加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

百畳凧揚げを終えて

2014年04月15日 | 百畳凧飛翔を夢見て

 平成2年から始まった凧揚げ大会、そして凧揚げ大会10年目の記念大会に百畳凧を揚げたいと思い続けた日々でした。
 百畳凧を揚げたいと思っていた時に私の思いに共感してくれた仲間との出会い、そして百畳の凧を飛揚した喜びも共感できました。大凧への挑戦それは男の夢とロマンであり、人との出会いの場でもありました。
 百畳凧に関わって頂いた方々に心より感謝の気持ちを伝えたい。

 百畳凧を揚げるために安全対策を調べ企画書を作成しました。また、百畳凧を製作した手順の図面等も公開することにしました。
 大きな凧を揚げるためには、凧を揚げる人も凧の観客にも安全対策が重要なことです。
 私たちが百畳の凧に挑戦した時は、全国の大凧を揚げている地区の安全対策は成文化されておらず、凧の会の本部からは「危険だから」「危ないから」大凧揚げには反対!の大合唱でした。どのようにしたら安全に凧を揚げることが出来るかを指導する組織がないのは現在も変わりがないと思うのは私だけでしょうか。以前作成した企画書や各地の安全対策ですが公開することで、今後、大凧揚げ大会を企画される場合の参考になれば幸いです。

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平成10年100畳凧製作の記録

2014年04月14日 | 百畳凧飛翔を夢見て

石川テレビと凧の会本部との打ち合わせ
 平成10年1月29日 内灘町、石川テレビと凧の会の茂出木会長が打ち合わせた中で、百畳の凧の話題が出て会長から「100畳凧を揚げるのは技術的な面からも危険である」と話が出たそうである。
茂出木会長と各地の大会でお会いした時には「良いですよ。おやりなさい」と何度も言ってもらっていたが、実行委員会の打ち合わせなどの時などには「反対です」と言うニュアンス発言があるという情報が私の所に入り、計画を進めながらも非常に疑心暗鬼になっていました。
実行委員会は私たちが百畳凧を計画し制作していることは周知の事実だったわけで、こういう大切な会合に出席させてもらえなかったことが残念です。

内灘町役場との打ち合わせⅠ
 2月5日内灘町の担当者から1月29日に本部で打合せがあり、百畳凧の飛揚についての本部からの問題提起があったようであり、百畳凧に関しての聞き取りが実施された。
 主催者側からの要望として
 ・百畳凧を安全に揚げるために百畳凧の企画書を提出すること。
 ・企画書を凧の会の本部に提出し、意見を伺うとのこと。
 ・できれば5月3日飛揚と5月4日飛揚の2つの案を提出して欲しい、4月8日に実行委員会がありその時に諮りたいとのこと。
 浜風側意見として
 白根の田村様に凧作りの指導を仰いでいるので、安全面、揚げ方に対しての企画書は田村様に見ていただき了解を得てから提出したい。
 3月15日白根に行くのでその時に見解を伺う予定なので、提出はそれ以降となる。

 内灘町役場との打ち合わせⅡ
 2月25日内灘町文化会館会議室にて打合せ。生涯学習課2名、浜風からは花木。
 国際大会に百畳の大凧を飛揚させ、内灘町での凧揚げ大会10周年を祝いたいが、主催者側に提出する企画書が必要とのことで具体的に内容を伺いたい。

主催者側より
 1月29日内灘町の担当者と石川テレビ関係者が日本の凧の会の本部へ行き打合せを行った。その中で、本部としては100畳凧を揚げることに「安全面」、「「技術面」で危惧している。例えば事前の試し揚げが必要。危険防止のための警備体制。綱の長さ、アンカーのやり方、風速の制限(例:8?以上はダメ)などしっかり決め、それらに反する場合は静止できる強力なリーダーが必要であろう。
 5月4日に飛揚させる場合、色々な制限がある。→エリア、時間帯、危険防止策等
 5月3日に飛揚させるのも一つの選択肢として考えてみるのも。

