武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

高菜漬けの巻

2009-02-28 21:46:49 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2008年8月12日掲載のえ

ご飯の上には、高菜漬け。大きく切った高菜漬けはご飯にくるりと巻いて食べてもよし!

俳優の田中健さんが、帰省する一番の楽しみは、お母様が育てて漬けた高菜。高菜の漬物とご飯があれば、他にはなにもいらないくらいおいしい、何よりのごちそうと言います。子供の頃の遊びといえば、豆鉄砲、水鉄砲、吹き矢に弓に竹馬。何もなかったけど、竹林はいっぱいあって全部作っていたとも。ケーナ(南米の竹の楽器)を吹く時は、いつも子供の頃の映像が出てくる。そういった原風景とともに高菜漬けはかかせないと語ります。

とにかく、高菜漬けをスーパーでいろいろ買った。そして、高菜漬けをまず広げて見てみた。いつもは、すぐ刻んでしまうので知らなかったが、高菜という葉は長くて大きいのである。ヒロク二さんは、太陽に照らして色と葉脈を観察。わたし自身、葉脈の色と葉の色がくっきりと分かれてとても美しいのに驚いた。2人で発見ということかしら?ヒロク二さんは、2人でというのがとても好きだ。まあ、トランプのババ抜きを2人でしようと言わないだけましか?いつも2人で共感して同じ空気を吸っていたいという感じかな。


高菜を漬けている人には見慣れたものかもしれないが、茎も巾があってこんなに大きいとは。


日に当たってとても美しい。


いざ、包丁で刻むことに。
とても大きく刻むことにした。5㌢の長さに切っていった。

実は、大学生のころ、田中健さんを見たことがある。学校は京都にある嵯峨美術大学へ行っていたので、その横に桂川が流れていた。桂川は時代劇のロケ地としてよく使われていたようで、大学の帰りになんかやってると思ったら、田中健さんが小船から飛び降りて、悪者と小刀で川の中で揉み合うシーンだった。それと、大学前の割り箸工場の爺さんが船頭に変身していたのに驚いた。いい船頭になっているのだ。後で知ったけど、桂川の船頭はいつも爺ちゃんがすることになってると聞いた。ロケ地は人でにぎわってきたころに撮影は終わり、田中健さんは水の中から上がってきて、一度もわたし達の方を見ることはなく、真剣な表情だった。とてもカッコ良く、しばらく見た見ないの騒ぎだったのです。女性はなぜ美男子にキャーキャーとしてしまうのか?カッコ良い、カッコ良くないの差は、いったい何!?ちなみにわたしの最高は、アラン・ドロンです。

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白ご飯の巻

2009-02-26 15:42:51 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2009年2月24日(火)掲載のえ

グローブを右手にはめて、左手にはお茶碗に入った白ご飯。いざ、投球!!

元プロ野球選手の金田正一さんは、戦中戦後の大食料難の時代。わしはご飯によって育てられたと言います。幼いころは、自宅で米2合、豆かす5合の割合で大釜で炊かれたご飯の白米は下の方へ沈んだまま。その下の白米だけを父が食べる姿を見て、幼いころは、「おやじみたいに白米をいっぱい食べたいな」というあこがれがいつもあったと。プロ野球選手になってからは、遠征先にも選手自身が持っていったという。その時代は、恋人よりも米の方が圧倒的に恋しかった。そして、白ご飯は、試合に影響すると語ります。

