武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

パンチを繰り出せ!(作品紹介452)と ヒロクニさんに進められた岡田謙三展を思いだす。

2017-06-14 17:25:30 | Weblog


パンチを繰り出せ!
そして四角い人は、変な顔をしているのであった。
見ていると、上へ上へと上がっていっているような雰囲気がする。
この絵は、個展に出すそうで、黒く塗られたパネルに貼り付けられた。

毎日、毎日、ヒロクニさんは、パネル貼りをしています。
私は、パネルを作ることは出来ても、絵を貼る作業は手伝えないので、
「タバコ買ってきて」
「ジュースを買ってきて」
「トマトが食べたいから買ってきて」
と、買い物をひたすら補助しています。

あとは、梅雨に入る前に土の再生にあけくれている。
土を干して、乾いたら篩いにかけ、根やら石を取り除く。
その土に苦土石灰をティースプン1杯入れ、良く拡販し、
さらに腐葉土を適量入れ、すき込む。さらにそれに肥料を一掴み入れ、
そこに水を入れ土を湿らせて保存出来る常態にし、完成したら袋に入れ日陰の場所に置いておく。

その土作りに大忙しなのです。
春が終わって、夏のガーデニングに突入という感じ。


その空いた時間に、西行の「山家集」を読んでいます。
俳句の季節は夏に入っていっていますが、春の桜を愛する情熱が印象的で未だに心に残っています。
吉野山の桜の描写は、非常に視覚的で、桜を霞にたとえたり、雪にたとえたりと、
美しい美の世界が俳句にこめられています。

また、吉野山の桜は、近代の桜の名所とは違い「花見」のために植えられたものではなくて、
山岳宗教と密接に結びついた信仰の桜として現在まで大切に保護されてきたものと知りました。

起源は今から約1300年前にさかのぼるそうで、その当時は、山々には神が宿るとされ、
吉野は神仙の住む理想郷として認識されていました。
のちに修験道の開祖と呼ばれる役小角(役行者)は、山上ヶ岳に深く分け入り、
一千日の難行苦行の果てに憤怒の形相もおそろしい蔵王権現を感得し、
その尊像こそ濁世の民衆を救うものだとして桜の木に刻み、
これを山上ヶ岳と吉野山に祀ったとされています。
その後、役行者の神秘的な伝承と修験道が盛行するにつれて、
本尊を刻んだ「桜」こそ「御神木」としてふさわしいとされ、
またそれと同時に蔵王権現を本尊とする金峯山寺への参詣もさかんになり、
御神木の献木という行為によって植え続けられました。

それが、現在まで続いて吉野の桜が存在していることを知り、
とても奥ゆかしい気持ちになりました。
また、吉野の桜はほとんどが山桜だそうで、桜の種類も何種かあるそうです。

私が好きな句を紹介しますと、

■おしなべて 花の盛りに なりにけり 山の端ごとに かかる白雪
 訳:山の端ごとにかかる白雪を見ると、どの山の端もすべて桜の花盛りになったことだよ。

■雲にまがう 花の下にて ながむれば 朧に月は 見ゆるなりける
 訳:雲かと見まがわれる桜の花の下で眺めると、その花の雲のため、月はおぼろに霞んで見えたよ。

■散り初むる 花の初雪 降りむれば 踏み分けま憂き 志賀の山越え
 訳:散り始めた桜の花があたかも初雪の降ったごとく散っていたので、志賀の山越えをするのつけても、
   山路に散る桜を踏み分けて行くのはつらいよ。

こういうのって「幽玄の世界」なのでは?
確かに日本の美意識の一つとして「幽玄」というのは存在する!!と、
強く感じたわけです。

随分前に、神戸で「岡田謙三展」があった。
その時、子供美術教室で展覧会を見に行く企画を考えていて、
いろいろチラシをみていたのです。
それを見ていたヒロクニさんが「岡田謙三は見といたほうがいいよ。地味だけどね」。と言う。
今その絵の記憶が、よみがえってきたのです。
確か「ユーゲニリズムの作家」と書かれていた記憶も。

どんな作品かというと、




こういう作品群だったと思う。
この岡田謙三氏は、フランスへ渡航してから、日本へ一時帰国、そして次は渡米。
この世界を確立したのは、アメリカで。
海外へ出てから、「日本とは?」と問うた結果が作品に反映し、独自の美を創り上げたのですね。