当方の見解
 ・100畳凧は10周年の節目としてのイベントとして揚げたい。
 ・5月3日に飛揚させるとなると、全国凧の会の方々が到着するのが午後になり、揚      げ手の確保が出来ない。したがって5月4日でお話しを進めさせていただきたい。
 ・事前の試し揚げに関しては大凧に関しては事前の人員確保も難しく、現実離れした設問であると思われます。どこかの大凧揚げで事前に試し揚げをしているのであろうか?
 ・製作指導は白根の田村様にお願いしている。
 ・安全に関しては大凧を揚げている保存会や凧の会へ、危険防止について教えていただけるようお願いしているが、今は八日市大凧保存会から返事が来ている状態です。
 ・大凧の揚げ手として各地の凧の会にも協力をお願いしている。
 ・大凧の揚げ手としては100名以上が必要であり、全国の凧の仲間と、内灘の町のチャレンジャーで考えています。
 ・揚げる時間帯は昼食時間帯と2~3時の2回を考えていますが、今後調整が必要と思います。
 ・大凧を揚げる場所は昨年50畳凧を揚げた場所、もしくはもう少し金沢寄りが良いのではないかと考えている
 ・それらを踏まえたうえで企画書を作成します。

   百畳凧の企画書作成の流れ
  内灘町から百畳凧飛揚に向けての安全計画等を提出して欲しいとの要請があった。
なぜ百畳凧を作り揚げるかを企画するかを説明する必要もあるので、企画書の書き方という本を買って勉強から始まった。草稿を作成し浜風の仲間で議論し、中身を修正して何とか出来上がった。それを凧の会の本部に郵送し、意見を求めたがなぜだか回答はなかった。

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  百畳凧の制作
  3月15日 百畳凧の割竹と丸竹を引取りに5人で白根へ出向いた。田村さんには事前に  郵送していた企画書について意見を伺ったのですが、異論は出ませんでした。
  3月20日向粟崎小学校の体育館で割竹を組立。
  3月24日 稲葉製網へ10mm、5mm、3mmのロープを注文するが、引綱の20㎜ロープは30mmロープとするか思案中なので後で注文することとする。

  4月1日庄和町の凧揚げ方法について電話にて
  庄和町の大凧揚げは百畳の大凧を「上若組」と「下若組」がほぼ同時に2枚揚げるという日本でも凧揚げで有名なところです。江戸時代後期から、大凧を揚げているそうで、凧の大きさは縦15メートル、横11メートル、重さ800キロもあるそうで、百畳の大凧が2枚同時に揚げられるのはこの庄和町だけだそうです。
 大凧保存会の加藤 博会長に無謀にも電話をかけ、今年は内灘で百畳の凧を揚げるので、大凧揚げに関してのアドバイスをお願いしたところ、危惧していた危険とその対処方法を快く教えていただく事ができました。
 後日、相模原の大凧保存会の松下会長と鳴門大凧保存会の 藤中梅雄会長にも同様な電話をし適切なアドバイスをいただきました。
皆様への電話で、見知らぬ私への親切に対応して頂いたことにとても感謝しています。

        199905032 庄和町の 百畳凧

 

  内灘町の安全対策会議の開催
  4月8日内灘町の凧揚げの実行委員会が開催された。その中で、百畳凧飛揚の危険性が問題視され、百畳の凧を揚げるための安全会議を開催することが決まったそうである。
 浜風から何人かのメンバーが出席し、安全会議に出席していると私に報告があっが、安全会議に出席したメンバーから徐々に報告がなくなっていった。それは内灘凧の会と私の軋轢があり、浜風のメンバーからも私の存在が鬱陶しく思われ、内灘町の凧の会との共同で百畳を凧を飛揚させた方が、安全の障害もなくなるので私を外したくなってきたのかもしれないと感じてきた。
ただ、内灘の凧の会からは私自身が目障りで凧揚げに反対しいると感じていたので、企画書からは私の名前は外すようにしていたのですが、・・・・・