ヒロク二さんは、幼いころ野球少年で「少年オリオンズ」のファン倶楽部に入っていたといいます。中学生のころは、学校に行かず授業が終わってから、野球をしに学校へ行っていたという不思議な人。その話を聞くと、わたしは急にPTAの役員のようになり、「勉強はいったいどうしていたの?」と必ず聞く。「自分の勉強で忙しくて、芸術家になりたかったから、その勉強で忙しくて。」という。「学校の勉強は?」とさらに聞くと、「それは自分の勉強以外の時間にしてた。」と返事が返ってきた。「学校の勉強もしないと、ほんとの阿保になるからね。たまに授業をでて答えられないのも癪だしね。」という。不良になる為に、1人で勉強することが多く、忙しくてしょうがなかったらしい。今は芸術家になり、とても素晴らしい人になったり、しょうがない人になったりと極端を行ったり来たりしている。学校は生に合わなかったらしく高校のある時、ぷっつりと行かなくなったらしい。独学がとても上手なようだ。芸術関係は、ほんとうに詳しい。わたしは、固有名詞をいつもうろ覚えしていて、変な固有名詞を発言すると軽蔑のまなざしで、間違いを正される。わたしは、ちゃんと大学までいってるのにこの始末。生きた学問をしてきたヒロク二さんは、やっぱり凄い!!


こんもり盛られたご飯。
祖母が語る「米一粒の4合の水」が沁みついてこのご飯を見ると膨大な水の量を想像する。戦時中、祖母は祖父に米を洗っても怒られたそうです。糠も栄養と考えていたんでしょうね。わたしにとって、戦時中の祖母の話は、いつもキョーレツです。
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今は、不況だからが合言葉?

2009-02-24 22:41:38 | Weblog

ヒロク二さんがピンチと思っていた時、
自分にいい聞かせるように、描いたもの。
どちらの人物もヒロク二さんだ。
「もう少しの辛棒だ。」
人生こう思って生きなきゃいけないときあるよね。

テレビをつければ、ニュースでは不況、不況だとうるさいくらい報道されている。大体ニュースというのは、事件や悪い事の方が多いのだから、見る方は気をつけて見ないと世の中は、真っ暗のような気持ちになる。これって、見る方にも正しく受け止める力を要するという事だと思いませんか?不況と深刻にならなくていい人も不況になっていくような感じがする。
兎に角、今は、経済、経済だ。あまり賢くないわたしは、「パン屋のお金とカジノのお金はどう違うーミヒャエル・エンデの夢見た経済・社会」という本を読んだことがあり、パン屋のお金というのは、パン屋さんが小麦を変化させてパンを売ったお金のことであり、カジノのお金が株というわけ。何が問題かというと、お金を移動させるだけでお金を得る、何も生産していない人がそのような形で儲け、株とか全く関係ない人達、パン屋にも影響を与えるという事が問題だということが書かれていた。お金にも質があることが分かりなかなか面白かった。
お金というのは、道具であって、大昔は、貝だったりしたらしい。その基本は、物々交換がはじまりで、欲しいものと欲しいものが交換できればよかったわけ。それが面倒で道具として、貨幣が出来た。う~ん、人類は何を得たいのか深く考えなくてはいけない。わたしも含めてね。芸術家の人達と合うと「食える食えない」とお金の話が出てくる。芸術家も真剣です。

今出来る事は、気がつけば小さな親切をすることと、食べ物を粗末にしないことぐらいです。あと損得だけで生きないことぐらいかな。禁欲的でしょ。ヒロク二さんに似てきたのかも。
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作品紹介15

2009-02-23 20:59:37 | Weblog

この作品は、10cm×12cmの小さな作品。色鉛筆で少し、ほとんどがボールペンで塗りつぶされて黒光りがしている。
「この、Quick Serverという意味は何?」と聞くと「すぐ年取ってしまうこと。」という。えっと驚き、もう歳じゃないか?70歳と勘違いしているが、本当は71歳で今年、72歳になるのに。死のことでも云っているのかなと思ったけれど、口には出さず黙っていた。今度は、軽いノリで「クイックシルバーメッセンジャーというのがあるの。」と教えてくれた。クイックシルバー・メッセンジャー・サービスというバンドの名前からつけたらしい。サイケデリック、フラワー・ムーブメント真っ盛りの頃に出てきたバンドで、サンフランシスコの3大ロックバンドの一つということです。ヒロク二さんは、音楽には詳しいよ。