西行の句から、もっともっといろいろな「幽玄の世界」を見つけたいものだと思いました。
ヒロクニさんのアドバイスは、とても良かったのだと思い、
「ダーリンもやるじゃん!」「いい男!」ね。と思ったのでした。

子供達には、難しかったらしく、「なんだこれ~!」と不評でしたね。
また、「僕もこんなんやったら描ける」と言ったツワモノもいた。
しかし、「なんか綺麗」と言っていた子もいて、
そのなんか綺麗という感覚を覚えていて欲しいと思ったのでした。

日本の文化というのは、若い時はそんなに興味がわかないものだと思う。
私自身、フランスやアメリカ等の欧米の文化の方が面白いと思っていたし、面白かった。
しかし、今面白さを感じるのは、一応、私がちょっと年をとり、
日本文化の面白さがわかる年齢に来たということかな?と思っています。











コメント (4)
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6月の個展の案内 神戸 島田ギャラリーにて(6月24日~29日)

2017-06-04 17:37:23 | Weblog


今回6月の個展の案内状が出来ました。
元気でカラフルな絵と、6Bの鉛筆と色鉛筆で描かれた陰影のある作品が、
展示されることと思います。

裏にも絵が薄く紹介されています。↓


―文―
 ヒロクニさんにはドキドキする。
 島田誠さんに悪態をついたり、眼光鋭く見つめられたり、それだけで小心者の私はすくんでしまう。
 描くことが生きること、人生と丸々引き換えと言わんばかりの求道者のような創作には、
 心がザワザワする。
 真冬の青空のような、突き抜けた明るい色鉛筆の色彩、苦難と呻吟の最奥で見出した色と形の
 躍動からは、貧乏ロックバンドの中古レコードを物色して街をぶらついていた若い頃の自分を
 思いだしてワクワクする。恐ろしく、切なく、それでいて晴れやかなヒロクニさんは、
 とにかく気になる存在なのだ。  
 ―服部 正―


服部正氏には、ヒロクニさんがお願いして文章を書いて頂きました。
心より了承して下さったこと感謝しております。
また、間に入ってやりとりして下さったギャラリー島田の島田誠氏にも感謝しております。

個展をする度にたくさんの人に支えられていることを実感します。


所 ギャラリー島田
日時 2017年6月24日(土)~6月29日(木)
時間 12:00~19:00 火曜日は18:00まで 最終日は16:00まで

住所 神戸市中央区山本通2-4-24 リランズゲートB1F・1F 電話/ファックス 078-262-8058

HP http://www.gallery-shimada.com/index.html

興味のある方は、是非ご高覧下さい。
(売りつけられたりはしませんのでご安心を)




さて、ヒロクニさんは現在パネルに絵を貼り付ける作業を連日しています。
パネルにブラックジェッソを塗ってから、糊とメディウムを混ぜて貼るのですが、
これは非常に難しく、私は手伝えない。
失敗したら、絵がダメになってしまいます。
貼り終わると絵がパリンとなり、しなしなの状態の絵が変わってしまうのです。
いつも、魔法みたいだなぁ~と感心しています。
もう、すっかり夏姿のヒロクニさん。

どうして服(Tシャツ)を脱いでしまうのでしょうか?
「いつのまにか裸」のヒロクニさん。
すっかり見慣れた姿です。





手伝えないのをいいことに、作っていました。
「半幅帯」を。
ミシンが調子悪いから、手縫いでチクチクやってました。
4日くらい集中していた。
そして、出来上がり、今日は「やの字結び」という結び方を学習しましたの。
黄土色の生地に光るような感じで植物模様がある生地と小豆色と生成り色の市松模様の生地を
使いました。半幅帯は基本が分かったので、もう作るのは怖くない!
チクチクやっている時間、なんか幸せな感じでした。



さてと、西行の「山家集」も読み始め、心静かな時間が流れます。
日本の古典って、基本心が躍動している状態の時は、読みにくい。
心の静けさを要求されるのが面白い。
西行は桜好きらしく、春は、桜の句をたくさん詠んでいます。
時代は平安後期、西行の句は、吉野山の桜の句が、なんともいえない幽玄の世界を感じさせてくれます。



一度、ゆっくり吉野を訪ねたいものです。
しかし、ヒロクニさんはゆっくりする人ではないので、困ったものだ。
起きたら、常に動いてる。CDを掛けたり、変えたり、急に手を洗ったり、窓の開け閉め、
制作、常に話し掛けてくるし、なんか私とタイプが違うのです。
「早ければいい」というのも口癖であります。










コメント (2)
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