 嫌がらせ電話
4月中旬のある日、電話があり家内が出ると「百畳の凧は絶対揚げさせんぞー!」と言われ掛けてきた相手に名前を名乗るように言うが無視されたらしい。「貴方の電話番号は電話に出ているから分かります」と言うと早々に電話は切れたそうで怖かったと言っていた。その後、ナンバーディスプレイの機能はなかったのですがその機能の付いた電話器を購入した。安全会議が開催されたので、凧の関係者があからさまな嫌がらせをしてきたのである。家内から言葉のイントネーションから多分あの人では?と・・・

  糸目合わせ
  4月12日白根の田村様他7名の方は前日の土曜日に金沢に到着後兼六園の桜を観て、福祉会館で宿泊して頂いた。
翌日は晴れていたので内灘総合グラウンドで糸目合わせを行った。完成後百畳凧の縦骨を外し、凧を丸めると直径が2m位となり、トラックに積み込んでも荷台よりはみ出したので、トラックの運転台の屋根と同じ高さのステージを組みその上に凧を縛り運搬した。
 田村様から大凧を製作した時の「運搬方法」、「格納場所」を細かく指導いただいてはいたがこの時に現実の問題として私は初めて認識した。

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 石川テレビ放送事業局を訪問
  4月15日「百畳凧はどうなった?」突然の電話に驚いた。石川テレビの事業局長のK氏であった。K氏とは平成3年に清水市へ凧の視察で同行してから今まで凧の行事で何かと顔を合わせている。私の本音として内灘町の安全会議のことや、凧の中間との関係から百畳凧は半分以上嫌気がさしていた時でもあり、「私は百畳凧から外れるかも」と話すと「あんたが関係しないなら百畳凧は揚げさせられない」と強く言われた。主催者からの言葉であるし、絶対である。それならば話を聞いてほしいとK氏を石川テレビ事業局に訪ねることにした。
 事業局は金沢市の香林坊と南町の中間で北陸中日新聞社の中にあった。
名刺を改めていただくと、事業局長となっていた随分出世をされたと驚いた。百畳凧の企画書を本部に提出した経緯や内灘町の安全対策会議のことを説明し、企画書を見ていただき安全についても説明した。
 近いうちに内灘町の関係者を交えて「安全対策委員会」を開催するので、そこで安全管理について説明して欲しいとのことであった。
 その時は、凧揚げの各々の持ち場と責任となる人が明確になる、図面等があればよいのではないかともアドバイスがあった。

安全対策委員会の開催
平成10年4月20日内灘町文化会館 2階集会展示室において安全対策会議が開催された。

(主旨) 「’98世界の凧の祭典」を間近に控え、近年凧の大型化ならびに参加者の増加が進む中、去る4月8日の「世界の凧の祭典」実行委員会でも提案されましたが、参加者ならびに観客に対する安全対策において万全を期するため、当委員会をもち具体的な安全対策を検討する。
〔参加者〕 世界の凧の祭典実行委員会委員長、消防長、内灘交番所長、石川テレビ、日本海内灘砂丘凧の会、内灘凧倶楽部浜風、実行委員会事務局

〔議件〕 1.’98世界の凧の祭典の安全対策について
2.百畳凧を揚げる際の安全対策について
 提出してあった企画書については了解された。
 大凧揚げの安全管理者の配置図(案)を提出し、各々から意見が出たが、それらを網羅し修正した「安全管理者配置及び大凧引手配置図」を作成し、後日提出した。

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  引き綱を注文
  4月20日 稲葉製網へ百畳凧用引き綱を注文することとなった。引綱は20㎜のクレモナロープで計画していたが、50畳凧の12㎜クレモナが破断した時は1.5t以上と推測され、20㎜のクレモナロープの破断荷重は3.75tであった。もし同様に破断すると考えた場合50畳凧の2倍の百畳であれば当然3t以上の荷重がかかることも考えられ、安全率を0.6とした場合26ミリのクレモナロープ6.4tが最低であり、安全率0.6を考慮すると3.84tとなるので、強度も充分で妥当となるのである。したがって26㎜のクレモナロープとして注文することとした。

  浜風の安全対策会議
  4月26日浜風のメンバーを集め安全対策会議を行った。
 庄和町の大凧揚げの安全対策、八日市の大凧揚げの安全対策について説明し、当日の凧揚げ時の危険防止の確認を行った。
 5月3日のレセプション出席者の確認と4日の凧、資材の運搬に関しての役割を説明。