この作品は、わたしの好きな作品です。ヒロク二さん自身はこの作品に対して冷たくどうでもいいかんじなんですが。作品を巡って微妙に見方というのか、価値観が違う。男と女の切り取られたフォルムがいい。それと健康的な性の表現。全体的にチャームな感じがするところ。そして夜の街の時間がある。今は、夜というとご飯の支度のことが頭にあり、食事中はブログのことや、読んだ本のことや、ヒロク二さんとゴチャゴチャ話したりするのが夜の時間だ。ブログを書き終わったら、ヒロク二さんの話を聞く。ヒロク二中毒にかかっているわたしだ。この絵は、ちょっと現実から引き離して自由な空気を吹き込んでくれるのかもしれない。愛の逃避行とか云ってね。可愛いエロティックな絵です。ちなみに、池田満寿夫氏の初期のエッチングの作品もとても好き。

それにしても、ヒロク二中毒だな・・・・と感心する。たまには1人の時間が欲しいなぁ。四六時中いっしょです。狭い家で。隣の部屋から「お~い」と呼ばれたら、「は~い」と返事してます。
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ハガキの絵 カンテ・グランデにて

2009-02-22 22:27:17 | Weblog

何年前か忘れたけれど、CANTE GRANDEで個展をした時に、作ってもらったハガキ。キタハマと名前をつけた時に、ヒロク二さんがクロッキーしたもの。カンテは猫好きなお店で、広い店内で猫を飼っている。カンテのホームページでは、猫のブログも充実しています。しかし、人は何故こう猫に癒されるのか?嬉しいときも、悲しいときも、病気の時も、いつでも猫は人間に同じ態度である。それがとても貴重なのかな?話を聞く才能は、猫はあると思います。そして、「ニャァ」と答える間合いがとても上手い。キタハマのことだけどね。


こちらも、カンテで作っていただいたハガキ。この頃ヒロク二センセイは、やたらマジックで絵を描いていたころだと分かる。上等なマジックでなく、昔からあるマーキーペンを使っていた。詰め替えインクのゴミが山のようにたまっていた。これは、ギャラリー担当の神原さんが、ヒロク二さんに描いて欲しいものとして、宿題として「ジャイアント馬場」さんを選ばれた。普段プロレスに縁のないヒロク二は真面目にプロレス雑誌を見ながら描いた。ハガキは、6種類ぐらい作っていただいて1番売れたのがこのハガキでした。次は、キタハマでした。2人で、若者の以外な反応に驚いたのでした。ここに来る女の子達のファッションは、ビジュアル系が多く、不思議なセンスを持った子が多い。個展の期間中、インド風なケーキや、チャパティなどをよく食べた。独特なセンスのお店です。

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ハンバーガーの巻

2009-02-21 21:45:37 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2007年6月26日(火)掲載のえ

ハンバーガが見えないが、マクドナルドです。

俳優で、タレントの川平慈英さんは,沖縄が日本に返還されるちょっと前、子供の頃「A&W」というハンバーガショップでハンバーガーを食べて病みつきに。その後、米カンザス州で暮らすことに。少年サッカーの試合の帰りに、突然現れる「M」の看板が見え、コーチがマクドナルドに行こう!というとみんな大合唱。衝撃だったのはピクルス。食べた事ない味。ピクルスとケチャップ、マスタードが絶妙だったと感動を覚えたそうです。

ヒロク二さんは、マクドナルドのハンバーガーを街に出るとよく食べる。わたしが、神戸大丸のミュージアムで働いていた時、課長は「若い子は、マクドナルドとか行くけど、わしら立ち食いなんか出来ない。それにまずい。」と云っていたのを思い出す。確かに、紫、藤色のスーツでキメテクル課長には、似合わない。いつも、目くら印で判を押してくれる。そのおかげで、わたしが発注した紐が10000個来そうになって課長でなく、判を押した課長に責任はなく、ひたすらわたしが廻りからさんざん怒られた。サラリーマンの縦社会が分からず、部長を、「あのおじさん」と呼び、危ないパート事務員だった。それはともかく、ヒロク二さんはいい年齢なんだけど、さりげなくマクドナルドを利用する。安いというのも彼には、ピッタリなんだろう。とにかく自然体で、若い子達に混じってマクドナルドを利用できるセンスには恐れ入ってます。違和感を持たれずにね。

