが本部通信として連絡がなく、2月9日には凧作りが始まるので今年は「夢」という文字を凧に張ることで準備を進めることとした。
1月中には200枚のダイヤ凧の材料を準備したい。

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   ビニールは段ボールの箱入り状態

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    ビニールの切取り

2月4日学童保育ポテトクラブより凧作りの参加人数が100名との連絡あり、100枚分の材料を届ける。
 当日は講習会の手伝いとして参加することになった。時間が2時間と限られており、他のゲーム等もあるので100名全てとはならず、後日クラブにて製作となるとのことであった。当日は新聞社からも取材が来るとのこと。

平成26年2月9日(日) 支援の凧作り
 学童保育親子ふれあい行事が開催された。参加者がゲームをしながら設定されたコーナーを回っていく中に凧作りコーナーが設けられています。凧作りコーナーにきた参加者は尻尾に東北の被災者にメッセージを書き、次にダイヤ凧を作り尻尾をその凧に取り付けて完成させていった。100組用意したダイヤ凧は学童保育の指導員の方々の協力で時間内に全て完成した。 
 組みあがった凧は我が家に持ち帰り、ラインを遠し100枚の連凧に仕上げ当日にそなえる。

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    尻尾にメッセージを書く児童 
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      完成したダイヤ凧

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   会場に張られたポスター

平成26年2月10日の新聞記事

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平成26年2月12日 仙台凧の会よりの呼び掛けが届く
凧・絆プロジェクト「3thスマイルカイトアクション」を3月9日(日)に凧揚げを!
凧・絆プロジェクトの仙台凧の会より下記の案内状とパンフレットが届いた。
 「東日本大震災から3年を迎えようとしています。被災した地域ではまだまだ復興したとは到底言えず、立ち直ろうと必死で頑張っています。この大震災を忘れること無く、今回も復興・慰霊の願いを込めて皆様と共に凧を揚げたいと思い、凧・絆プロジェクトから全国凧仲間の皆様に呼びかけをさせて頂きます」と書かれています。
 今年の3月11日は火曜日なので、この日に近い日にちにそれぞれの地域ごとに無理のないやり形で実施することとなった。なお、今後も取り組みを継続していきたいとのことである。
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2月24日 海岸保全区域内の一時使用届出書
昨年と同様に国土交通省北陸地方整備局金沢河川国道事務所 松任海岸出張所を訪ね、「海岸保全区域(保全施設)一時使用届出書」を提出した。内容は『海岸保全区域内を使用しますので届出します』というものである。本番の3月8日(土)と翌9日(日)を予備日とした。テント等を張ると仮設物となり、占有届が必要であるとのことで勉強になった。

3・11 慰霊のための凧揚げ
平成26年3月8日(土)

3月8日は夜半から雪模様であったが朝の降雪状態は路面が白く雪が降り積もった状態であったが、絶えず雪が降っている。路面温度が高くなっているせいか雪が止むとすぐ融けてしまう、「根性なし」の降り方である。
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    松任海浜公園駐車場の降雪状況

天気予報の雲の予報を見ていたが、午前中は晴れる望みがなかったので、9時には翌日に延期する旨関係個所に連絡した。妻と二人で現地の駐車場で10時まで様子を見ていたが、雪は絶えず降っていたが積る降り方ではなかった。駐車場に設置された風速計は時折強く回転していたが1~2m位か?風はないのだが海の波は大きなうねりとテトラポットに打ち寄せる波は大きな波柱を立てていた。

平成26年3月9日(日)
朝から雲一つない青空が広がっている。海は昨日と一緒でテトラポットに白い波頭を立てている。風は5?を優に超えている震災慰霊の垂れ幕が強風を受けた垂れ幕の尻尾の吹流し激しく流されていた。
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 凧揚げ開始の10時が近づいても学童保育の児童たちが現れない。10時になると新聞記者から次の取材があるので早く揚げて欲しいと急かされる。学童保育の指導員の方が申し訳なさそうに駆けつけて、「昨日だったら沢山いたのに、今日は誰も来なかったので申し訳ない」とのことで、大人だけで連凧を揚げることにした。
子供たちが震災の復興を願って作った凧は東北地方の方角に高く飛翔した。
風は強かったが、100枚の連凧は飛翔し新聞の取材は完了した。
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凧揚げの再開
取材が終了し凧の片付けが終了し帰ろうとしていた時、「もう終わったの」と学童保育の子供連れの家族が声を掛けてきた。それではもう一度揚げようということになった。

風はさっきより強くなってきていたが、子供たちには安全のために軍手を配り、連凧を揚げ始めた。子供たちは初めて揚げる連凧に歓声を上げよろこんでいた。
子供たちの笑顔が東北の方にしっかり届いた瞬間でもありました。
こうして2014年の震災復興支援の凧揚げは終了した。
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    復興支援の連凧を揚げる子供たち











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白山麓から北海道への開拓移住者Ⅰ

2014年05月07日 | 石川県から北海道への開拓移住者たち

白山麓5村から北海道への開拓移住者たち

 私が北海道への開拓移住者の調査を始めて記録として残すことになったきっかけは、平成243月に旧加賀藩士が士族授産事業として北海道開拓移住し、前田村を作ったたことを調査し「北の農士たち」を記録としてまとめたことからでした。その後、北国新聞で取上げられ読者の方から「自分の地元からも北海道へ移住して行った」と何人かの方から連絡をいただきました。

平成11年(2005年)2月1日松任市、鶴来町、美川町、河内村、吉野谷村、鳥越村、尾口村、白峰村の1市2町5村が合併し、現在の白山市となりました。これが平成の大合併といわれるものです。

 合併後、各村の役所は統廃合され、北海道への開拓移住の聞取り調査は難しいことでした。白山市立
図書館で各村の立地条件と北海道への移住の関係を出来る限り村史から調査するしかありませんでしたが、いくつかの地区の郷土史に詳しい方から北海道移住に関して貴重な情報もいただきました。そして、移住後100年を経過してもなお現在も交流している地区もあることがわかりました。

 住み慣れた住環境を捨ててまで北海道へ移住した開拓移住のきっかけとなったのは、白山を源にしている手取川の洪水でした。洪水で田畑、家屋敷を無くした多くの村人が離村していったのでした。

 今回は白山麓の5村の開拓移住者を調べ「白山麓からの開拓移住者Ⅰ」としてまとめたもので、PDFに変換しましたので、下記の「hakusannroku1.pdf」よりダウンロードして閲覧ください。

 今後も各市町村史から北海道への移住者調査を行って行きたいと思っています。

       「hakusannroku1.pdf」をダウンロード

 

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