  強力な助っ人
5月2日 八日市大凧会館の鳥居勝久様より電話を頂いた。「大会で大凧を揚げる引手の手筈はよいですか?」大凧を揚げるので引手の方の助っ人をお願いしてあったのですが、私の方からの連絡が無かったので電話を下さったとのことだった。八日市からは5人が参加となっていたのであるが、当日参加で何人かが増員して参加して頂けることになった。有り難いことです。

   前夜祭にて
  5月3日前夜祭には海外の方々18名、全国各地から大勢の凧仲間が参加して盛大に開催された。会場には石川テレビの事業局長のK氏も参加しており、「企画書」の件でお世話になったお礼を言うと。「何かあったらお前の責任だぞ!」と言われたが、眼鏡の奥の目は笑っていたので記念の大凧揚げの成功を応援してくれていると感じたものです。

  第10回世界の凧の祭典当日
  平成10年5月4日 開会式で岩本秀雄町長は「10周年で百畳の大凧を揚げるグループがいると聞きました。内灘の海岸は全国でも凧揚げには素晴らしい会場です。15周年には150畳凧、20周年には200畳の凧が揚がるよう期待します」と挨拶があり、私としても気を良くしたものです。
 当日は全国の凧仲間のほか町外から2067名の凧参加者があったそうです。

  百畳凧飛揚
  百畳凧の飛揚場所は当初より風向きから予想していた内灘海岸の金沢寄りにセットすることとなり、凧を運搬してシートの上に広げた。縦の丸竹を縛り反りを入れると凧はその全容を現し周りの観客は思わずその大きさに驚いていた。

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 組立が終わり、風下側に凧を設置し引き綱を伸ばしアンカーとなる重機も動き出した。気になるのは風の強さである。風は少し強い感じである。内灘町の担当の方が風速計を持っている、覗いてみると6?を超えている。担当者は「私は花木さんの指示にだけ従うように言われています」とのことで心強く感じました。全てのセットが完了し、「企画書では風速6?以上では飛揚し ないとしていたので、町の担当者に風の強さを確認すると6?以下とのことで凧揚げを開始すると宣言し皆が各々の位置に着く。凧を揚げるためには凧持ちの白根の方は全ての準備が完了していることを確認し、浜風の会長に「揚げるぞー!の合図をすると同時にホイッスルを力いっぱい吹いた「ピー!」というけたたましい音と共に凧は立ち上がりゆっくり揚がっていった。凧は五月の風を受け上昇していき、引き綱がいっぱいに張ったとき青い空に張り付くように静止した。

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 百畳凧が飛揚した瞬間、凧揚げに参加していた人から「やったー!」という歓声とどよめき、そして観客から暖かい拍手がおこった。
 夢にまで見た百畳凧が揚がった。その感慨は無事飛揚出来て、「ホッ!」とした安堵感と脱力感だけであった。
岩本秀雄町長もアンカーの近くで凧揚げに参加していたようで喜んでいた。

凧作りから凧揚げの指導までご指導いただいた白根の田村様はじめ大凧愛好会、当日揚げ方をご指導いただいた八日市大凧保存会の方々、私の夢を一緒に見てくれた浜風のメンバー、そして、ご協力いただいた主催者の皆様に心より御礼申し上げます。

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  内灘凧倶楽部浜風の解散
  凧揚げが終わり、凧を凧ハウスに収容し、ご苦労さん会を開催した。
岡田会長から「百畳凧を作り、揚げるため色々なことがあり、また、そのために仲間の意識も一つになることが出来た。この会は百畳凧を作るために皆さんと一緒にやってきた、目的は達成されたのでこれをもって解散する」と挨拶があった。
  内灘凧倶楽部浜風の結成時の使命も百畳凧揚げ終了とともにその役目は終了した。

 