ヒロク二さんには、吉野家の牛丼をはじめ、大衆酒場、ジャズ喫茶、珈琲店、古本屋、古着屋等、そしてマクドナルドも教えてもらいました。
そして、音楽も。


最近は、ブログを書きながらこれを聞いています。
アモン・デューリーのFlawlessというアルバム。ジャーマン・ロックだそう。
これも、教えてもらいました。いいです。
ヒロク二さんは、マイ・フェア・レディのヒギンズ教授???


 
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ドーナツの巻

2009-02-20 16:52:05 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2月17日(火)掲載のえ

1960年の頃の日活の映画を思い出す。ハードボイルドな黒いドーナツ。物語の始まりだ。

俳優の宍戸錠さんの思い出の食べ物は、終戦後に米軍(GI)から貰ったドーナツ。GIがコルト45のオートマティック・アーミーモデルをグリースで拭き、工具で分解しているのを、宍戸少年は、金網から顔に跡がつくほど見ていた。拭き終わっても見ていると、GIは「ちょと待て」とドーナツを持ってきてくれた。あまりのおいしさに、半分のドーナツを兄と弟に残しているともう一つ持ってきてくれたという。GIは、宍戸少年の心を見通した。本物の拳銃とドーナツの味は忘れられないと語ります。

担当の記者の方から、ヒロク二さんにマカロニ・ウエスタン調でいきますか?と書かれていた。そうです、日本も頑張って西部劇をしていたのを思い出した。和製西部劇というのかな?セットを作って西部の町を再現し、店の名前は日本語で書かれていて日本独特の西部劇があるのです。それに宍戸錠さんはよく出ていた。ヒロク二さんにそれを言うと、分かったという顔した。そして急に「拳銃があった。探してくる。」と庭をごそごそやりだした。わたしは「家に、拳銃を隠し持った記憶はないんだけど・・・。そんなもの見たことない・・・。」と法を犯している気分がして悪の匂いってこんな感じとそのスリルを味わった。どこかに埋めてあるのか?埋めてあったものをヒロク二さんが見つけていたのか・・・。


そして、出てきた拳銃。プラスティックではなく鉄のおもちゃの拳銃が出てきた。重さがあるのがリアルな感じだった。物を買わずに出てくるなんて。きっと、前に住まれていた方のものだと思う。こういうとき、幸運の女神が微笑んでくれたという感じがして嬉しく思う。


ヒロク二さんは、こんなデッサンをしたり、ミスタードーナツで買った8個のドーナツと格闘していた。とにかく、イメージを作るのにドーナツだけでなく、よけいなものをたくさん描いていた。
今回はとてもたくさんの絵を描いて、新聞社に絵も2枚送っていた。そして、選ばれたのが赤、黒、ピンクの絵です。この絵を見ているとハードボイルドかミステリーを読みたくなりませんか?
クレヨンでこんな絵が出来上がるのです。
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昔の神戸南京町の写真