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平成9年50畳凧製作の記録

2014年04月14日 | 百畳凧飛翔を夢見て

 平成9年3月18日付け 北国新聞 浜風50畳凧の製作開始

内灘町などの凧愛好者でつくるグループ「内灘凧倶楽部浜風」は17日までに、5月4日に開かれる「’97内灘町世界の凧の祭典」(北国新聞社など後援)に出品する50畳分の大な和凧の制作を始めた。大会に参加する和凧の中では最大となり、同倶楽部では大会当日に観客から助っ人を募り、参加者にこの和凧のミニチュア凧を贈ることにしている。
 「内灘凧倶楽部浜風」は一昨年、凧作りや祭典を通じて家族同士の触れ合いの場に約立てようと結成され、祭典に初出場した昨年は24畳の大きさの和凧を出品した。現在22の家族が所属しており、今年は新潟県白根市の大凧愛好者らの技術協力を得て50畳の大作に挑戦することにした。
 凧の制作は金沢市観音堂の倉庫で始まり、和紙を張り合わせて縦10.7m、横7.35mの大きさにしたあと、メンバーの一人であるグラフィックデザイナー辺本良治さんがデザインした下絵をもとに染料で着色を進めている。
 大きな和紙には、内灘町の鳥・タカの勇ましい姿や、「浜風」の文字が描かれている。今月末までに着色を済ませ、来月からメンバーの一人である日本の凧の会の花木幹史会員(松任市)らの手で骨組みを取り付ける作業にかかる。

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50畳凧の制作
3月には50畳用の骨組みの竹をお願いしてあったので白根へトラックで引き取りに行った。
凧の設計図としては下図の書面であったが、説明も受けていたので、十分理解が出来た。
幅が2㎝位の割竹を枡目に縛り、凧の両側に補強用の糸を縛るのであるが直角を維持するのに苦労しました。その後、凧絵を糊付けした。
次に、横竹を枡目の竹に沿って並べ割竹と縛り、糸目のロープを取り付ける作業になるのだが、それは糸目取の日に行うことで、事前の段取りは終了した。

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50畳凧の糸目合わせ
平成9年4月19日白根の田村様ほか大凧愛好者に7名来ていただき、兼六園を案内した。その日は福祉センターで宿泊され、翌20日津幡町の町営体育館の駐車場で50畳凧の糸目を取って頂いた。糸目の長さが70m位有りよほど大きな場所でないと屋内での作業が困難と言うことで場所を探し、駐車場となった経緯がある。屋外での作業だったので、糸が風に揺れ合わせにくく随分手間取った。

糸目合わせも終了し、完成した50畳の凧が広がっているのを見て、さすがの大きさに一同びっくりしていた。
引き綱は24畳の時に使用していた12㎜のクレモナロープを使用するということで、田村さんも了解された。後は本番を待つのみであった。


50畳凧が切れて飛んだ!
平成9年5月4日朝から嫌な雨が降っていたが、大会が始まるころから雨もは止んだが風は強い。凧揚げが出来ないような強風でもないが、大凧を揚げるのには躊躇する。午後から揚げることで、6畳凧、24畳凧を揚げてウオーミングアップである。

       19970504  6畳凧を揚げるメンバー


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         広げられた50畳凧

 白根の田村さん他4名は前日から、他2名の方は早朝、白根を出て来られたそうです。白根の方が持参の凧を揚げていたが、強い風に翻弄されていた。
白根の方々が全員そろったのでいよいよ50畳凧を揚げようとなった。風は強く南西の風向きだったので万が一の落下を考え、危険防止の観点から、凧を大会会場より離れた金沢寄りから揚げることにし、白根の方の指示で凧を組立、ロープを伸ばしてエンドを重機に縛り付けた。
浜風のメンバー15名は凧のロープに取り付き田村さんの号令で凧が揚がった。凧は風を受け高度を増していく。だが、凧を持つ人力の限界を超えたため、引き綱の手を離してしまったのでたるんでいたロープは瞬時に重機の方に力がかかり「パツーン」と鈍い音を放ち切れた。
風に翻ったように凧はフワフワと流され会場の東側のアカシヤ林の手前の空き地に落下した。幸い車もなく、人もいなかったのが幸いしたが、凧を追ってメンバーが走った。凧の落下地点に着くと、竹が折れ、紙が破損していたが、補修可能だと思われた。
指示を仰ぎメンバーは必死に凧をアカシア林から移動させ、早速補修にかかる。皆黙々と作業している。紙を裏から補修し、折れた竹を新しく交換し補修は完了した。
 12㎜のクレモナロープの破断荷重は1.5tであることは事前に調べてあり、通常の凧の飛揚では切断することは考えられないと思い、今のロープを使用したのであるが、揚げ手の不足が大きな原因であったのであろう