2009-02-20 14:42:34 | Weblog

この写真は、ヒロク二さんが経営するVOXヒコーキ堂のロック喫茶の大きい方のお店。KLUB TAKEと看板が出ているところがお店だそうだ。1975年~1980年ぐらいじゃないかな?と伺った。もちろん髭を生やして煙草を銜えて、両腕を上げている人物が武内ヒロク二だ。30代後半かな?左にあるゴミの山は、ゴミ捨て場だそうだ。ヒロク二さんが来てからこのゴミ捨て場はとても綺麗になったという。まさしく掃除をしていたのはヒロク二さん。悪の親分のようにみえるが、とてもいいマスターだったらしい。この頃は、8ミリフィルムを撮っていていたという。ジョナス・メカスや新しい映像、実験フィルム等いろんな映像への試みが出た時代だ。
わたしも、大学の頃、京大西部講堂で見たことのないものを見ようとたくさんの実験映画を見た。アンディ・ウォホールのフィルムは、とてつもなく長時間で退屈で途中で出てしまった。ストーリーがまったくない画像だから、忍耐、忍耐だ。寺山修二は、う~んと唸るが結構いい。若松浩二の初期の映画も見た。「胎児が密猟する時」や「犯された白衣」その他いろいろ。アングラに時代が入っていく過程がよくわかる。60年代~80年代は現代に落ち着くまでの過程で、とても変化が多く価値観が変容した時代だ。しかし、恋にときめく21歳の乙女が、なにが悲しくてそんな汗くさく、暗く、忍耐を要するものを見たんだろう。実際、へとへと。しかし、その頃があったおかげか、ヒロク二さんと古い話をすると通じることがあり嬉しいような悲しいような。

現在、お店の跡は噴水のある公園になり、あずまやのある所に店はあった。写真の右にあるバラックの「民生廣東料理」は現在も新しくなって顕在だ。バラックの頃の中華料理の味は抜群だったと当時を知る人は言います。当時の南京町は治安も悪く、ヒロク二さんも体を張ったそう。そんな感じが、ちょっと出てるかな?はっきり言ってこの頃のヒロク二さんとは、写真を見るかぎり結婚したくないと思った。不潔そうだ。まあ、そうは言ってもこの頃は、わたしは13歳ぐらいだろうからありえない事でホッとしています。ヒロク二さんに出会うのは13年後です。

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納豆の巻

2009-02-19 21:35:29 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2009年2月10日掲載のえ

いろんな納豆があるね。中央より上にある黄色にある顔は、坂本九さんだそうです。「ほら、上をむいてるだろ。」と指を指して教えていただきました。

女優の柏木由紀子さんが、夫の坂本九さんとの思い出とともに、2人でメニューを開発していた、納豆メニューについて語ります。パパは納豆スパゲティをつくり、柏木さんは納豆をトーストに乗せて。納豆オムレツは2人で作ったと。一番いけたと思ったメニューは「揚げワンタン納豆」をおつまみに開発したといいます。たくさんの人とわいわい言いながら食べるのがパパは好きだったといいます。パーと明るい坂本九さんの歌声を思い出します。

納豆は2度目だ。ファックスでお知らせを頂いたあと、ヒロク二さんは倒れて、また起き上がった。不死鳥の如く。その間、ファックスの文章を読んで「とりあえず、納豆を多め買いましょうよ。この揚げワンタン納豆を作ってみるから。」と言った。「ああ、そうしてくれ。」という事でスタートを切った。
揚げワンタン納豆は、いたって簡単に出来た。まず納豆にネギとしょうゆをかけ、混ぜてそれをワンタンの皮で包み揚げるだけ。カッリと揚がったワンタンの皮とねっとり中に入っている納豆との相性がいいのかも。あんまり簡単だったから写真とるのを忘れてしまいました。最近はポピュラーな料理みたいです。

ヒロク二さんもわたしも、納豆が特に好きではない。いつも納豆を見ると「関東」とわたしは思う。子供の頃は匂いも糸引く様子を見るだけでゾッとした。今は納豆は食べれるようになったが、納豆をかきまわして食べない。ネギとしょうゆを入れて、箸で納豆をしょうゆとネギに付けるようにして食べる。動かさないのがコツ。それを見ていたヒロク二さんが、「こうやって混ぜるんだよ。」と勢いよく混ぜながら言う。見ると、泡なんか出来ていて怖い。「いいから、わたしの事はほっといて!」と言うと、食卓はし~んとした。今回の納豆で、久しぶり納豆を食べた。体にいいもの食べたという感覚しかない。