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         切れた50畳凧を回収に向かう

50畳凧・再チャレンジで飛揚した
午後になり風も幾分弱くなり、4~5?くらいであろうか、再度凧の飛揚を行うことにした。引き綱として急遽16㎜のロープを取り寄せ、50人を超える人たちに引手として協力して頂くことになり、再度ロープの端を重機に固定し凧揚げの準備が整った。田村様の号令で凧は風を受け高度を増してゆき、揚げ手も前回の教訓から順番に手を離し、凧はやがて風とのバランスで空中でしっかりと止まった。凧絵の鷲が空中から鋭く睨みを利かせているようだ。
揚げ手でお手伝いいただいた方々には感謝の気持ちで一杯です。
50畳凧の飛揚で大きな教訓を得て終了した。

       19970504502_2  飛翔した50畳凧

平成9年5月5日付け 北陸中日新聞 50畳の大凧飛翔
 大空に大小、色とりどりの凧が舞う「’97世界の凧の祭典」(石川テレビ放送、日本の凧の会主催、北陸中日新聞社など後援)は4日、同町内灘海水浴場の特設会場で開かれた、心配された雨も降らず、青空が広がる絶好の日和に恵まれ、家族連れなど8万人の人出でにぎわった。
 祭典は、内灘中吹奏楽部のファンファーレと同町の鶴西龍神子ども太鼓で幕を開けた。岩本秀雄町長、榎本喬石川テレビ放送社長、茂出木雅章日本の凧の会会長のあいさつ、海外出場者を代表してドン・モツクさん(米国)が祝辞を述べた。この後、早速、砂浜に設けられた8会場で一般の凧揚げが行われた。
 同祭典には、米国、イギリスなど海外4か国から12人、全国21都道府県から100チーム、1,900人が凧揚げに参加、手作りの凧を大空に泳がす妙技を競った。また、内灘町にある2つの凧の会が県内で初めて50畳敷大凧と30畳敷大凧揚げに挑戦、見事に成功、訪れた人たちを喜ばせた。さらに、2本の糸で凧を操るスポーツカイトも見物人を魅了した。

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平成9年6月15日 本部通信35号より
 【5月の世話人会】5月12日たいめいけんに世話人が出席し春季大会につて報告、反省点などが話し合われた。
その他の項目で「内灘国際大会に出席した堤事務局長の報告で、(今年の大会を振り返って)今後、大凧が増える可能性がある。地元の熱心さの表れだが、その反面事故が心配。本部として適切なアドバイスが必要」であると記述されていた。

・本部として危険防止について適切なアドバイスをしていただけるのではないかと、堤事務局長あてに10周年の記念大会に百畳の大凧を揚げるべく計画をしているので、危険防止・回避についてのアドバイスを頂けるようお願いの手紙を書いた。

平成9年8月6日の返信
日本の凧の会 堤 昭明事務局長より返信が届きました。 要約しますと。
・大凧の件ですが、来年は記念の年ということで、内灘町の方々は大張りきりで感心いたしております。何事も記念の行事となれば大きな力となります。
・大凧も皆様の一貫した力が無ければ成功しません。あらゆる困難を乗りこえて頑張ってもらいたいものです。
・大凧ともなれば、色々と問題点が出てくることでしょう。今までに乗り越えた問題点、ノウハウ以上に問題も起きると思われます。何より安全第一ですが現実はやはり事故が起きています。
・日本各地には大凧揚げで祝う所がありますので、製作から凧揚げまでの安全のノウハウを是非研究してもらいたいと思います。他所との違いはあっても安全の考え方は違いません。
・どうぞ無事故で大凧揚げに挑戦して下さい。
・日本の凧の会の世話人会では事故防止についての意見は出ていますが、事例をあげての具体的なものはなく、今後の問題として確立する必要があります。
・今のところ方法などありませんが凧の会の皆様のご協力をいただき成文化できればと考えています。

平成9年6月30日 田村様からの便り
  浜風の企画しておられる100畳凧のことにつきまして、私たちはご協力することに致しました。仲間に相談致しましたところ、興味を示してくれました。
 手順、段取りは50畳凧と全く同じです。運搬、ハナオ立ての場所等、50畳凧ですでに白根の方式はご承知のこととおおもいですので、これらの問題をクリアーできたらできるのかと(100畳凧が)思います。
 ただし、横骨の長さが10m位になるかと思います。長さ10m高さ1.8mの円筒形を出し入れするスペースの確保と搬出、搬入などを考慮のうえお決めください。
 成功するか否かは分かりませんが製作と飛揚に出来る限り協力したいと考えています。
 いずれ竹が入荷する12月頃まで凧のサイズや必要な竹などの材料について相談致したいとと思います。

八日市大凧の安全対策
平成9年8月28日 安全について八日市大凧会館の鳥居様に教えていただきたいとお願いしていたところ返事が届いた。
八日市大凧保存会に尋ねたところ別添の飛揚注意を考えながら大凧揚げを行っています。
十分ではないかもしれませんが、来年揚げる大凧の参考にしてください。
(別紙)大凧飛揚の安全対策
八日市大凧飛揚の諸注意
飛揚については、凧の「セッテイング」と「飛揚」に分けて、完全に役割分担をしておいた方がより安全である。

1.凧の組立て位置の決定
 ①風向き ②糸出し方向 ③糸出し距離
 ①、②、③を考えながら行う
2.凧のセッテイング(組立)
 ①骨組みの確認
 ②つり糸(糸目糸)出し確認
 ③張り糸調整
 ※補助糸の用意
 ①、②、③とも各責任者を付けて万全を期す。特に張糸を入れてからは凧が風で裏返らないよう注意する。(人出が必要)
3.揚げ糸出し(引き綱)…八日市大凧の場合20㎜×370m
 最終的に風向きをチェックする(出来る限り風向きと平行に) 
4.引き手の準備(八日市大凧の場合)
 竜頭(はなお)から4つのパートに分けて引き手を入れている

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5.飛揚
 凧を立て掛けて揚げる場合
① 糸目糸と補助糸を押さえ(引く)凧がひっくり返ることを防ぐ
② 合図により一斉に引く、強風の場合は引きは弱く、引き糸を離すだけ(持ちすぎは危険、前から順に早め早めに離す)
③ 糸目糸付近にいる人は危険を感じたら地面に素早く伏せる。
   ※引手は凧の態勢を見ながら引く、凧が揚がった場合、引き手は糸を持ちすぎるので注意(特に上図のA・Bの引手)
凧を寝かせた状態(飛行機あげ)から揚げる場合
① 凧面に風を入れるタイミングに注意する
② 合図により一斉に引く、糸目糸と補助糸を引きながら上から順に離していく、左右のバランスがうまくとれるか、骨の強度と風の強さのバランスの問題によって凧が二つ折になる
6.見物人の位置は上記図のaの位置より後ろがよい。揚げ糸と見物人の距離は最低、糸を中心に左右10mは空ける
※酔っ払いとカメラマンには特に注意する

平成9年秋 田村様からの便り
 百畳凧のことでありますが、縦骨用の真竹は注文しておきました。12月になれば届くと思います。
 昨年とほぼ同様な手順で制作を進めていきたいと思っています。私の方は11月中ごろまで、館内での凧作りや出張の凧作りに追われています。その後はやや余裕がでるかナ
という感じの作今です。申し訳ありません。
 11月に入りましたら凧のサイズなどの詳細を相談致したいと思っています。