坂本夫婦のように、2人で料理というのは当時では珍しかった時代。あこがれのパパ像なんですよ。
パパと云えば、思い出す。1年位前、父と会ったとき父に冗談で甘ったるい声を出し「久しぶり、パパ」「どうしてたのパパ」と呼びかけたら、「パパはタイだけで結構。」と言い返されて気分を慨した。「パパ。お金。」と言ってやれば良かったかな。父も冗談がきつい人で、会えばいつも大ホラを吹く。あまり素敵でない親子像です。ヒロク二さんも娘達にパパとは言われてない。皆「ヒロ」と呼ぶ。パパや、お父さんとか呼ばさない。家庭的な匂いが嫌いみたい。





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高野卯港 追悼展のご案内を頂く

2009-02-16 22:01:43 | Weblog

高野卯港さんの奥様から、案内状を頂ました。
神戸ハンター坂の途中にあるギャラリー島田にて追悼展が開かれます。
2009.2.21(土)~3.4(水)12:00~19:00 最終日は17:00
上の絵は「鞆の浦」という題の絵。2008 油彩M20号
亡くなる寸前に描かれた絵だと思う。


高野卯港さんの2008年での個展で会ったのが最後になった。武内ヒロク二展の時に、奥さまの京子さんが来られた時に「高野さんはお元気ですか?」聞くと、「具合が悪いので代わりに来ています。」という言葉を聞いていたので、ちょっと久しぶりに顔でも見ようかと、ギャラリーで用事をしてから、高野卯港さんの会場へ行った。いいなあと思って印象に残った作品が上の作品。夏だったので、個展の会場をしめてもまだ、空は明るく晴れていた。出た途端、卯港さんは「死神にでも憑かれたか。」と、立ち止まって大声を上げた。ドッキとしたので、「高野さん、そんなこといわんと、だいじょうぶ、だいじょうぶ。そんな不吉なこといわんと。」と言いながら、久しぶりだからという事で、三宮の安酒場でビールを飲んだ。お店を出たところで、高野さんと別れたときの背中姿が今でも目に浮かぶ。その背中はまわりの空気を断ち切っているかのようでいて、卯港さんらしい孤独な匂いがした。


生前の高野卯港さん。
右から、故高野卯港さん、故山本芳樹先生(美術愛好家であり、バイロスについての著書多数)、後ろ姿のヒロク二さん。高野卯港さんの個展会場にて。

高野卯港さんとは、芦屋の画材店でアルバイト(パートではありません!20代の頃の話です)先で知り合った。絵の具も買いに来てらっしゃったけれど、よく絵を額に入れてあげていた。いろんな人が、絵を持って来られるけれど、生意気なわたしは、「適当に上手だけど嫌な描き方して上手いんだよ」という絵には非常に冷たくしていた。時々お世辞でもいうか、と思って「どこで絵を習われているのですか?」と言うと、わたしを睨みつけて「絵を教えています。」と強い口調で言われたりする始末。おお怖い。やはり絵と人柄は一致する。素人だけどとてもいい絵を描く方もいた。高野さんの絵を見たとき、初めて素直に「いい絵ですね。」と言って額を丁寧に入れた。画材屋での先生達とは、くっきりと違いがあった。個展を喫茶店でしているので見に来ませんか?と言われて、行ってそれから友達になった。高野さんは、トボケタ人で、言ったことが通じてるのかどうかが分かりにくくて、つい人を怒らす人でありました。
口ばっかり達者なわたしより、たくさん、たくさん絵を描かれて亡くなりました。死ぬ直前まで描き続けた高野卯港さん。
天国にいらっしゃいますか?
天国はいいところですよね。
でも、もっと生きていて欲しかった。

ヒロク二さんは、高野の仇をとってやると言ってます。(わたしには、意味不明)

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