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平成8年24畳凧を製作

2014年04月14日 | 百畳凧飛翔を夢見て

・平成8年(1966年)1月 阪神淡路大震災の被災児童に提供するプレゼント凧「エイ凧」を内灘凧倶楽部浜風で38枚製作。町のメッセージ凧の組み立ての手伝い。

・平成8年3月9~10日 「神戸ふれあい全国凧あげ大会」に参加、本来なら、震災の復興支援として参加したいのであるが、3月は年度末でもあり多くの会員から参加できないと断りがあったので、浜風の一部の会員の参加となった。

・平成3月 24畳凧の竹割、竹削りを開始した。凧絵を書きたいと志願したメンバーがいたが、なかなか凧絵の下書きが始まらず、当初の計画より遅れ予定が立たないので困った事態であった。
 それでも3月中には和紙に絵を描き、4月に竹を張り、4月末には糸目合わせを行い、5月初めには試し揚げの予定であったが、結局5月4日の大会当日が初飛翔となった。
 今回の『世界の凧の祭典』が浜風の初デビューとなったのである。したがって、凧の揚げ方や降ろし方などの諸作法はぶっつけ本番となり、参加者の皆様には迷惑をかけたのではないかと大いに反省しました。
 後日、反省会で来年は50畳凧の制作、平成10年は目標の100畳凧作成となるので、作業の工程を守るようにと申し合わせを行った。
 
 平成8年10月、浜風メンバーで『しろね大凧と歴史の館』を見学し、大凧製作の第一人者の田村様に百畳凧のご指導を改めてお願いしました。
 後日、田村様より百畳凧の製作に関してご尽力いただける旨の返事をいただき、百畳凧飛翔は現実味を帯びてきたのである。

・11月田村様より白根では佐渡から竹を購入するので、50畳凧を作るのであれば一緒に購入した方が良いのではないかとの問い合わせをいただき、役員会で協議した結果、白根にて購入してもらうことでお願いすることになった。

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平成7年百畳凧製作の夢を共有する仲間達との出会い

2014年04月08日 | 百畳凧飛翔を夢見て

               

百畳凧製作の夢と仲間達
平成7年5月、内灘町のある会合で仲良くなった仲間たちに、「内灘町の凧揚げ大会が平成元年から始まり平成10年には10周年になる、内灘海岸は国内でも特筆できる良い会場であり、大きな凧を揚げるには申し分のないロケーションであり、10周年の記念大会で100畳の大凧を作り揚げたい」と夢を語ったら、仲間からその夢に乗ろうということに衆議一致した。
それから何度か会合を持ち、会の名前を『内灘凧倶楽部 浜風』として大凧を製作することになった。
 百畳の大凧を作成するためには、平成7年から平成10年までの4年しかないのである。素人集団が大凧を作るのであるから相当無理が生じ、通常の観念では絶対無理である。
 そこで、今年(平成7年)は6畳凧を作り、翌8年には24畳凧、平成9年には50畳凧、そして平成10年には目標の百畳凧を作り飛翔させるという計画を説明した。

3.平成7年(1995年)の活動
平成7年5月27日 八日市大凧まつりに内灘町『凧倶楽部 浜風』のチームで見学のため参加した。
 6月26日竹を伐り、本格的に竹割りや竹の成形が市内の観音堂の倉庫で始まった。竹に接することが初めての会員ばかりであったが、電動ノコや電動カンナで何とか成形まで出来るまでになった。
 先ず9月に柳田大会に参加するために6畳の凧を作成することにした。
 
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9月23日 白根凧フェステバルに6畳凧を製作し、白根の田村さんに大凧を製作・指導のお願いもあり浜風チームで参加の準備をしていたが、台風が接近したため中止となった。
白根の田村さんとは平成5年頃より100畳凧を作って揚げたいと何度もお願いしていたのであるが、「はい、はい」とは言っていただいたが「了解しました」と言う言葉がいただけず不安にも似た気持ちになっていました。その後も各地の大会でお会いするたびにお願いしていたので、徐々に話がつながるようになった。今回は浜風のグループで訪問することにしていたので、100畳凧の取り組みの本気度が伝わったのではないかと思った。来年から製作する24畳凧の製作寸法や竹の寸法などを教えていただくことができた。
 10月15日 全能登凧揚げ大会に6畳凧で参加しデザイン賞を受賞した。

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